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スラム街のエルフ~最強の少年に拾われ幸せになる~  作者: ツナマヨ


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1/3

泥濘(ぬかるみ)の底、遠い陽だまり

本作を見つけていただきありがとうございます。


この物語は、よくある異世界ストーリーです。

スラム街で絶望していたエルフの女性が、冒険者の少年に拾われ、温かいご飯と家族の愛に包まれて「幸せ」を手に入れるまでの物語です。

目が覚めた瞬間、最初に感じるのは「寒さ」だ。 それも、ただ肌寒いなんて生易しいもんじゃない。骨の髄まで凍りつかせるような、鋭利な刃物みたいな冷気。 壁板の隙間から容赦なく入り込んでくる風が、私の頬を叩く。 うっすらと目を開けると、そこには見飽きた灰色の天井。カビと埃がこびりついた、いまにも落ちてきそうな板きれが、今の私の世界のすべてだ。


「……んぅ」


腕の中で、小さな重みが身じろぎをした。 ティアだ。 私の唯一の宝物。 この子の体温だけが、ここが地獄の底じゃなくて、まだ現世なんだってことを教えてくれる。 慌てて、掛けていたボロボロの毛布――いや、毛布なんて呼べる代物じゃないな。ズタ袋を縫い合わせただけの布切れを、ティアの肩まで引き上げる。 私の肩は丸出しになるけど、そんなことはどうでもいい。 この小さな命が冷えてしまうことのほうが、自分の指先が凍傷になるより何倍も怖いから。


「よし……起きなきゃ」


口の中で小さく呟いて、重たい体を起こす。 お腹が鳴った。 胃袋が空っぽすぎて、キリキリと痛む。まるで胃液が自分自身を消化し始めているみたいな、嫌な感覚。 昨日の夜、私が食べたのは腐りかけのリンゴ半分だけだったっけ。 でも、ティアには少しだけどパン粥を食べさせられたし、なんとかなる。 なんとかなる、そう自分に言い聞かせないと、足がすくんで動けなくなりそうだった。


薄暗い小屋の中を見回す。 家具なんて何もない。 拾ってきた木箱をひっくり返したテーブルと、今寝ていたわらのベッドだけ。 床は土がむき出しで、雨が降れば泥沼になる。 これが、私たち親子の家。 笑っちゃう。かつては森の民として誇り高く生きていたエルフの成れの果てが、これなんだから。


ティアを背負い紐で背中にくくりつける。 まだ眠っているのか、ふにゃふにゃしてて温かい。この背中の重みがある限り、私はまだ倒れるわけにはいかない。 小屋の扉――蝶番ちょうつがいが壊れかけた板――を押し開けると、スラム特有の臭いが鼻をついた。 汚水と、腐った生ゴミと、何かが焦げたような臭いが混ざり合った、鼻の奥にへばりつくような悪臭。 でも、不思議と慣れてしまっている自分がいて、それがまた惨めだった。


外はまだ薄暗い。 空の色は、青というよりは汚れたドブ川みたいな鈍い色をしている。 足元に転がる石ころやゴミを避けながら、私は川へと向かった。 川といっても、街外れを流れる用水路みたいなものだけど、私たちにとっては貴重な水場だ。 早朝のこの時間なら、まだ誰もいない。 他の住人に見られるのは嫌だった。 特に、娘の汚れた布おむつを洗っているところなんて、誰にも見られたくない。 プライドなんてとっくに捨てたつもりだったけど、心の底にはまだ、厄介な見栄の欠片が残っているのかもしれない。


川岸に着くと、躊躇ためらうことなく水に手を突っ込む。


「っ……!」


声にならない悲鳴が漏れた。 冷たい。 冷たいを通り越して、痛い。 まるで無数の針で指先を一斉に刺されたみたいな激痛が走る。 それでも、私は手を休めない。 ティアの汚れた布を、川石にこすりつけてゴシゴシと洗う。 赤茶色い汚れが水に溶けて流れていくのを見つめながら、無心で手を動かす。 そうしていないと、涙が出てきそうだったから。 なんで私、こんなところにいるんだろう。 なんでティアに、こんな思いをさせなきゃいけないんだろう。


「ごめんね……ごめんね、ティア」


かじかんで感覚のなくなった指先を見つめながら、謝罪の言葉が口をついて出る。 謝って済む話じゃないのは分かってる。 でも、謝ることしかできない自分への苛立ちが、胸の中で黒い渦になってグルグルと回る。 洗い終わった布を絞る手には、もう力がほとんど入らなかった。 真っ赤に腫れあがった指関節が、ひどく醜い。 美しい白魚のような手だね、なんて昔言われたこともあった気がするけど、今のこの手は、老婆みたいに荒れてガサガサだ。


「さてと……次はご飯だ」


濡れた布をカゴに入れて、私は立ち上がった。 ふらりと視界が揺れる。 貧血かな。最近、立ちくらみが多い。 栄養が足りてないのは明白だ。でも、倒れてる暇なんてない。 日が昇りきれば、街の人通りが増える。 そうなれば、残飯漁りは難しくなる。 人目につかないうちに、あそこへ行かなきゃ。


街の大通り裏にある、定食屋の裏口。 あそこの主人は少しだけ杜撰ずさんで、ゴミ箱の蓋をきっちり閉めないことがある。 そこが私の狙い目だ。 スラムから抜け出し、石畳の道へ出ないように、路地の影を縫うようにして進む。 まるでドブネズミだ。 コソコソと、人に見つからないように、壁沿いを這うように歩くエルフ。 物語に出てくる高貴なエルフとは大違い。


目的の場所にたどり着くと、幸運なことにゴミ箱の蓋が少しだけズレていた。 ラッキー、なんて思ってしまう自分が情けない。 周りをキョロキョロと見回す。 誰もいない。 よし。 私は音を立てないように、そっと蓋を持ち上げた。


うっ、と息が止まる。 強烈な生ゴミの臭気。 魚の内臓の腐った臭いと、酸っぱくなった野菜の臭いが混ざり合って、空っぽの胃袋を直接殴りつけてくる。 吐き気を催すけれど、それをぐっとこらえる。 ここで吐いたら、体力を持っていかれるだけだ。 必死で中身を物色する。 汚れたキャベツの外葉。魚の骨。誰かが食べ残した麺の塊。 ダメだ、こんなのティアには食べさせられない。 もっと、もっとマシなものはないの? 焦りで指が震える。 奥の方まで手を突っ込んで、何か柔らかいものに触れた。 引っ張り出してみると、それは半分ほどカビが生えたパンの塊だった。


「……あった」


小さく安堵の息を吐く。 カビの部分をちぎって捨てれば、中はまだ白い。 これなら、お湯でふやかしてパン粥にできる。 貴重なタンパク質源は見つからなかったけど、炭水化物が手に入っただけマシだ。 そのパンを大事そうにふところの布に包み込んだ時だった。


「――おい、そこで何してる!」


太い男の声が響いた。 心臓が口から飛び出るかと思った。 振り返る余裕なんてない。 私は脱兎だっとのごとく駆け出した。 背中でティアが「あうっ」と小さな声を上げる。 ごめん、ごめんね。揺らしてごめんね。 でも捕まるわけにはいかないの。 「汚い野良エルフが!」という罵声が背中に突き刺さる。 野良エルフ。 言い得て妙だね、なんて自嘲しながら、私は無我夢中で路地裏を走り抜けた。


息を切らして、大通りの裏手にある建物の陰に隠れる。 心臓が早鐘を打って、肺が焼けつくように熱い。 ゼーゼーと荒い息を吐きながら、へたり込む。 懐のパンは無事だった。 よかった。 これで今日は食いつなげる。


呼吸が落ち着いてくると、ふと向かい側の景色が目に入った。 建物の隙間から見える、大通りの一角。 そこには、ガラス張りの綺麗なカフェがあった。 朝日が差し込んで、店内はキラキラと輝いている。 そして、窓際の席に座っている客の姿に、私は釘付けになった。


長い金色の髪。 透き通るような白い肌。 耳の先が尖っている。 エルフだ。 私と同じ、エルフの女性。 でも、私とは何もかもが違っていた。 彼女が身につけているのは、刺繍が施された上質なローブ。 髪は艶やかで、丁寧に手入れされているのが遠目でもわかる。 テーブルの上には、湯気を立てる温かそうなスープと、焼きたてのクロワッサン。それに色とりどりのサラダ。 彼女は向かいに座っている人間の男性と、楽しそうに談笑している。 上品に口元を隠して笑うその仕草は、優雅そのものだった。


「…………」


私と、彼女。 同じ種族なのに。 ガラス一枚隔てた向こう側は、天国みたいに明るくて温かくて。 こっちは、ゴミ箱の臭いが染み付いたドブの中。 私は汚れた手で、カビの生えたパンを握りしめている。 彼女は銀のスプーンで、黄金色のスープを口に運んでいる。


なんで? どうして、こんなに違うの? 私が何をしたっていうの? ただ、ティアを産んで、一生懸命生きてるだけなのに。 なんで私だけ、こんな惨めな思いをしなきゃいけないの?


胸の奥から、ドロドロとしたどす黒い感情が湧き上がってくる。 羨ましい。 妬ましい。 あの場所が欲しい。 その温かいスープを、ティアに飲ませてあげたい。 あの柔らかそうなパンを、お腹いっぱい食べさせてあげたい。


ガラスに映る自分の姿が目に入った。 髪はボサボサで脂ぎって束になっている。 頬はこけて、目の下には濃いクマ。 服なんてツギハギだらけで、泥汚れがこびりついている。 まるで妖怪だ。 あんな綺麗なエルフを見た後だと、自分が同じ生き物だとは到底思えない。


「……っ」


惨めすぎて、涙も出ない。 ただ、喉の奥が熱くなって、胸が締め付けられるように痛いだけ。 私は逃げるように、その場を離れた。 もう見たくなかった。 あの幸せそうな光景を見ていると、自分がすり減ってなくなってしまいそうだったから。


スラムの小屋に戻った頃には、日はすっかり昇っていた。 小屋の中は相変わらず薄暗くて、冷え切っている。 でも、ここが私の居場所だ。 背中からティアを下ろして、藁のベッドに寝かせる。 ティアは目を覚ましていて、私を見てにこっと笑った。


「あー、うー」


天使だ。 この笑顔だけが、私の救い。 さっきのカフェで感じたドロドロした感情が、少しだけ浄化される気がする。


「お腹すいたよね。今、ご飯にするからね」


拾ってきたパンを取り出す。 端のカビている部分を丁寧にちぎって捨てる。 残った白い部分は、ほんの少ししか残らなかったけれど。 それをボロボロの木椀に入れて、昨日汲んでおいた水を少し足す。 魔法なんて高尚なものは使えないから、火打ち石で火をおこして、少しだけ温める。 とろとろになったパン粥を、指ですくってティアの口に運ぶ。


「はい、あーん」


ティアは小さな口を開けて、それをパクっと食べた。 嬉しそうにモグモグしている。 美味しいのかな。 味なんてほとんどしないだろうに。 カビの臭いが残ってないか心配だけど、これしかないんだ。 ごめんね。


ティアが一口食べるたびに、私の胸は痛む。 こんなものしか食べさせてあげられない無力感。 もっと栄養のあるものをあげたい。 ミルクだって、もう出なくなってしまった。 私の体が痩せすぎて、枯れてしまったから。


ティアが食べ終わると、残ったパンの耳や、削り取ったカビていない部分を私が食べる。 硬くて、少し酸っぱい味がする。 でも、贅沢は言ってられない。 これを食べないと、母乳は出なくても、私の体力が持たない。 口の中の水分を全部持っていかれるようなパサパサのパンを、水で無理やり流し込む。 喉を通る時の、あの異物感がたまらなく嫌いだ。


食事を終えると、どっと疲れが出た。 まだ朝なのに、もう一日が終わったかのような疲労感。 ティアを抱き寄せて、横になる。 この子の体温を感じていないと、不安で押しつぶされそうになる。


「ティア……幸せにするからね」


誰に言うでもなく、呟く。 それは、自分自身への誓いであり、呪いみたいなものだ。 この子を幸せにする。 そのためなら、何だってする。 泥水をすすっても、ゴミを漁っても、どんなに人からさげすまれても。 この子の笑顔を守るためなら、私は鬼にだって悪魔にだってなれる。


……なれるはずなんだけどな。


ふと、自分の腕を見る。 骨と皮ばかりの、細い腕。 こんな腕で、あの子を守りきれるのかな。 いつか、力尽きてしまうんじゃないか。 そんな恐怖が、いつも背中に張り付いている。 もし私が倒れたら、ティアはどうなる? このスラムで、赤ん坊一人で生きていけるわけがない。 考えたくもない結末が、脳裏をよぎる。


「……大丈夫、大丈夫」


首を振って、悪い想像を追い払う。 ティアの柔らかい髪を撫でる。 金色の、私に似た髪。 この子が大きくなる頃には、ここを出ていたい。 綺麗な服を着せて、美味しいものを食べさせて、普通の女の子としての幸せを与えてあげたい。 あのカフェにいたエルフみたいに。


今はまだ、泥沼の底でもがいているだけだけど。 いつかきっと、陽の当たる場所へ。 そう信じていないと、心が壊れてしまいそうだった。


天井の板の隙間から、一筋の光が差し込んでくる。 埃が舞っているのが見える。 その光はあまりにも遠くて、手を伸ばしても届きそうにない。 でも、諦めるわけにはいかないんだ。 私には、ティアがいるから。 この小さくて温かい命が、私を母親でいさせてくれる限り。


私はティアを強く抱きしめ直して、冷たい床の上で浅い眠りについた。 夢の中だけは、お腹いっぱい食べられますように、と祈りながら。

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