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【第3章追加!】モブ令嬢に転生したのでモブらしく生きていたら、なぜか聖女の化けの皮が剥がれモブでは済まなくなりました  作者: 月雅
第1章

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第6話「見えない糸」

エレーヌ・ベルクハルトが聖女の手先にされていたことを、私は一枚のメモで知った。


それは、薬学書の間に挟まっていた。


閉館後の図書室で、返却された本を棚に戻す作業をしていたときだった。エレーヌが借りていた症例集を開くと、ページの間から薄い紙片が滑り落ちた。


栞かと思った。


拾い上げて、手が止まった。


紙片には手書きの文字が並んでいた。インクの色は薄く、急いで書かれた筆跡だった。


「弟の治療の継続を望むなら、次の社交会でカティアを孤立させろ」


短い一文だった。


宛名はない。差出人の名前もない。だが、文面の意味は明白だった。誰かがエレーヌに指示を出している。弟の治療を人質にして。


手が震えた。


これは、エレーヌが本に挟んだまま返却してしまったものだ。おそらく本の間に隠していたことを忘れていた。あるいは、返却時に気づかなかった。


メモの筆跡を見た。書き慣れた文字だが、貴族の教育を受けた手ではない。角ばった実務的な文字。神殿の文書に多い書体だった。


胸の奥が痛んだ。


エレーヌは脅されていた。弟の病気を人質に取られて、聖女の指示に従わされていた。カティアを孤立させたのも、彼女自身の意志ではなかった。


ゲームの中では「冷酷な伯爵令嬢」。現実のエレーヌは、弟を守るために悪役を演じさせられていた人だった。


メモを手に持ったまま、カウンターの椅子に座った。


どうする。


事務局に届けるか。だがこれはエレーヌの私物だ。管理係が利用者の私物を勝手に事務局に提出すれば、エレーヌの秘密が露見する。彼女がこのメモを隠していたのには理由があるはずだ。


エレーヌに直接返すか。だが返すだけでは何も変わらない。彼女は脅迫を受けたまま、弟を人質に取られたままだ。


私にはこの問題を解決する力がない。子爵令嬢の図書室管理係に、神殿がらみの脅迫を止める手段はない。


でも。


この図書室に、一人だけ、この情報の意味を理解できる人がいる。


ギルベルト・ヴァイスは、いつもの席で本を読んでいた。


私はメモを手に、奥の閲覧席へ向かった。足が重かった。これを渡せば、もうモブには戻れない。一年目に人事記録の冊子を渡したときとは意味が違う。あのときは管理係として配架先を相談しただけだった。今回は違う。


知ってしまった。知って、見て見ぬふりができなかった。だから渡す。


それは管理係の仕事ではない。ロゼリア・トーレスという人間の判断だ。


「ギルベルト様」


声をかけた。彼が顔を上げる。


「これを、お渡ししたいものがあります」


メモをテーブルに置いた。


「返却された本の間に挟まっていました。利用者の忘れ物です。ですが、内容が——あなたが探しているものに関係があるかもしれないと思いました」


嘘は言っていない。忘れ物であることは事実だ。だが、それを事務局ではなくギルベルトに渡したのは、私の判断だった。


ギルベルトがメモを手に取り、読んだ。


一瞬だった。彼の目が変わったのは。


穏やかさが消えた。冷えた、鋭い目。一年前に人事記録を見せたとき以上の反応だった。


「……これは、誰の本に挟まっていた」


「申し訳ありません。利用者の個人情報はお伝えできません」


管理係として、借りた人の名前を第三者に伝えることはできない。それは前世の図書館でも同じだった。


ギルベルトは私を見た。問い詰める目ではなかった。私の答えを予想していたような、むしろ確認するような目だった。


「……わかった。名前は聞かない」


メモをもう一度読み、表を裏を確かめ、テーブルに戻した。


「トーレス嬢」


「はい」


「ここから先に踏み込むと、もう"目立たない存在"ではいられない」


心臓が跳ねた。


彼は知っていた。私が「モブでいたい」と思っていることを。この一年半、図書室の隅で透明でいようとしていたことを。


「知ってしまったのに何もしないのは、見て見ぬふりと同じです」


口をついて出た言葉は、自分でも驚くほど明確だった。


ギルベルトが黙った。長い沈黙だった。


「……僕は」


彼の声が、わずかに揺れた。


「一人で調べてきた。誰も巻き込みたくなかった。巻き込めば、その人が聖女の標的になる。母のように」


ギルベルトの手が、テーブルの上で拳を作った。


「母は何も悪いことをしていないんだ」


敬語が崩れていた。


穏やかで皮肉交じりの口調が消えて、むき出しの感情がそこにあった。入学初日に書類を拾った青年の、あの整った声とは違う。痛みを押し殺してきた人間の声だった。


私は何も言えなかった。


彼の母親が聖女の神託で冤罪を受け、修道院に送られたこと。噂としては知っていた。でも、目の前で本人の口から聞く言葉は、噂とは重さが違った。


「ギルベルト様」


「……すまない。取り乱した」


彼は拳を開き、息をついた。目を伏せ、数秒の間を置いて、顔を上げたときには穏やかな表情が戻っていた。でも、目の奥の温度は戻りきっていなかった。


「トーレス嬢。このメモは預かる。僕の調査に必要な証拠だ」


「はい」


「そして、君に一つだけ話しておくことがある」


ギルベルトはテーブルの上のメモに目を落とした。


「僕が調べているのは、聖女マリアンヌの不正だ。彼女の神託は偽装されている。その証拠を集めて、正当な手続きで暴くのが僕の目的だ」


知っていた。ゲームの知識ではなく、この一年半の観察で。


「母は八年前、聖女の神託によって冤罪で修道院に送られた。父は——宰相は、政治的判断で母を守らなかった。だから僕は父にも報告していない。父がこの件に関与していないと確認できるまでは」


ギルベルトの声は静かだった。敬語が戻っていた。だが、さっき崩れた瞬間を聞いた後では、その丁寧さがかえって痛々しく聞こえた。


「君に話したのは、このメモを持ってきた時点で、君がもう無関係ではないからだ。巻き込みたくはなかった。でも、君は自分で踏み込んできた」


「はい」


「だから、せめて何に踏み込んだのかは知っておいてほしい」


私は頷いた。


ギルベルトがメモを鞄にしまった。そして、立ち上がりかけて、止まった。


「……トーレス嬢」


「はい」


「君がエレーヌ嬢の隣に薬学の本を並べていたこと、僕は見ていた」


息が止まった。


見られていた。エレーヌのために棚を整理していたことを、彼は知っていた。


「管理係の仕事だと思っていたのかもしれない。でも、あれは仕事ではないだろう」


返す言葉がなかった。


「君は目立たない存在だと言うけれど、目立たない存在はああいうことをしない」


ギルベルトはそれだけ言って、鞄を肩にかけた。


「おやすみなさい、トーレス嬢」


「おやすみなさいませ、ギルベルト様」


足音が遠ざかり、扉が閉まった。


図書室に一人残された。


椅子の背にもたれて、天井を見上げた。


もう引き返せない。


メモを渡した。ギルベルトの話を聞いた。彼の母親のことを、聖女の不正を、彼が一人で抱えてきたものの重さを、知ってしまった。


モブでいたかった。三年間、透明でいたかった。


でも、書類を拾い、資料を渡し、ハンカチを拾い、日付を並べ、本を棚に置き、メモを届けた。どれも小さなことだった。でもその小さなことが、一つずつ積み重なって、今ここにいる。


目を閉じた。


ギルベルトの声が耳に残っていた。敬語が崩れた、あの一瞬。


「母は何も悪いことをしていないんだ」


あの声に含まれていた感情の深さに、初めて触れた。穏やかな仮面の下に、あれだけの痛みがあったのだ。


そして、最後に彼が言った言葉。


「目立たない存在はああいうことをしない」


胸の奥がざわついた。何と名前をつけていいかわからない感情だった。


鍵をかけて図書室を出た。


廊下は暗かった。窓の外に薄い月が見えた。


寮への道を歩きながら、二人の関係が変わったことを感じていた。図書室の司書と利用者ではなくなった。同じ問題を知っている者同士。共犯者、という言葉が頭に浮かんで、少しだけ胸が痛んだ。


振り返らなかった。振り返っても、図書室の灯りはもう消えている。


明日からは、今までとは違う放課後になる。


それが怖いのか、怖くないのか、まだわからなかった。

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― 新着の感想 ―
とうとうルビコン超えたかもう戻れんわな。
皆さんと同じく、和製英語としてももともとの英語の意味としてもなんだかそぐわない気がします。
ずっと気になっていたんですが、聖女の悪行をゲームの知識として知っていたと取れる描写がいくつかあったと思うのですが、無実と分かる悪役令嬢がいて悪辣な聖女の正体もバレてるって事はなろう的ざまーゲーなんです…
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