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第二節 - Ⅱ




「ねえ、黎琳、好きな食べ物は何?」

「嫌いな食べ物は?」

「動物は何が好き?」

「好きな花はある?」

「え? あの、ええっと……」


 粗末な木製の馬車の車内には、車軸が回る音と、規則正しい馬蹄の足音が途絶えることなく響いていた。

 両隣に座る双子の少年たち――朱霞と青藍から矢継ぎ早に質問を投じられて、彼らの間に挟み込まれるようにして身を窄めていた黎琳は、忙しなく琥珀色の瞳を瞬かせた。

 傍目にも明らかに泡を食っている彼女の様子を見兼ねてか、対面の席に足を組んで座っていた長身の美丈夫が眉間に皺を寄せて助け舟を寄越す。


「おい、琳が困ってんだろうが。質問は一個ずつ、琳が答えてからにしろ」

「あ、ありがとうございま」

「んで? 琳、好きな食いもんは?」

「………………ええと……」


 礼を遮って放たれた対面の美丈夫――玄奘からの問い掛けに、少女が微かに笑顔を引き攣らせる。


「こら玄奘、朱霞に青藍も」


 物柔らかな声が割って入ったのは、そのときだった。玄奘の隣に腰掛けていた中性的な美貌の若者――白蓮が唇を尖らせて口を開く。


「沢山色んなことを聞きたいのはわかるけど、黎琳が困ってるでしょ? まったくもう、可愛い孫をイジメちゃ駄目じゃないか……あ、それで黎琳?」

「は、はい」

「一番好きな食べ物は何?」

「………………え、ええっと……」


 四方向から寄せられる視線の圧力をもろに受けて、黎琳は喉を詰まらせる。

 一体、何がどうなって今、自分はこの状況に置かれているのだろう? 目を白黒させながら、黎琳は事の発端――夜明け前の出来事を思い返した。


 寂れた中庭で眠り込んでしまった後、黎琳が目を覚ましたのは生家の自室だった。薄闇と静寂に沈んだ室内に少女以外の人気はなく、そこに王宮の中庭で出会った真白い若者の姿はない。どうやってここまで帰って来たのかまるで記憶になかったが、やはり家族だと言って微笑ってくれたあの優しい青年は、全て都合のいい自分の夢だったのだ――宵の静寂(しじま)を荒々しい軍靴の足音が打ち破ったのは、黎琳が途方もない寂寥感に肩を落としたそのときである。

 一切、何の伺い立てもなく無遠慮に室内へ踏み込んできたのは、白渓宮から遣わされてきた三人の無骨な兵士たちだ。龍姫の転生者を詐称した罪を問われ、黎琳に対し、王命によって正式に紅国への追放と隷属処分が決定したらしい。騒ぎを聞きつけて宋家の使用人たちが揃って起き出してはきたものの、皆一様に嫌悪と軽蔑に顔を顰めるばかりで、乱暴に小突かれながら引き立てられてゆく黎琳を庇う者は誰もいない。

 冷ややかに注がれる数多の視線の中、今しも少女が粗末な馬車に押し込まれようとしたとき。


『――ねえ、兵隊さんたち、その子に乱暴なことしないでくれるかなあ?』


 どこか軽薄な声音が割って入るのと、複数の白い人影――フード付きの外套を目深に被った四人の神官が忽然と馬車の傍らに姿を現したのは、ほとんど同時だった。彼らが言うには神官たちは皆、黎琳に随行して紅へ渡ると言う。

 だが、移送を命じられた兵士たちにとっては寝耳に水であったらしい。『同道する者がいるなどとは聞いていない』『随行は許されない』と威丈高に騒ぐ兵士たちの前でひとつ溜め息を吐くと、


『もう、煩い人たちだなあ』


 そう言って、白い外套を被った神官が兵士の目前で片手を振った――その直後、まるで糸の断ち切られた操り人形の如く、ぴたりと兵士たちが口を噤む。いや、そればかりか、あたかも貴賓を出迎える従者のように恭しく腰を折るや、黎琳と四人の神官らを丁寧に馬車へと案内し始めたではないか。

 黎琳が唖然としている間に颯爽と馬車は走り出し、そこでようやくフードを脱いだ神官たちの正体こそが、いま黎琳を質問攻めにしている四人組――昨夕、王宮の中庭で出会ったあの不思議な青年白蓮と、その弟であるらしい双子の少年朱霞と青藍、そして長身の美丈夫玄奘である。昨日も白蓮が自称していたが、彼らの主張曰く、四人は四人とも黎琳の遠い血縁であり、彼女の〝祖父のようなもの〟らしい。自己紹介を済ませるや否や双子に両脇を陣取られ、散々、四方から構い倒されて今に至る訳であるが、あまりにも現実離れした主張と怒涛の展開の連続に、黎琳の理解は全くと言っていいほど追いついていない。


「あ、あの……皆さん、本当に私と一緒に紅国へいらっしゃるのですか?」


 胸元で重ねた両手を握り締めると、黎琳は意を決して問い掛けた。


「紅国は、その……あまり率先して足を運ぶ方が少ないと聞いています。水や食料に事欠くことも多く、民が暮らしていくにはとても過酷な地だと……私はこの通り、流刑に処された身ですから、迎え入れて下さるところがあるならどこへなりとも向かいます。ですが、皆さんは――」

「行くに決まってるじゃない」

「「当然」」

「当たり前だな」


 四方から返ってきた四者四様の即答に、少女は思わず声を詰まらせた。何とも言い難い表情を浮かべて黙り込んだ黎琳に向かって、白蓮が器用に片目を瞑ってウィンクを飛ばす。


「昨日も言ったでしょ、黎琳? 『これからはずっと傍にいる』って……僕らは()()()()()()、絶対に約束を破らない生き物なんだから」

「え?」


 それは一体どういう意味だろう?

 今の言い様では、まるで彼らが人間ではない別種の生物のようではないか?


「白蓮様、それは――」


 高い馬の嘶きとともに馬車が停止したのは、そのときだった。

 どうやら殷と紅の国境に到着したものらしい。

 黎琳がそっと覗いた車窓の外――鬱蒼と木々の生い茂った森林の向こうには、樹木を凌駕するほどの高度を備えた厚い石壁が見渡す限り果てしなく延々と立ちはだかっており、その壁向こうに見える景色と言えば、唯一、抜けるような青空が覗くばかりである。


「よお、随分と遅かったじゃねえか、筆頭巫女様」

「!」


 巨大な閂によって閉じられた木製の大扉――殷と紅を繋ぐ国境門の前で停止した馬車に向かって、揶揄い混じりの濁声(だみごえ)が掛けられた。扉の両脇に作り付けられている門楼から降りてきた、見るからに柄の悪い風体の守備兵たちが、にやにやとあからさまな嘲笑を浮かべながら歩み寄ってきたのだ。馬車の車窓からのそれを見留めた双子と白蓮が、さも面倒臭げな表情で眉を上げる。


「「うわ、出た」」

「……紅国国境に配備された兵隊さんて、昔っからタチの悪い連中ばっかりなんだよねえ」

「そうなのですか?」

「ああ、龍に呪われた国に隣接してるっつーことで、守備兵の成り手がいねェからな。基本的にここには、何かやらかして飛ばされてきた前科者(コブツキ)が就くんだよ……琳、ここは俺らに任せて座ってろ」


 ぽんと優しく少女の頭に大きな手を載せてから、フードを被り直した玄奘が腰を上げた。朱霞と青藍、白蓮にも外套で顔を隠すように目配せしつつ馬車を降りると、守備兵らと対峙する。


「ああ悪ィ悪ィ、あんたもう第一巫女様じゃねぇんだったなぁ? 可愛い餓鬼のナリして龍姫様を騙るたあ、あんたも結構……あん? 何だあ、この馬鹿でけぇ木偶の坊は?」

「……彼は、聖女様に随行する、神官です」


 どこか茫洋とした声音でそう返答したのは、守備兵から胡乱げに見上げられた当の玄奘自身ではない。馬車の御者台に座っていた兵士――白蓮らの何某(なにがし)かの手法によって恐ろしく従順になって以降、この国境門に至るまで無言で御者に徹していた男が、初めて口を開いたのだ。

 それを聞いた守備兵らが、ますます胡乱げに眉を跳ね上げる。


「ああ? 随行する神官だあ? んなこと白渓宮からは聞いちゃいねえが……ふん、ま、どうでもいいか。お供が何人増えようが、巫女様が紅国で呪われちまうことには変わりねえからな」

「違ェねえ!」

「そりゃあそうだ!」


 一頻り下卑た笑声を立ててから、守備兵は無言で佇む玄奘の肩越しに、馬車の車窓を覗き込んだ。いかにも底意地悪げに唇を吊り上げた男たちの嘲笑が、黎琳に向けられる。


「つー訳で――とっとと馬車から降りな、巫女様」

「え?」

「何を間抜け面してんだよ、当たり前だろ? あんたは身一つで追い出された嘘つきで、今あんたが乗ってんのは王宮の馬車だ。ここで置いてくのが筋ってもんだろうが……違うか?」


 双眸を瞠った黎琳に向かって器用に片眉を跳ね上げると、守備兵らの先頭に立っていた一際体格のいい中年男は、碌に手入れもされていない髭面の中で歪な笑みを拵えた。そのまま馬車に顔を寄せてきた男の息が、今しも車窓の窓硝子に掛かろうとした――その直前。


「……つまり、こっから先は歩いて行けっつー訳か?」

「!」


 馬車の前に仁王立った長身の神官が、男の肩を押し留めた。

 およそ神官らしからぬ乱雑な口調に鼻白んだのか、髭面の守備兵は一瞬、たじろぐような素振りを見せたものの、一つ鼻を鳴らしたところで気を取り直したらしい。再び嘲笑を浮かべて頷くや、下卑た微笑とともに更なる要求を突きつける。


「ああ、そうさ。それから、門を開けて欲しけりゃ巫女様が地べたに頭擦りつけて土下座して頼んでみな。この馬鹿でかい国境門は、大の男六人掛かりでようやく開けられる代物だ。軟弱な神官どもやお嬢ちゃんじゃ、まず開かねえ……ほら、とっととそこから降りて俺らに〝お願い〟しな」




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