第6話 双子はこの中にいる!
事件が起きたのは、午後四時十五分。
老舗洋菓子店の二階サロンで、オーナーシェフの花崎健吾が、巨大なウェディング用のサンプルケーキに顔面から突っ込んだ状態で発見されたのである。
もっとも、死んではいなかった。
花崎健吾は生クリームと苺を顔いっぱいにつけたまま、たいへん不機嫌そうに立ち上がった。
「誰だ!! 私の顔を三段ショートに埋めたのは!!」
「言い方」
と田所刑事が言った。
「ショートケーキです」
サロンには、事件当時その場にいたという五人が集められていた。
店のパティシエ見習いの双子、陽菜と日菜。
ホール担当の月島。
常連客の須藤。
そして花崎の妻で共同経営者の美和。
全員がそれぞれ困ったような顔をしていたが、双子だけは困り方まで似ていた。
「えっと……」
と陽菜が言う。
「いや、その……」
と日菜が言う。
「どっちがどっちですか」
と田所刑事が聞いた。
「私は陽菜です」
「私は日菜です」
と二人が同時に言った。
「わからん」
と田所刑事。
美和がため息をつく。
「左が陽菜、右が日菜です」
「今、今だけの話です?」
「いいえ、普段からです」
田所刑事は手帳を開いた。
「状況を整理します。
花崎さんは四時十分ごろ、サロンで新作サンプルケーキの確認をしていた。
その後、皆さんは一階で接客や会計をしていた。
四時十五分ごろ、上から“うわあっ”という声がして駆けつけたところ、被害者がケーキに刺さっていた。
合ってますね?」
「刺さっていたって言い方やめてください」
と花崎健吾が言った。
「かなり傷つく」
「傷ついたのはケーキのほうです」
と美和。
そのとき、サロンの入口に黒い影が差した。
名探偵・明智院金四郎である。
黒い外套。
鋭い眼差し。
重々しい沈黙。
そして、双子を見た瞬間に明らかにテンションが上がった顔。
「……なるほど」
「始まった」
と田所刑事が言った。
明智院はゆっくりと双子を見つめ、それから全員を見渡した。
「諸君」
彼は静かに言った。
「安心したまえ」
「何を」
と常連客の須藤が聞いた。
「最後のピースが見つかったね」
「いや、まだ何も起きて五分ですよ」
と田所刑事。
しかし明智院は止まらない。
むしろ、双子がいるせいで最初から八割ぐらい完成していた。
「犯人は、この中にいる!!」
沈黙。
「まあ今回は普通にそうでしょうね」
と美和が言った。
「外から誰か入った感じでもないし」
「違う」
明智院は目を細めた。
「今回は“普通に”ではない。
この事件には、双子がいる」
「いるけど」
と花崎。
「双子ですよ?」
と明智院。
「これはもう、事件の側が本気を出してきた証拠だ」
「事件の側って何」
と月島ホール担当が聞いた。
田所刑事が言う。
「とりあえず事情を聞きます。
陽菜さん」
「はい」
「事件当時、何を?」
「一階で焼き菓子の箱詰めしてました」
「日菜さん」
「私はレジ締めの補助を」
「月島さん」
「私はお客様のお会計」
「須藤さん」
「私は紅茶を飲んでました」
「美和さん」
「私は厨房で電話対応」
田所刑事はうなずいた。
「で、被害者だけが二階にいた」
「そうです」
と美和。
花崎健吾はケーキのクリームを拭いながら怒鳴った。
「だから誰かが後ろから押したんだ! 私はケーキの高さを見ていただけなのに、急に背中に衝撃が――」
「背中に衝撃?」
と田所刑事。
「誰かに押された感触が?」
「いや、そこまでははっきりしないが……たぶん!」
「たぶんか」
と須藤が言った。
明智院が静かに歩き出した。
サロンの中央には、無残に崩れた三段ショートケーキがあり、その横に金属製の絞り袋スタンド、床には小さなクリームの足跡が二つついている。
「見たまえ」
と明智院。
「足跡だ」
「クリームですしね」
と田所刑事。
「ケーキ事件なので」
「だがその大きさ……小さい」
明智院は言った。
「女性、しかも若い。
そして、この場には条件に合う者が二人いる」
「双子ですね」
と須藤。
「双子だ」
と明智院。
「ついに来た」
「何が来たんです?」
と田所刑事。
「定番がだ」
田所刑事は少しだけ目を閉じた。
「嫌な予感しかしません」
明智院は双子の前に立った。
「陽菜さん。日菜さん。
君たちは本当に、別々に行動していたのかね?」
「はい」
「はい」
と二人が言う。
「だが、周囲から見分けはつかない」
「まあ……初対面の人には」
と陽菜。
「ときどき間違われます」
と日菜。
「そこだ!」
明智院の目が光る。
「犯人はこの中にいる!
そして、犯人は二人で一人だったのだ!」
「出た」
と田所刑事。
「えっ、どういうことですか」
と月島。
明智院は指を一本立てた。
「一人が一階にいた。
もう一人が二階にいた。
だが周囲には“同じ人物がずっと一階にいた”ように見せることができる。
すなわち――入れ替わりだ!」
双子が同時に言った。
「いや、してません」
「してません」
「そんなわけがない」
と明智院。
「双子がいて、入れ替わりをしないだと?」
「双子に対する期待が重いな」
と須藤。
「なんで双子ってだけで事件に協力しなきゃいけないんですか」
と日菜が言った。
陽菜が小さく手を挙げる。
「一応言っときますけど、私たち小さいころ一回だけ入れ替わったことあります」
「ほら!!」
と明智院。
「前科だ!」
「前科ではない」
と田所刑事。
「かわいいいたずらの範囲だろ」
「しかも小学校の学芸会のときです」
と陽菜。
「それ以来、お母さんにめちゃくちゃ怒られてやってません」
と日菜。
美和が腕を組んだ。
「やってません。
この子たち、今はむしろ嫌がるくらいです」
明智院は一瞬だけ黙った。
しかし双子が出てきて、これくらいで引き下がるわけがない。
「では聞こう」
彼は重々しく言った。
「四時十分から十五分のあいだ、二人はどこにいた?」
「私は焼き菓子の棚の前です」
と陽菜。
「私はレジ横です」
と日菜。
「それを証明できるか?」
「お客さんが見てます」
と月島。
「二人とも別々にいました。私も見ました」
「だが、その“見た”という証言こそが――」
「また言い出した」
と田所刑事。
ここで、常連客の須藤がカップを置いて言った。
「私はずっと窓際で紅茶を飲んでましたけど、双子さんはちゃんと別々でしたよ」
「本当に?」
と明智院。
「ええ。だって一人は私にフィナンシェをすすめてきたし、もう一人はレジで領収書もらってました」
「じゃあ無理ですね」
と田所刑事。
「双子トリック終了です」
「終了していない!」
明智院が叫ぶ。
「双子がいる以上、終了していいはずがない!」
「事件の都合よりあなたの願望が強すぎる」
と美和。
田所刑事は床のクリームの足跡を見た。
「ところでこの足跡、確かに小さいですが……」
「ほら」
と明智院。
「双子だ」
「いや、奥様の靴とサイズ同じです」
「何?」
明智院が振り向く。
美和がすっと自分の靴底を見せた。
たしかに、クリームの跡とよく似た形である。
「私、さっき駆けつけたときに踏みましたけど」
「なんだ」
と花崎健吾が言った。
「じゃあ足跡関係ないのか」
「最初からかなり怪しかったです」
と田所刑事。
明智院は窓辺へ歩いた。
サロンの窓の外には小さなテラスがあり、そこから搬入用の細い外階段が見える。
「……なるほど」
と彼は言った。
「今度は何です」
と田所刑事。
「外階段だ」
「はい」
「これを使えば、外から侵入できる」
「でも犯人はこの中にいるんでしょう?」
と須藤。
明智院は少しだけ止まった。
この男、言ったことの整合性は後回しである。
「うむ。
つまりこうだ。犯人は一度この中にいた。
その後外に出た。
だが本質的にはこの中にいる」
「本質的には便利ですね」
と月島。
そのとき、双子の片方――日菜が、ぽつりと言った。
「あのさ」
「何です」
と田所刑事。
「事件っていうか、たぶん単純だと思う」
「え?」
と花崎。
「店長さ、さっき自分でサンプルケーキの段を直そうとしてたよね」
「していたが」
「しかも“高さが気に入らん”って言って、三段目をちょっと持ち上げてた」
「……持ち上げていたな」
「そのとき、奥さんが“危ないからやめて”って言ってた」
「言いました」
と美和。
全員の視線が花崎健吾に集まる。
「いや、でも私は誰かに押されたような――」
「それ、後ろの絞り袋スタンドに自分でぶつかっただけじゃないですか」
と田所刑事が言った。
床の金属スタンドは、ちょうど大人一人が後ずさったときに腰のあたりへ当たりそうな位置に倒れていた。
「……あ」
と花崎が言った。
美和がため息をつく。
「あなた、自分でケーキ持ち上げて、ぐらっとして、後ろのスタンドに当たって、その反動で前に行ったのよ」
「そうだっけ」
「そうよ」
「じゃあ事故か」
と須藤。
「事故ですね」
と田所刑事。
双子が同時に言った。
「じゃあ私たち関係ないじゃん」
「関係ないじゃん」
明智院は黙っていた。
双子がいて、入れ替わりもなく、事件ですらなく、ただ店長が自爆しただけ。
探偵として、いや探偵ごっことして、これほどつらい展開もない。
「……待ちたまえ」
彼は静かに言った。
「まだ何か」
と田所刑事。
明智院はゆっくりと双子を見た。
そして花崎、美和、店員たちへ視線を移す。
「最後のピースが見つかったね」
「今回は何がピースなんです?」
と田所刑事。
「“双子が関係ない”という事実だ」
「だいぶ苦しいな」
と須藤。
「いいや、重要だ」
明智院は言った。
「我々は双子を見た瞬間、入れ替わりを期待した。
双子だからトリックがあるはずだ、と。
だが何もなかった。
つまりこの事件で最初に真実を見失ったのは――」
明智院は胸を張り、一同を見渡した。
「我々の先入観だ!」
沈黙。
双子の陽菜が小さくうなずく。
「それはちょっとわかる」
「わかる?」
と日菜。
「だってさ、初対面の人ってすぐ“どっちがどっち?”とか“入れ替わったりするの?”って聞くじゃん」
「あー」
と日菜。
「それはある」
美和が苦笑する。
「この子たち、昔から“双子だからこう”って見られがちなのよね」
「なるほど」
と田所刑事。
明智院は静かに一歩前へ出た。
「この事件で奪われたものがある」
「なんですか?」
と須藤が聞いた。
明智院はびしりと自分を指さした。
「私の期待です!!」
全員が黙った。
「知らんがな」
と田所刑事。
「急に個人的すぎる」
と月島。
「でもちょっと面白い」
と日菜。
「わかる」
と陽菜。
花崎健吾が、服についたクリームを払いつつ言った。
「つまり今回は、私が勝手に転んで、双子は何もしておらず、探偵だけが勝手に盛り上がったと?」
「概ねそうです」
と田所刑事。
「ひどい話だ」
「サンプルケーキが一番ひどい目に遭ってます」
と美和。
田所刑事は手帳を閉じた。
「では本件、事故。
今後、サンプルケーキを持ち上げる際は複数人でお願いします」
「……善処する」
と花崎。
陽菜がぽつりと言う。
「ねえ日菜」
「何」
「今回、双子である意味あった?」
「探偵さんが楽しそうだった」
「それだけかあ」
明智院は窓辺に立ち、テラスの外階段を見下ろしていた。
風が彼の外套を少し揺らす。
「たしかに今回は、犯人はいなかった」
「ええ」
と田所刑事。
「事故ですから」
「だが」
明智院は振り返る。
「もし誰かがいたとするなら、犯人はこの中にいる!」
「まだ言うのか」
と全員。
明智院は双子ではなく、花崎健吾を指さした。
「花崎健吾。あなたです」
「私か」
「あなたは“完璧な三段”にこだわるあまり、自らを破滅させた」
「大げさだな」
「そしてその過剰な職人気質が、無実の双子を一瞬でも容疑者にした。
つまり犯人は、この中にいる!」
花崎は少し考えたあと、しぶしぶうなずいた。
「……まあ、半分くらいは認める」
「認めるんだ」
と田所刑事。
双子の二人が顔を見合わせる。
「でもさ」
と日菜。
「最後に私たち疑い晴れたってこと?」
「晴れたんじゃない?」
と陽菜。
「途中でめちゃくちゃ言われたけど」
美和が二人の肩を軽く叩いた。
「とりあえず今日はもう、双子トリックとか言う人は全員ケーキ片づけ係ね」
「それは誰に」
と田所刑事。
美和は明智院を見た。
「主にこの人です」
「異論はない」
と田所刑事。
その夜、明智院金四郎の事件ノートにはこう記された。
>『双子はこの中にいる!』
>犯人はこの中にいる、と私は確信した。
>だが真実は、双子という記号に群がる我々の安易な期待の外にあった。
>人は定番を愛する。
>そして定番を愛しすぎると、現実の単純さに敗れる。
それを横から読んだ田所刑事は、静かに言った。
「今回は完全に、双子が出てきた瞬間あなたが勝手に負けたんだよな……」




