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Reset  作者: 半 ネイロ
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 サボテンのトゲが人差し指の先に刺さった。私は反射的に指を見る。ほんの一滴だけ血が出てきて、それを親指で拭き取ったらもう血は出てこなくなった。こんな感じで、ピンポイントに辛い記憶だけを簡単に消すことができるのならどれだけいいだろうか。


 *


星下(ほしした)エマさん。こちらへどうぞ」


 眼鏡をかけ、長い黒髪を後ろに束ねた女性が私の名前を呼ぶ。「はい」と小さく返事をして用意された椅子に座った。袖を捲り腕を看護師に向けて伸ばす。これから採血をしてその後に尿検査、CTなどを撮り、一通りの項目が終わったら次に検査するのは一ヶ月後となる。


 治験モニターになるのはこれが初めてだった。私は高校を卒業した後、都内の大学へ進学。女手一つで育ててくれた母に負担をかけたくないのと奨学金の返済に備え、家賃や生活費はなるべく自力で稼ぐ必要があった。しかしメインで働いている飲食店だけでは心許なく、スキマ時間でできて、かつ高時給な仕事を探していたところ治験モニターの募集を見つけた。


 今回私が体験するのは、"体脂肪を減らすサプリメント"。約四ヶ月間これを毎日飲んで体重を測り、その間に五回ほど通院する決まりだ。


 ダイエットサプリのモニターの競争率は高そうだったが、私が運良く選ばれたのは同年代の子と比べ、少し太っているからなのだろう。だけど私からすれば、モデルのようなスラリとした脚や腕をしている彼女たちが異常に痩せているとしか思えない。彼氏ができる気配がない私は今更痩せる必要なんてないと思っているが、あの時、十七歳だった頃もっと痩せていればと後悔している。


 病院を後にした私はバイトへ向かうため最寄り駅まで歩いていた。すれ違う人全員オシャレな格好をしている。髪をなびかせブランド物のバッグを持ってヒールを鳴らし、重めの冬服を身に着けながらトボトボ歩く私を颯爽と追い抜かす。


 私も余裕が欲しい。金銭的にも精神的にも。バイト先で私は度々怒られる。未経験でも丁寧に教えるから大丈夫と言ってくれたはずが、ろくに教育指導されず放り出されたため、操作や配膳など覚束(おぼつか)なく上司やお客さん達から怒れる。職場の人間関係も嫌だった。基本同じメンバーで私以外全員仲が良く、私に対してだけ冷たい態度を取るのだ。数少ない友達に相談しても、皆「気にしすぎだよ」と軽くあしらって真剣に取り合ってくれない。何か楽しみを見つければ辛いことも頑張れるのでは、とアドバイスを受けだが、私にはこれと言って趣味がなく、休みの日は勉強をするか適当にドラマや映画を観るかのどちらかだ。


 もう限界だった。かといって他へ移ろうか考えてみるが、今いる飲食店が近所で一番時給が高いため我慢し続けている。


 東京の大学へ進学する時、もっとキラキラした生活を想像した。テレビに映る都会に、子供の頃から憧れていた。ここに行けば私の中の何かが変わる。なぜそんな突拍子もないことを思ったのか、自分でも分からない。ただ、漠然とした希望がそこにはあった。


 ズボンのポケットの中でスマートフォンが振動した。取り出して見ると、ディスプレイには高校時代の同級生の名前でメッセージの知らせが来ていた。彼女とは進路が別れてから全く連絡を取っていなかったため、緊張しながらメッセージを開く。


「来月辺り二年一組のメンバーで同窓会やるんだけど、星下さんもどう?」


 二年一組のメンバー。


 その単語に私は反射的に背筋を伸ばした。二年一組には私の初恋の人であり、今でも想い続けている彼がいる。彼が同窓会に出席するなら、もう一度会うことができるまたとないチャンスだ。


 彼に会って、特別なことが起きると思っていない。ただあいさつを交わして終わるのが最も自然な流れだ。けれどもしかしたら、数十パーセントの確率で連絡先を交換できるかもしれない。あり得ないとしても、彼に会う楽しみができた。


 私はすぐに「参加したい」と返信し、スマートフォンを握る。この時、"体脂肪を減らすサプリメント"の被験者になったことを、心から感謝した。

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