第二十二話 通行税という名の壁
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
封書の文体は丁寧だった。
だからこそ、読んでいて不快だった。丁寧な言葉で包まれた要求というのは、怒鳴り声よりかえって始末が悪い。
クルトは執務室で書状を二度読んだ。内容を要約すると——エーデル川に橋が完成すれば、ガルトナー領を経由する旧交易路の通行量が激減し、通行税の収入に甚大な影響が生じる。隣領との友好関係を維持する観点から、再考されたい——ということだった。
「ヴィオラさん」
ドアの向こうからヴィオラが入ってきた。いつも通り、書類を抱えている。
「読みましたか」とクルトが書状を渡すと、ヴィオラはざっと目を通して、「……ガルトナー伯爵ですね」と言った。
「知っていましたか」
「概要は把握しています」ヴィオラが書類棚から一枚の記録を取り出した。「ガルトナー伯爵は現在、ノルトクロイツとブレスラウ子爵領を結ぶ唯一のルート、ガルトナー領経由の迂回路に通行税を課しています。年間の徴収額は銀貨八百枚と推定されます」
「つまり、俺たちの橋が伯爵の財布を直撃する、ということか」
「正確に言えば、そうです」
クルトは書状をもう一度見た。「再考されたい」。やわらかい言い回しだが、要するに「やめろ」ということだ。
「では、無視します」
「それは難しいかもしれません」
「なぜ」
ヴィオラが「記録は正確に」と前置きしてから言った。「ガルトナー伯爵は、この地域で最も規模の大きい農業地帯を持つ伯爵家です。ノルトクロイツの農産物の一部は、現在もガルトナー領の市場を通じて南方へ出荷されています。伯爵が商人への通行許可を絞れば、我が領の農産物の出荷が滞る可能性があります」
クルトは手帳に書き込みながら聞いていた。
「……面倒な構造になっているんですね」
「十年放置されていた間に、そういう依存関係ができてしまいました」
──────
翌日、ガルトナー伯爵の使者が直接来訪した。
名をエドガー・ホルツと名乗る男で、年齢は四十代、伯爵家の代理執事だという。服装は整っており、物腰は礼儀正しかった。それが余計に、クルトには鋭く映った。
応接室でクルトとヴィオラが向かいに座り、エルドリックが無言で壁際に立っている。
「書状の件、ご返答をいただきたいと思い、参りました」とエドガーが言った。「なお、伯爵閣下はノルトクロイツへの商人の通行許可についても、随時見直しを検討されております」
にこやかな顔で、とんでもないことを言う。
「剣で解決できないのか」
エルドリックの声が応接室に響いた。ヴィオラが鋭い目でエルドリックを見た。エルドリックが口を閉じる。
「俺が対処します」とクルトが遮ってから、エドガーに向かって言った。「伯爵閣下のご懸念はよく分かりました。ただ、この件は数字で話し合う余地があると考えます。よろしければ、直接伯爵閣下にお目にかかる機会をいただけますか」
エドガーが少しだけ眉を上げた。「直接、とおっしゃいますか」
「ええ。書状の往復では伝えられないことがある。計算書を持参します」
「……閣下にお伝えします」とエドガーは言い、引き下がった。
使者が帰った後、ヴィオラがクルトに言った。「剣で解決できないか、と言いかけたエルドリックさんより、むしろ閣下の方が無茶を言っていますよ。直接乗り込むつもりですか」
「乗り込む、ではなく交渉しに行く。違います」
「交渉というのは、数字だけで動くわけではありませんよ」
クルトはすでに手帳を広げていた。
──────
夜になってから、クルトは一人で川の設計図を見ていた。
応接室でのエドガーの言葉を反芻する。「商人の通行許可を随時見直しを検討」——これは事実上の脅しだ。しかし伯爵が本当に恐れているのは何か。
橋ができた後の通行量の減少だ。年間銀貨八百枚の収入が失われることへの恐怖が動機だとすれば——橋があった方が伯爵の利益が大きいと証明できれば、話は変わる。
(前世でも、予算審議で似たような圧力があったな)
土木工事の予算を議会に通すとき、地元の有力者が反対することは珍しくなかった。工事によって自分の利権が脅かされると感じる人間は、必ずどこかにいる。そういう相手を動かすのは、常に数字だった。感情ではなく、利益の計算だ。
(数字以上に強いものはない)
前世でもそれを信じてきた。
クルトは計算書の余白に書いた。「ガルトナー伯爵を説得する数字を作る」
それと同時に、工事の準備は止めない。
交渉と工事は並行する——それが現場の鉄則だ。一方を待つことで、もう一方を遅らせてはならない。
翌朝早く、フリッツに人手を集めさせた。仮設丸木橋の材料の手配と、採石場の下見を始める。川岸では、作業員が木材を運び始めた。
ガルトナー伯爵への交渉は、平行して進める。
クルトは計算書を手に取り、ガルトナー領との交易量の試算に取りかかった。
──────
数日後、エドガーから返書が届いた。
「伯爵閣下は面会を承諾された。ただし、五日後にガルトナー城館にて。供は最小限とされたし」という内容だった。
クルトはヴィオラに言った。「準備を」
「閣下、交渉に行かれるのですか?」
「ええ。数字で話せる相手なら、説得できないはずがない」
ヴィオラが少し間を置いてから、「……数字が正しくても、それだけで人は動きませんよ」と小さく言った。
クルトはすでに計算書を広げていた。
その言葉は、どこか正しいとわかっていた。でも今は、数字を揃えることが先だ。感情で動けない相手には、まず論理を見せる。そこからでなければ、始まらない。
窓の外では、川岸の作業がすでに動いていた。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




