第二十四話 交渉決裂と、東からの声
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
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「再考を拒否する。ただし、橋の建設を強行するならば、我が領内を通行するノルトクロイツ所属の商人に対して通行料を倍額とする。また、今後の農産物取引の一部についても見直しを検討する」
クルトが声に出して読み上げた。
部屋は静かだった。ヴィオラが横で筆記の手を止めている。エルドリックが壁際で腕を組んでいる。
「……決裂、ですね」とヴィオラが言った。
「ええ」
クルトは書状を机に置いた。感情的な反応はほとんどなかった。しかし「数字を示したのに、感情で押しきられた」という静かな重さが、どこかに残っている。
「だから最初から剣で……」とエルドリックが言いかけた。
「ガルトナー伯爵とは戦いません」とクルトが答えた。「迂回します」
「迂回?」
「工事は続ける。ただ、伯爵が通行税を倍にすることで影響を受ける商人への対策が必要です。ヴィオラさん、建設中の期間、商人への追加コストはどのくらいになりますか」
ヴィオラが手帳を開いてすぐに計算した。「建設中の二ヶ月間に限れば、追加のコストは銀貨二百枚ほどです。領地の商人全体に分散させれば、個々への負担は抑えられます」
「耐えられる範囲です。工事続行を決定します」
エルドリックが黙り込んだ。反論できない数字だとわかっている。
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翌日、ブレスラウ子爵からの使者が改めて訪問した。
若い文官で、書状を恭しく差し出してから口上を述べた。「ノルトクロイツの橋建設計画を耳にしました。もし橋が完成するなら、我が領からエーデル川東岸を通じてノルトクロイツと直接交易できる可能性があります。関心があれば、子爵本人が参上したく存じます」
「背景を教えてもらえますか」とクルトがヴィオラに言った。
「ブレスラウ子爵領は採掘業が主産業です」とヴィオラが答えた。「ただ、現在はガルトナー伯爵経由の迂回路しか南方への出荷ルートがなく、通行税のコストが重くのしかかっています。橋ができれば、我が領経由で南北に出荷できるようになる」
「……つまり、伯爵への対抗者が自然にいた、ということか」
「そうなります」
クルトは使者を向いた。「子爵にお伝えください。いつでも歓迎します」
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数日後、ブレスラウ子爵が直接ノルトクロイツを訪れた。
四十代、中肉中背、実務的な雰囲気の貴族だった。着飾っておらず、護衛も最小限だ。馬から降りて領主館の前に立ったとき、最初に言ったのは挨拶より先に「橋の設計図を見せてもらえますか」だった。
クルトは内心で、この人間は信頼できると判断した。
応接室でブレスラウ子爵——ヴェルナー・ブレスラウ——が設計図を前に座った。クルトが対面に座る。ヴィオラが記録の準備をしている。
「あなたは数字で話す人だと聞いた」とブレスラウが言った。「それは、私も同じです」
「では、数字で話しましょう」とクルトが答えた。
最初からかみ合った。
「石材を年間で一定量供給することもできる」とブレスラウが言った。「それを橋の建設材料として使ってもらえれば、双方にメリットがある。我が領の石材は品質が良い。採掘現場を見てもらえれば分かります」
「搬入路は?」
「ブレスラウからエーデル川東岸沿いを北上し、川を渡ってノルトクロイツへ。橋ができれば、この経路が成立します。今は渡れないから、ガルトナー経由の迂回を余儀なくされている」
「工期中はどうしますか」
「川を筏で渡る方法が使えます。石材を小分けにして筏で流せば、橋のない今でも運べる」
話が早かった。クルトは数字を書きながら、石材の供給量・質・スケジュールについて具体的な協議を進めた。二時間後、基本合意が成立した。
「ガルトナー伯爵は強硬化していますね」とブレスラウが言った。「承知の上で橋を進めるということは、相当の覚悟があると見ていいですか」
「計算してから進めています。耐えられる範囲です」
「……なるほど」ブレスラウが少し笑った。「それが答えなら、信頼できる」
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帰り際、ブレスラウが立ち上がりながら言った。
「昔は、この地域の交易が今より盛んだった」
クルトとヴィオラが同時に聞き入った。
「ガルトナー伯爵の先代が通行税を引き上げる前は、北と南が自然につながっていたのです。エーデル川の橋も二ヶ所があり、ノルトクロイツの村々には商人が定期的に訪れていた。それが徐々に細くなり、橋が流れてからは完全に分断された。あなたの橋は——その頃を取り戻すかもしれない」
ヴィオラが手帳に「記録します」と呟きながら書き込んでいる。その表情は珍しく、数字を書くときとは違う真剣さがあった。
クルトは地図を手に取った。
ガルトナー領の「迂回」と、ブレスラウとの「直接ルート」。二つを書き込む。一方の扉が閉まった。しかし別の扉が開いた。
「これで行ける」と静かに言った。
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夜、クルトが一人で地図を見ていると、エルドリックが部屋に入ってきた。
「工事は続けるのか」
「ええ」
「ガルトナーが妨害してくるかもしれない。書状だけとは限らない」
「それは、そうなってから対処します」
エルドリックが腕を組んで少し黙ってから言った。「……上から来るということは、何かある、と思っていた。ヴァイス家から早馬が来た。次兄のダリウス様が領地を訪問する、という知らせだ」
クルトが手を止めた。
「ダリウスが?」
「『兄弟として、弟の様子を見に来るだけだ』という添え書きがある」
エルドリックが何かを言いたそうな顔をしたが、言わなかった。クルトも聞かなかった。
「どうせ来るなら、今の進捗を見せてやる」とクルトが言った。
その目には、静かな警戒と、どこか試されている感覚があった。どちらの感覚が先に来ているのか、クルト自身にはよくわからなかった。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




