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第一節 - Ⅴ




「………………お祖父(じい)様?」

「そ。て言っても、君のお父さんやお母さんのお父さんじゃないよ? ひいお爺ちゃんのそのまたひいお爺ちゃんの更にひいお爺ちゃんよりも、もっとずっと前のお爺ちゃんてところかな」

「…………」


 ひょっとして揶揄われているのだろうか?

 ぱちりと金瞳を瞬いてから、黎琳はまじまじと目前の青年を見つめ返した。白蓮と名乗ったこの若者は、どこからどう見ても父である拯曹より年上には見えないし、何よりこれほど見事な白銀髪であれば、親戚でなくとも一度はその名を耳にしているはずだ。

 だが、産まれてこの方、黎琳は自分と同じように龍姫と似通った特徴を持つ者がいるなどとは、全く聞いた試しがない。

 それに、ついさっき彼が口にしていた〝近くて遠い親戚〟とは一体如何なる意味なのか?


「あの……本当にご親戚なのですか?」

「あらら? 信じられない? ま、そりゃあそうだよねぇ、黎琳にとっては今日が〝初めまして〟になるんだもんね」


 弱り果てた様子で眉を下げた少女に対して、青年は気分を害するどころか、さも当然と言わんばかりに深く頷いてみせる。


「僕は長い間、色んな国をふわふわしていたから、君が僕のことを知らないのも当たり前だよ。でも、僕は君が産まれたときからずっと気になってたんだ……こんなに強く〝あの子〟の血が出た殷の末裔は、黎琳が初めてだったからね」

「〝あの子〟?」

「……だけど、人間は昔からとても(よご)れやすい生き物だから」


 小首を傾げた黎琳の問いかけには答えぬまま、真白い青年は言葉を続けた。

 ほんの一瞬、微笑を浮かべる彼の瞳が硝子玉のように無機質な光を孕んだように見えたのは、夕陽の反射からだろうか? だが、それは若者の瞬き一つで拭ったように消えてしまっている。


「黎琳はきっと、他の人間たちのように悪い子になっちゃうんだと思ってた。だから、今まで君には近付かなかった……でも、黎琳はずっと、ずっといい子だったね」


 酷く申し訳なさそうに眉を下げると、青年――白蓮は、そっと少女の薄い肩に腕を回した。


「君が気付かないくらい遠くから、ずっと見ていたのは本当だよ。王妃様になるために色んなお勉強をしてたのも、毎日一生懸命お祈りをして一番偉い巫女様としてのお仕事をしていたことも、全部知ってる。どんなに辛くて苦しくて、誰にも助けてもらえなくても……君が、一度だって泣かなかったことも」


 それはまるで親鳥が雛を包み込むような、この上なく優しい抱擁だった。


「遅くなってごめんね、黎琳……これからは僕が黎琳の家族になって、ずっと傍にいるから」

「!」


〝家族〟――その単語を耳にした途端、少女は琥珀色の瞳を溢れんばかりに見開いた。信じ難いものでも見るかのように青年の白皙の美貌を見上げると、微かに震える唇から問いを発する。


「か、ぞく……傍に……?」

「うん」

「……本当に?」


 少女の背に回した両腕に少しだけ力を込めてから、白蓮は穏やかに頷き返した。


「うん」

「…………っ」


 きっと、これは単なる夢だ。そうでなければこれほど唐突に、目が眩むような幸福が自分に舞い込んでくるはずがない――喉の奥から込み上げてくる熱の塊が溢れぬように、黎琳は唇を引き結んだ。そんな少女の背を、男にしては薄い白蓮の掌が優しく撫でる。


「もう我慢しなくていいんだよ、黎琳。今まで辛かった分、沢山泣いていい……よく頑張ったね」

「ふ……っ」


 ついさっき出会ったばかりの――それも、自分は祖父だなどと突拍子もない名乗りを上げた相手なのに、何故だろう?

 胸の奥底から急速に湧き上がってきた思慕の念に突き動かされるように、黎琳は震える手で目の前の温もりにしがみついた。少女の大きな瞳から溢れた涙滴が、白蓮の胸元に次々と薄い染みを作っていく。

 本格的にしゃくり上げながら幼子のように泣き始めた少女の頭に頬を寄せて、白蓮は温もりに満ちた声音でもう一度囁いた。


「頑張ったね」




     *     *     *




 どうやら泣き疲れて眠ってしまったらしい。

 あどけない寝顔に残った痛々しい涙の痕を優しい手付きで拭ってやってから、青年――白蓮は、黎琳の小柄な身体を抱えて立ち上がった。

 頭上には薄明の空が広がっていた。夕陽の溶け落ちた茜色の水平線と、澄んだ群青色の夜の幕が混じり合ったそこには、既に幾つかの星が瞬き始めている。あと幾らもしないうちに、完全に陽が落ち切るだろう。

 一足早く宵闇の冷気を孕んで吹き荒ぶ風に長衣の袖を煽られながら、白蓮がその場を離れようと身を翻しかけたとき。


「「――だから早く迎えに行こうって言ったのに」」


 少女を抱え上げた白蓮の背後に、大小三つの白い人影が忽然と現れた。


「こんなに泣いて」

「可哀想な黎琳」


 抑揚のない澄んだ声音でそう交互に口を開いたのは、白蓮と同じ白い神官服に身を包んだ、秀麗な双子の少年たちだった。

 耳慣れぬ者が聞けば、彼らのその台詞は、まず間違いなく一人の少年が口にしたようにしか聞こえなかっただろう。それほどまでに声質、抑揚ともによく似通った双子の少年――朱霞(しゅか)青藍(せいらん)は、声音のみならず、一挙手一投足まで鏡で映したようにそっくりな動作で白蓮に歩み寄って来ると、その両腕に抱え上げられた少女の寝顔を覗き込んだ。肩口で綺麗に切り揃えられた癖のない白銀髪の下、整った瓜二つの容貌には何の表情も浮かんではいなかったが、涼しげに眦の切れ上がった彼らの琥珀色の双眸には憤然とした光が宿っている。


「――仕方ねえだろ? 一番人懐っこそうに見えて、その実、一番疑り深ェ陰険(ネクラ)がそいつなんだからよ」


 双子の少年に向かって身も蓋もない反駁の言葉を返したのは、詰られた白蓮自身ではない。少年たちの更に後方から気怠げな足取りで歩み寄ってきた、いま一人の人物だ。

 神官服を盛大に着崩した長身の美丈夫――玄奘(げんじょう)は短く刈り込んだ白銀髪の頭を無造作に片手で掻きながら、およそ目付きがいいとはお世辞にも言い難い琥珀色の三白眼を眇めて嘆息する。


「にしても……黎琳(コイツ)に名乗った肩書きだがな、もっと他にまともなもん思い浮かばなかったのか? よりにもよって祖父(ジジイ)かよ」

「「正確には俺たちは祖父じゃない」」


 そう寸分違わず口を揃えて頷いてから、朱霞と青藍は互いに表情のない顔を見合わせた。


「黎琳は俺たちの〝妹〟の孫の」

「そのまたずっと先の子孫だから」

「…………」

「…………」

「「人間は兄妹の孫を何て呼ぶんだっけ?」」

「知らね」

「朱霞、青藍、玄奘、静かにしないと黎琳が起きちゃうよ」


 しい、と口の前で指を立てた長兄――白蓮に嗜められて、三人の弟たちは、まずいと言いたげに罰が悪そうな表情でそれぞれ兄の腕の中を覗き込んだ。そこで眠っている少女の寝顔を暫し見つめて、何の変化も見られぬことを確認するや、ようやく詰めていた息を吐く。


「……そんで? これからどうすんだ?」

「どうって?」


 気を取り直したように片眉を上げ、やや声量を落としてそう尋ねてきた玄奘の精悍な顔立ちを、白蓮は横目で見返した。それに対して、長身の美丈夫が獰猛な笑顔を返してくる。


「んなの決まってんだろ? 俺ら保護者が不在だったとはいえ、ウチの可愛い〝孫〟をここまで徹底的に痛ぶりやがったんだ……あのバカどもには当然、それ相応の仕返しをしてやっても構わねェよなァ?」

「蓮兄がようやく重い腰を上げたんだもの」

「もう僕らも手を出していいんでしょ?」


 声色だけは静かだったが、長兄を振り返った兄弟の琥珀色の双眸は、氷針めいた鋭い輝きを孕んでいた。それを穏やかに一瞥してから、白蓮は首を振る。


「僕らが直接、手を下す必要はないよ……知ってるでしょ? 千年前に〝あの子〟が去った後、()()()が辿った哀れな末路を」


 白皙の美貌に浮かんだ微笑みは優しかった。

 だが、三人の弟たちとよく似た琥珀色の瞳には、彼らと同じ凍てついた輝き――底知れぬ軽蔑と冷ややかな嘲笑が宿っている。

 子守唄でも口遊むかのような軽やかな口調で、真白い青年は穏やかに断じた。


「殷国も同じさ。遠からず、この国の地と民は滅亡の道を辿る……たった一人で龍脈を支えていた、唯一の正統な巫女を追い出したんだからね」





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