233 ゲヘナデモクレスは、もう我慢ができない。
時は少々遡り、ジンが沼地のダンジョンに挑む頃。
ゲヘナデモクレスは、飽きていた。
「つまらぬ。これでは、主が我のことを召喚してくれないかもしれぬ」
そう、あれから様々な野営地などを襲撃し続けたが、成果が芳しくないのだ。
いや、数自体はとても多い。だが、強者の数が明らかに少ないのである。
ゲヘナデモクレスが出会ったあの四人組、勇者パーティを超える者はおろか、足元にも及ばない者が大多数だった。
中には少し戦える者も当然いたが、ゲヘナデモクレスのお眼鏡には適わない。
冒険者ランクでいえば、Aランク以上でなければ話にならないのだ。
けれどもAランク冒険者というのは、大変希少である。
一つの野営地に一パーティいればいい方で、中には全くいないところもあった。
加えてそもそも、こんなアンデッドばかりの大陸に行こうという、強者が少ないということもある。
また得られるものが少ないと、撤退した者も多かった。
故に現状この大陸にいるのは、名誉や何か引けない理由がある集団や、まだ国境門が繋がって間もない者たちである。
そして大陸の広さも相まって、出会う数も減少するのは必然だった。
結果ゲヘナデモクレスは、城のダンジョンに人々を誘致することに飽きてしまう。
そうして暇を持て余したゲヘナデモクレスは、いつも通りジンのストーキングへと戻ってきたのである。
加えて誘致する過程でストーキングする時間が減っていたこともあり、ジンニウムが不足していた。
なおジンニウムとは、ジンからしか得られない、ゲヘナデモクレスにとっては水のような成分である。
三日ほど摂取しなければ、大変なことになるかもしれない。
そうしたこともあり、ゲヘナデモクレスは沼地のダンジョンにやってくる。
見つからないギリギリの距離で、ジンをストーキングしていた。
以前とは違い、もはやストーキングに対して違和感すら持たれない。
それほどに、ゲヘナデモクレスのストーキング技術は卓越していた。
「久々の生主……これは素晴らしい。肥溜めのような汚泥の中でも、主はやはり輝いている。有象無象のザコ共の相手で疲弊した我の心が、濯がれていくようだ」
日に日にゲヘナデモクレスの情操は歪んでいっているのだが、当然本人はそれに気がつかない。
そうしてストーキングを続けてしばらくのこと、それは起きた。
「なっ!? この蛮族が! なんていやらしいっ!」
なんと、ギルンがジンに抱き着いたのである。
これを見たゲヘナデモクレスは、怒りながらも心ではうらやましくてたまらなかった。
しかし問題は、その後である。
『え? 男? なあ男って、赤ちゃん産めるのか? 産めるなら、ジンさんワーシの赤ちゃんを産んでくれよ!』
全知の追跡者によってそれを聞いたゲヘナデモクレスは、硬直した。
あまりの怒りに飛び出したくなるが、なんとか抑える。
またギルンを八つ裂きにしたくなるが、それもグッと我慢した。
直後にギーギルが殴りジンが許さなければ、おそらく我慢はできなかっただろう。
そのどちらかが欠けていた場合、今頃ギルンの命はない。
何気にギルンは自身の知らぬところで、九死に一生を得ていたのである。
「――ふぅ。抑えるのだ。出るにしても、タイミングというものがある。ここであの蛮族を八つ裂きにしてしまえば、主に嫌われるかもしれない。そ、それだけは回避しなければ……」
自分にそう言い聞かせて、ゲヘナデモクレスは怒りを鎮めていた。
しかしその我慢があった故に、ダンジョンボス戦ではつい飛び出してしまう。
『どうにかして、生魔ドレインを無効化できないものか……』
ジンのその言葉に、ゲヘナデモクレスは思わず反応を示したのだ。
「我ならできる! いや、我しかできない! 主の窮地に駆けつける我、最高にカッコイイ! タイミングとしても、ここしかない!」
そうしてゲヘナデモクレスは、ダンジョンボス戦に乱入するのだった。
このときゲヘナデモクレスの中では、ジンに褒められる。認められる。必要とされる。
そんな幻想と希望を抱いていた。
けれども結果として、ゲヘナデモクレスはやらかしてしまう。
その幻想は、ぶち壊されたのだ。
ダンジョンボス撃破後に、それは起きてしまったのである。
「どうして我は、我慢できなかったのだ……」
沼地のダンジョンを飛び出したゲヘナデモクレスは、一人項垂れていた。
勢いとはいえ、ゲヘナデモクレスは自身の発言に対して、後悔の念が絶えない。
その理由は遅くとも一ヶ月後に、ジンと戦うことが決まってしまったからである。
当初はわざと負けることも考えていたが、それはゲヘナデモクレスの矜持が許さない。
それにジンにそのことを知られてしまえば、それこそ嫌われてしまうと、そう理解していた。
故に戦うとなれば、ゲヘナデモクレスは全力を尽くすつもりである。
「確かに主は成長したが、まだ我の方が強いだろう。我自身を低く見積もったとしても、我の勝率は七割ほどと見た。まさか主を見守っていたことが、ここにきて裏目に出るとは……」
ちなみに対してジンが甘く判断した勝率が、六割ほどだった。
しかしこれは、ゲヘナデモクレスが情報を有していなければとなる。
だが実際には長期にわたるストーキングによって、ジンの手の内はほぼ知られていた。
更にそれを加味した実際の勝敗比率は、八対二である。
これは当然、ジンの方が二の方だ。
純粋な実力に加えて、情報戦でもジンの方が不利なのである。
またゲヘナデモクレスほどの実力になると、Bランク以下はいてもほとんど意味がない。
たとえAランクのモンスターだとしても、一撃が致命傷となりうる。
故にゲヘナデモクレスの中では、ジンと戦うのは相当後の話だったのだ。
「うむぅ。今更、無かった事には……できるはずがない」
それこそゲヘナデモクレスのプライドが許さず、どうしようもない。
だからこそ、ゲヘナデモクレスは悩みに悩む。
「であれば主には、やはりこの一月で力をつけてもらわなければならぬ……」
結果として、ゲヘナデモクレスの答えはそこに落ち着いた。
「ならば我にできることは、主が成長するために試練を与える他には無い」
故にそれには当然、ジンの糧となる存在が必要になる。
だとすれば現状、ゲヘナデモクレスにできることは一つしかない。
「この際ザコでも構わぬ。塵も積もればなんとやらだ! それにもしかすれば、ザコの中とて使える者がいるかもしれぬ!」
そうしてゲヘナデモクレスは、飽きていた誘致作業を再開し始める。
少しでも強い者を探し求めて、ゲヘナデモクレスは駆けるのだった。
「待っているのだ主よ。最高のフルコースを我が用意して見せよう! ふははは!」
この誘致作業が後に大変な事へと繋がっていくのだが、それは現状ゲヘナデモクレスの知るところではない。
そして後にジンがこの事実を知った時、どのような反応を示すのであろうか。
ゲヘナデモクレスの暴走は、未だとどまることを知らない。
ジンとゲヘナデモクレスとの決戦まで、残り約一ヶ月。
戦いの日は遠くない。
果たして勝利の女神が微笑むのはジンか、それともゲヘナデモクレスか、はたまた別の誰かであろうか。




