350 転移前の世界 ⑦
何故ここにゲヘナデモクレスが!? 全く意味が分からない。
あまりの出来事に、俺は混乱した。もはや過去の世界の主要人物を、俺の知っている存在に差し替えられているのかと、そう疑ってしまうレベルである。
しかしもしも実際にこれが本当の出来事だとすれば、到底無視できることではない。
何故ならそれは、オーバーレボリューションにより誕生したゲヘナデモクレスとの出会いが、偶然ではなく必然だった可能性が出てくるからだ。
加えて文香の顔がジフレと似ていることにも、作為的なものを感じてしまう。
仮に全てが繋がっているのだとすれば、それを導いた存在がいるはずである。そしてそれが可能な存在など、限られてしまう。
色々と予想が出来るようになってきたが、実際どうなのかは分からない。この先に何が待っているのか、見届ける必要があるな。
それと同時に何となくこの過去の世界の終わりも近いと、そう直感的に感じている。過去の俺は、この場面をどうするのだろうか。どうにか乗り越えてほしいところだが、果たして……。
俺はそう考えるとこの状況がどのような結果をもたらすのか、黙って見届けることにした。
そうして中央付近でゲヘナデモクレスが暴れる中、過去の俺と文香が空間の端に辿り着く。
だがそこに出口は無く、どこまでも壁が続いていた。そう、この空間は四角形の部屋になっており、出口はどこにもない。周囲の人々も含めて、二人は閉じ込められていた。
おそらくだが、ゲヘナデモクレスを倒さないと出られないのだろう。いわゆる、ボス部屋のような感じだな。
「じ、仁、どうしよう! 出口がないよ!」
「くっ、どう考えてもあいつはヤバイ! 一目見て分かるが、俺たちに勝てる相手じゃない。幸い人がたくさんいるし、上位探索者もいるかもしれない。誰かが倒してくれるまで、隠れているしかないだろう」
「そ、そうね」
俺の知っているゲヘナデモクレスと比べるとかなり弱いが、それでも過去の俺にとっては強すぎる相手のようだった。
見た感じ、あのゲヘナデモクレスのランクは良くてAランクだろう。だが過去の俺の実力は、おそらくDランクくらいだ。文香とその配下と連携しても、最高でCランクという気がする。
流石にこの差を覆すのは、難しいと言わざるを得ない。過去の俺が他に強者がいることを願う気持ちも理解できる。
だがそれは、可能性の低い願望に過ぎない。過去の俺は知っているはずだ。上位探索者たちの大部分は、ダンジョンを既に出ているということを。情報収集の際に、それを聞いている。
実際ゲヘナデモクレスの周辺には、対等に戦っている者は皆無だった。大剣で無慈悲にも斬り捨てられている者たちばかりである。
人々は逃げ惑い、恐怖から叫び、現実逃避を始める者まで現れる始末だ。人の数が多いだけで、質があまりにも低い。
おそらく一致団結して挑んでも、返り討ちに遭う可能性の方が高いだろう。つまりこの戦いは、絶望的な状況なのである。
なので過去の俺の判断は、現状では単なる延命行為に過ぎなかった。
流石にこれは、不味い状況だな。もしかしてこのまま、過去の俺はやられてしまうのだろうか?
見ているだけというもどかしい現状に、俺は不安が込み上げてくる。
何かないのか? この状況を変える、スキルや魔道具を持っている者は?
するとそんな時だった。ゲヘナデモクレスに対して、無謀にも立ち向かう者が現れる。
「とうとう俺様が勇者になるときが来た! あの鎧を倒すのは、この田中様だ! ゴミ共は、俺様に感謝しろ! 喰らえ! 必殺のエクストラスキル! 撃滅斬!」
そう言って斬撃を飛ばしたのは、タヌゥカだった。何をとち狂ったのか、ゲヘナデモクレスに挑んだのである。
だが驚くことに、その斬撃は異世界で見たものよりも高威力だった。ゲヘナデモクレスを飲み込み、更には多くの人を巻き込んで吹き飛ばす。
「どうだ見たか! 俺様の撃滅斬は放つ前に力を溜めれば溜めるほど、威力が上がるんだ! 俺様が現状溜められる最大威力だぞ! ゴミ共を巻き込んだが、関係ないぜ! 俺様が勇――」
そして意気揚々と声を上げるタヌゥカだったが、気がつけば縦に真っ二つになっていた。当然、即死である。
見ればゲヘナデモクレスが、二つに割れたタヌゥカの背後に立っていた。あの斬撃に飲み込まれたと思っていたが、超高速で回避したのだろう。
ただ左半分にダメージが集中していることからして、流石に避け切れなかったようである。
くっ、あいつは馬鹿か。斬撃を放つ前に無駄な台詞を吐くから、気づかれたに違いない。隙を突いて放てば、倒せずとも大ダメージを与えられる可能性があったのに。
加えて多くの人を巻き込んだ事で、少なかった勝率も更に下がったと思われる。もしかしたらその中に、何か有用なエクストラスキルを持っていた者がいたかもしれない。
やはりタヌゥカは、どこまで行ってもタヌゥカだったようだ。この過去の世界でも、まさかやらかすとは……。
そんなタヌゥカは、無謀の果てに死亡している。真っ二つになり、血をぶちまけて地面に倒れていた。
おそらくタヌゥカを見るのも、これで最後だろう。また異世界で現れない事を祈る。
そうしてゲヘナデモクレスは倒したタヌゥカのことなど眼中から消えたのか、再び周囲の人々を襲い始める。
「ぎゃあああ!!」
「助けてくれええ!」
「死にたくない!」
「だれかぁ! だれかぁ!」
「逃げるんだぁ。勝てるはずがない……」
「上位探索者はいないのか! おい、いないのかよぉ!」
阿鼻叫喚とは、このことだろう。ゲヘナデモクレスは機械的に大剣を振り回しては、人々を血の海に沈めていく。
そうしてあれだけいた人の数は、瞬く間に数を減らしていくのだった。絶望という言葉が、相応しい地獄である。
「これは……もう無理だ…」
過去の俺がそう呟くのも、無理はなかった。
異世界での俺とは違い、過去の俺には二重取りしかない。戦闘系のスキルは無く、奥の手も存在してはいなかった。多少の小細工でどうにかなるほど、甘い相手ではない。
今はノワールの隠密系能力で隠れているが、見つかるのも時間の問題だろう。他に狩るべき獲物がいるから、意識が向けられていないような気がする。
それにたとえ見つからなくても、逃げ場などは無い。ノワールの魔力が切れた時が、最後の瞬間になるだろう。
するとそんな中で、文香が覚悟を決めたような表情をすると、過去の俺にあることを問いかけ始める。
「ねえ、仁。何があっても、文香のことを信じてくれる?」
「急にどうし……いや、そうだな。もちろん信じている」
過去の俺は文香のその表情を見て、そのように言い直す。文香の覚悟を、感じ取ったのかもしれない。
「よかった。そういえばだけど、ノワールは覚醒したただの黒猫だったよね。本当にあの出会いは偶然だったし、カード化できたのも奇跡だった。ノワールの意志でカード化されるなんて、思いもよらなかったよね」
「……そうだな」
急な話しに一瞬考え込んだが、過去の俺は肯定するように頷く。それを見て穏やかな表情をしながら、文香は話を続ける。
「それでね。気がついたんだ。もしかして覚醒者って、実はモンスターじゃないのかって。実際覚醒者の死体には、魔石があるみたいだし、そういう噂もあったよね」
「ああ、そんな噂もあったな」
ノワールはただの黒猫ではなく、覚醒してモンスター化していたようだ。つまりこの隠密系能力は、ノワールのエクストラスキルということになる。
そしてここまでの話から、文香が考えていることが分かってしまった。俺はそれを確かめるように、文香の話を聞く。
「それで覚醒した人間も本当は、ドロップアイテムを残さないだけのモンスターで、カード化できると思うんだ。
だからね。仁の全部、文香にちょうだい? 文香の全部も、仁にあげるから」
「わかった。くれてやる。全部持っていけ」
「ありがとう」
過去の俺がそう言った瞬間だった。体が輝きだし、光の粒子になる。そして文香の手にカード化された過去の俺が移動していた。
まさか俺自身が、カード化されていたとはな。迷いなく選択できたということは、それだけ文香のことを信用していたのだろう。
加えて過去の俺がカード化されても、俺はまだこうしてこの光景を見ることができている。つまりカード化されていても、ある程度は周囲の光景を見れるのかもしれない。
そういえば配下たちも同じような感じなので、これは間違いないだろう。カード化されても確固たる個があれば、カードに魂は残り続けるのだと思われる。
すると残された文香は、カード化された俺を眺めると、独り言のようにこう呟いた。
「文香には、奥の手があるんだ。エクストラスキルの使い方は、何となく頭に思い浮かぶよね。その中に実は、融合って能力があるの。
とても危険だし、二度とも元に戻れないから、使うことはないだろうと思っていたわ。だから、仁にも話していなかった。けど、使うなら今だよね」
そう言うと、文香は次にノワールと向き合う。
「ノワール。ごめんね。この融合には、生贄が必要なの。手持ちのカードだけじゃ、たぶん少し足りない。お願いできる?」
「にゃあん!」
「ごめんね。本当にごめんね。そして、ありがとう」
文香のカード召喚術の融合は、俺の使ったものよりもリスクが大きく、また生贄も必要なようだった。
なるほど。融合が奥の手か。俺と同じだな。
赤い煙に挑むとき、俺はレフたちと融合した。それは正しく奥の手であり、強敵を倒すためにリスク承知で、発動したのである。
奇しくもそれは、文香にとってもそうなったみたいだ。しかしその覚悟のほどは、俺以上だろう。
そうして文香はノワールをカードに戻すと、ゲヘナデモクレスがまだ気がついていないうちに、融合を発動させる。
「大丈夫。仁は残るよ。全部残る。消えるのは、文香の方だから……。だから、勝ってね。文香からの、最後のお願い」
そして文香がそう呟くと、全身が光に包まれるのだった。




