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この世界に足りないのは勇者じゃない、道路だ ~土木転生の辺境領地改革~  作者: ヲワ・おわり


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第二十三話 数字で語る者、感情で守る者

辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。

気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。

「閣下、もう一度だけ聞かせてください」


 馬車の中でヴィオラが言った。外は朝の光が差し始めていて、ガルトナー領に向かう街道に馬蹄の音が響いている。


「交渉というのは、数字だけで動くものではありません。相手の感情と立場を読む必要があります。伯爵は五十代の方で、先代から続く領地を守ってきた貴族です。数字が正しくても、それだけで心が動くとは思わないでください」


「……分かってはいる」


「その手に持っている計算書を、一度しまってから聞いてもらえますか」


 クルトは手元を見た。知らず知らず計算書を広げていた。しまいながら、「行って数字を出しながら話します。それが俺のやり方だ」と言った。


 ヴィオラが小さくため息をついた。



──────



 ガルトナー城館は整然としていた。


 馬車が到着して城館の門をくぐったとき、クルトは無意識に建物を見回していた。石積みの基礎はしっかりしている。壁面に雨染みがない。石の目地も均一だ。管理が行き届いている領地だ、と思った。


「さすがに城館の品評をしている場合ではありませんよ」とヴィオラが言った。


「……そうですね」


 城館の中へ案内される。床も壁も、掃除が行き届いている。廊下の突き当たりにある応接室は、天井が高く、窓から農地が見渡せた。


 ガルトナー伯爵が立って待っていた。


 白髪混じりの頭、堂々とした体格、五十代の貫禄。顔には余裕があった。三男坊が自ら来るほど追い詰められているのだろう、という余裕だ。


「遠路、おいでいただきました」と伯爵は言った。「ヴァイス家の三男が自ら足を運ぶとは、思いませんでした」


「数字を持参しましたので、直接お目にかかる方が早いと判断しました」


「……ほう」伯爵がわずかに眉を上げた。「そうですか。では聞きましょう」


「わざわざおいでいただきましたが、我が意向は書状の通りでございます」と伯爵は最初にそれだけ釘を刺した。


 クルトは計算書を取り出した。



──────



「橋ができれば、ノルトクロイツとブレスラウ子爵領の交易量は現在の三倍以上に増える試算です」


 伯爵の前に計算書を広げながら、クルトが説明する。「その交易量の一部はガルトナー領を通る南北ルートを使います。今の通行税収入は年間銀貨八百枚。橋完成後の推定通行量を元にした試算では——」


「数字は面白い」


 伯爵が計算書をちらりと見て言った。


「だが、ここには一点抜けているものがある」


 クルトが止まった。


「我が領地を経由しなくなるということは、商人が我が領に立ち寄らなくなるということだ。宿場の利用、市場での取引、職人への仕事——それは数字に入っておらんよ」


 一瞬、クルトは何も言えなかった。


 その通りだった。通行税の収入だけを計算していて、立ち寄り商人が落とす宿代・食事代・市場での消費を計上していなかった。


 ヴィオラが静かに動いた。


「おっしゃる通りです、伯爵閣下」


 ヴィオラが一歩前に出て、落ち着いた声で言った。「ただ、橋が完成した後にノルトクロイツへ来る人の数が増えれば、その商人たちはガルトナー領の宿場や市場も利用する可能性があります。私どもで試算いたしましたところ、通行税の減少分を補う程度の通行量増加が見込まれます。もちろん、それが現実になるかどうかは実際の交易量次第ですが——」


 ヴィオラが数字を補い、さらにガルトナー伯爵の立場に配慮した言い方で続けた。「伯爵閣下がこれまで守ってこられた通行路の価値は、十分に理解しております。我々が望むのは、橋を通じてこの地域全体の交易量を増やすことです。その恩恵は、ガルトナー領にも及ぶと考えています」


 伯爵が黙っていた。


(ヴィオラは俺より上手い)


 クルトは内心でそれを認めた。俺は数字を読み上げていた。ヴィオラは相手に語りかけていた。同じことを言っているのに、届き方がまったく違う。


「ふむ」と伯爵が言った。「計算は認める。だが、数字だけで領地の方針を変えるわけにはいかない。これは私の先代から守ってきた利権だ。一晩考えさせてほしい」


「もちろんです」とクルトが答えた。「ただ、工事は来月には始まります。ご回答は早めにいただければ」


 伯爵が小さく頷いた。「承知した」



──────



 帰りの馬車の中は、しばらく無言だった。


 クルトは窓の外を見ていた。農地が続いている。管理された畑だ。伯爵がこの領地を守ることに意地を持っているのは、当然のことかもしれない。


「……数字の部分は完璧でした」とヴィオラが言った。「ただ、伯爵は『先代から守ってきた』という感情的な部分で引いています。それは数字では動かせない」


「じゃあ、どうすれば動かせる?」


 クルトは素直に聞いた。計算書では解けない問いだと分かっていたから。


 ヴィオラが少し驚いた顔をした。「……今、分からないとおっしゃいましたか」


「分からないから聞いている」


「……」ヴィオラが考えるように少し間を置いた。「伯爵が守りたいのは、数字ではないと思います。先代から引き継いだものを、自分が壊した、と思いたくないのではないでしょうか。だとすれば——彼が守るべきものを守ったまま、前に進める道を示す必要があります」


「具体的には?」


「それを、私と一緒に考えてみませんか」とヴィオラが答えた。


 クルトは少し、黙った。


 前世では、わからないことを他人に聞いたことがほとんどなかった。自分で計算して、自分で答えを出すのが当然だと思っていた。


 でも今は、隣にヴィオラがいる。


「……お願いします」とクルトが言った。


 馬車が揺れた。窓の外に、夕暮れのガルトナー領の農地が広がっていた。



──────



 ノルトクロイツへ戻ると、エルドリックが城門のそばで待っていた。


「東から使者が来た。ブレスラウ子爵が面会を求めている」


 それと同時に、エルドリックが小さな封書を渡してきた。「ガルトナー伯爵からの返書が先行して届いた。早馬で来たらしい」


 クルトは二つを受け取り、「……一度に動いたか」と静かに言った。


 ブレスラウ子爵の書状を後回しにして、ガルトナー伯爵の封書を開く。


「再考を拒否する。ただし——」


 その続きが目に入る前に、クルトは手を止めた。


 伯爵は一晩考えると言っていた。だが返書が来るのが早すぎる。早馬で来たということは、面会の前にすでに返答が決まっていた可能性がある。


 つまり、今日の交渉は、伯爵にとって「聞くための場」ではなかったかもしれない。


 続きを読むために、封書に目を戻した。

次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。

続きもよろしくお願いします。

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