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【第4章追加!】モブ令嬢に転生したのでモブらしく生きていたら、なぜか聖女の化けの皮が剥がれモブでは済まなくなりました  作者: 月雅
第2章

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第5話「兄の影」

ギルベルトの母が修道院に送られたのは、八年前のことだった。


宰相府の廊下を歩きながら、その事実の重さを改めて考えていた。八年。ギルベルトが十三歳の頃だ。母を奪われた少年が、八年間かけて証拠を集め、再審にまで辿り着いた。


その再審を、今、私は手伝っている。


神殿記録庫から持ち帰った文書の写しを、再審用の書式に整える作業。宰相府の書庫で、ギルベルトと二人で進めていた。


書庫に向かう廊下の途中で、足音が聞こえた。


前方からではない。横の通路から。


「ギルベルト」


低く、抑えた声だった。


クラウス・ヴァイスが、通路の角に立っていた。


宰相家の長男。ギルベルトの兄。灰色がかった黒髪は父親に似ているが、顔立ちはもう少し鋭い。宰相府の正装をきっちりと着こなし、胸元には宰相家の紋章。


以前、宰相府を初めて訪れたときに応対した人物だった。あのとき、彼は私を「弟の学友の方ですか」と呼んだ。丁寧だが冷淡な声で。


クラウスの視線が、ギルベルトの後ろにいる私を捉えた。


「また、連れてきたのか」


ギルベルトの足が止まった。


「兄上。トーレス嬢は再審の書類整理を——」


「知っている」


クラウスが遮った。声は低いまま、廊下に響かないよう抑えられていた。だが、その抑え方自体が威圧だった。


「お前のやっていることは、家門の名を使った私的な調査だ」


「私的な調査ではありません。再審は宰相府が正式に——」


「正式に進めているのは宰相府だ。お前個人ではない。まして、部外者を巻き込んで」


部外者。


その言葉が、私に向けられていることは明白だった。


クラウスが私を見た。目が合った。彼の目は宰相に似ていた。感情を読ませない目。だが、宰相の目が政治的な計測だったのに対し、クラウスの目には別のものがあった。


苛立ちだ。


宰相家の長男としての、体面への苛立ち。弟が子爵令嬢を宰相府に出入りさせていることへの、明確な不快感。


「トーレス嬢」


名前を呼ばれた。クラウスの声は丁寧だった。だが、その丁寧さは距離を示すためのものだった。


「弟を惑わせないでいただきたい」


一礼した。深く。子爵令嬢から宰相家長男への礼。


「ご不快をおかけしております」


それしか言えなかった。


子爵令嬢が宰相家長男に意見できる立場ではない。身分が違う。格が違う。クラウスの言葉がどれほど不当であっても、この廊下で私が反論することは、社会の秩序を無視する行為になる。


「兄上」


ギルベルトの声が変わった。穏やかさが消えていた。


「彼女は部外者ではない。僕が信頼している人だ」


廊下の空気が凍った。


ギルベルトの目がまっすぐクラウスを見ていた。学園時代、脅迫メモを見つけたときの目に似ていた。静かだが、引かない目。


「信頼?」


クラウスの眉が、わずかに動いた。


「お前がどう思おうと自由だが、宰相家の人間として言っておく。子爵家の令嬢が宰相府に出入りしている。それだけで、社交界では十分な噂になる。母上の再審に水を差すつもりか」


「再審に水を差しているのは、兄上の方だ」


ギルベルトの声が鋭くなった。


クラウスの目が細くなった。兄弟の間に、亀裂が入る音が聞こえたような気がした。


「ギルベルト様」


私は口を開いた。


二人が同時にこちらを見た。


「あなたのご家族の問題を、私のせいで悪化させたくありません」


それは本心だった。ギルベルトが兄と対立している。その原因が私であることは明白だ。宰相家の兄弟関係を壊してまで、私がここにいる理由があるのか。


ギルベルトが首を振った。


「君のせいではない」


「しかし——」


「君のせいではない」


二度、同じ言葉を繰り返した。静かだったが、絶対に譲らない声だった。


クラウスはそれ以上何も言わなかった。私を一瞥し、ギルベルトを一瞥し、踵を返して廊下を去った。


足音が遠ざかっていく。規則正しく、硬い足音だった。


書庫に入った。


ギルベルトは何も言わなかった。私も何も言わなかった。書類を広げ、作業を再開した。だが、さっきの廊下の空気がまだ消えていなかった。


弟を惑わせないでいただきたい。


クラウスの言葉が、耳に残っていた。


惑わせている。私がいることで、ギルベルトは兄と対立し、宰相家の中での立場が悪くなっている。それは事実だ。


書類を整理する手は止めなかった。手を動かしている間は、余計なことを考えずに済む。通し番号を確認し、日付順に並べ、書式に転記する。


ギルベルトが書架の前で立ち止まっていた。書類を手にしたまま、動かない。


何かを考えている。


クラウスとのやり取り。兄が宰相に何を報告するか。それが再審にどう影響するか。政治的な計算を、今この瞬間にも走らせているのだろう。


「ギルベルト様」


「はい」


「作業を続けましょう」


「……ええ」


声が、少し遠かった。ここにいるのに、遠い。


学園の図書室では、こんなことはなかった。二人で書類を並べ、時系列を突き合わせ、気がつけば日が暮れていた。あの頃は、宰相家も兄も関係なかった。


ここは宰相府だ。


二人の間にあるのは書類だけではない。家門と身分と、兄の影がある。


宰相府を出る頃には、日が傾いていた。


正門を出たところで、見覚えのある馬車が停まっているのに気づいた。ベルクハルト伯爵家の紋章。


馬車から降りてきたのは、エレーヌ・ベルクハルトだった。


栗色の髪を控えめにまとめた伯爵令嬢は、学園を卒業してからやや頬がふっくらとしていた。弟の治療が安定して、食事がまともに摂れるようになったのだろう。


「ロゼリアさん」


エレーヌの声は、学園時代と変わらなかった。穏やかで、少しだけ控えめで、けれど芯がある声。


「エレーヌ様。どうしてこちらに」


「あなたに会いに来ました。子爵家のお屋敷にお伺いしたら、宰相府にいらっしゃると聞いたので」


子爵家の屋敷に来た。わざわざ。


エレーヌが私の前に立った。背筋が伸びていた。学園の閉架書庫で、怯えた目で薬学書を読んでいた頃とは違う。


「弟の治療経過が安定しました。先月、治療院の先生から、日常生活に支障がない状態まで回復したと」


「よかった」


心からそう思った。エレーヌの弟。マリアンヌの脅迫によって安全が脅かされ、学園時代に五人で移送を実行した。あの夜のことは忘れていない。


「ロゼリアさん」


エレーヌの目が、まっすぐ私を見た。


「あなたに恩を返したい」


「恩など——」


「あります」


遮られた。エレーヌの声は穏やかだったが、有無を言わせなかった。カティアの「断ることは許しません」とは違う種類の強さだった。静かで、深くて、折れない。


「再審に必要なら、わたしが証言者として動きます。神殿での脅迫の経験があります。神殿内部の手続きも、ある程度は分かります」


エレーヌは学園時代、マリアンヌの側にいることを強いられた。神殿の内部事情に、望まない形で詳しくなった。その知識が、今は武器になる。


「保守派の司祭がいると聞いています。記録庫の管理司祭が非協力的だと」


どこでその情報を。


「カティアさんから聞きました。あの方は情報が早いですから」


カティアの情報網。公爵家の人脈は、社交界だけでなく政務にも及ぶ。


「わたしは神殿法廷に証言者として出廷した経験があります。脅迫の事実を証言しました。その際に、神殿内部の手続き——証拠の保全手続きや、記録の正式な持ち出し方を学びました」


エレーヌが一歩近づいた。


「保守派の司祭が文書の持ち出しに難色を示すなら、手続き上の根拠を突きつければいい。わたしには、その根拠を作れます」


私は黙って聞いていた。


「一人で抱え込まなくていいんですよ」


その言葉に、息が詰まった。


学園の閉架書庫で、エレーヌが初めて本を借りに来た日を思い出した。怯えた目で、薬学書を胸に抱えていた。あのとき、私は何も言わなかった。ただ、書庫に薬学書を増やしただけだ。


そして今、エレーヌがここにいる。


恩を返したい、と言っている。


かつて私がエレーヌにしたことを、エレーヌが私に返そうとしている。


「エレーヌ様」


「はい」


「ありがとうございます」


それだけ言った。それ以上は、声にならなかった。


エレーヌが帰った後、宰相府の前の通りに一人で立った。


夕暮れの王都。石畳が橙色に染まっている。何度目かの、同じ色だった。


今日、二つのことがあった。


一つは、クラウスの壁。宰相家の長男が、私を部外者と呼び、弟を惑わせるなと言った。ギルベルトは反論した。兄弟の間に亀裂が入った。


もう一つは、エレーヌの手。証言者として動く、と申し出てくれた。神殿内部の手続き知識が、保守派司祭の妨害を突破する助けになる。


壁と手。


宰相家の中からは排除の力が働き、友人たちからは支える手が差し伸べられる。


ギルベルトは「君のせいではない」と言った。


そうかもしれない。でも、私がいなければクラウスとギルベルトは対立しなかった。それも事実だ。


友人たちに支えられている。カティアが茶会で守ってくれた。ヴィオラが引き留めてくれた。エレーヌが手を差し伸べてくれた。


でも、ギルベルトは。


彼は家族と私の間で引き裂かれている。兄に反論し、父の沈黙に耐え、それでも私を書庫に招き続けている。


その重さを、私は彼に背負わせている。


背負わせたくてそうしているわけではない。でも、結果としてそうなっている。


馬車に乗った。


窓の外を流れる夕暮れの街並みを見ながら、考えた。


引くべきか。


宰相府に通うのをやめれば、クラウスの不満は収まる。ギルベルトが家族と対立する理由がなくなる。再審の書類整理は、ギルベルトが一人でもできる。私の手順書があれば。


でも。


エレーヌの言葉が耳に残っていた。


一人で抱え込まなくていい。


それは、私に向けられた言葉であると同時に、かつて私がエレーヌに示したことでもあった。閉架書庫に薬学書を並べたとき、私は無言でそう伝えたのだ。一人で抱え込まなくていい、と。


引けない。


エレーヌが来てくれた。カティアとヴィオラがいてくれる。私は一人ではない。


なら、ギルベルトも一人にしてはいけない。


彼が家族との間で引き裂かれているなら、せめて再審の仕事で支える。書類を整理し、証拠を揃え、手続きを固める。それが私にできることだ。


壁は高い。


でも、手を伸ばしてくれる人がいる。


馬車が子爵家の門を潜った。鞄の中の書類と、エレーヌの言葉を抱えて、私は馬車を降りた。


明日、エレーヌと連絡を取る。神殿の手続きについて、詳しく聞かなければならない。保守派の司祭が文書の持ち出しに難色を示すなら、その前に手を打つ必要がある。


やることは、まだある。

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説明が足りんのか子爵令嬢って見下してるのか知らんけどクラウス宰相家の長男として大丈夫か? 令嬢の情報調べれてないのは致命的やで 自分は今までなんも出来なかった無能なのに 聖女というか聖女勢力によって母…
なんかちょっと主人公自分に酔いすぎててクドいわぁ…
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