第二十一話 設計図は嘘をつかない
辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。
気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。
川岸に立つと、流れの音だけが聞こえた。
エーデル川の橋が流されたのは十年前だと、村人から聞いていた。今は礎石だけが残って、川底に半分埋まっている。増水のたびに砂が堆積し、もとどこに橋があったかも、注意して見なければわからない。
クルトは川岸の端に立ち、対岸を見た。
東岸まで、目測で十六メートルほど。水面から岸壁まで一・五メートル。西岸の地盤は砂岩混じりの岩盤で、指で押しても崩れない。流速を測るため、手元の木の枝を川に投げた。枝が対岸の礎石のそばを過ぎるまでの時間を、心の中で数える。
「……秒速一・二メートルほどか」
独り言を言ったつもりだったが、後ろから声が返ってきた。
「領主様、何を計ってるんですか?」
振り返ると、フリッツが立っていた。またついてきていた。
「川の流速だ」とクルトは答えた。「橋を架けるのに必要な数字を揃えている」
「橋……ですか?」フリッツが川を見た。「ここに?」
「ここに」
クルトはしゃがんで川岸の岩盤を素手で確かめた。しっかりした砂岩の層だ。風化は表面だけで、一センチも削れば生の岩が出てくる。基礎を取れる地盤だ。
アーチで行ける、と思った。
前世でこれと似た条件の橋を設計したことがある。川幅十八メートル、流速は少し遅かったが、基礎の地盤はほぼ同じ条件だった。その橋は今でも国道の上に立って、毎日何百台もの車を渡しているはずだ——もっとも、この世界から見れば、それは別の世界の話でしかないが。
手帳に数字を書き込む。川幅、流速、地盤の所見、岸壁の高さ。それだけあれば、設計の骨格は作れる。
「フリッツ」とクルトは言った。
「はい」
「明日の会議に出てくれ。人手がいる」
──────
翌日、領主館の執務室に四人が集まった。
ヴィオラ、ランベルト、エルドリック、そしてフリッツだ。机の上にクルトが広げたのは、一枚の設計図だった。
アーチ橋。川の両岸から半円を描くように鉄骨が伸び、中央でひとつに繋がる構造。橋脚が川の中央に一本、両岸側に各一本。橋板は石板と鉄板の複合で、幅四メートル。荷馬車が通れる広さだ。
しばらく、誰も口を開かなかった。
「見たことがない形だ」と最初に言ったのはランベルトだった。「こんな曲がった橋など、どこで見た」
「見ていません」とクルトは答えた。「設計しました」
「設計……」ランベルトが口を歪める。「アーチなぞ、鉄の無駄遣いだ。まっすぐ梁を渡せばいい。なぜわざわざ曲げる」
「曲げるのではなく、圧縮させるんです」
クルトは床に膝をついて、木の棒で地面に図を描き始めた。
「鉄は引っ張りには強いが、曲げには弱い。長い梁を川に渡すと、荷重がかかるたびにたわむ。たわみが繰り返されれば、いつか折れる。ところがアーチは違う。荷重をアーチが受けると、力は軸に沿って斜め下に流れ、最終的に両岸の地盤に押しつける力になる。鉄が圧縮される方向だ。圧縮に対しては、鉄は非常に強い」
地面に描いた図を、ランベルトが黙ってのぞき込んでいる。
「つまり、アーチにすると荷重の伝わり方が変わる、ということか」
「そうです。同じ鉄の量で、より重い荷物を渡せる。梁橋より材料が少なくて済む場合もある」
ランベルトが腕を組んだ。何かを考えている顔だ。否定の顔ではなくなっていた。
「……その計算は正しいのか?」
「確認してみてください」
横から手が伸びた。ヴィオラだった。設計図の横に計算式を写し取りながら、「その計算、私が確認します」と言った。ペンが素早く動く。数字を書き写し、自分でも計算を始めている。
「コストと工期の試算も必要です」とヴィオラが言った。「今の領地の予算規模と照合しなければ、承認できません」
「口述します」とクルトが答えた。「橋の全長は十六メートル、幅四メートル。使用する鉄材は——」
数字が続く。鉄材の必要量、採石量、工期の見込み。ヴィオラが一つ一つを記録し、自分で検算を加えていく。しばらくして、「……合ってる」と小声で呟いた。
「工期は二ヶ月ほど。費用は、現在の領地の半期税収に相当します」とヴィオラが言った。「かなり大きい出費ですね」
「採石は領内の採石場を使います」とクルトが言った。「放棄されているが、岩盤は生きている。実質コストはさらに下がる。それと——橋ができれば、東西の物流コストはどう変わりますか」
ヴィオラが数字を確認しながら計算し、「……東西の物流コストが三割下がります」と答えた。小さく目を見開いている。「これは記録しておかなければ」
「工事中は川を渡れなくなる」とエルドリックが言った。「その間、東の村の防衛はどうする」
「仮設の丸木橋を並走させます」とクルトが即座に答えた。「幅一メートル、人間と荷馬車一頭が通れれば十分です。工事期間中はそちらを使う」
エルドリックが少し間を置いた。「……準備はいい」
それが、エルドリックにできる精一杯の承認だとわかった。
「では着工します」とクルトが言った。
ヴィオラが正式な工事請書を書き始めた。
「俺も川に入る作業やります!」とフリッツが手を挙げた。「領主様が川に入るなら、俺も一緒に」
「ありがたい」
ランベルトが設計図を手に取った。じっと見ている。指で線をなぞり、アーチの部分の寸法を確認している。しばらくして、「鉄材の算段は儂がつける」と言った。「素人みたいな発注をするな」
口調はいつも通り、ぶっきらぼうだった。しかし設計図を手放さない。
クルトは何も言わなかった。
──────
翌朝、クルトは着工準備のため川岸へ出向いた。
仮設丸木橋の材料確認と、採石場の場所を確かめるために地図を持ってきていた。
川沿いの道を歩いていると、見慣れない馬車が止まっていた。紋章が入っている。クルトには見覚えがなかった。
馬車から降りてきた男が、クルトを見つけると深く頭を下げた。
「ノルトクロイツ領主、ヴァイス様でいらっしゃいますか。ガルトナー伯爵閣下よりの書状をお持ちしました」
差し出された封書の封蜡に、見たことのない紋章が押されていた。
クルトは封書を受け取り、紋章を見た。
ガルトナー伯爵。
その名前には、聞いた覚えがあった。南隣の伯爵領、通行税の利権を持つ——と、ヴィオラが以前に言っていた。
橋の設計会議の翌日に、これが来た。
偶然ではない、とクルトは思った。
次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。
続きもよろしくお願いします。




