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私は今、天野くんとホテルいる。
突然夕ご飯に誘われ、ワインを飲み彼の愚痴に付き合っていたら終電の時刻を迎えてしまった。
自分でも何が起こっているのか理解できていない。だって、あの天野くんが私を抱いているのだ。
終電を逃したとこに気づいた天野くんは二人きりになろうと言い出だした。そこで、私は隙をみてバッグの中に入れておいたリセット・サプリメントを飲んだ。二回目に飲んだ時から数週間我慢した。奇跡のような体験をしたらもう二度と日常へは戻れない。これは自分へのご褒美だ。
夕食時、天野くんは恋人の存在を明らかにした。彼女とは中学生の時から続いているらしい。初めて彼に恋をした時には既に好きな人がいたということ。だけど、今はその相手より私を選んでくれている。誰も見向きもされなかった私がだ。ベッドのバネが優越感をさらに高く撥ねさせる。それと同時に今度はズキンと鈍く頭が痛みだし、顔を歪める。天野くんは最初から私の表情を見ていないため、お構いなしに彼が満足するまで行為を続けた。
「星下って、酒飲むと記憶無くなるタイプ?」
「多分……そうかも」
「そっか」
「どうして?」
「いや……なんとなく」
シャワーを浴びた天野くんがタオルで頭を拭きながら言った。そして冷蔵庫から缶ビールを二本取り出し、一本を私に渡してきた。痛みに耐えベッドに横になっていた私はゆっくり起き上がり受け取る。ビールは好きじゃないけど、仕方がない。
彼の懸念していることは伝わった。今夜起きたことは忘れてほしい。百も承知の上だった。
プシュッという音だけが二回鳴ったっきり、ビールを飲み干してもお互い無言だった。私は空になった缶の底に残ったわずかな水分を見て、パンドラの箱を思い浮かべた。
開けてはいけないと言われていたのに、好奇心で開けてしまったがため、地上には災厄や不幸、悪といった絶望が蔓延することになった。そしてその箱の底には、一握りの希望が残っていたとされる逸話。
ビールを飲むことは私にとっては絶望だ。天野くんは酒を飲むことで忘れたがっているし、私にも忘れて欲しいと思っている。私はその程度の人間なのだと自覚することになる。どれだけ強く求められても、私との間に純粋な"愛"はないのだと、なんとなく分かった。鈍い頭痛がした時、初めてではない気がした。体がリセットさる前の記憶を呼び起こそうと、脳を叩いている気がしたのだ。
窓の外では夜が明け始めた。変な時間にアルコールを入れたせいで、胃の中がぐちゃぐちゃになっている。私は仰け反って、底に溜まったビールを無理やり飲もうとした。
天野くんに言ってしまいたい。酒なんか飲まなくても、私には記憶をリセットできるサプリメントがあるのだと。だから、安心して私を誘えばいいよ。その内、私のことを本気で好きになってくれれば。一枚の愛さえ掴めれば。