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第四節 - Ⅱ




 これを奇跡と呼ばずして、何と呼ぶのだろう?

 湖面に雫が滴り落ちる涼やかな水音が鼓膜を叩いたかと思うと、旋風によって砂の吹き払われた地面が瞬く間に色を変えた。まるでこの一瞬で不可視の雨でも降ったかのように、白く乾き切って罅割れていた一面の土が、よく耕された田畑の堆肥を思わせる黒ずんだそれに変じたのだ。次いで明らかに土質の変わった周囲一面から、可愛らしく種の殻を被ったもはや数え切れぬほどの数の植物の芽が、次々と頭を擡げてくる。


「これは……」


 茫然と目を見張って、禎亮は四方を巡る旋風に誘われるがまま、瞬く間に変じてゆく中庭を見回した。

 それは、あたかも本来であれば数十年という永い年月をかけて育まれる生命の変化を早回しで眺めているかのような、不思議な光景だった。

 草と樹、そして花――あちこちで芽吹いたあらゆる植物たちが、自ら身震いするかのように茎を畝らせ、見る見る梢を広げて伸びてゆく。


「…………!」


 何処(いずこ)かへと吹き抜けていった旋風が止んだとき、中庭には夢のような情景が広がっていた。

 見渡す限り、足元一面に色とりどりの花弁を揺らす花畑。そこへ柔らかな木漏れ日を注ぎながら、青々とした枝葉を広げる樹々。枯渇したまま半壊していたはずの噴水からは清水が湧き、最前まで確かに灼けるような熱を孕んでいた空気は、どこか春の温もりを帯びた爽風に変わっている。

 庭師によってよく手を入れられた王宮の園庭とはおよそ程遠い――だが、深い森の奥に隠された神の箱庭を彷彿させる、美しい情景。


「……上手く、いったのですか?」


 背後から聞こえてきたか細い声に、魅入られたように中庭の景色を見回していた禎亮は、夢醒めやらぬ者の表情を浮かべたまま徐に振り返った。

 茫然と年若い王が向けた視線の先で、そっと祈りの形に組んだ指を解いて目を開いた少女――この途方もない奇跡を成した異国の巫女が、ほっと華奢な肩から力を抜いて相好を崩す。


「よかった……少し不安はあったのですが、殷国の神泉と同じ、とても懐かしくて温かいものが()()に流れていることが感じられたから……きっと、龍神様が御力を貸して下さると思ったのです」


 嬉しげに細めた金瞳で花畑に変じた地面を一瞥してから、黎琳は再び眉尻を下げて面目無さそうに微笑んだ。


「私の力では、この王宮の敷地内いっぱいに龍脈を伸ばすのが精一杯だったようです。ですが、国中を巡って、何度も龍脈の創生を繰り返して繋げてゆけば、恐らく他の地も蘇らせることが――」

「黎琳」


 少女の白皙が笑顔を象ったまま凍りついたのは、そのときだった。(くずお)れるように黎琳の前で膝をついて座り込んだ禎亮が、酷く小柄な巫女の上肢を唐突に抱き竦めたのだ。

 一拍遅れて己の状況を把握するや、石像の如く硬直した黎琳の顔が真っ赤に染まる。


「て、ていりょうさま、あ、あの」

「黎琳……ありがとう」


 肩口から聞こえてきた、そのややくぐもった低い声音を耳にした途端、強張っていた少女の肢体から力が抜けた。


「貴女が故郷で理不尽な不遇を受けて我が国にやって来た経緯を知っているのに、今、心からそれを喜んでいる俺は、何と醜悪な人間だろう? だが、それでも俺は、黎琳にその運命(さだめ)を与えた神に感謝申し上げたい……それから、黎琳にも」


 ゆっくりと抱擁を解くと、禎亮は優しく黎琳の両手を取った。黒髪の下で泣き笑うような表情を湛えた端整な面が、少女の金瞳を間近から覗き込む。


「水と大地に愛された龍の巫女よ、俺の国と民に慈悲を与えてくれたこと、心より御礼申し上げる――ありがとう、黎琳」

「…………っ」


 眼底が酷く熱い。

 この胸の奥から湧き上がってくる、魂を掬い上げられているかのような感覚を、果たして何と呼べばいいのだろう?


「……いいえ、禎亮様。御礼を申し上げるのは私の方です……私こそ、全ての運命を与えて下さった龍神様に、感謝を申し上げなければ」


 そっと禎亮の両手を握り返すと、黎琳は今にも雫となって滴り落ちようとしている目の奥の熱を必死に堪えながら、泣き笑うように微笑んだ。

 ――玄天宮から飛び出してきた申と寧寧が揃って感極まった表情を湛え、手を握り合ったまま座り込んだ王と巫女の元へ駆け寄って来たのは、その直後のことだった。




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