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蛇神の末裔  作者: 霜月ニ條
第三章 戦いの中で
10/10

ニ 風と火と




(いきなり何だってんだ?)

一人取り残された形のオルレスは、あまりに突然起こった事態に途方に暮れていた。

 とりあえず、敵らしい人物が乗った馬を二頭やり過ごし、街道に戻ってみれば、前方を走っていたはずの仲間はいない。再度の襲撃を受けたのか、それを避けるために森へ入ったのか、それすらも解らない。とりあえずできるのは、濃密な血臭が漂う街道でただ立ち尽くすだけだ。

 オルレスは、ふうっと息を吐き出し頭を掻いた。いつの間にかラスティのくせが移ったらしい。それに気づいたのか、舌打ちすると

「やってられねえぜ」

と声に出してぐちを言った。

 街道をよく見れば、月光に照らし出された馬の足と頭が点々と道に転がっている。

(酷い事しやがるもんだ)

残酷さに眉をひそめながら、オルレスは森へ入った。

 森の中は想像以上に暗い。下草が長く生い茂っているのも手伝って、中々前へ進めない。奥へ行くに従って歩きやすくなったのはいいが、今度は方角がわからなくなってしまった。

(参ったな。これじゃ、アルティナを捜し出して守るどころの話じゃねえぞ)

上を見てもわずかに月のかけらが目に入るだけだ。

(ここにも北極星だとか、北斗七星とかあるのかな)

それを知らないから、方角がわからない。ラスティがいる時は彼が連れて行ってくれたし、ティセナといる時はひたすら川の側を歩けばよかったから、今まで必要がなかったのだ。

(やれやれ……)

街道に戻っても、再び襲われてはどうしようもない。命あっての物種である。

 とりあえず、ほぼ直線上を前進してきたはずだから、と右を向いた。

(こっちに村があるはずだ)

おそろしく大雑把な方向の把握の仕方をして、オルレスは歩きだした。

 木漏れ日のように月光が差し込む森、というのは不気味さと幻想が入り乱れた美しさがある。

 その中を辺り構わず、ずんずん歩いていくと、ふいにオルレスは軽い頭痛を覚えた。

(アルティナが魔法を使ってるのか?)

どういう理由かは知らないが、どうやらアルティナが魔法を使う時に頭痛が起こるらしい、とオルレスは思っている。出会った時の様子が様子だけに焦りが募る。

(だーっ。本当にこっちであってるんだろうな)

確認のしようがないから、一層焦る。がむしゃらに行軍を続ける内に、オルレスは倒れている人影を見つけた。

(まさか、アルティナか)

駆け寄ってみると、全然違う。乱れた長い金髪の華奢な人物だ。どうやら気を失っているらしい。全身傷だらけだ。整った顔立ちをしているが、そのすぐ側には、血のついた斧が転がっている。

(こいつが、俺達を襲った犯人か?)

「う……」

かすかなうめき声が聞こえた。身構えてなおも観察していると、ゆっくりと上体を起こした。軽く頭を振って、こちらを向いた。宝石のような紫の瞳だ。

「え……エルト?」

聞き覚えのある名前にオルレスはカチンときた。

「誰がエルトだよ。俺はオルレスっていうんだ。間違えてんじゃねえ」

いきなり喧嘩腰である。

「ああ、そうね、確かに違う。その髪、アルティナの仲間で最初に落馬した馬鹿と同じだもんね」

「やっぱり、お前が犯人か」

憮然とした表情になる。相手が手負いでなければ即戦闘だが、これ程の深手では、戦う気にはなれない。

「名前は?」

「リセール。シャマイラ=リセール」

「シャマイラ……風の守護家か」

「僕を殺さないの?今なら、確実に殺れるわよ」

「怪我人相手に喧嘩するのは、趣味じゃねえ」

「ふんっ。あの子と一緒。甘いわね」

「あの子って、アルティナか?」

「そう」

そこまで会話をしてから、オルレスはしみじみとリセールを観察し直した。声の低さはどう聞いても男のものだ。だが、先程からひっかかっているしゃべり口調は女である。

「あのさ、変な事聞くけどよ。お前、男だよな?」

「変態って言いたいんでしょ。いいわよ、慣れてるから」

「この世界にもオカマっているのか……」

これは元いた世界での言葉、ようするに日本語で呟いた。さすがに“オカマ”という言葉は習っていないからだ。

「何言ってるの?」

「いや、独り言。質問、その二。アルティナはどこへ行った?」

「さあ。ティモールが追い詰めていたみたいだけど、どうなった事か。あれでもヒュドルト家の当主よ、簡単には殺られないと思うけど」

助かっていて欲しそうなその言い方に、オルレスは

「どっちの味方なんだ?」

と尋ねた。

「アルティナは嫌いよ。僕がなりたい女の子そのものだから」

「ひねた思考回路してやがるぜ」

「そうなるのよ、どうしても。僕が女の子だったら、もう少し素直な友達になれたんでしょうけどね」

「はあ。そんなもんですか」

「そんなもんよ」

リセールは、話疲れたのか、静かに目を閉じた。

「大丈夫か?」

「死にはしないわ。“衛人”がいるから」

「ふうん……ま、次に会ったら手加減なしで戦わせてもらう。今日の所は、何もなしだ」

オルレスはそう言い置いて、再び森の中を走りだした。

 走りだしたといっても、樹木の合間を縫うように、前方を見つめながらだから速度は遅い。しばらく行くと、いきなり上から人が降ってきた。

「どわあっ」

思わずたたらを踏む。

「危ねえなっ」

とりあえず文句を言ってから、丁度月光が射す位置に降り立ったその人物を見た。

(これはまた、派手なやろうだな……)

オルレスはまず最初にそう思った。

 燃え盛る紅蓮の炎のような緋色の髪に貴石の輝きそのもののような金の瞳。貴公子然とした雰囲気はどこかアルティナと共通するものを感じさせる。目元が自分に似ているような気もするが、親近感は湧かない。相手の方が整っていて、大人びた美形だというのも手伝ってか、オルレスは本能的に反発したくなった。

「いきなり上から降ってきやがって、危ねえじゃねえか」

「失礼。こんな夜更けに人間が森をうろついているとは思わなかったんだ。しかし、どれほど腕に覚えがあるのか知らないが、あまり感心しないな。早く家へ帰りたまえ」

この言い方もオルレスの気に食わない。

「えらそうな口叩くなってんだ。急ぎの用がなけりゃ、ここでぶちのめしてやるんだがな」

「随分な自信だ」

すっと唇が微笑を刻む。明らかにばかにした微笑だ。オルレスは切れる寸前である。

(落ち着け。こいつは見た所は弱そうだが、多分、姉さんより強い。こんなのとまともにやり合ってたら、アルティナ助けてるヒマがなくなる……)

懸命に自分に言い聞かせ、

「お前、名前は?」

「先に君が名乗りたまえ。それが礼儀だろう」

「オルレス」

「オルレス?ほお、おもしろい名前だ。君の名付け親は古代語に造詣が深い人らしいね。俺は、エルト。君も名乗ってないんだ、姓は勘弁してもらえるかな?」

「エルトだとおっ。お前、死んだんじゃなかったのかよっ」

オルレスの叫びがもたらした効果は大きい。少年-エルトは目を細め、およそ友好的とは言えない目付きになった。

「どういう意味かな?」

「冗談じゃねえ。一体、何がどうなってるってんだよ」

「君は、何を知ってるんだ?」

「どこで話が縺れてるんだ?誰が敵で誰が味方なのか、これじゃ解らねえじゃねえか」

まるで会話がかみ合っていない。

「おい、オルレスっ」

「人をいきなり呼び捨てにするなっ」

ようやくオルレスとエルトの目が合った。

「エルトが死んだとは、どういう意味だ?」

「どういう意味も何もねえ。俺はそうアルティナから聞いたんだ」

「アルティナだと?貴様、彼女を知ってるのか?」

「ああ。今、これ以上お前に詳しい事話してるヒマはねえんだ。彼女を助けに行く途中ななんでな」

言うなり、オルレスは再び駆け出した

「おい、待てよっ」

すぐにエルトも追いかける。

「ティーに何があったんだ?」

「ティー?」

「あ、失礼。アルティナに何があったんだ?」

「お前に言う義理なんてねえよ」

「俺が彼女の婚約者でも?」

あまりの衝撃に、オルレスがひっくり返りそうになる。

「嘘つけっ。彼女、お前の事はただの友達だって言ってたぞ」

「いずれ、そうなるさ。俺はアゴル家の後継者だ。儀式で彼女に当たる可能性は高い」

「儀式?」

問い返したオルレスにエルトは何の言質も与えない。ただ、

「そこまで守護家に詳しいわけではないのか。安心したよ」

と言った。

(かーっ。やな野郎だぜ)

顔をしかめながら、それでも速度は落とさずに走る。ズキン、と再びオルレスの頭に衝撃が走った。

(まずっ)

先程よりも大きな衝撃だ。さらに大きな術を使ったとみて間違いはない。ふいに立ち止まったオルレスに気づいたのか、

「どうした?」

とエルトが聞いた。

「急がなきゃならねえってのに、ったく。お前も魔法使えるんだろう?この邪魔な草、何とかならねえのかよ」

「何とかしよう。どの方向だ?」

「真っすぐでいい」

「よし」

詳しい事は何も聞かず、エルトは右手を引いた。見る間にその手の掌にほの赤い光球が浮かぶ。

「炎蛇光」

突き出した掌から一直線に炎が走り、草を焼き尽くす。丁度二人が並んで走れる程度の幅で、その延焼は完璧に止まっていた。

「すげー」

「何をぼんやりしている。急ぐんじゃなかったのか?」

「抜け駆けしないのかよ?」

「ライバルになれると思ってるのか?」

言い方はあっさりとしているが、内容はかなりシビアだ。エルトも相当の自信家であるらしい。

(やな奴だな)

二人の少年は、それでも彼らの守るべき少女の元へ走った。

 ふいに二人の眼前が開けた。樹木の向こうの広場になっている所で、誰かが赤い髪の女に襲われ、剣で止めを刺されかけている。

「な、ティモール……」

エルトが呆然とした声を上げた。

「これはまた、過激な場面に出くわしたもんだ」

オルレスはどうやらイフェ婆さんの影響も受けているようだ。

「呑気な事言うな」

睨みつけるエルトの目は、真剣そのものである。

「待ってくれっ」

大声を上げ、エルトは樹木の間から飛び出した。

「エルトっ」

アルティナの声がした。

「邪魔するんじゃないよっ」

ティセナは目をティモールから逸らさずに言った。

「頼む。今はこいつの命を俺に預けてくれ。二度と言わない。一度だけ、助けてやってくれ」

「お黙りっ。こいつを殺らなきゃ私の名前に傷がつくのよ」

「ティー、頼むっ」

「頼むって……。エルト……」

アルティナはどうやらまだ頭が混乱しているらしい。困惑しきったその表情に、傍観を決め込んでいたオルレスは事態に口を出す事にした。

「姉さん。最初アルティナと会った時、俺達もこいつと同じ事を言って、彼女に顔を立ててもらった。今度は、俺達がこいつの顔を立ててやってもいいんじゃねえの?」

「いいの?こいつは、お姫様をさんざん嬲った野郎だよ?」

「殺るだけなら、いつでもできる。リセールってこいつの主もそう思って放ったらかしてきた。とりあえず、主従揃って負け犬の気持ちを分け合ってもらいましょうや」

「あんたが納得したのなら、今回は私も押さえましょう。預かりものとはいえ、一応私の主だからね、あんたは」

ティセナは剣を引き、ティモールの上から退いた。が余程腹に据えかねるものがあったのか、爪先で思い切りティモールの顎を蹴りあげた。

「あーあ」

オルレスが呆れたような、同情交じりの声を上げた。自分も似たような事をしたくせに、他人がした事を見ると、人間惨く感じるらしい。エルトもオルレスと同じような表情をしていたが、すぐに厳しい顔付きに戻り、

「ティモール。リセールに伝えろ。もう二度とアルティナには手を出すなとな」

と命じた。

「エルト様。あくまでも、アルティナ様に肩入れなさるおつもりですか?」

「もう、お前達“衛人”の指図は受けない。俺は、俺のためだけに生きる。さっさと失せるがいい」

よろよろと立ち上がり、乱れた金髪をふりながらティモールが去って行った。

「ごめんなさい、オルレス」

傷だらけのアルティナが弱々しい笑みを見せた。

「お前が謝る事じゃねえよ。それより、怪我は大丈夫なのか?」

「うん」

アルティナが素直に頷く。可愛いなあ、と病気が再び頭をもたげる。と、

「ティー」

と割り込んできた声があった。

「エルト……」

二人はじっと見つめ合ったまま、身動き一つしない。華やかな暖色系のエルトに優しく穏やかな青系のアルティナ。くやしい程、絵になる一対である。

「無事でいてくれて、よかったよ」

「ねえ、一体何が起こってるの?リセールは、本当に聖蛇を裏切って、クリネスとかいう奴の配下になってしまったの?クリネスの目的は何?」

「ティー、落ち着いて。ゆっくり話そう。こうして再会できたんだ、時間はある」

「エルト……」

エルトの手がそっとアルティナの肩に回る。アルティナはためらいを見せながらも、その手に身を委ねた。

(ちょっと待てっ)

こうなると収まらないのがオルレスだ。

「アルティナ。ヒューザーは、どうしたんだ?」

不本意ながら、ヒューザーの名前を出すのが一番効果的である。案の定、アルティナの視線がオルレスの方へ戻ってきた。

「わからないの。探している途中でティセナに会って、とりあえず次の村へ向かっていたら、リセールが現れたから……」

「あれは“衛人”だ。放っておいても、別に死にはしないさ」

「エルト、どうしたの?」

吐き捨てるように言ったエルトをアルティナは呆然と見つめた。

「ティー。“衛人”に頼りすぎちゃいけない。あれがいなくても、守護家の者なら十分生きていける。忘れる事だ」

「エルト……」

「自分の家の“衛人”を基準に他家の“衛人”を判断するのは、止せよ」

「何だと?」

エルトとオルレスの間で火花が散った。

「やめなさい、オルレス」

「姉さん」

大義そうに剣を引きずって、ティセナがちらりとエルトを見た。エルトと同じ緋色の髪を掻き上げ、

「言うだけ無駄よ。この子は私達の“衛人”ラスティを知らないんだから」

小馬鹿にしたような口調でティセナが言う。そして、明らかに挑発するように、エルトの金の瞳を見据えた。

「ラスティ、か。過去の記録でその名を見た記憶がある。たしか、ラントゥ家の“衛人”だったはず。出奔して行方不明だと聞いたが、なぜ知っている?」

「いずれわかるわ。ブルーレのご主人様」

「ブルーレも知っているのか?」

驚愕して叫んだエルトに、ティセナは自嘲気味の微笑を浮かべただけだ。そして、エルトとアルティナ、二人の視線を受けたオルレスも何も言わない。

「それより、エルト。お前、何のためにのこのこ出て来たんだ?せっかく拾った命だ、わざわざ喧嘩売りに出てくる事もないだろうが。それとも、アルティナを殺すつもりで来たのかよ」

「アルティナを守りに出てきたんだよ」

「え?」

名前を上げられたアルティナが、はっとしてエルトを見る。

「俺は、アルティナを愛してる。“好き”なんて、軽い言葉では足りないぐらいにな。だからさ」

はたで聞く三人の顔が一斉に赤くなった。言った本人だけが平然としている。

「お前、恥ずかしくないのか?」

「何が?」

エルトがしれっとした顔で言う。素面でこれだけストレートに告白できるエルトからほんの半歩距離を開けて、オルレスはティセナを見た。

「姉さん、どうする?」

「とりあえず、この先の村へ行きましょう。目的地は判ってるんだし、明日一日待てば、ヒューザーの事だもの、きっと追いついて来るでしょうよ」

「じゃあ、今夜はもう探さないの?」

「あのねえ、お姫様。他の守護家の連中が襲って来ないって保証はどこにもないのよ。まして森といえば魔物の領域。手負いのままで長居したくないの」

「ティー。怪我の手当が先だ。まず自分の体の事を考えないと。これから先、生き残ってはいけなくなる」

「でも……」

とアルティナの蒼い瞳にうっすらと涙が浮かぶ。これにオルレスは弱い。

「判った。俺が探してやるよ」

とアルティナの肩に手を置いた。そこへ、すかさずティセナの平手がオルレスの後頭部へ飛ぶ。

「ばか言ってんじゃないのっ」

「何でっ」

「私がまだまだ半人前のあんたを夜の森の中へ放ったらかしにできると思ってんの?何かあったら、ラスティに合わせる顔がないじゃない。もう少し考えて物を言いなさい」

「随分と過保護だな」

きびしい口調で叱り付けるティセナに、エルトが皮肉な微笑を浮かべた。それをちらりと見て、ティセナは鼻を鳴らした。

「どうとでも言いなさいな。この子とお姫様を無事にラスティと会わせる。それが、契約である以上、安全策を取るわ」

「俺が彼と同行する。それではだめか?」

「だめね。私はあんたを信用してないもの。まして、お姫様と二人きりになんてさせられない。オルレス、大人しく言う事を聞いてちょうだい。大体あんた、ヒューザーに何の貸し借りもないでしょう?こんなつまらない事で、お姫様のために命張るのはやめなさい」

「アルティナにとっちゃつまらない事じゃねえんだぞ。一人ぐらい、その事を考えやる奴がいったっていいじゃねえかっ」

「オルレス、ありがとう。もう、いいよ。ティセナの言う通り、村へ行く」

穏やかな声がした。

「アルティナ……。いいのか?ヒューザーが心配なんだろう?」

「いいの」

アルティナはそっと首を振った。平気な顔をしているが、ティセナの傷がかなりの深手である事は明白である。全員、休息が必要な状態だ。

「ティセナ、ごめんなさい」

「わかってくれれば、いいの」

ティセナの手がアルティナの髪を軽く撫でた。

「このまま、真っすぐに進めば村の横手に出るはずよ。いきましょう」

ティセナの号令で四人は黙々と歩き出した。



全身で息をつきながら、ティモールは自分の主、リセールの元へ急いでいた。エルトがいる以上、他の連中が後を追ってくることはない。分かっていながら、振り返らずにはいられない。黒髪の少年が言った、負け犬の惨めさを噛み締めていた。これ程の屈辱をこの平和な時代に味わうはめになるとは、予想外であった。

「ちっ。何者だ、あの女」

ティモールの脳裏にティセナの姿が浮かんだ。か細いからといって非力とは限らない。それは今の主を見て知っている。だが、女となると話は別だと思っていたのだ。思わず悪態が口をついた。

「えらく下品なまねをするようになりましたね、ティモール」

びくんと体が反応する。立ち止まり周囲を見回した。木陰から、月光の結晶のような銀の美貌が現れた。

「ヒューザー」

ティモールの視線に微笑を浮かべ、ゆっくりと歩み寄る。

「彼女も意外にやるものですね。ラスティに次ぐ猛者であったあなたと互角にやり合うとは。途中でアルティナ様の力を借りたとはいえ、大した女性ですよ」

「見ていたのか?」

「ええ」

「なぜ、止めなかった?」

「私が出て行った所で、何もできません。昔から、私は一番非力な者だったのですから」

「結界で守る事もできたはずだ」

「物理力を完全に封じるのは、無理ですよ」

「私を封じる事はできただろう?」

ヒューザーの口元に、曖昧にしようとする艶冶な微笑が浮かぶ。

「アルティナ様を見殺しにして、復活の呪文を使うつもりだったのか?」

何も答えない。

「お前でも、主を己の力で生かしたいという願望を持つ事があるとはな。それほど想いをかけているのか、あの小娘に」

ヒューザーの眉の根が寄った。遺憾の意をそれだけで表現しきっている。

「あの方を平気で小娘呼ばわりできる程、リセール様に肩入れしているのですか?」

「そうだ」

「あの歪みきった青年に、それほどの価値があると?」

「血の濁りがもたらした歪みだ。生まれるべき性別を違えただけのあの方を悪く言うのは、やめてもらおうっ」

ティモールの紫の瞳の中に怒気が揺らめく。それをさらっと受け流して、ヒューザーは更に艶やかな微笑をしてみせる。

「四人の“衛人”は、全員同時に生まれたわけではありません。言うなれば、兄弟のようなもの。私は、最初に生まれました。そして、あなたは三番目。生まれてすぐ、それぞれが授けられた秘法。その全てを知っているのは、最初に生まれた私だけ。そういう事のようですね……」

あくまでも静かに語るヒューザーの言葉に、ティモールは愕然とした。

「誰か、性を司る秘法を授けられた者がいるというのか?」

「そうです」

「何と……。ならば、クリネスなどの力に縋らなくても、あの方の望みを叶えて差し上げられたというのか……」

がっくりと項垂れ、膝をついたティモールの耳に

「昔なら、有事に備えて私達は常に連絡を取り合っていました。自らが仕える守護家の存続のために、皆で会合を持つ事もしばしば。長すぎた平和は、私達の世界を狭くしてしまったようですね……」

と淡々と語るヒューザーの声が響く。

「主を生き返らせるのは、その守護家の“衛人”のみの術。しかし、守護家の存続に関する秘術は、全守護家に対応できるものだと、あの時聖蛇は仰っしゃいました。それを忘却の彼方へ押しやってしまう程、私達は長い年月を生きて来た……。そういう事です」

ヒューザーが冷淡とも思える無表情さで見つめる中、ティモールの拳が地面を何度も叩いた。

「ん?」

ふとヒューザーの視線が右後方へ流れた。刹那、風の固まりが襲いかかってきた。ヒューザーを淡く青く光る球体が取り囲み、風がその周囲を掠めて行った。

「防御能力の高さは“衛人”一だって聞いてたけど、本当ね。大したものだわ」

「これはリセール様。お久しぶりでございます」

極上の笑みを浮かべたヒューザーに、リセールは唇を歪めた。

「ふん。相変わらず、腰は低くても口調は尊大ね」

「何故にクリネスなどという得体の知れない者に味方なさったのです?シャマイラ家の後継者ともあろう方が」

「あなたには解らない。そして、ティモールには解る理由でよ」

「それをティモールは後悔しているようですが?」

「そう」

リセールの弄えは簡単だ。静かな紫水晶のような瞳がヒューザーを見た。

「ティモールが後悔していようと、全ては始まってしまった。始まった以上、僕は僕が望む結末を迎えてみせる。その為に、戦うの。あなたやアルティナ。そして、多分……エルトと」

「リセール様……」

ティモールが驚きと哀れみがない交ざったような声を出した。

「彼が最も忌むべき術と言っていた“再生”の術。それを彼の意志に背いて、ブルーレに施させたのは、僕なのよ。彼がその僕を許してくれるわけがないじゃない」

「リセール様、それは一体?」

「僕も含めて、クリネスについた守護家の後継者は皆“生き死人”だって事よ」

この上なく皮肉な微笑がリセールを彩る。自嘲しているようにも見えるその微笑からティモールは目を逸らし、ヒューザーはそれを真っ向から受け止め微笑み返した。そして

「生き死人でも、生きていたいと望まれたのではないのですか?」

と問いかけた。

「そうね。確かに思ったわ。後悔はしてない。そうでもしなければ、僕はアルティナとは戦えないもの。だって僕、あの子が好きで、嫌いだから」

リセールの微笑が一点の曇りもない笑顔に変わる。

「あなたはもっと歪んだ方だと思っていましたよ」

ヒューザーの些かの遠慮もない言葉が飛ぶ。さすがに苦笑しながら、それでもリセールは明るさを失わない声で

「歪んでるわよ。でも、それが本当の自分なら、好きになってあげなきゃ可哀想でしょう?自分の歪みを自覚して、それが望む方向が見えた時、自分の為だけの人生が始まるわ。きっかけはそれぞれよ。僕の場合は、オロスの為にクリネスに対抗して落とした命をティモールに再び与えられた時に、始まったの。その人生を望むままに生きる為に、あなた達と戦う。本音を言わせてもらえば、裏切りだの何だの、そんな面倒な大義名分なんて、僕の中にはカケラもないわ」

と応じた。

「それが守護家として相応しい行為でなくても、ですか?」

「僕の為だけの人生だと言ったはずよ。守護家後継者リセールはもう死んだわ。名誉の戦死を遂げてね」

「あくまでも、アルティナ様に敵対なさると仰っしゃるのですね?」

「ええ。水の家系・ヒュドルト家当主アルティナではなく、一四歳の女の子であるアルティナにね」

ヒューザーの目がすっと細くなった。その端麗な顔にかすかな殺気が沸き起こる。

「今、アルティナ様を“後継者”ではなく“当主”と仰っしゃいましたね?では、ジェルミー様を倒されたのは、あなたですか?」

「いいえ。殺したのはビフォーレよ。現場にいて、止めなかったのは事実だけどね」

「なぜです?」

「彼女は血に酔いたかったの。それを邪魔するなんて、無粋な事じゃない」

「ティモール。これでも、この方をお守りする価値があると言うのですか?」

ヒューザーは、リセールから目を離さずティモールに問うた。

「ああ。この方の中を流れるシャマイラ家の血を守る事。そして、この方の願いを叶える事。それだけが、今の俺の生きがいだ」

「長すぎる年月は、我々“衛人”の心まで変えてしまうらしい……」

そう言うと、ヒューザーはリセール達に背を向けた。

「ヒューザーっ」

「ティモール。“衛人”としての誇りを忘れたあなたと、これ以上何を話し合っても時間の無駄というものでしょう。リセール様にしても同じ事。守護家に生まれた事から目を逸らし、そこから逃避した方ですからね。今、私を殺したければ殺しなさい。もっともあなた達では、到底できないでしょうが」

微笑の破片もない冷たい美貌がリセールとティモールを見つめ、姿を消した。

「ティモール」

「はい」

「ヒューザーは、この世で最初に生まれた“衛人”だって言ってたわよね?」

「確かそう申しておりました」

「彼の永遠は、他の誰の永遠よりも長い。その永遠を正気のまま生きている彼は、もしかしたら、最初から狂っているのかもしれないわね……」

「リセール様?」

リセールは軽く頭を振った。金の髪が優しく揺れる。その低い声さえなければ、十分に美女として通る中性的な美貌が、ティモールの目を奪う。

 狂気の狭間に立ちながら、現実をも見つめる紫の瞳の主の横で、ティモールはヒューザーに思いを馳せた。

 銀の髪に深みのあるサファイアブルーの瞳。“衛人”の中で最も美しく、最も冷静で忠誠心に溢れた存在。

(最初から、狂っているのかもしれないわね……)

ティモールの頭の中でリセールの言葉が蘇った。ヒューザーが消えた森を見つめ、

(ヒューザーよ。お前は考えた事はないのか?主を自分だけのものにしたいと。守るという行為は愛情に通じる。お前は、その想いの熱さに身を任せたいとは思わないのか?それとも、今、それを感じているのか……?)

そっと心でヒューザーに問いかける。溜息と共に、返答のない問いが、月光に散った。



今出来てるのはここまでになります。

こちらの次回更新は未定です。

霜月の次回更新につきましては、活動報告の方ご参照下さいm(_ _)m

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