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第5話 盗まれた銀の栞

 事件が起きたのは、午後三時二十分。


 駅前の小さな私設図書館《風読館》の二階閲覧室で、創立記念展示の目玉であった《初代館長の銀の栞》が忽然と姿を消したのである。


 もっとも、《初代館長の銀の栞》といっても、国家的文化財とか、そういう大仰なものではない。

 銀製で、羽根の形をしていて、たしかに趣はあるが、要するにちょっと立派なしおりだった。


 それでも、風読館の館長である白石文乃は顔を真っ青にしていた。


「なくなったの……! ここにあったのよ、さっきまで!」


 展示ケースの中は空だった。

 ガラス扉は開いており、鍵は差しっぱなし。

 ケースの前には、関係者四人が立ち尽くしている。


 司書の小山。

 古書店主の真鍋。

 地元新聞の文化記者・三宅。

 そして、風読館常連の高校生・七海。


 全員が、「え、こんな感じで始まるの?」という顔をしていた。


 そこへ田所刑事がやって来る。


「状況をお願いします」

「三時から創立記念の内覧会だったんです」

 と館長の白石が早口で言った。

「三時十分ごろまでは、たしかにケースの中にあった。三時十五分に来客対応で少し席を外して、戻ったらもうなくて……!」


 田所刑事は展示ケースを覗き込んだ。


「鍵、差しっぱなしですね」

「ええ……」

「誰でも開けられた?」

「まあ、そうです」

「それ盗難というより管理の問題では」

「今それ言わないでください!」


 司書の小山が、おずおずと手を挙げた。


「あの、でも閲覧室にいたのは、ここにいる人たちだけです」

「なるほど」

 と田所刑事。

「じゃあ、かなり絞れますね」


 そこで、閲覧室の入口に黒い影が差した。


 名探偵・明智院金四郎である。


 黒い外套。

 鋭い眼差し。

 静かな足取り。

 そして、もう九割ぐらい言うことが決まっている顔。


 明智院は空っぽの展示ケースを見つめ、低く言った。


「……なるほど」


「始まりましたね」

 と田所刑事が言った。


 明智院はケースの前まで歩くと、四人の関係者をゆっくり見渡した。


「諸君。安心したまえ」


「何を」

 と高校生の七海が聞いた。


「真実は、すでにこの部屋にある」


「銀の栞はないですけど」

 と古書店主の真鍋。


 明智院は静かにうなずいた。


「だからこそだ」


「何も説明になってないんですよね」

 と田所刑事。


 だが明智院はすでに空気を作り始めていた。

 彼は一歩下がり、関係者たちをびしりと指さした。


「犯人は、この中にいる!!」


 沈黙。


 高校生の七海が小さく言った。


「なんか言った」

「言いましたね」

 と三宅記者。

「言いたかったんでしょうね」

 と古書店主の真鍋。


 田所刑事はため息をついた。


「まあ今回は普通にその可能性高いですけどね」


「普通に、か」

 明智院は少し眉をひそめた。

「君はいつも、事件を小さく見積もりすぎる」

「今回は本当に小さい事件ですよ」

 と田所刑事。

「しおりですし」


 館長の白石が言う。


「あのしおりは、初代館長が愛用していたもので……」

「思い出の品ですね」

「そうなんです!」

「でも高価では?」

「いえ、鑑定額は三万円くらいだそうです」

「急に現実的だな」

 と七海が言った。


 田所刑事はメモを取る。


「では、皆さんの行動を確認します。小山さん」

「はい。私はカウンターで貸出記録の整理を」

「真鍋さん」

「展示本の解説を頼まれて、古書コーナーに」

「三宅さん」

「写真撮ってました」

「七海さん」

「館長さんに頼まれてポスター貼り替えてました」

「館長さんは?」

「来客対応です」


 田所刑事はうなずいた。


「全員、そこまで不自然ではないですね」


「だが」

 と明智院が静かに言った。

「不自然でないことこそ、不自然なのだ」


「出た」

 と真鍋。


「それっぽいこと言ってるけど中身ないタイプのやつ」

 と七海。


 明智院は展示ケースに近づいた。

 中には栞が置かれていたはずの黒い布が敷かれ、その真ん中に細い跡が残っている。


「見たまえ、この痕跡」

「しおりがあった跡ですね」

 と小山司書。


「その通り。つまり犯人は、“ここにしおりがあった”という事実を消し去れなかった」

「いや持ってったら跡は残るでしょう」

 と三宅記者。


「浅い」

 と明智院。


「浅いって便利だな」

 と田所刑事。


 明智院はケースの鍵を持ち上げた。


「鍵が差しっぱなし――つまり犯人は、盗むことよりも“盗まれたように見せること”を優先していた」

「そうなんですか?」

 と館長。


「たぶん違います」

 と田所刑事。


 そこへ、七海がぽつりと言った。


「でもさ、誰かが盗ったんなら、バッグとか見れば一発じゃない?」


 全員が黙る。


「それはそう」

 と真鍋が言った。


 田所刑事がうなずく。


「では失礼して、持ち物確認を」


 あまりにも現実的な進行だった。

 名探偵の入る余地がどんどん削られていく。


「待ちたまえ!!」


 もちろん、明智院である。


「まだ早い」

「何が」

 と田所刑事。


「物を探すのは、最後でいい」

「いや先でいいでしょう」

「違う。

 盗難事件において、まず問うべきは“何が盗まれたか”ではない」

「しおりです」

 と全員が言った。


 明智院は静かに首を振った。


「もっと大きなものだ」


 田所刑事が、だいぶ嫌な予感の顔になった。


「……何ですか?」


 明智院は一拍置いた。

 この間だけは、本当にうまい。


「あなたの心です!」


 沈黙。


 高校生の七海が先に口を開いた。


「嫌だよ」

「返してほしいですね」

 と三宅記者。

「図書館で一番いらない盗難報告だな」

 と真鍋。


 田所刑事が額を押さえる。


「今ので何が進んだんです?」

「事件の本質に近づいた」

 と明智院。


「遠ざかっただけなんだよなあ」

 と田所刑事。


 だが明智院はまったく気にしていない。

 彼は閲覧室の本棚を見上げ、窓際の読書机、貼り替え途中のポスター、そして館長の胸元のブローチを順に見た。


「諸君」

 彼は言った。

「この事件で盗まれたのは、単なる銀の栞ではない。

 風読館という場所が大切にしてきた“記憶”そのものだ」


「急にうまいこと言い始めた」

 と三宅記者。


「それはそれとして、しおりはどこなんです?」

 と七海。


 明智院は振り返った。


「焦るな。最後のピースが見つかったね」


「今回は何がピースなんです?」

 と田所刑事。


 明智院は、貼り替え途中のポスターを指さした。

 《創立記念展示 初代館長の愛用品》と書かれたその下に、小さく注意書きがある。


※展示品にはお手を触れないでください


「注意書きか」

 と小山司書。


「そうだ」

 明智院は重々しくうなずいた。

「人は注意書きがあるほど、逆に触れたくなる」


「万引き防止ポスターの敵みたいな理屈だな」

 と真鍋。


「つまり犯人は、展示品に“触れること”そのものに抗えなかった人物」

「だから誰なんです」

 と田所刑事。


 明智院はゆっくりと指を上げた。


「高校生の七海さん。あなたですね」


「え、なんで!?」

 七海が目を丸くする。


「若さだ」

「最悪の理由だな」

 と三宅記者。


「若者は時に、ルールの外に真実を求める」

「ただポスター貼ってただけだけど」

「そして、あなたは本が好きだ」

「好きだけど」

「しおりにも惹かれる」

「それ、全国の読書好きを敵に回すぞ」

 と真鍋が言った。


 七海は呆れて腕を組んだ。


「じゃあ言うけど、私さっきずっと脚立の上だったし、ケースの前なんか行ってないよ」

「脚立……?」

 と明智院。


「うん。ポスター上の方、届かないから」

「たしかに」

 と小山司書。

「ずっと貼ってもらってました」


 明智院は少しだけ黙った。

 しかし、この男はこれくらいで止まらない。


「では訂正しよう」

「早いな」

 と田所刑事。


 明智院は今度は古書店主の真鍋を指さした。


「真鍋さん。あなたですね」

「なんで」

「古書店主は、古いものに弱い」

「雑だなあ」

「銀の栞という骨董的魅力に抗えなかった」

「私は古書が好きなんであって、しおりを盗る癖はないですよ」


「たしかに真鍋さん、さっきずっと“この展示本、初版じゃないんだよなあ”って文句言ってました」

 と三宅記者。

「そんな余裕のある犯人いませんね」

 と田所刑事。


「では」

 明智院は司書の小山を見た。

「小山さん――」

「いや私、もう先に言いますけどやってません」

 と小山が言った。


「まだ何も言っていない」

「でも今から言うんでしょう?」

「言う」

「でしょうね」


 明智院は咳払いした。


「小山さん。あなたですね」

「はいはい」

「司書は、しおりを最も自然に扱える」

「偏見がすごい」


 ここで館長の白石が、なんとも言えない顔で口を開いた。


「あの……」

「何です?」

 と田所刑事。


「もしかして、まずケースのまわり、ちゃんと見たほうがよくないですか」

「それは最初からそうなんです」

 と田所刑事。


 彼は展示台の下をのぞき込み、黒い布の端をめくった。

 すると、そこに細長い銀色のものが半分だけ見えていた。


「あ」

 と七海が言った。


 田所刑事は無言でそれをつまみ上げた。


 《初代館長の銀の栞》である。


 全員が黙った。


「……ありましたね」

 と三宅記者。


 館長の白石が口元を押さえる。


「そんな……」

「ケースから落ちただけですね」

 と田所刑事。

「おそらく誰かがガラス扉を開けたとき、布に引っかかって滑り落ちた」


 小山司書が思い出したように言う。


「……あっ。すみません、私です」

「あなたか」

 と真鍋。


「さっきケースの中の説明札がちょっと曲がってる気がして、少しだけ開けて直したんです。

 そのとき、布がずれたので、もしかしたら……」

「完全に事故ですね」

 と田所刑事。

「盗難ですらない」


 七海が吹き出した。


「じゃあ何だったの今の“あなたの心です!”」

「返してほしい」

 と三宅記者。


 だが明智院は崩れなかった。

 むしろ、ここからだった。


「いいや」

 彼は静かに言った。

「事件は終わっていない」


「終わってます」

 と田所刑事。


「銀の栞は見つかった。

 だが私は問いたい。

 なぜ我々は、これをただの落下ではなく、まず“盗難”だと思ったのか」


「館長さんがそう言ったからでは」

 と七海。


「そうです」

 と館長が素直に認めた。


 明智院は館長を見た。


「白石文乃館長。

 あなたはこの風読館を愛している」

「はい」

「愛しているがゆえに、失うことを恐れていた」

「……はい」

「だから、栞が見えなくなった瞬間、“盗まれた”と思った」


 館長は少しだけ目を伏せた。


「……それは、そうかもしれません」


「つまりこの事件で最初に奪われたのは、銀の栞ではない」

「また始まった」

 と田所刑事。


 明智院は、館長をまっすぐ指さした。


「あなたの平常心です!!」


 沈黙。


 真鍋がゆっくり拍手した。


「ちょっと下方修正したな」

「最初より被害が小さくなってる」

 と七海。


「今回はまあ、ギリギリ意味はわかる」

 と三宅記者が言った。


 田所刑事はため息をつき、銀の栞を展示ケースに戻した。


「では本件、盗難ではなく展示物の落下。

 ケース管理の改善をお願いします」


「はい……」

 と館長がしょんぼり言った。

「鍵もちゃんとかけます……」


 小山司書が深く頭を下げた。


「すみませんでした……」

「いや、見つかったからよかったけど」

 と七海。

「でも“触らないでください”ってポスターの前でそれやるの、ちょっと面白いね」

「笑わないで」


 明智院だけが、まだケースの前に立っていた。

 空っぽではなくなった展示を見つめ、静かに言う。


「最後のピースが見つかったね」


「今回は何だったんです?」

 と田所刑事。


「床だよ」

「床」

「そう。

 誰も見ていなかった最も近い場所。

 真実というものは、たいてい遠くではなく、足元に転がっている」


「今回はちょっと本当にそうでしたね」

 と三宅記者。


「たまにあるんだよな、そういうこと」

 と田所刑事。


 館長の白石は、ケースの中の銀の栞を見て、小さく笑った。


「……騒ぎすぎましたね」

「まあ、記念の品ですし」

 と小山。

「でも、盗まれたって決めつけたのはよくなかったかも」

「人は大事なものほど、なくした瞬間に“誰かのせい”にしたくなるからね」

 と真鍋が言った。


 明智院はそれを聞き、満足げにうなずいた。


「その通り。

 だからこそ私は最初から見抜いていたのだ」

「何をです?」

 と七海。


 明智院は静かに胸を張った。


「犯人は、この中にいる! と」


「いや今回は犯人いませんでしたよ」

 と田所刑事。


「形式的にはな」

「また出た」

「だが、“盗まれた”という物語を最初に生んだ者なら、この中にいた」

「館長さんですね」

「そうだ」


 館長の白石は困ったように笑った。


「それ、私が犯人みたいじゃないですか」

「少しだけ」

 と真鍋。

「だいぶ」

 と七海。

「見出しにはしませんが」

 と三宅記者。


 田所刑事は手帳を閉じる。


「では解散で。

 次からは、なくなったと思ったらまず足元を見てください」


 その夜、明智院金四郎の事件ノートにはこう記された。


>『盗まれた銀の栞』

>犯人はこの中にいた。

>ただし、それは銀の栞を盗んだ者ではなく、

>“盗まれた”という物語を誰より先に信じた者のことだった。

>真実はいつも足元にあり、

>人はそれを見失うと、まず他人の手を疑う。


 それを横から読んだ田所刑事は、静かに言った。


「今回はわりと最初から床見れば終わった話なんだよな……」

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