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私は火曜日の正午に目を覚ました。いつもなら講義に出席しているはずなのになぜか部屋着のままベッドの上で眠っていた。
「授業休むなんて珍しいじゃん。体調崩した?」
ミサからのメッセージを読む。体調を崩したかどうか、そもそも寝ていたかどうかさえも定かではない。確かなのはバイト先の最寄り駅で降りたところまで。その後は……思い出そうとすると目の奥が痛みだす。
リセット・サプリメントの副作用――。
そうだった。日曜日、どうしてもバイトに行きたくなかった私はサプリメントの効果を試したくて飲んだのだった。これがリセット・サプリメントの効果だとしたら、てきめんだ。この長時間睡眠は、記憶を失くすための代償ということか。
「うん、ちょっと風邪引いたみたい。しばらく休むかも」
ミサへは薬のことには触れず適当に返信をした。まだ一般公開されていない医薬品のため口外してはいけないと、上月さんから言われたからだ。テーブルの上にあるカプセルの入った包装シートに手を伸ばす。リセット・サプリメントは一見、市販の風邪薬と変わらない普通のカプセル薬だ。一箇所だけカプセルが取り除かれている。やはり、一錠飲んだことは確実だった。
これこそ私が必要としていたもの。丸一日潰れてしまうため多用することはできないが、十分なメリットはある。
次にリセット・サプリメントを服用したのは、同窓会へ出かける直前だった。明日も講義があったけど、出席するか否かなんて大したことではなくなっていた。もし天野くんと再会できたなら、その事実をなかったことにしたかったから。これで今だけの幸せを噛み締めながら、一日経てば簡単に忘れることができる。ワガママな私にとっておきの薬だと思っていたら、奇跡が起こった。彼が…天野くんが私の隣にいる。
宴会開始当初、私は再会を喜ぶ同級生達と距離を置き一番最後に居酒屋の席へ着いた。すると、偶然通路側の端の席になり、偶然遅れてやってきた天野くんが、偶然空いていた私の隣に座ったのだ。
私はすぐに席を譲った。天野くんは昔からムードメーカーで人気者だったから、端にいるより少しでもみんなの輪に入りやすい位置にいた方がいいかと思ったから。私は彼に近づきすぎないよう、肩身を狭くし大人しくしながら横目で彼を見ていた。
相変わらずカッコよくて気さくで、アイドルみたいに輝いていた。正気じゃいなれなくて、普段飲まないアルコールを大量に飲んだ。そしたら、また奇跡が起きた。
天野くんが「星下が体調悪そうだからタクシーに乗せてくる」と私を気遣ってくれた。私は何度も断った。確かに酔っていたけど、意識は保てていたから自力で帰れると思っていた。みんな天野くんが二次会へ行くことを期待していたのに、彼はどういうつもりか私が心配だからと強引に居酒屋から離れた。
熱った体を冷ます夜風は季節外れに暖かかった。私が天野くんのやや後ろをうつむいたまま歩いていると、彼は自然に歩幅を合わせる。やがて私の横に彼の体が来た時、低くてたくましい声で言った。
「星下、あんまり変わってないね」
「う、うん……。天野くんも……」
記憶の中にいる彼は、少し高めの声で日焼けが似合うあどけない少年だった。横にいる彼は声変わりをして、背も高くなって、顔つきは大人の男性になっていた。
駅まで後、何分だろう。徐々に人通りが多くなってきた。離れたくない、このまま一緒にいたい。だけど、天野くんには彼女がいるはずだ。もしかしたら婚約しているのかもしれない。
電車の音が聞こえ始めてきた時、天野くんが唐突に訊いてきた。
「星下さ、今彼氏いるの?」
「え?」
私は硬直したように立ち止まる。聞き間違いかと思った。意図が読み取れず、口をポカンと開けていると天野くんは「いないの?」とダメ押しに訊いてきた。
「……いないよ。言わなきゃ分かんない?」
突き放した言い方になってしまった。だけど、天野くんはサラッと返事をした。
「うん、分からなかった」
彼の頬は赤くなっていた。
「天野くん、彼女いるでしょ?」
「いるけどいない。今、微妙な感じ」
それってつまり……。
私が考えを巡らせていたら、天野くんは私の手を取り引っ張った。向かった先は駅前のビジネスホテル。運良く部屋は空いていて、私達は二人で一つの部屋を取った。
私も彼も、酒に酔っていたが故の行動だった。