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第二節 - Ⅲ




「「どうして黎琳が君たちにそんなことをしなくちゃならないの?」」

「何だよ、断るってのか?」


 冷ややかな怒気の籠った双子の問いかけを、中年男の濁声が笑い飛ばした。


「いいのかよ、困るのはそっちだぜえ? 流刑になったってのにそれを拒否してここに居座ろうってんなら、俺らが纏めてあんたら五人を切り捨てちまったって、何のお咎めもありゃしねえ……ああ、それともお嬢ちゃんがその気になるように、お付きの神官どもの指を一本ずつ切り落としてやろうか?」

「…………っ」

「一つ聞く」


 顔色を失って席を立とうとする黎琳を遮るように、玄奘は静かに口を開いた。


「何でそんなことをする? あんたら、琳に……こいつに何か恨みでもあんのか?」

「いんや? そのお嬢ちゃんとは初対面さ。だが、俺たちゃそもそも巫女っていうイケ好かねえ女どもが心底嫌いなんだよ。神力だか何だか知らねえが、神殿の訳の分からねぇお調べにちょっと通過したからって、高飛車に威張り散らしやがってよお……散々、俺らを顎で使ってくれたんだ。ここでその鬱憤を晴らして何が悪い?」

「……そうか」


 低い声で相槌を返してから、玄奘は足を踏み出した。守備兵らの狭間を擦り抜けて国境門の前に立つや、長い溜め息とともに吐き捨てる。


「心底下らねえ理由だな」

「あ?」

「おい、こいつらに構ってるのは時間の無駄だ、とっとと行くぞ」

「え? あ、あの……で、でも門が――」


 フードを目深に被った白蓮と双子に促されて馬車を降りながら、黎琳は門前に佇む玄奘と、俄かに殺気立った守備兵たちの間で視線を彷徨わせた。一瞬、憤怒の表情を浮かべかけた髭面の男が、気を取り直したように鼻を鳴らす。


「はっ、テメエ一人で開けられるもんなら開けてみやがれってんだよ、木偶の坊! そいつは俺たちが六人掛かりで――」

「「「え?」」」


 閂が外される金属音に続いて、巨大な木扉の軋む音が響き渡った。さながら厠の扉でも開けるかのような軽々しさで、長身の神官が呆気なく大門を開け放ったのだ。


「う、嘘」

「何で?」

「国境門あんなに軽かった?」

「いつからあんな開けやすくなったの?」


 両の目玉が溢れ落ちそうなほど双眸を見開いて、守備兵たちが硬直した。門扉を凝視する彼らの視界の片隅には、今しも国境をいそいそと通過しようとしている聖女一行の姿もばっちり映り込んでいるはずだが、それを咎める者は誰もいない。


「足元に気をつけてね、黎琳」

「は、はい……え?」


 白蓮に手を取られるがまま、後ろ髪を引かれつつ門扉を潜ったところで、少女は琥珀色の瞳を溢れんばかりに見開いた。

 遠く視界の果てまで砂が一面に広がっていた。

 二つの国を隔てているのは、たった一枚の石壁だけ――にも拘らず、果たしてここまで景色が一変してしまうものだろうか? 壁の向こう側ではあれほど鬱蒼とした森林が続いていたというのに、ここには見渡す限り、花はおろか草木の一本すら生えていない。


「これが……紅……」

「さ、行こう、黎琳」


 殷国ではついぞ感じたことのない熱風に巻き上がった白銀髪を押さえながら、繋いだ手を優しく引いてくれる白蓮に続こうとして――ふと、黎琳は足を止めた。


「黎琳? どうしたの?」

「…………」


 彼らは一体、何者なのだろう?

 まるで操り人形の如く兵士を黙らせてしまったことといい、最前の門扉をいとも容易く開いてしまったことといい、四人の行動は明らかに人間離れしていると言う他ない。

 目の前にいる優しい青年は、彼らは――


「ん? 何?」

「いえ、その……何でもありません」


 温かな光を宿した四対の金瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、黎琳は浮かび上がってきた疑問を胸の奥に仕舞い込んで微笑んだ。

 いま彼らの正体を知ってしまったら、自分はきっと四人の傍にいられない――そんな漠然とした直感を抱いたからだ。


「行きましょう」


 繋いだ青年の手をそっと握り返して、黎琳は砂漠の地を歩き出した。




     *     *     *




 紅国〝玄天宮〟――巨大な塔を思わせる王宮の窓からは、砂塵に霞んだ首都姜陽(きょうよう)の街並みが一望出来た。他国では類を見ない灼けつくような陽光の強さと高い気温から、紅国の民は皆、そのほとんどが日中には家に籠って過ごしているため、砂と熱風の吹き荒ぶ市街地に人影はない。


「――失礼しまーす」


 背後から掛けられたどこか憮然とした声音に、私室の窓際で眼下を見下ろしていた、まだ年若い男――紅国国主・(よう)禎亮(ていりょう)は、背に流した濡れ羽色の長髪の下で器用に片眉を上げると、精悍な顔立ちに悪戯っぽい笑みを浮かべてみせた。

 仮にも一国一城の主だというのに、質素倹約を旨とする男の身には、装飾品の一片すら見受けられない。平素から愛用している簡素極まりない黒い官服を翻して振り返ると、低く朗らかな声音で口を開く。


「何だ、(しん)。機嫌が悪そうだな」

「……殷国に送った特使が彼の国の太子、薛郗様から密書を預かりました。たった今、密書(ソレ)を足に結ばれた鷹が飛んで来ましたよ」


 官吏らしく生真面目に引っ詰めた黒髪の下、特徴の乏しい童顔に声音同様、明らかに憮然とした表情を貼りつけたその若者――禎亮の側近の側近であり、気心の知れた幼馴染みでもある郭申(かくしん)は、主と同じ官服の袖から件の密書を取り出した。禎亮に手渡しながら、いかにも不機嫌そうに言葉を継ぐ。


「先に内容を改めさせてもらいました。何でも、うちに前科者の巫女様を()()()()()下さるそうだとか」

「……そのようだ」


 口元に微かな笑みを湛えたまま紙面に目を走らせながら、禎亮は黒瞳を細めた。


「〝かねてより貴国が望んできた巫女を一人、そちらに恵んでやろう。その女は龍姫の生まれ変わりを詐称し、神殿と王族を欺いた罪で流刑に処した。これからは龍に呪われた哀れな貴国に仕えるよう申しつけて叩き出した故、存分に使うがいい〟か……相変わらず、殷の人間は傲慢だな」

「だから紅国(ウチ)のみならず、どこの国からも煙たがられるんですよ」


 唇を思い切り歪めて、申はケッと吐き捨てた。

 龍の血を引く王家を戴き、神の祝福を受けて永く栄華を誇る大国であるが故に表立って批判する者は至極稀だが、実際、龍神の寵愛を笠に着た殷の民の尊大な振る舞いには、他国のほとんどが眉を顰めている。


「ははは、蛇蝎の如く大陸中から毛嫌いされている我が国が言えた義理じゃないな」

「……無駄に爽やかに笑わんで下さい腹が立つ」

「すまん」


 素直に謝る主人に毒気を抜かれて、申は顰めっ面を浮かべたまま長い溜め息を吐き出した。


「はあ、まったくもう……それで、どうするんです?」

「何が」

「殷国から流刑になった巫女様の件に決まってるじゃないですか! 要するに大嘘ついて王妃になろうとした人がこれからうちの国に来るってことでしょ? 高慢ちきが多い殷国の中でも群を抜いて高飛車であばずれの我が儘癇癪持ち女が乗り込んできたら、どうするんだっつー話ですよ!」

「どうするって、迎え入れるに決まってるだろ?」

「……はあ?」


 あまりにもあっけらかんとした主の返答に、童顔の側近は思わず顎を落とし掛けた。それをさも不思議そうに見返して、禎亮が首を傾げる。


「どんな女性であれ、神力を持った巫女であることに変わりはないだろう?」

「……そりゃまあそうですけど」

「乾き切った俺の国と、永く不遇に耐え忍んでくれている俺の民に一雫でも希望を齎してくれるなら……それが誰であっても、俺は心から歓迎するよ」

「…………」


 何とも言い難い表情を浮かべて黙り込んだ幼馴染みに微笑みかけてから、まだ年若い黒髪の国主は再び窓辺に視線を転じた。

 窓硝子の向こうでは、最前と何ら変わらぬ砂塵が吹き荒んでいた。殷国に巫女の来訪を乞い始めてから、早二年――この日が巡ってくるのを、どれほど待ち焦がれたことだろう? 砂の底に没しつつある民の命運を救えるのなら、自分の王としての見栄や外聞などは、取るに足らない実に瑣末なものだ。

 黄砂に霞んだ硝子にそっと指を這わせると、禎亮は笑みを含んだ声音で呟いた。


「もし〝彼女〟がそれを望むなら、俺は靴を舐めることも厭わない……巫女が本当に国を救ってくれるならな」

「禎亮様…………………………もし巫女様から豪遊三昧させろっつー要求があったらどうすんです?」

「…………」

「…………」

「それは詰んだな、うちは貧乏だ」

「……だから無駄に爽やかに笑うなって言ってるじゃないですか腹が立つなこんちくしょう」


 輝かしい笑顔を湛える禎亮を前に、申は童顔に青筋を浮かべた。



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