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第1話 犯人はこの中にいる!

 事件が起きたのは、午後三時二十分。

 山奥の洋館に集められた七人の客人たちの前で、主人である黒岩源三郎が、見事に毒殺されたのである。


 もっとも、毒殺されたといっても、状況はかなりわかりやすかった。


 黒岩源三郎は、紅茶を一口飲んだ直後、

「ぐわーっ! この紅茶に毒が入っておるーっ!」

 と叫び、

 真正面に立っていた庭師の亀吉が、

「へい、わしが入れました」

 と即答した。


 それでも館は騒然となった。


「な、なんだと!?」

 と長女の百合子が叫び、

「おい亀吉、お前そんなあっさり言うなよ!」

 と執事の佐々木が頭を抱え、

「犯行のハードルが低すぎるだろ」

 と黒岩家の次男・修一がぼそりと呟いた。


 そこへ、ゆっくりと一歩前に出た男がいた。


 名探偵・明智院 金四郎である。


 年齢不詳。

 長身痩躯。

 黒い外套。

 無意味に鋭い目。

 そして無意味に長い沈黙。


 明智院は倒れゆく黒岩源三郎を一瞥すると、低い声で言った。


「……待ちたまえ」


 全員が見た。

 亀吉も見た。

 源三郎も床でぴくぴくしながら見た。


「事件は、そう単純ではない」


「いや、単純でしょう」

 と医師の村雨が言った。

「本人が毒を入れたと認めていますし」


「ふむ」

 明智院は顎に手を当てた。

「それこそが、罠だ」


「誰の」

 と百合子。


「まだわからない」

 と明智院。


「わからないんかい」

 と修一。


 亀吉が遠慮がちに手を挙げた。

「あの、わしです。わしが入れました。旦那様が毎年ボーナスくれないんで、もう限界だと思って」


「黙りたまえ!」

 と明智院が言った。


「いや、なんで」

 と亀吉。


 明智院は部屋を見渡した。

 窓の外では風が吹き、カーテンが揺れている。いかにも推理を始めるにはちょうどいい雰囲気だった。彼はこの雰囲気が好きだった。


「諸君。たしかに亀吉氏は“自分がやった”と言った。だが、それを額面通りに受け取るのは三流のやることだ」


「でも毒を入れたって」

 と執事。


「それも嘘かもしれん」


「いや入れました」

 と亀吉。


「静かに」

 と明智院。


 明智院はテーブルの上の紅茶カップを持ち上げ、香りを確かめた。

 それから床に落ちていた小瓶を拾い上げた。ラベルにはでかでかと《猛毒》と書かれていた。


「見たまえ。このあまりにもわかりやすい小瓶。まるで“私は犯人です”とでも言いたげだ」


「言いたげというか、言ってますね」

 と医師。


「しかもわしの名前も書いてあります」

 と亀吉。

 見るとたしかに《庭師・亀吉の毒》と油性ペンで丁寧に記されていた。


「ふむ……逆に怪しい」

 明智院は目を細めた。


「逆に怪しいも何も」

 と修一。

「そのまま怪しいですよ」


「君はわかっていない」

 明智院は指を一本立てた。

「真犯人とは、得てして“わかりやすすぎる証拠”を残すものだ」


「その理屈だと亀吉で合ってるんじゃ」

 と百合子。


「浅い」

 明智院は言った。

「浅いぞ百合子嬢。たとえばだ。真犯人が亀吉氏に毒を入れさせた可能性は?」


「ありません」

 と亀吉。

「自分の意思で入れました」


「では、真犯人が亀吉氏を心理的に追い込んでいた可能性は?」


「それは旦那様です」

 と亀吉。

「だから入れました」


 明智院は少し黙った。


「……なるほど」

「いや、なるほどじゃないでしょう」

 と執事が言った。

「もう犯人でいいでしょう」


 しかし明智院は諦めない。というより、ここで諦めたら自分の存在意義がなくなるタイプの人間だった。


「待て。動機があまりにも直線的だ。ボーナスをもらえなかったから毒殺。こんな単純な理由で人は人を殺せるだろうか?」


「殺せます」

 と医師。

「人間、案外それくらいで殺しますよ」


「へい、殺しました」

 と亀吉。


 明智院は咳払いした。

「仮にだ。仮に亀吉氏が毒を入れたとしても、“真の犯人”は別にいるのではないか」


「真の犯人」

 と修一。

「何それ」


「つまり、これは物理的犯人と、論理的犯人と、哲学的犯人に分かれる複層的事件なのだ」


「嫌な分かれ方だなあ」

 と百合子。


 床で倒れていた源三郎が、かすれ声で言った。

「ぐ……その理屈だと……ワシも犯人かもしれん……」


「お父様しゃべらないで」

 と百合子。


「そうだ!」

 明智院が目を見開いた。

「被害者自身が、自らの死を招いた――すなわち、この事件の根源的犯人は黒岩源三郎、その人だ!」


「いやいやいや」

 と全員。


「たしかに源三郎氏は亀吉氏を追い詰めた。ボーナスも出さず、休日もなく、庭石の位置が三センチずれていたという理由で二時間説教した。これはもはや、亀吉氏の犯意を育てたに等しい。つまり源三郎氏は、自らの死を設計したと言ってもいい!」


「設計してないわ!」

 と源三郎が床で叫んだ。

「めちゃくちゃ悔いとるわ!」


「じゃあ旦那様は被害者です」

 と亀吉。


「いやしかし」

 明智院は歩き回る。

「それでもまだ何か引っかかる……」


「何が」

 と修一。


「“この中にいる”感が足りない」


 その場が静まった。


「……は?」

 と百合子。


 明智院は振り返った。

 その目は真剣だった。無駄に。


「名探偵たるもの、一度は言わねばならない台詞がある。諸君も期待しているはずだ」


「いや別に」

 と執事。


「期待してません」

 と医師。


「わしもちょっと早く帰りたいです」

 と亀吉。


 だが明智院はもう止まらない。


「密室」

「密室じゃないです。玄関開いてます」

「嵐の山荘」

「晴れてます」

「錯綜する人間関係」

「それはまああるけど」

「そして、容疑者たち」

「いや一人です」

「一人ではない!」

 明智院は叫んだ。

「たとえ亀吉氏が毒を入れ、亀吉氏が自白し、亀吉氏の指紋がついた小瓶があり、亀吉氏が動機を語り、さらには監視カメラにも映っていたとしても!」


「映ってるんだ」

 と修一。


「そう、映っている! だがそんなものは真実の一部にすぎん!」

 明智院は大きくマントを翻した。

「犯人は――」


 全員が、うんざりしながら見守った。


「犯人は、この中にいる!!」


 沈黙。


 長い沈黙。


 庭の鳥が一羽鳴いた。


「ええ」

 と百合子が言った。

「亀吉がいますからね。この中に」


「そうです」

 と執事。

「最初からずっとこの中にいます」


「わしです」

 と亀吉。


 明智院は少しだけ赤くなった。

 だが、それでも崩れない。崩れたら死ぬサメみたいな探偵だった。


「……つまり私が言いたいのはだな、事件とは、単なる犯行の有無ではなく、人間の業が織りなす巨大な迷宮であり――」


「警察、呼んであります」

 と医師。


 ちょうどそのとき、玄関の向こうから刑事たちが入ってきた。

 先頭の田所刑事は現場を見て、床の源三郎、紅茶、毒の小瓶、亀吉を順番に眺めた。


「犯人は?」


 亀吉が手を挙げた。

「わしです」


「動機は?」


「ボーナスなしです」


「よし、連れてけ」


「ちょっと待ちたまえ!」

 と明智院が叫んだ。

「事件はまだ終わっていない!」


「終わってます」

 と田所刑事。


「真犯人が――」


「亀吉さんですね」


「いや、もっと深い真相が――」


「深い真相は裁判でやってください」


 亀吉は連行されながら、明智院に軽く会釈した。

「長いことすみませんでした」


「いや」

 明智院は遠くを見る目で言った。

「真実への道は、常に遠い」


「アンタが遠回りしただけです」

 と修一。


 その後、黒岩源三郎は病院に運ばれ、一命をとりとめた。

 毒が賞味期限切れで、思ったより効かなかったのである。なんとも締まらない話だった。


 数日後、明智院は自室で事件の記録をノートにまとめていた。


 題して、

『黒岩邸毒殺未遂事件――表面的犯人と本質的犯人をめぐる考察』


 その冒頭には、こう書かれていた。


>本件は一見、庭師・亀吉の単独犯に見える。

>しかし私は、あえて言おう。

>犯人はこの中にいた。


 編集者はその原稿を読んで、赤字でこう書いた。


>それは知ってる。

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