第一話 荒廃の地を土木の目で見る
辺境を変えるのは勇者の剣ではなく、一本の道。
土木オタク気質の主人公が、崩れた領地を実務で立て直していく話です。
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門が、傾いていた。
馬車の窓から見えた最初の光景がそれだった。石積みの門柱の右側が、根元から五センチほど外に開いている。素人が見れば「古いだけだ」と思うかもしれない。だがクルト・ヴァイスには、すぐわかった。
基礎の不同沈下だ。地盤の支持力が左右で違う。もしくは排水不良で片側だけ水を吸って膨張した。いずれにせよ、このまま放置すれば——。
「領主様、ノルトクロイツの領主館へはこちらの道を——」
案内役の若い役人が説明を続けているが、クルトはすでに窓の外を見ていた。
道路が、ひどかった。
轍の深さが膝近くまである。こんな沈み方は、路盤が完全に崩壊している証拠だ。砂利が流れ出し、地盤が露出し、雨のたびに土がえぐれている。側溝は存在すらわかりにくく、詰まった落ち葉と泥で完全に機能を失っている。水の行き場がないから、道路上に水たまりが連続している。
(CBR値で言えば二以下か……)
前世の感覚が自然と戻ってくる。路盤支持力。排水勾配。設計基準。三十年、道路と橋と水路に関わってきた体が、勝手に数字を弾き出している。
「……どのくらい、放置されていたんだ」
「え?」
「この道路だ。最後に補修したのはいつか」
「そ、それは……十年ほど前かと。先代領主様が亡くなられて以来、予算が……」
そうか。十年。
クルトは手帳を取り出した。馬車に揺られながら、鉛筆を走らせる。
──────
領主館に着いたとき、太陽はまだ高かった。
建物そのものは、かろうじて立っていた。石造りの本館は外壁にクラックが走り、東棟の壁面には雨染みが一メートル以上垂れている。換気が悪いのか、扉を開けた瞬間にかびの匂いが漂ってきた。
老いたメイドが一人、扉のそばで待っていた。白髪の小柄な女性で、クルトを見た瞬間、何か言いたそうな顔をしたが、口を開かなかった。
「……前の領主様と、全然違う」
クルトが靴底で地面を踏みながら土質を確かめていたとき、小声が聞こえた。メイドは慌てて目を逸らした。クルトは何も言わなかった。
厩舎を見た。木材が腐っている。屋根の一部が落ち、雨ざらしになっている。
倉庫を見た。床が浮いている。地下水位が上がっているか、もしくは床下の排水が詰まっている。
井戸を見た。ひざをついて縁から覗き込み、石を落として音を聞く。深さは十メートルほど。水色は悪くない。臭いも許容範囲だ。ここは使える。
「……領主様?」
案内役の役人が、困惑した顔でこちらを見ていた。おそらく、なぜ新しい領主が地面に膝をついて何かを確かめているのかわからないのだろう。
「記録している」とクルトは言った。「問題を把握しないと、何もできない」
役人は何も言わなかった。
屋根の上から、子供たちが顔を出した。三人か四人、物珍しそうにこちらを眺めている。新しい領主が来たと聞いて見物に来たのだろう。クルトは視線を向けなかった。感動しろとは思わない。動いてもらえれば、それで十分だ。
最後に、館の北棟の前で足を止めた。
廊下が行き止まりになっている。その突き当たりの扉に、鍵が二つかかっていた。南京錠と、内側から掛けるタイプの別の錠前。普通の部屋に、なぜ二重の施錠が必要なのか。
「あの部屋は?」
「……先代領主様が使われていた部屋で、今は立ち入り禁止になっております」
「誰の命令で?」
「それは……財務省の管理官の方から」
クルトは手帳にひと言書いた。後で確認する事項として。
──────
夜、クルトは机の前に座っていた。
油ランプの光の下、手帳を開く。今日一日で書き留めた内容を整理する。問題は大きく三つだ。
一、排水不良。道路・敷地・建物すべてにわたって、水の逃げ場がない。排水システムの再設計が最優先だ。
二、地盤沈下。主要施設の基礎が弱っている。特に門柱と倉庫は早急に手を打たないと崩壊する。
三、構造クラック。外壁と内壁の両方にひびが入っている。原因は水分の浸透と凍結融解の繰り返し。断熱と防水の対策が要る。
この三つを解決すれば、他の問題の七割は自然と改善される。インフラとはそういうものだ。根本を直せば、枝葉は後からついてくる。
最後のページに、クルトは書いた。
「優先度1:財政状況の把握」
前世でも、現場に入る前に必ず予算と制約を確認した。何ができて何ができないかは、金がわからなければ決められない。
ランプを吹き消す前に、クルトは一度だけ窓の外を見た。暗闇の中に、かろうじてノルトクロイツの輪郭が見える。崩れかけた城壁。機能していない道路。放棄された農地。
「……直せる」
誰に言うでもなく、静かに呟いた。
前世で俺が直した道は、誰にも感謝されなかった。でも機能した。ちゃんと機能した。
この地も、同じだ。正しく作れば、ちゃんと機能する。
──────
翌朝、扉の下から一枚の紙が差し込まれていた。
机に広げると、几帳面な文字で三年分の収支が並んでいた。数字は細かく、分類は正確で、欄外に注釈まである。
差出人の名が、右下に小さく書かれていた。
「ヴィオラ・エーベルト」
クルトは眉を上げた。
頼んでもいないのに、欲しいものを持ってきた。この領地には、まだ使える人間がいるらしい。
次話では、領地の懐事情と現実的な改革の第一手に入ります。
ブクマしておくと追いやすいです。




