第十話 完成した道と、変わった領主
ここまで読んでくれてありがとうございます。
節目の回です。物語と領地の両方が一段進みます。
「こんな道、初めて見た」
フリッツが言った。完成した路面の上に両足を揃えて立ち、そのまましばらく動かなかった。
「すごい。本当に平らだ」
「設計通りです」とクルトは言った。
「設計通りとかじゃなくて——踏んでみてください、領主様。この感触、普通じゃない」
クルトはすでに路面の上を歩いていた。完成検査だ。二キロメートルの第一区間を、端から端まで歩く。路面の平滑度を目視と足裏の感触で確認し、側溝への排水を確かめ、路肩の締まり具合を踏んで測る。これは設計者の仕事だった。前世でも、必ず自分でやっていた。
作ったものは自分で確認する。それだけだ。
村人たちが後ろから付いてくる。二十人以上が、完成した道の上を一緒に歩いている。誰かが子供を肩に乗せた。誰かが走り出して、滑らかな路面に笑い声を上げた。誰かが「こんなに真っ直ぐだ」と呟いた。
「排水はどうです」とヴィオラが横に来た。
「問題なし。側溝の勾配も規定通り。この雨量なら問題ない」
「道路修復工事、第一区間、完工——と記録します」
「はい」
ヴィオラが記録帳に書き込む。羽ペンが走る音がする。日付、区間、施工結果、完工の署名。ヴィオラは几帳面だ。それが、クルトには頼もしかった。
完成検査は合格だった。
クルトが路面の端に立ち、全体を一度だけ見渡した。二キロメートルの直線。側溝が走り、排水が機能し、路肩がしっかりと締まっている。魔法で締め固めた路盤は、この先十年は持つ設計にしてある。維持管理をきちんとやれば、もっと長持ちするかもしれない。
「——お兄さん」
声がした。
道の端に、牛車が止まっていた。白髪の老婆が手綱を持ち、クルトを見ていた。
「この道を作ったかい?」
「領主です」
「そうかい」と老婆は言った。驚いた様子はなかった。「ありがとう、お兄さん。市場に行こうとしたら、道がきれいになっていて……牛が躓かないんだよ。ここはいつも轍が深くて、毎回荷がずれてねえ」
クルトは何も言えなかった。
老婆が笑った。顔中に皺があって、歯が何本か欠けていて、それでも笑うと目が細くなった。
「どちらにしろ、ありがとう。本当に助かる」
牛車が動き出した。老婆が片手で手綱を持ち、もう片手で小さく手を振りながら、完成した道を進んでいく。牛が一定のリズムで歩く。荷が揺れない。轍に落ちない。
クルトはその背中を見た。
前世で、感謝されたことはなかった。
三十年間、道路を作り、橋を設計し、水路を整備した。その仕事の結果で誰かが助かっていたはずだが、設計者として「ありがとう」と言われた記憶がない。工事が終わったら次の現場に移る。使う人間の顔を一度も見ないまま、予算の中に消えていく仕事の積み重ねだった。
あの夜、橋の完成式があったと後から聞いた。自分は現場で倒れていた。
目の端が、滲んだ。
払いたかったが、間に合わなかった。
「……領主様」
ヴィオラの声がした。クルトは顔を背けた。
「記録帳に、なんと書きましょうか」
しばらく間があった。
「……第一区間、完工。領民より感謝の声あり。とだけ書いてください」
「……わかりました」
ヴィオラは何も言わなかった。ただ、記録帳を胸に抱きしめた。「……ちゃんと残した」という小声が、クルトにだけ聞こえた。
「領主様!すごいすごい!本当に平らですよ、走っても全然転ばない!」
フリッツが道の上を走り回っている。村人の仲間を呼んできたらしく、十人ほどが道の上に出てきていた。誰かが荷車を引いてきて、「轍に落ちない」と何度も確かめている。子供たちが笑いながら追いかけっこをしている。
クルトはそれを見た。
前世では見なかった景色だった。
「次は橋だ」
誰かに言ったわけではなかった。自然と、口から出た。
老婆が去り際に振り返って言った言葉が、頭に残っていた。「この先の橋も直してくれるかい?あそこは怖くて渡れないんだよ」と。
手帳の新しいページを開く。「第二章:橋梁修復計画」と書いた。その下に小さく、「調査継続:道路崩壊の人為的介入。先代領主の死。ランベルトの工具の刻印」と付け加えた。
村人たちがまだ道の上で騒いでいる時間帯に、一人の騎士が来た。
エルドリックが、完成した道から少し離れた場所で腕を組んでいた。馬を一頭連れて、路面をゆっくり歩かせている。部下は誰もいなかった。
馬が躓かなかった。
「……お前は変わった領主だな」
聞いている人間もいなかった。それでもエルドリックは言った。静かな、独り言のような声で。
クルトは何も答えなかった。ただ、手帳を閉じた。
完成した道は、朝日の中を続いていた。
──────
翌日、フリッツからの伝言があった。ランベルトが呼んでいる。鍛冶場に来い、と。
クルトが鍛冶場の奥の部屋に案内されると、そこには紙の束があった。何十枚もの、丁寧に折りたたまれた設計図。端の方に見慣れない記号が並んでいた——あの鑿に刻まれていたものと、同じ筆跡だった。
ここで一区切りですが、次からまた状況が動きます。
続きも読んでもらえると嬉しいです。




