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第7話 それは遺言ではない

 事件が起きたのは、午後一時四十分。


 市民会館の和室で開かれていた《秋の手仕事まつり実行委員会》の最中、委員長の芦田栄子が、座卓に突っ伏した状態で発見されたのである。


 もっとも、死んではいなかった。

 芦田栄子は机に顔を伏せたまま、ただ深く眠っていた。正確に言えば、昼食後の満腹と暖房と会議資料の読み上げによって、たいへん気持ちよく寝落ちしていただけだった。


 だが問題は、彼女のすぐそばに一枚のメモが落ちていたことだった。


 白いメモ用紙に、震えるような筆跡で、こう書かれている。


すべては

あの女のせい


 その場にいた全員が、一斉にざわついた。


「えっ」

 と副委員長の大場が言った。


「えっ、じゃないわよ!」

 と会計係の梅野が言った。

「何これ、怖いんだけど!」


「遺言では?」

 と、手芸講師の野上が小声で言った。


「いや死んでないです」

 と田所刑事が言った。

「寝てるだけです」


 芦田栄子は、ぐう、と小さく寝息を立てていた。

 たいへん平和な寝息だった。


 だがメモは不穏である。

 不穏すぎる。


 和室には実行委員の四人が集められていた。


 副委員長の大場。

 会計係の梅野。

 手芸講師の野上。

 そして、広報担当の藤咲。


 全員が、互いの顔を見ては微妙な顔をしていた。


「状況を整理します」

 と田所刑事が手帳を開く。

「昼食後、一時半から会議再開。

 その十分後、芦田委員長が机に突っ伏して動かなくなった。

 近くにこのメモが落ちていた。

 で、今のところ体調不良か居眠りかは不明、と」


「不明っていうか寝てるだけじゃない?」

 と梅野が言った。


「可能性は高いですね」

 と田所刑事。


「でも、このメモは?」

 と藤咲が言った。

「“あの女のせい”って、明らかにヤバくないですか?」


 そのとき、和室の障子がすっと開いた。


 名探偵・明智院金四郎である。


 黒い外套。

 鋭い眼差し。

 重々しい沈黙。

 そして、メモを見た瞬間に明らかに脳内で鐘が鳴った顔。


「……なるほど」


「来ちゃった」

 と田所刑事が言った。


 明智院は静かに歩み寄り、眠る芦田栄子、その横のメモ、そして和室に集まった四人を見渡した。


「諸君」

 彼は低く言った。

「安心したまえ」


「何を」

 と副委員長の大場が聞いた。


「真実は、すでにここに書かれている」


「いやその“書かれてる”が一番怖いんですよ」

 と梅野。


 明智院はメモを持ち上げた。

 その手つきには、いかにも重大証拠を扱う人の丁寧さがあった。

 実際にはただのメモだった。


「見たまえ、この文字」

 彼は言った。

「短い。切迫している。筆圧が乱れている。

 これは追いつめられた人間の文字だ」


「昼食後だからじゃない?」

 と野上が言った。

「委員長、食べると眠くなる人だし」


「浅い」

 と明智院。


「浅いって便利だな」

 と田所刑事。


 明智院は一歩下がり、関係者たちをびしりと指さした。


「犯人は、この中にいる!!」


 沈黙。


「まあ、このメモに関係ある人がいるならそうでしょうね」

 と藤咲。


「いや、まだ事件とも決まってないんだけど」

 と田所刑事。


「決まっている」

 明智院は言った。

「人は、意味のない言葉を“すべては”などと書かない。

 このメモには、積み重なった怨念がある」


「自治会とか実行委員会って、だいたい怨念あるけどね」

 と梅野が言った。


 副委員長の大場が、咳払いをした。


「一応申し上げますが、芦田委員長は普段からちょっと大げさなところがあります」

「大げさ?」

 と田所刑事。


「はい。去年もバザー会議で、“私ばかりが泥をかぶっている”ってメモ帳に書いてました」

「それはちょっと気になるな」

 と田所刑事。


「でも今回は“あの女”だよ?」

 と藤咲。

「女って誰よ」

 と梅野。


 明智院の目が光る。


「そこだ」


「たぶん、そこしかないですね」

 と田所刑事。


 明智院は四人の女性たちを見渡した。

 この実行委員会、和室にいる関係者は全員女性である。

 すばらしいほどに疑いがいがあった。


「“あの女”――」

 明智院は重々しく言った。

「この場には、条件を満たす者が四人いる」


「雑だなあ」

 と梅野。


「女性が四人いるから四人とも怪しい、は雑だなあ」

 と藤咲。


「だが真実とは、時に雑な入口から始まる」

 と明智院。


「名言っぽく言ってごまかすな」

 と田所刑事。


 そのとき、芦田栄子が机に突っ伏したまま、「んん……」と小さくうめいた。

 だが起きない。

 起きればだいたい終わる話だったので、明智院としてはむしろ今のうちだった。


「まず聞こう」

 彼は副委員長の大場に向き直った。

「あなたは芦田委員長と対立していたのでは?」

「してません」

 と大場は即答した。

「ただ、“段取りが古い”とは言いました」

「対立だ」

 と明智院。

「会議で何度か」

「対立だ」

「口調が強いですね」

「対立だからだ」


「いや、実際ちょっと対立してるじゃないですか」

 と田所刑事。


 大場が渋い顔をする。


「でも、だからって寝てる人の横にこんなメモ置きませんよ」


「置いたとは言っていない」

 と明智院。

「書かせたのかもしれない」


「どうやって?」

 と大場。


「そこだ」

 明智院はうなずいた。

「問題はそこなのだ」


「またそこか」

 と田所刑事。


 次に明智院は、会計係の梅野を見た。


「あなたは?」

「何が」

「芦田委員長と、金銭面で揉めていた」

「揉めてない。

 ただ“予算感覚がふわっとしすぎてる”って言っただけです」

「対立だ」

「この探偵、会話の半分を対立認定してくるな」

 と梅野。


「しかもふわっとしてるのは本当よ。去年だって“紅白まんじゅうは縁起がいいから追加で百個”とか言い出したし」

「百個」

 と田所刑事。

「それはだいぶふわっとしてるな」


 藤咲が小さく手を挙げる。


「私も一応、言っときますけど揉めてました」

「ほら見たまえ!」

 明智院が叫ぶ。

「全員だ! 犯人はこの中にいる!」


「まだ何も絞れてないんですよね」

 と田所刑事。


「だって、広報チラシに“ほっこり”って言葉を三回も入れろって言うから……」

 と藤咲。

「一回で十分でしょう、普通」


 手芸講師の野上もため息をつく。


「私だって、“手づくりって書くよりハンドメイドのほうがおしゃれじゃない?”って言ったら、“横文字は心がない”って怒られたし」


 和室に、うっすらと納得の空気が流れた。


「芦田委員長、だいぶ揉めてるな」

 と田所刑事。


「そうでしょう?」

 と明智院。

「動機は十分。

 怨恨、対立、価値観の衝突。

 そして残された意味深なメモ。

 最後のピースが見つかったね」


「今回は何がピースなんです?」

 と田所刑事。


「“ほっこり”だ」


「ほっこり?」


「そうだ」

 明智院は言った。

「“ほっこり”という曖昧な言葉に象徴される、委員会のぬるやかな独裁。

 それがついに、こうして一枚の告発文を生んだのだ」


「急にちょっとそれっぽいこと言うな」

 と藤咲。


「でもメモの“あの女”って誰なんです?」

 と梅野。


 明智院は目を閉じた。

 そして、ゆっくりと開く。


「それは――」


 ぴしりと指が向いた先は、広報担当の藤咲だった。


「あなたですね」


「なんで!?」

 と藤咲。


「言葉だ」

「言葉?」


「広報担当であるあなたは、言葉を操る。

 人の印象を変え、空気を作り、会の方向性さえ左右する。

 “あの女”という曖昧な表現は、言葉を仕事にする者の手つきだ」


「広報ってそこまで怖い仕事じゃないです」

 と藤咲。


「それに私、昼食後ずっとチラシの校正してました」

「証明は?」

「みんなの前で赤ペン持ってましたよ」

「たしかに」

 と野上。

「ずっと“ほっこり”を二回に減らそうとしてた」

「その努力は認める」

 と梅野。


 明智院は少し黙った。

 しかしもう一段、行けると踏んだらしい。


「では――」


 今度は梅野を指さした。


「あなたですね」

「どうしてよ」


「会計係は数字に厳しい。

 数字に厳しい者は、曖昧さを嫌う。

 曖昧さの権化である芦田委員長に、最も強い苛立ちを抱くのは当然だ」


「会計係への偏見がすごい」

 と梅野。


「でも、たしかに苛立ってはいた」

 と大場。


「いや、あんたもさっき段取り古いって言ってたでしょ!」

 と梅野。


「私のは建設的な意見です」

「そういうの一番揉めるのよ」


 田所刑事は、もう半分ほど真相を察していた。

 彼は眠っている芦田栄子の手元を見た。

 そこには会議資料のほかに、昼食の仕出し弁当の献立表と、小さなメモ帳の切れ端が残っている。

 さらに、メモの裏にはうっすらとボールペンの跡が透けていた。


「ふむ」

 と田所刑事。


 だがその横で、明智院がさらに盛り上がる。


「見たまえ、この筆跡!

 途中で止まっている。

 つまり委員長は、何か重大な真実を書き残そうとして力尽きたのだ!」


「寝落ちしただけでは」

 と野上。


「浅い」

 と明智院。


「今のところ一番浅いのあなたですけど」

 と田所刑事。


 そのとき、眠っていた芦田栄子が急に顔を上げた。


「はっ!」


 全員がびくっとする。


「芦田さん!」

 と大場。


 芦田栄子は周囲を見回し、それからぼんやりと聞いた。


「……会議、終わった?」


「終わりかけてました」

 と田所刑事。

「あなたのメモのせいで」


「メモ?」

「これです」

 と田所刑事が見せる。


 芦田栄子は目を細めてそれを見た。

 そして、あっ、と小さく声を上げた。


「ああ、それ」

「何です?」

 と明智院が身を乗り出す。


「昼の仕出し弁当のこと」


 沈黙。


「……はい?」

 と田所刑事。


 芦田栄子は、まだ少し眠そうな顔で言った。


「お弁当のお品書きに、“煮物の内容は季節により変更される場合があります”って書いてあったのに、今日またこんにゃくだったのよ。

 先週の寄り合いもこんにゃく。

 その前の婦人会もこんにゃく。

 だから、“すべてはあの女のせい”って」

「あの女?」

「仕出し屋の女将さん」


 さらに深い沈黙。


「……こんにゃく?」

 と梅野。


「そう。

 あの人、絶対こんにゃく好きなのよ。

 毎回入ってるもの」


「そんな理由であんな不穏なメモ書く!?」

 と藤咲が叫ぶ。


「だって眠くて、書いてる途中で寝ちゃったんだもの」

「続きは?」

 と田所刑事。


 芦田栄子は少し考えてから言った。


「“すべてはあの女のせい。こんにゃくばかり入れるから昼食後にテンションが上がらない”って書くつもりだった」


「長いな」

 と野上。


「しかもどうでもいい」

 と梅野。


 明智院だけが、まだ立ったままだった。

 彼の中では今、ものすごい速さで“本格ミステリ”が音を立てて崩れていっている最中だった。


「つまり」

 と田所刑事が言った。

「これはダイイングメッセージでも遺言でもなく、単なる弁当への文句メモだったと」

「そうです」

 と芦田栄子。

「あと、ちょっと寝てました」

「ちょっとではないと思います」

 と大場。


 藤咲が額を押さえる。


「じゃあ私たち、何だったの」

「疑われ損」

 と梅野。

「双子よりマシ」

 と野上。


 明智院は静かにメモを見つめていた。

 やがて、低い声で言った。


「……いや」


「まだ何か」

 と田所刑事。


「事件は終わっていない」


「終わってます」

 と全員。


「考えてみたまえ」

 明智院は言った。

「なぜ我々は、このメモを見て“遺言”めいたものだと思い込んだのか。

 なぜ“こんにゃく”ではなく、“怨恨”を先に読んだのか」


「そりゃ、“すべてはあの女のせい”だけなら普通そうでしょう」

 と藤咲。


「そう。

 我々は物語を欲したのだ」

 明智院は静かに言った。

「平凡な昼食への不満ではなく、もっと深い因縁を。

 地味な愚痴ではなく、壮絶な告発を」


「まあ、それはちょっとわかる」

 と野上。


「つまりこの和室に満ちていたのは、犯意ではない。

 “本格らしさ”への期待だ」


「誰の」

 と田所刑事。


 明智院は、ゆっくりと自分の胸に手を当てた。


「主に私のだ」


 和室に、小さな笑いが広がった。


「だろうね」

 と梅野。


「めちゃくちゃ目が輝いてましたもんね」

 と藤咲。


「遺言状だ!って顔してた」

 と大場。


 明智院は咳払いした。

 だが崩れはしない。

 彼は崩れたら終わるからだ。


「それでも私は言おう」

 彼は胸を張って、一同をびしりと指さした。

「犯人は、この中にいる!!」


「まだ言うのか」

 と田所刑事。


「今回は誰です?」

 と芦田栄子が少し楽しそうに聞く。


 明智院は、しばし考えたあと、机の上の弁当の空容器を指さした。


「仕出し屋の女将だ」


「この中にいないじゃん」

 と全員が言った。


「……」


 明智院は一瞬だけ止まった。

 それから静かに言った。


「では訂正しよう。

 犯人は、この中に“いたことにしたかった”」


「もはや何を言ってるんです?」

 と田所刑事。


 だが芦田栄子は、なぜか満足げにうなずいた。


「でも、こんにゃく多いのは本当なのよ」

「そこはもう仕出し屋さんに直接言ってください」

 と梅野。


 田所刑事は手帳を閉じた。


「では本件、事件性なし。

 会議中の居眠りと弁当への不満。

 以上で」


「すみません……」

 と芦田栄子。

「でも、午後一番の会議って眠いのよ」

「それはわかります」

 と大場。

「資料読み上げ長かったし」

 と藤咲。


 明智院だけが、まだメモを見つめていた。

 白い紙に残された短い文字。

 そこに、本格ミステリの幻を見た自分自身を、少しだけ悔いているようでもあった。


「最後のピースが見つかったね」

 彼は静かに言った。


「今回は何だったんです?」

 と田所刑事。


「こんにゃくだ」


「もうちょっと何とかならなかったのか」

 と田所刑事。


「いいや、これでよかった」

 明智院は言った。

「真実とは、しばしば劇的ではない。

 むしろ、妙に具体的で、妙に生活感があり、どうでもいいところに宿る」


「たまに妙にいいこと言うんだよな」

 と梅野。


「でも第一声が“犯人はこの中にいる!”なのはやめたほうがいいと思う」

 と藤咲。


「それは無理だ」

 と明智院。


 その夜、明智院金四郎の事件ノートにはこう記された。


『それは遺言ではない』

犯人はこの中にいる、と私は確信した。

だが真実は、怨恨でも告発でもなく、

仕出し弁当のこんにゃくへの個人的な不満にすぎなかった。

人は意味深な言葉を見ると、

ついその背後に深い闇を読もうとする。

しかし現実は、案外こんにゃくくらいの深さしかない。


 それを横から読んだ田所刑事は、静かに言った。


「最後の一文だけ、妙に納得させてくるの腹立つな……」

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