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第2話 目的の無い日々

雨が降り出した。ベランダの手すりに当たって雨粒が奏でる音には、文明崩壊以前なら気づかなかっただろう。それは単に音が小さかっただけというわけではない。常に目標に駆り立てられ、目標達成にかかわるもの以外は不要という価値観が、文明崩壊直前には確かにあった。日本全土に広がりかけていた。もはや誰のためかわからないような技術の発展をひたすら推進するために、その下僕となることこそ至上という価値観。その苛烈な価値観に、僕と彼女は馴染むことができなかった。

「缶詰を探しに行こう。」

まどろみかけていた僕を、彼女が起こす。

「たまにはコーンビーフ?とかさ、食べてみたいわけ。」

基本的に、生活が全て惰性だ。何かを成し遂げる必要もないし、成果を見せる人も、もういない。ベランダで小規模な家庭栽培はしているが、大したものではない。基本的に食事は缶詰が中心だ。食べられればなんでも良い。彼女は味にこだわっているが、缶詰な時点で五十歩百歩である。


「行くの?」

僕は窓の外を見た。雨は強くなっている。

「行かないと、在庫が尽きる。」

藍は既にジャケットを羽織っていた。彼女の言う通りだ。先週見つけた缶詰の山も、もう残り少ない。この廃墟と化した街で、まだ手つかずの食料庫を見つけるのは年々難しくなっている。


僕たちは防水性の高いコートを着て、外に出た。冷たい雨が顔を打つ。気温は恐らく氷点下だ。息が白い。


かつてのコンビニエンスストアの残骸を通り過ぎる。ここはもう三ヶ月前に漁った。棚は空っぽで、床には踏み荒らされたパッケージが散乱している。僕たち以外にも、この街に残っている人間がいるのだろう。でも会うことはない。皆、互いを避けている。


「あそこ。」

藍が指差したのは、半分崩れかけたオフィスビルだった。一階部分に、小さなコンビニが入っていたのを僕たちは知っている。ただ、入り口が瓦礫で塞がれていて、これまで手を出せなかった。


「入れるの?」

「裏口があったはず。昔、よくこのビルで働いてる人が煙草吸いに出てきてたから。」


藍の記憶力には時々驚かされる。彼女は文明崩壊前のこの街の景色を、妙なほど詳細に覚えている。僕は既にぼんやりとしか思い出せない。


裏路地に回ると、確かに金属製のドアがあった。錆びついているが、二人で力を合わせれば開きそうだ。


「せーの。」


ギィ、と嫌な音を立てて、ドアが開いた。中は暗い。懐中電灯の光を頼りに、埃っぽい廊下を進む。かつてはここを人々が忙しなく行き交っていたのだろう。今は静寂だけがある。


コンビニの裏口に辿り着く。カウンターの向こう側、従業員用のスペースだ。倉庫への扉が見える。


「ビンゴ。」

藍が小さく呟いた。


倉庫の中には、段ボール箱が積まれていた。いくつかは既に崩れ、中身が床に散乱している。でも、まだ無事な箱もある。


僕たちは無言で箱を開けていく。カップ麺、缶詰、レトルトカレー。賞味期限は全て切れている。それでも、密封されていれば大抵は食べられる。文明崩壊後、そういう常識は意味を失った。


「あった。」

藍が缶詰を掲げた。コーンビーフだ。

「良かったね。」

「うん。」


彼女は珍しく、少し笑った。その表情は懐中電灯の光で半分だけ照らされていて、まるで古い映画のワンシーンのようだった。


僕たちは持てるだけの食料を詰め込んだバッグを背負って、来た道を戻る。雨は止んでいた。代わりに、空から細かい雪が降り始めていた。


「冬が来るね。」藍が言った。

「もう冬だよ。」

「もっと冬、ってこと。」


アパートに戻ると、僕たちは濡れた服を脱いで、ストーブの前に座った。藍はさっそく、コーンビーフの缶を開けている。


「これ、昔は嫌いだったんだ。」彼女が言った。

「なんで?」

「脂っこいから。カロリー高いし。」


そういえば、文明崩壊前は誰もがカロリーを気にしていた。太ることは悪であり、スリムであることが美徳だった。今は逆だ。カロリーは生存そのものだ。


「今は?」僕が聞く。

「今は……わからない。でも、選択肢があるってだけで、少しだけ人間らしい気がする。」


藍はコーンビーフを小さなフォークで崩しながら、そう言った。


窓の外では、雪が静かに降り積もり始めていた。この街を、ゆっくりと白く塗り替えていく。まるで、全てをリセットするかのように。


でも僕たちは知っている。雪が溶けても、元には戻らない。終わったものは、終わったままなのだ。


「明日は何する?」藍が聞いた。

「何もしない。」

「そっか。じゃあ、何もしないね。」


それが、僕たちの日常だった。目的のない日々。

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