146 ゲヘナデモクレス召喚
いざ召喚することになったが、果たして言うことを聞くのだろうか。
一応リジャンシャン樹海でこの指輪を渡された時、三度だけ無条件に力を貸してくれると言っていた。
雰囲気からして、嘘を言うようなモンスターではない気がする。
だからおそらく、約束は守ってくれるはずだ。
ここで怖気づいていても仕方がない。召喚しよう。
俺は覚悟を決めると、紫黒の指輪の効果を発動させる。
頼むぞ。
心の中で祈りながら、変化を待つ。
すると紫黒の指輪が光り出し、目の前に紫黒の煙が現れる。
そして煙が晴れると、そこにそいつは立っていた。
「とうとう、この我を召喚したか!」
そう言って俺を見つめる存在。ゲヘナデモクレスが呼び出しに応じて現れた。
「して、この老婆を消せばよいのか?」
「ひぃい!?」
ゲヘナデモクレスが指さすと、エリシャは腰を抜かして悲鳴を上げる。
「ま、待て。その人は敵じゃない。やってほしいことをまずは説明させてくれ」
俺は禍々しい雰囲気を纏うゲヘナデモクレスに対して、怖気ることなく止めに入った。
「ほう。ならば、その望みを早く言うがよい」
ゲヘナデモクレスは腕を組み、俺と向き合う。
改めて召喚して思うが、現状俺では勝てそうにない。
本当に、とんでもない存在を産み出してしまった。
そう思いながら、俺は説明を始める。
「まずこれからそこのエリシャに、とある場所へと転移させてもらう。そこにはやっかいな敵がいて、何かする前に倒す必要があるんだ。だからゲヘナデモクレスには、転移した瞬間に全力でその敵に攻撃してほしい」
「……もう一度」
「ん?」
今もう一度と言ったか?
「もう一度、我の名前を言ってみろ」
「ゲ、ゲヘナデモクレス」
俺がそう言うと、ゲヘナデモクレスがフリーズする。
なんだ? 何か不味いことを言ったのか?
意味が分からず、俺は冷や汗をかく。
「ふ……ふはは、我の名前を忘れていなかったみたいだな! もし忘れているようであれば、消し飛ばしているところだ! ある……汝も命拾いしたな!」
「そ、そうか……それはよかった」
名前を忘れたり、間違っていたら不味かったな。
やはり三度だけ無条件に力を貸すといっても、何が原因で暴走するか分からない。
安易に呼び出すのは、危険ということを改めて理解した。
「よろしい。その願い、叶えてやろう。で、他に何をすればよいのだ?」
「他?」
「そうだ。その程度のことで、一度とカウントするほど我は狭量ではない。顕現し続けられる限界までは従ってやろう」
「顕現できる限界?」
この召喚には、制限時間のようなものがあったのだろうか?
「そうだ。何もしなければ一日は顕現できよう。だが、我が力を使えば使うほど、その時間は短くなる」
「なるほど……」
紫黒の指輪にそうした説明は無かったが、実際にはそんな限界があったらしい。
まあ、今思えば当然だろう。
でなければゲヘナデモクレスを召喚し続けることで、実質戦わずに手に入れることができる……いや、それは違うか。
たとえそうだとしても、結局そんなズルはゲヘナデモクレスの機嫌を損ねて、殺されてしまうから関係ない。
姑息な手段は、悪手だろう。
俺はゲヘナデモクレスの召喚について、そう思った。
「故に他にしてほしいことを申してみろ。護衛、買い物、共ににゅ、入浴でも、この時ばかりはどのような事でも従おう」
護衛に買い物に、入浴? 一瞬何を言っているのかと考えたが、それくらい何でも従ってくれるということだろう。
しかし言葉通りに受け止めて買い物や入浴を命令したら、大変なことになりそうだ。
当然そんなことはしない。精々可能なのは、護衛くらいだろう。
「分かった。じゃあ、俺のことを守ってくれ」
「……」
「どうした?」
「――ッは!? ……ふ、ふむ。よかろう! 我が守ってやろう! どのような敵が来ようと、問題ない!」
「そ、そうか」
また一瞬フリーズしていたが、いったいどうしたのだろうか?
とても気になるが、藪蛇になるかもしれないし触れないでおこう。
そうしてゲヘナデモクレスに無事、やってもらいたいことの了承を得た。
最初に遭遇した時と若干雰囲気が変わった気がするが、俺の知らないところで何かあったのかもしれない。
そういえば、一度ポイントが送られてきたんだよな。
つまり、転移者と遭遇して倒したことになる。
その事について訊いてみたいが、何が切っ掛けで機嫌が悪くなるか分からないし、止めておこう。
「そういう訳でエリシャ、転移を頼む」
「は、はい……分かりました」
腰を抜かしていたエリシャも何とか立ち上がって、そう返事をしてくれる。
さて、精霊召喚術を使う女王ティニアとの戦いは、どのようになるのだろうか。
ゲヘナデモクレスがいるとはいえ、緊張してしまう。
だがここまで来たなら、やるしかない。
そして俺たちは、エリシャの能力によってその場から転移した。
◆
転移すると目の前には、巨大なベッドで絡み合う男女が視界に入る。
男のエルフ三人に対して、女のエルフが一人。
この女が、女王ティニアだろう。
加えて夢中になっているのか、俺たちに気が付いていない。
これは、絶好のチャンスだ。
するとゲヘナデモクレスが俺の前に立ち、視界を遮る。
そして事前に話していた通り、攻撃を行った。
「痴れ者どもよ。滅びるがよい。ダークデストラクション!」
ゲヘナデモクレスがそう言うと、前方に紫黒の炎が吹き荒れる。
「な――」
一瞬声が聞こえた気がしたが、瞬く間に飲み込んでしまった。
これは以前、グインと樹海を消し飛ばしたあの一撃だ。
その時よりも、明らかに威力が高い。
『転移者を殺害したことにより、20ポイント獲得しました』
『神授スキル【二重取り】が発動しました。追加で20ポイント獲得します』
すると女王ティニアが死亡したのか、ポイントを獲得する。
隙だらけの状態でこの一撃を受けたら、流石にどうしようもなかったのだろう。
呆気ない幕切れに、俺は呆然とする。
激戦になる事も考えていたので、尚更だ。
しかしその考えも、ゲヘナデモクレスの攻撃が止んだときに一変した。
「ふはは! 我にかかれば、あのような小物など相手にはならぬわっ!」
そんな笑い声を上げるゲヘナデモクレスの前方には、巨大な穴が出来ている。
「嘘だろ……どうするんだよ、これ……」
言葉に詰まった理由は、部屋に空いた穴についてではない。
なんとその奥にあったユグドラシルにも、大穴が空いていたのだ。
青い空がよく見える、綺麗な円形の大穴である。
俺はあまりの出来事に、冷や汗が止まらない。
これは取り返しのつかない事をしてしまったという、ひどい焦りからだ。
全力で攻撃することを願ったが、まさかこんなことになるとは思わなかった。
それに女王ティニアがいた場所の方向にユグドラシルがあるのは、運が無さすぎる。
確認などできる状況では無かったし、そもそも方向など頭になかった。
しかし現状悔いたところで、どうしようもない。
するとこの事を何らかの方法で把握したのか、エリシャから念話が届く。
『何という事をしてくれたんですか!! 私がどれだけユグドラシルを愛しているか話しましたよね! 許しません。絶対に許しませんよ!!』
当然その内容は、怒りに満ちていた。
それに対して、俺は弁明の余地もない。
だが事が大きすぎて、償いようがなかった。
けれどもそんな悔いている最中、突然エリシャに異変が起きる。
『このまま生きて帰れるとは思わ――なっ!? す、吸われっ……ぢ、ぢぬっ。たずけ――』
その言葉を最後に、念話が途絶えた。
同時に、残してきた元悪いフェアリーたちがカードとして戻ってくる。
それは洞の前で、警備の振りをさせていた個体たちも同様だ。
いったい、何が起きた!?
そう思った時、ユグドラシルに変化が起きる。
一瞬地面が揺れ始めたかと思えば、ユグドラシルの根が大きく盛り上がった。
そしてまるで生きているかのように、動き出す。
一瞬こちらに来るかと思ったが、逆方向へと向かっていく。
どういうことだ? 確かあの方向には、国境門があるらしいが……。
「汝よ。か、体に触れるぞ」
「は?」
すると突然ゲヘナデモクレスがそう言って、俺を抱きかかえる。
いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。
そして勢いよく、空いた穴から外へと飛び出す。
突然の出来事に一瞬固まる俺だったが、背後の城を見て理解した。
なんと、城が崩壊し始めていたのである。
加えて、その崩壊のしかたもおかしい。
上部から順番に、壁などが弾け飛ぶように崩壊しているのである。
また明らかに、規則正しい四角形の壁ばかりだ。
まるで、そのままの形で固定化されていた感じである。
なるほど。おそらくこの城は、エルオという奴の神授スキルで作られていたのだろう。
それが、ゲヘナデモクレスの一撃で耐えきれなくなったのかもしれない。
まあ、そんなことはどうでもいい。
今はそれよりも、ユグドラシルだ。
地面へと無事に降り立つと、ゲヘナデモクレスが俺を下ろしてくれた。
「にゃぁあ!!」
よく見ると、その肩にはレフがしがみついている。咄嗟に飛びついたのだろう。
さてそれよりも、これからいったいどうしたものか……。
俺は国境門へと進んでいくユグドラシルを見ながら、頭を悩ませるのだった。




