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第4話 消えた五分間の男

 事件が起きたのは、午後七時五十分。


 市内の老舗時計店《久遠堂》の二階展示室で、店主の久遠寺宗一郎が、頭から巨大な置時計をすっぽりかぶった状態で発見されたのである。


 もっとも、死んではいなかった。

 宗一郎は床に座り込み、豪華な装飾のついた百周年記念モデル《時の王冠》を頭にはめたまま、たいへん怒っていた。


「誰だ!! 私の頭に時計をかぶせたのは!!」


「被害者、元気ですね」

 と田所刑事が言った。


「元気ですけど、見た目がかなり終わってます」

 と新人店員の水沢が言った。


 展示室には事件当時この場にいた五人が集められていた。


 長男で跡継ぎ候補の修一。

 ベテラン職人の堀田。

 新人店員の水沢。

 時計評論家の早坂。

 地元紙の記者・藤村。


 全員が一階ホールで行われていた除幕式に出席しており、監視カメラにも映っている。

 つまり、全員にアリバイがある。


「では整理します」

 と田所刑事が言った。

「午後七時四十五分から五十分まで、関係者全員は一階ホールにいた。二階展示室には被害者だけが残っていた。

 五十分ちょうどに一瞬停電。

 復旧後、心配して二階に駆け上がると、被害者が頭から置時計をかぶっていた。

 合ってますね?」


「はい」

 と修一。


「つまり犯人はこの場にいないか、あるいは事故だ」

 と田所刑事。


 そこへ、展示室の入口で黒い外套がひるがえった。


 名探偵・明智院金四郎である。


 彼は時計の並ぶ壁を見渡し、床に座る宗一郎の頭の上の《時の王冠》を見て、低く言った。


「……なるほど」


「始まった」

 と田所刑事が言った。


 明智院は、宗一郎の姿をしばらく眺めてから、ゆっくりと一同を振り返った。


「諸君。安心したまえ」


「何を」

 と藤村記者。


「真実は、すでに私の手の中にある」


「はやいな」

 と堀田が言った。

「まだ何も見てないだろ」


 明智院は答えず、部屋の中央まで進み出ると、全員をびしりと指さした。


「犯人は、この中にいる!!」


 沈黙。


「いや、いませんよ」

 と田所刑事が即答した。

「全員一階にいたでしょう」


「それこそが盲点だ」

 と明智院。


「もう盲点の使い方が雑なんだよな」

 と宗一郎が言った。

 頭に時計をかぶったまま。


 評論家の早坂が鼻を鳴らす。


「名探偵殿、まさか監視カメラの映像を否定するおつもりですか」

「否定はしない」

 と明智院。

「だが、映っていることと、犯人でないことは同義ではない」


「いや今回はかなり同義だろ」

 と藤村記者。


 明智院は、壁の大時計を見上げた。


「諸君。まず問おう。

 人は本当に、一つの場所にしかいられないのか?」


「哲学で来たな」

 と田所刑事。


「肉体はそうだとしても、意志はどうか。影響はどうか。気配はどうか」

「全部いらないですね、今回は」

 と水沢。


 しかし明智院はもう、自分の世界に入っていた。


「この展示室には、たしかに誰もいなかった。

 だが犯人はいた。

 つまり犯人は、肉体を伴わずこの場に存在したのだ」


「幽霊?」

 と修一。


「違う」

 明智院は静かに言った。

「習慣だ」


 全員が黙った。


「習慣?」

 と田所刑事。


「そうだ。久遠寺宗一郎氏」

 明智院は被害者を指さした。

「あなたは毎日、展示品の位置を一ミリ単位で直し、角度を調整し、針の向きを揃える癖がある」

「あるが」

 と宗一郎。

「それがどうした」


「その習慣こそが、あなたを襲ったのだ」


「やだなあ」

 と水沢が言った。

「急に習慣が襲ってくる職場」


「つまりこうだ」

 明智院は続ける。

「犯人はこの中にいる。

 それは君たち一人ひとりではない。

 君たちの中に染みついた、久遠堂という店の時間厳守・位置厳守・左右対称厳守の精神――」


「長いな」

 と堀田。


「それが宗一郎氏を追い詰め、ついに時計を自らの頭に――」

「かぶってない!」

 と宗一郎が怒鳴った。

「私は自分でかぶってないぞ!!」


「そこなんですよね」

 と田所刑事。

「今の推理、被害者が自分でやってる前提になってる」


 明智院は少しだけ黙った。

 だが、止まらない。


「では訂正しよう。

 宗一郎氏は“自ら望んで”かぶったのではない。

 “習慣にかぶせられた”のだ」


「言い換えで押し切ろうとするな」

 と藤村記者。


 田所刑事は時計の台座を調べていた。

 置時計《時の王冠》がもともと置かれていた展示台のそばには、小さな脚立が出しっぱなしになっている。


「脚立、使いました?」

 と田所刑事。


 水沢が手を挙げた。

「私です。展示のクロスのしわを直すよう社長に言われて、さっき」

「それ、何時ごろ?」

「七時半くらいです」


「で、片づけ忘れた?」

「……はい」


 田所刑事は脚立と展示台、そして宗一郎の位置を見比べる。


「ふむ」


 その横で明智院が、脚立を見て目を細めた。


「……最後のピースが見つかったね」


「今回は何をピース扱いしてるんです?」

 と田所刑事。


「段差だ」


「段差」


「そうだ」

 明智院はうなずく。

「高みを目指す者には、常に段差が必要だ。

 だがその段差は同時に、人を転落させる――」


「比喩で逃げるな」

 と堀田。


「つまり犯人は脚立ですか?」

 と水沢。


「半分正しい」

 と明智院。


「半分も正しくない気がする」

 と修一。


 このあたりで、田所刑事はもうほぼ真相を察していた。

 彼は展示台の位置を測り、床の傷を確認し、宗一郎の袖についた金の塗装を見た。


「宗一郎さん」

 と田所刑事。

「あなた、除幕式の前に二階でこの置時計を自分で動かそうとしましたね?」


「……う」

 宗一郎の顔がわずかに曇る。


「一人で?」

「……展示の位置が気に入らなかったんだ」

「やっぱり」

 と修一が言った。

「父さんそういうとこある」


 田所刑事は続ける。


「脚立に乗って展示クロスを直そうとして、そのついでに《時の王冠》の向きを微調整しようとした。

 でも脚立の足が少しずれて、あなたは前のめりになった。

 とっさに置時計を抱えた。

 そのままバランスを崩して、頭からすっぽりいった。違いますか」


 全員が宗一郎を見る。


 宗一郎はしばらく黙っていたが、やがて絞り出すように言った。


「……だいたい合ってる」


 沈黙のあと、水沢が言った。


「事故じゃないですか」


「事故ですね」

 と田所刑事。


「犯人いないじゃん」

 と藤村記者。


「いる」

 と明智院が言った。


「まだ言うか」

 と田所刑事。


 明智院はゆっくりと宗一郎を指さした。


「犯人は、この中にいる!」


「それ社長本人では」

 と修一。


「そうだ」

 明智院は言った。

「久遠寺宗一郎。あなたです」


「えっ」

 と宗一郎。


「あなたは時計を愛しすぎた。

 その結果、時計と一体化した」


「言い方」

 と水沢。


「この事件で奪われたものがある」

 明智院は重々しく言った。


「なんですか?」

 と藤村記者。


 明智院は静かに目を閉じ、すっと宗一郎を指さした。


「あなたの威厳です!」


「心じゃなくて威厳なんかい」

 と田所刑事。


「持っていかれましたね」

 と堀田。

「かなり」

 と修一。


 宗一郎は頭の時計をようやく外しながら、顔を赤くした。


「……誰にも言うなよ」

「地元紙の記者がいますけど」

 と藤村。


「書くなよ!」

「見出しに困りますねえ。『時計店主、時計になる』とか」

「最悪だ!!」


 評論家の早坂が、咳払いをした。


「だが明智院氏」

「何だね」

「あなたは最初、“犯人はこの中にいる”と言った。

 それは結果として当たったわけですが……」

「うむ」

「当てにいったのではなく、ただ言いたかっただけでしょう」

「……」


 明智院は、ほんの少しだけ目を逸らした。


「半分はそうだ」


「半分もあるのか」

 と田所刑事。


「名探偵には、まず言うべき台詞がある」

 と明智院。

「真相はそのあと追いついてくることもある」


「それ、推理の順番として最悪なんだよな」

 と田所刑事。


 修一は深くため息をついた。


「とりあえず父さん、もう一人で展示触るのやめてくれよ」

「うるさい。私は店主だ」

「その店主が商品かぶって気絶してるんだよ」

「やめろ、その言い方は効く」


 結局、事件性はなし。

 記者の藤村は「人情話としてなら書ける」と言い、堀田は「店の恥だ」と渋い顔をし、水沢は黙って脚立を片づけた。


 田所刑事が帰り際に明智院へ言う。


「今回はどうなんです。外したんですか、当たったんですか」


 明智院は窓の外を見た。

 店の看板時計が、静かに正しい時刻を刻んでいる。


「そうだね」

 彼は静かに言った。

「真実はいつも、私の台詞の二歩くらい後ろを歩いている」


「便利な言い方だなあ」

 と田所刑事。


 その夜、明智院金四郎の事件ノートにはこう記された。


>『消えた五分間の男』

>犯人はこの中にいた。

>ただしそれは、私が思っていた意味ではなかった。

>人はときに、誰かに襲われるのではない。

>自らの性分によって、静かに敗れるのである。


 それを横から読んだ田所刑事は、静かに言った。


「最後だけ反省文みたいになるの、ほんとずるいな……」

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