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【第2章追加!】モブ令嬢に転生したのでモブらしく生きていたら、なぜか聖女の化けの皮が剥がれモブでは済まなくなりました  作者: 月雅
第2章

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第6話「名前のない功績」

誰かが、私の話をしている。


子爵家の屋敷の書斎で、カティアからの手紙を読んでいた。几帳面な筆跡。公爵令嬢の教育が行き届いた、美しい文字だった。


「社交界であなたの噂が広まっています。宰相家次男と親しい子爵令嬢。学園で聖女の不正を暴いた裏の立役者。ただし、あなたの名前は公式にはどこにも出ていません。告発書類の提出者はアレクシス殿下とギルベルト様です。あなたは匿名のままです」


知っていた。


学園の卒業パーティーで、全ての証拠を提示したのはアレクシス殿下だった。書類を最終整理したのは私だが、提出者の名前に私の名前はない。ギルベルトの母の再審を申請したのは宰相府であり、そこにも私の名前は出ていない。


私は最初から、表に出る立場ではなかった。


それでいいと思っていた。モブでいたかった。裏方で十分だった。書類を整理し、日付を並べ、人と人をつなぐ。それが私の役割だった。


だが、社交界はそうは見ていなかった。


「正体不明の子爵令嬢」。噂は独り歩きする。名前が出ていないからこそ、憶測が膨らむ。宰相家に取り入ろうとしている成り上がり。公爵令嬢に取り入った策略家。噂の中の私は、実物よりずいぶん大きく、そしてずいぶん醜かった。


手紙の続きを読んだ。


「そろそろ、あなたの功績を社交界に明かすべきだとわたくしは考えています。来週、ネルソン侯爵家との合同夜会を予定しています。その場で、お話ししたいことがあります」


カティアが動こうとしている。


ヴァレンシュタイン公爵家の屋敷。応接間に通された。


カティアが椅子に座り、ヴィオラが窓際に立っていた。二人とも、私を待っていた。


「来たわね」


カティアが茶器を手に取った。自分で注ぐ。公爵令嬢が客人に自ら茶を注ぐ。それが、この三人の間では普通になっていた。


「手紙、読みました」


「なら話は早いわ」


カティアがカップを差し出した。受け取った。温かかった。


「あなたの功績を、社交界に明かすべきよ」


「カティア様、私は目立ちたいわけでは——」


「目立ちたいかどうかの話ではないわ」


カティアの声が、少し鋭くなった。


「目立たないことで、あなたが傷ついている。それが問題なの」


返す言葉がなかった。


カティアの茶会で侮辱された。成り上がりと嘲笑された。宰相府でクラウスに部外者と呼ばれた。社交界で悪評が広まっている。


すべて、私の名前と功績が公になっていないから起きていることだった。


「隠れてるから好き勝手言われるんでしょ」


ヴィオラが窓際から口を挟んだ。腕を組んでいる。学園時代と変わらない、遠慮のない口調だった。


「あんたが何をしたか、社交界の連中は知らない。知らないから、好き勝手に想像して、好き勝手に叩く。それがあんたの望んだことなわけ?」


「望んだわけではありませんが——」


「なら、変えなさい」


ヴィオラの目がまっすぐこちらを見ていた。


「あたしたちの冤罪を晴らしたのは、あんたよ。書類を作って、証拠を並べて、全部つなげたのはあんたでしょ。それを知らない連中が好き勝手言ってるのが、あたしは許せない」


ヴィオラの声には怒りがあった。だが、それは私に向けた怒りではなかった。私の功績を知らずに侮辱する人間たちへの、真っ直ぐな怒りだった。


「でも、私のことで皆さんを巻き込みたくないんです」


口にした。本心だった。カティアの茶会でもそう思った。宰相府の廊下でもそう思った。私のせいで、友人たちの社交上の立場が傷つくことが怖かった。


カティアが茶を一口飲み、カップを置いた。


「巻き込まれているのではないわ」


静かな声だった。


「わたくしが選んでいるの」


公爵令嬢の目が、私を見ていた。学園の中庭で壁際に立っていた頃のカティアではなかった。名誉を回復し、公爵家の令嬢として社交界に立つカティア・ヴァレンシュタインだった。


「あなたの功績を明かすことは、わたくし自身の選択よ。わたくしの冤罪を晴らしてくれた方の名前を、社交界に伝える。それは、わたくしの義務であり、権利でもあるわ」


「あたしもだよ」


ヴィオラが窓際から離れ、テーブルに近づいた。


「あたしの名誉を回復してくれたのはあんただ。それを社交界に伝えるのは、あたしの判断。あんたが止める話じゃない」


二人の目が、同じことを言っていた。


あなたを守ることは、私たちの選択だ。あなたが止めることではない。


私は、二人の目を見て、黙った。


反論できなかった。反論する理由がなかった。


「分かりました」


声が、かすかに震えた。


「お任せします」


ネルソン侯爵家との合同夜会は、三日後だった。


王都の社交区に位置するネルソン侯爵家の大広間。天井から下がる魔道灯が白と金の光を交互に落とし、磨き上げられた大理石の床が光を反射している。侯爵家以上の貴族が集まる夜会だった。


私は隅にいた。


淡い青の正装。母が仕立て直してくれた、いつもの衣装。カティアが新しい衣装を用意すると言ったが、断った。借り物の衣装で立つのは違うと思った。


大広間の中央で、カティアが動いた。


公爵令嬢が夜会の場で発言する。それだけで、広間の注目が集まる。白い髪を高く結い上げ、深い紫の衣装を纏ったカティアは、社交界の花だった。


「皆さま、少しだけお時間をいただきたいの」


広間が静まった。


「学園で起きた聖女事件について、皆さまもご存じのことと思います。元聖女マリアンヌ・セレスティアによる不正。試験の補正、神託の偽造、無実の生徒への冤罪。その全てが暴かれ、現在神殿裁判が進行しています」


誰もが知っている話だった。社交界で何度も語られた事件。だが、カティアの口調には、これから語られることが既知の情報ではないことを予告する響きがあった。


「その事件で、証拠を整理し、冤罪の構造を解き明かし、わたくしたちの名誉回復を可能にした方がいます。その方の名前は、公式の記録のどこにも出ていません」


広間がざわついた。


「学園の図書室管理係として三年間を過ごし、膨大な記録の中から不正の証拠を見つけ出し、時系列を構築し、すべてを一つの告発として成立させた方です」


カティアが、こちらを見た。


「トーレス子爵家のロゼリア・トーレス嬢です」


広間の視線が、一斉にこちらを向いた。


心臓が跳ねた。


百を超える目が、私を見ている。侯爵家、伯爵家、子爵家。社交界の人々が、淡い青の正装を着た子爵令嬢を見ている。


ヴィオラが続いた。


「あたしの名誉もこの方が回復してくれました。噂の時系列を整理し、冤罪の構造を証明したのは、この方です。あたしが今ここに立っているのは、ロゼリア・トーレス嬢のおかげです」


ヴィオラの声は大きく、はっきりしていた。侯爵令嬢が公の場で、子爵令嬢の功績を明言している。それがどれほどの重みを持つか、この場にいる全員が分かっていた。


広間が、静まった。


先日の茶会で私を嘲笑した二人の令嬢の姿が見えた。翡翠の耳飾りの令嬢と、真珠のピンの令嬢。二人の顔から、血の気が引いていた。


聖女事件の功労者を、成り上がりと呼んだ。公爵令嬢の大切な友人を、図書室の管理係上がりと嘲笑した。


その事実が、今、この広間にいる全員の前で明らかになった。


二人の令嬢の周囲から、さりげなく人が離れていくのが見えた。誰かが何かを言ったわけではない。ただ、距離が生まれた。社交界の制裁は、そういう形で行われる。声高な糾弾ではなく、静かな距離。


私は何もしていない。カティアとヴィオラが事実を語っただけだ。


事実が、私の代わりに戦ってくれた。


夜会が終わった後、大広間の隅で三人が残った。


カティアが肩の力を抜いた。珍しい姿だった。公爵令嬢は、人前では常に完璧な姿勢を崩さない。


「お疲れさまでした、カティア様」


「カティアでいいと、何度言えばいいのかしら」


「すみません」


「謝らなくていいわ」


カティアが微笑んだ。それは社交の笑みではなく、友人の笑みだった。


「これで、社交界にあなたの名前と功績が知れ渡ったわ。もう、正体不明の子爵令嬢ではない」


「ありがとうございます」


「礼を言うのはこちらよ。わたくしの冤罪を晴らしてくれたのだから」


ヴィオラが近づいてきた。


「あの二人、顔色がすごかったわね」


物騒な笑みだった。だが、すぐに真顔に戻った。


「あんたはさ、ずっと裏方でいいって思ってたんでしょ」


「はい」


「でも、裏方のままじゃ、あんた自身が立てないんだよ。社交界は名前で動く場所だから」


分かっていた。カティアの名前、ヴィオラの名前。それを借りなければ立てなかった。でも今日、私の名前が社交界に出た。


モブでいたかった。


学園では、それでよかった。図書室管理係として、誰にも気づかれず、裏方で動く。それが私の居場所だった。


でも、社交界では違う。


隠れていても何も変わらない。名前を出さなければ、噂に食われるだけだ。


「モブでいたかったのに」


口にした。苦笑が漏れた。


ヴィオラが眉を上げた。


「何それ」


「独り言です」


「変な独り言ね」


カティアが立ち上がった。


「さて。あなたの名前が社交界に出たことで、状況が変わるわ。宰相閣下も、あなたを無視し続けることはできなくなる」


その言葉の意味を、すぐに理解した。


これまで、宰相にとって私は「ギルベルトの学友の子爵令嬢」でしかなかった。だが今日から、「聖女事件の功労者」という肩書きがつく。社交界で公に認められた功績がある人物を、宰相が無視し続ければ、それ自体が政治的なメッセージになる。


カティアは、私の名前を守るためだけに動いたのではない。


宰相との関係を動かすために、社交界という舞台を使った。


公爵令嬢の政治感覚。学園時代から、カティアは頭が良かった。だが、社交界に出てからのカティアは、さらに鋭くなっていた。


「カティア様」


「カティアでいいと——」


「カティア」


初めて、敬称なしで呼んだ。


カティアが目を見開いた。一瞬だけ。そしてすぐに、満足そうな笑みを浮かべた。


「やっと呼んでくれたわね」


夜会の帰り道。馬車の中で、窓の外の夜空を見ていた。


私の名前が、社交界に出た。


ロゼリア・トーレス。子爵令嬢。聖女事件の功労者。


もう、隠れていることはできない。


怖い、と思った。


名前が出るということは、攻撃の的にもなるということだ。これまでは匿名だったから、噂で済んでいた。だが名前が出れば、直接的な批判や妨害が来るかもしれない。


でも、隠れていても何も変わらなかった。


友人たちの名前を借りて立つのではなく、自分の名前で立つ。それが、今日から始まる。


鞄の中には何もない。書類も手紙もない。でも、胸の中には、カティアとヴィオラの声が残っていた。


巻き込まれているのではない。わたくしが選んでいるの。


あたしの判断。あんたが止める話じゃない。


友人たちは、私を守るために動いたのではない。自分たちの選択として、事実を語った。


それが、何よりも心強かった。


馬車が子爵家の門に差しかかったとき、ふと思った。


宰相は、今夜の夜会のことをもう知っているだろうか。


公爵令嬢と侯爵令嬢が公の場で子爵令嬢の功績を語った。その報告は、宰相の情報網にはすぐに届くはずだ。


宰相がどう動くか。


それは分からない。でも、もう「ご苦労」の三文字だけでは済まなくなったはずだ。


馬車を降りて、屋敷の玄関を潜った。


自分の名前で立つ。


その重さと覚悟を胸に、私は書斎の灯りをつけた。

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