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【第4章追加!】モブ令嬢に転生したのでモブらしく生きていたら、なぜか聖女の化けの皮が剥がれモブでは済まなくなりました  作者: 月雅
第3章

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第4話「利用される名前」

私の名前は、いつから私のものではなくなったのだろう。


エレーヌからの手紙を、子爵家の書斎で読んでいた。丁寧な筆跡。だが、内容は穏やかではなかった。


「改革派の司祭ルドヴィクが、聖女制度廃止の根拠として、再審の証拠を政治的に引用しています。その中で、ロゼリアさんの名前が『証拠整理者』として繰り返し使われています。あたかもロゼリアさんが制度廃止を支持しているかのような文脈です」


便箋を机に置いた。


支持していない。ルドヴィクの訪問を断ったことは、ルドヴィク自身が知っているはずだ。それなのに、私の名前を使っている。


断ったことなど関係ない、ということか。


名前だけが独り歩きしている。ロゼリア・トーレス。再審の証拠整理者。聖女の不正を暴いた功労者。その肩書きが、私の意志とは無関係に、改革派の武器にされている。


エレーヌの手紙には続きがあった。


「改革派が王都の貴族院に提出した意見書に、再審の証拠構成が『聖女制度の構造的欠陥を証明するもの』として引用されています。引用自体は事実に基づいていますが、文脈の切り取り方が恣意的です。ロゼリアさんが制度廃止を意図して証拠を構成したかのように読めます」


事実に基づいている。だが文脈が歪められている。


最も厄介な種類の利用だった。嘘ではない。だから否定が難しい。


ギルベルトに相談しなければ。


手紙を書こうとして、ペンを止めた。


いや。手紙では遅い。直接会って話すべきだ。


宰相府の応接間だった。


ギルベルトが手配してくれた小部屋。扉を閉めれば他の人間には聞こえない。再審の書類整理をしていた頃と同じ部屋だった。


エレーヌの手紙を見せた。ギルベルトは黙って読み、便箋を机に戻した。


「把握している。宰相府でも問題になっている」


「宰相府として、公式に否定できませんか。私は制度廃止を支持していない、と」


ギルベルトが少し考えてから答えた。


「できる。だが、それは宰相府がロゼリアを公式に庇護していると見なされる」


「それの何が問題なのですか」


「婚約前の段階で、宰相府が特定の子爵令嬢を公式に庇護する。それは、宰相府とロゼリアの関係が単なる個人的なものではなく、政治的なものだという宣言になる」


政治的な関係。


つまり、宰相府が私を守れば、私は宰相府の人間として見なされる。個人の意志ではなく、宰相府の意向として私の立場が解釈される。婚約が成立していない今、それは私の独立性を失わせる。


「宰相府に守ってもらえば、私は宰相府の駒になる」


「そういうことだ」


ギルベルトの声は静かだった。だが、その静かさの中に、悔しさが滲んでいた。守りたいのに、守ることが状況を悪化させる。再審のときのクラウスとのやり取りを思い出した。あのときも、ギルベルトは同じ顔をしていた。


だが、今回は違う。


あのときの私は、ギルベルトに守られることを受け入れられなかった。自分の仕事で示すしかない、と思っていた。


今も、同じだ。


「自分の名前は、自分で守ります」


声に出した。


ギルベルトが私を見た。


「どうやって」


「ルドヴィクに直接会います」


ギルベルトの目が、わずかに鋭くなった。


「危険だ」


「危険ではありません。社交的な面会です。子爵令嬢が神殿司祭に面会を申し込むことは、手続き上問題ありません」


「手続きの問題ではない。ルドヴィクは弁舌に長ける。君の言葉を切り取って、さらに利用する可能性がある」


「だからこそ、直接伝える必要があるんです。私の名前を無断で使うことを、私の口から禁じる。それが最も明確な意思表示です」


ギルベルトは黙った。


しばらくの沈黙の後、小さく息をついた。


「分かった。だが、一つだけ約束してほしい」


「何ですか」


「ルドヴィクに会ったら、事実だけを伝えてくれ。感情で動かないでくれ」


「感情では動きません。事実を整理して伝えるのが、私の仕事です」


ギルベルトが、ほんの一瞬、微笑んだ。


「君は正しい」


その言葉が、静かに胸に落ちた。


ルドヴィクとの面会は、王都の神殿区画にある客間で行われた。


神殿の建物は白い石造りで、天井が高い。客間は簡素だが清潔だった。壁に神殿の紋章が掛かっている。


ルドヴィクが椅子に座っていた。前回と同じ、穏やかな物腰。銀縁の眼鏡の奥の知的な目。


「トーレス嬢。わざわざお越しいただき恐縮です」


「ルドヴィク様。本日は一つ、お伝えしたいことがございます」


一礼して、向かいの椅子に座った。背筋を伸ばし、膝を揃え、手を膝の上に置いた。子爵令嬢としての所作。一つも崩さない。


「改革派が貴族院に提出された意見書を拝見しました」


ルドヴィクの表情が、わずかに変わった。穏やかさの奥に、警戒が混じった。


「再審の証拠構成が引用されていました。私の名前と共に」


「ええ。事実に基づいた引用です」


「事実に基づいている点は認めます。ですが、文脈が恣意的です」


ルドヴィクの目が細くなった。


「恣意的、とは」


「私が証拠を整理したのは、冤罪を覆すためです。聖女制度の廃止を目的として行ったものではありません。意見書の文脈では、あたかも私が制度の構造的欠陥を証明する意図で証拠を構成したかのように読めます。それは事実と異なります」


「しかし、トーレス嬢。結果として、あの証拠は制度の欠陥を示しているのではありませんか」


「結果と意図は別のものです」


前回と同じ言葉を繰り返した。だが今回は、その先がある。


「ルドヴィク様。制度に問題があるという主張そのものは、否定しません。検証体制の形骸化、監査局の機能不全、聖女への権限集中。それらは事実です」


ルドヴィクが身を乗り出した。同意を引き出せると思ったのだろう。


「ですが」


私は続けた。


「事実を整理することと、政治的立場を表明することは、まったく別の行為です。私の仕事は事実を整理することであり、政治的な旗を掲げることではありません」


「事実の整理自体が政治だ、と以前も申し上げました」


ルドヴィクの声は穏やかだったが、譲る気配はなかった。


「制度の問題を解決するには政治的な力が必要です。貴女の名前にはその力がある。それを使わないのは——」


「私の名前は、私のものです」


遮った。


声は抑えていた。感情では動かない。ギルベルトとの約束だ。


「私の名前を、私の承諾なく政治的文書に引用することを、今後お控えください。事実の引用であっても、文脈によって意味が変わることは、ルドヴィク様もご存じのはずです」


ルドヴィクは黙った。


沈黙が長かった。客間の窓から午後の光が差し込んでいる。白い石の壁に、光の四角が映っていた。


「承知しました」


ルドヴィクが言った。穏やかな声だった。


だが、その目には諦めがなかった。子爵家を訪ねたときと同じだ。引いたのではなく、別の方法を探している目だった。


「トーレス嬢の意向は理解しました。今後、貴女の名前を意見書に引用する際は、事前に許可を求めます」


丁寧な言葉だった。だが、言い回しに気づいた。「引用しない」とは言っていない。「許可を求める」と言った。つまり、許可を求めてくるつもりだ。


「事前に許可を求められても、お断りする場合がございます」


「もちろん。それはトーレス嬢のご判断です」


ルドヴィクが微笑んだ。形の良い笑みだった。だが、温かさはなかった。政治家の笑みだ。


面会を終え、神殿の客間を出た。


宰相府に向かった。ギルベルトに報告するために。


宰相府の小部屋で、面会の内容を伝えた。ルドヴィクの言葉。表情。引いたように見えて、引いていない態度。


「予想通りだ」


ギルベルトが言った。


「ルドヴィクは一度で諦める人間ではない。だが、君が直接禁じたことには意味がある。今後、無断で名前を使えば、それ自体が君への侮辱として社交界で問題になる」


「形だけでも、牽制にはなった、ということですか」


「ああ。少なくとも、今のままの形では使えなくなった」


ギルベルトが紅茶を手に取った。温かい湯気が立っている。


「ロゼリア」


名前で呼ばれた。二人きりの部屋。


「君は正しかった。自分の名前を自分で守った。宰相府が出る必要はなかった」


「あなたが事実だけを伝えろと言ってくれたからです」


「僕は何もしていない」


「してくれました」


目が合った。ギルベルトの目は穏やかだった。隠し事のない、あの目。再審の法廷の廊下で見た、何も隠していない顔と同じ色だった。


少しだけ、胸が温かくなった。


だが、温かさに浸っている余裕はなかった。


子爵家に戻ったのは、夕暮れ時だった。


書斎の机に座り、今日の面会を振り返った。


ルドヴィクの最後の目。諦めていない目。彼は別の方法を探すだろう。私の名前を直接使えなくなったなら、別の角度から来る。


事実と政治の境界線。


ルドヴィクは「事実の整理自体が政治だ」と言った。完全には否定できない。再審のとき、私が整理した証拠は法廷を動かした。保守派司祭を罷免に追い込んだ。それは政治的な結果だった。


私は政治家ではない。だが、私の仕事は政治に影響を与える。


その事実を、改めて突きつけられた。


自分の仕事が持つ影響力の大きさ。学園の図書室では、本を並べ替えるだけだった。宰相府の書庫では、証拠を整理するだけだった。だが、「だけ」ではなかった。並べ方一つ、整理の仕方一つで、結果が変わる。


事実を歪めることは許さない。


それだけは、譲れない。ルドヴィクの目的がどれほど正しくても、事実を歪める手段は認めない。マリアンヌが神託を偽造したように、ルドヴィクが記録の文脈を歪めるなら、それは同じ種類の罪だ。


窓の外が暗くなっていた。秋の日暮れは早い。


エレーヌの手紙を引き出しから出した。もう一度読み返す。


ルドヴィクの動き。改革派の意見書。私の名前の利用。


そして、手紙の最後の一文に目が止まった。


「存続派の女官長イルメラが、新聖女候補の選定について動き始めたようです」


新聖女候補。


存続派が動き始めている。改革派だけではない。もう一つの派閥が、別の方向から来る。


机の上の便箋に手を伸ばした。エレーヌに返事を書く。イルメラの動きについて、もう少し詳しく知りたい。


改革派には名前を使われた。存続派が次に何を仕掛けてくるか。


まだ、渦の中にいる。


だが、今日一つだけはっきりしたことがある。


私の名前は、私のものだ。


誰にも渡さない。

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