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この世界に足りないのは勇者じゃない、道路だ ~土木転生の辺境領地改革~  作者: ヲワ・おわり


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17/51

第17話 水が動く日

辺境領地改革、毎日5話ずつ更新予定です。

気になったら続きを追ってもらえると嬉しいです。

「目地の詰め方が甘い箇所がある」


 ランベルトが石積みを指先で叩きながら言った。


 クルトは振り返らなかった。第三水路の石積みを手で触れ、目地のモルタルの固まり具合を確かめていた。通水前の全線確認。取水口から末端まで、二キロ以上を歩いて一箇所ずつ見ていく。これは省けない工程だ。


「どこですか」


「三箇所ある。後で案内する」


「今から見せてください。修正します」


 ランベルトが少し間を置いた。「素直に聞くんだな」という声が、驚いたような響きを帯びていた。


「正しい指摘は聞きます」


 ランベルトが三箇所を指摘した。一箇所目は第一水路と第二水路の分岐点の直前、石積みの角の部分。二箇所目は勾配が変わる屈折点の外側。三箇所目は石の大きさが変わった箇所の境目だった。いずれも、水流が当たりやすい場所だ。クルトはその選点に、職人の目が宿っているのを感じた。


 修正を作業員に指示した。その場で材料を持ってこさせ、丁寧に目地を詰め直す。ランベルトは作業を横で見ていた。何も言わなかったが、背後に何かを感じながら見ていることはわかった。


 確認を終えたとき、太陽が南中を過ぎていた。


 取水口の周りに、人が集まっていた。


 フリッツがいた。ヴィオラがいた。作業員たちがいた。少し離れた場所に、エルドリックが腕を組んで立っていた。村人が数人、水門の周辺に来ていた。誰も声を出していなかった。


「どうぞ、領主様が開けてください」


 フリッツが言った。水門のレバーを示しながら。


「フリッツが開けてください」


「……俺が?」


「この水路のために一番動いてくれた人間が開けるべきだ」


 フリッツが固まった。顔に何かが走った。動揺とは違う、もっと別の何かだった。


「俺が……開けていいんですか」


「開けてください」


 フリッツがゆっくりと水門に近づいた。レバーに両手を添えた。手が止まる。何かを飲み込むような一瞬があった。


 フリッツがレバーを引いた。


 音が来た。


 ごうごうと、低く重い音が水路に流れ込んだ。エーデル川の水が、取水口から水路へ、設計した勾配に従って走り始めた。最初は濁った色だった。砂礫が混じって、褐色に近い。しかし二分、三分と経つうちに、色が変わった。澄み始めた。


 水が、末端まで届いた。


 フリッツがその場に崩れるように膝をついた。水路に手を入れた。冷たい川の水が指の間を流れた。


「やっと……やっと水が来た」


 ヴィオラが記録帳に何かを書いていた。時刻と水量を記録している。ただ、その手が少し震えていた。「記録完了しました」という声が、わずかに上ずった。


「去年は夏に二度、水が足りなくて畑が半分やられた」


 フリッツが言った。膝をついたまま、泣いていた。泣いていることを恥ずかしいとも思っていないようだった。「それを考えると……本当に、やっと」


 クルトは水路の末端に立って、水面を見ていた。


 前世では、誰も見ていなかった。


 水路が完成しても、通水しても、自分はその場にいなかった。設計を終えたら次の現場に移る。誰かが喜んでいても、それを見る機会はなかった。


 今は目の前に人がいる。


 名前を知っている人間が、水に手を触れて泣いている。


 それが何かを変えた——言葉にはならなかったが、何かが変わった。


「……きれいに流れているな」


 ランベルトの声だった。


 独り言のような、小さな声だった。老職人は水路の石積みを見ながら立っていた。水が流れる音を聞いていた。


 そして——口の端が、わずかに上がった。


 クルトはそれを横目で確認した。


 何十年もの職人仕事の中で、おそらく数えるほどしか見せたことのない表情だと思った。余計なことは言わなかった。ただ、手帳に今日の日付と「通水確認・全線正常」と書いた。


 水が流れ続けた。


 エルドリックが少し離れた場所で、フリッツが泣くのを見ていた。「……農民にとっては、そこまでのことか」と静かに言う声が、クルトのいる場所まで届いた。


 答える人間はいなかったが、それは問いかけではなかったと思う。


 勾配が少し緩い箇所がある。クルトはそれを確認していた。堆積しやすい場所だ。「半年に一度は確認が必要だ」とフリッツに言っておく必要がある。インフラは作って終わりではない。使い続けるための管理が必要だ。それを誰かに伝えなければならない。


 水が、流れ続けていた。


 フリッツが立ち上がった。濡れた手を拭いて、「次の農地の確認に行っていいですか?」と言った。目が赤くなっていたが、声はもう落ち着いていた。


「行ってください。末端の水量も確認してきてください」


「はい!」


 フリッツが走っていった。水が流れる音の中を。


 ランベルトはまだそこにいた。クルトが視線を向けると、老職人は石積みを手で触れていた。目地の修正箇所を確かめている。確かめながら、何かを確認している。


 数日後、フリッツが「農地への水が届き始めている」と報告してくるはずだ。そのとき、また次の問題が浮かび上がってくる。インフラはそういうものだ。一つ直せば、次が見えてくる。


 それが、嫌ではなかった。

次話では、今回の判断が現場でどう返ってくるかが見えてきます。

続きもよろしくお願いします。

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