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この世界に足りないのは勇者じゃない、道路だ ~土木転生の辺境領地改革~  作者: ヲワ・おわり


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第二十六話 鉄と水と、前例なき基礎

辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。

気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。

エーデル川は、朝の光の中でも速かった。


 クルトは川岸に立って上流を見た。水面が光を弾きながら流れていく。流速は秒速一メートル強。岸近くでこの速さなら、中央部はさらに速い。計算の数字が頭の中を流れた。


「領主様、全員揃っています」


 フリッツが後ろから声をかけた。振り返ると、二十人ほどの職人と作業員が川岸に整列していた。領地の魔法使いから今回の工事に借り受けた二人——土魔法担当のマルクスと水魔法担当のゾフィーが右端に並んでいる。エルドリックが少し離れた位置で川の上流に目を向けながら、警備配置を確認していた。


「では、始めます」


 クルトが言った瞬間、川上から荷馬車の音が聞こえた。



──────



 ランベルトが、先頭の荷馬車に乗っていた。


 荷台には鋼材が整然と積まれていた。矩形断面の棒鋼、板材、接合用の部材。すべて発注書の通りの形状と寸法で、ランベルトの工房から届いたものだ。


「おろせ」とランベルトが御者に言い、荷台から降りた。


 クルトが近づき、積まれた鋼材の一本を手に取った。断面を確認する。叩いて音を聞く。表面の仕上げを指で触れる。折り曲げ抵抗を試みるが、びくともしない。


「……ランベルトさん、これは設計値通りだ」


「当たり前だ」


 ランベルトが腕を組んで言った。口は悪いが、声には誇りがあった。


「素人みたいな発注をするなと言ったのは儂だ。儂の出した材料を信じろ」


 クルトは頷いた。数値で話す必要はなかった。この品質なら、計算が成立する。


「ありがとうございます」


 ランベルトが何も言わなかった。ただ鼻を鳴らして、川を見た。



──────



 職人たちを集めて、クルトが水中基礎打設の説明を始めた。


「今日から、川の中に橋脚の基礎を作ります」


 全員が静かになった。


「川の中に、とは……」と、年配の石工が言った。「水の中に基礎を打つということですか。水の中に石が積めるのですか」


「水が入っていては積めません。だから——水を抜きます」


 クルトが地面に簡単な図を描いた。川底。仮設の壁。その内側の空間。


「土魔法で川底に仮設の締め切り壁を作ります。川の流れを遮断した内側の空間を、水魔法で排水する。そうすれば、川の中に一時的に乾いた場所ができます。そこに基礎を打設する」


 しばらく誰も口を開かなかった。


「……そんな工法、聞いたことがありません」とマルクスが言った。「土魔法でそんなことが——」


「見ていてください」


 クルトが川岸に近い浅瀬に歩いた。土魔法を発動する。魔力が手の先から流れて川底に伝わり、泥と砂岩を押し固めながら薄い壁を形成していく。クルトの魔力は並以下だ。大きな術は使えない。しかし精密な制御なら、どこにも負けない。


 一分後、浅瀬の一角に水が入らない小さな区画ができていた。


「ゾフィーさん、内側の水を」


 ゾフィーが水魔法を発動した。区画の内側の水が引いていく。川底が姿を現した。湿った砂と、その下の岩盤。


「……本当に」とゾフィーが言った。


「こういう使い方をするものですよ、魔法というのは」


 クルトが淡々と言った。全員が唖然としていた。



──────



 本番の基礎打設は、西岸側の第一橋脚から始めた。


 マルクスが川底に締め切り壁を展開する。クルトが横で指示を出しながら、壁の厚みと深さを細かく修正する。「もう少し東側に。そこ、隙間が生まれそうだ」「川底の岩盤までちゃんと届かせてください」


 マルクスが懸命に魔力を注ぐ。普段の戦闘用魔法とは全く違う集中の仕方で、額に汗が浮いていた。


「……こんなに細かく使うとは思わなかった」と彼は息をつきながら言った。


「慣れますよ」とクルトは答えた。


 排水はゾフィーが担当した。フリッツが「水をくみ出す作業、俺がやります!」と名乗り出て、ゾフィーと組んで動き始めた。ゾフィーが魔法で水を浮かせ、フリッツがバケツに移して岸まで運ぶ。泥だらけになりながら、フリッツは止まらなかった。


「俺、魔法は使えないけど、体力はあります!」


 その声に、周囲の職人たちがわずかに表情を緩めた。


 締め切りの内側が乾いた。職人たちが一斉に動いた。型枠を設置し、砕石を詰め、モルタルを流し込む。前例のない作業だったが、全員の手が止まらなかった。困惑から集中へ——顔つきが変わるのが、クルトには見えた。


 前世でも、こういう瞬間があった。新しい工法を現場に持ち込んだとき、最初は誰もが「無理だ」と思う。しかし手を動かし始めると、「これはできる」という確信が体に宿る。


 ここでも、同じだ。



──────



 日が傾き始めた頃、作業を切り上げた。


 第一橋脚の基礎の型枠設置まで、完了した。


 クルトが川岸に腰を下ろし、今日の工程を手帳に書いた。完了した作業、確認した数値、明日の段取り。書き込みながら、ふとダリウスの手帳を思い出した。


 同じように手帳を持ち、同じように鉛筆を走らせる。しかし記録している中身は全く違う。自分は「自分が作るもの」を書いている。ダリウスは——。


 クルトはその考えを止めた。今は関係ない。


 隣にランベルトが来て、同じように川岸に腰を下ろした。二人でしばらく川を見た。夕暮れの光の中で、エーデル川は橙色を帯びて流れていた。


「……こんな工法、見たことがないが」とランベルトが言った。「理には適っている」


「前例がないのは、誰もやらなかっただけです」


「……そうかもな」


 ランベルトが川を見たまま言った。それ以上、何も言わなかった。


 川の音だけが流れていた。



──────



 翌日、第二橋脚の基礎に取りかかった。


 川の中央に近づくほど、流れは速くなった。マルクスが締め切りを展開しようとするたびに、土魔法が川の圧力に押されて形を崩す。三度試みて、三度とも成功しなかった。


「この流れでは、土魔法が固まる前に流れていく」とマルクスが言った。「もっと強い魔力の術者が必要では?」


「強い魔法ではなく、正確な設計の問題だ」


 クルトが川面を見つめた。


 問題は明白だった。岸からの計測では、川の中央の流速と川底の地質が正確に分かっていない。設計の入力値が不確かなままでは、どれほど計算を重ねても答えは出ない。


「計測値が足りない。川の中央の実際の流速と川底の形状を、俺自身で確認しなければ」


 静かに言いながら、クルトは腰に下げていた測量棒を握った。


 川岸の全員が、黙ってクルトを見た。

次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。

続きもよろしくお願いします。

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