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第三節 - Ⅴ




「……この調査結果は事実なのか?」


 玄天宮、執務室――いま一度報告書に目を通し終えてから、窓際に置かれた執務卓に着いた禎亮は、頭痛を堪えるようにこめかみに手を当てた。常に飄々とした表情を崩さぬこの若い国主には珍しく、その眉間には盛大な皺が寄っている。


「いや、悪い。芳祥(ほうしょう)が斥候としてずば抜けて優秀なのは知っているが、どうにも信じ難くてな。よりにもよって大国の太子がこんなことを仕出かした上に、それを朝廷と神殿が諸手を挙げて容認するとは……これはもう、何と言うか――」

「頭おかしいですよね、わかります」


 主君が濁した言葉尻を身も蓋もなく補填すると、執務卓の前に佇んだ童顔の文官――郭申は表情の死んだ顔で端的に頷いた。


「常々、頭のおかしい国だとは思ってましたが、まさかここまで()かれてるとは正直、予想外でした。完全に舐めてましたね……まさか筆頭巫女に冤罪を吹っ掛けて国を追い出すなんて、正気の沙汰とは思えませんよ」

「……殷国はここ二千年余り、深刻な飢餓や水不足に喘いだことなど皆無だからな。神気を有した巫女がどれほど貴重な存在であるのか、露ほども理解していないのだろう」


 形のいい唇に苦笑を浮かべて、禎亮はそこから深い深い溜め息を吐き出した。


 紅国に黎琳が来てから既に一月――龍姫を騙り、とっくに成人を迎えている殷国の太子を誑かそうとした悪女にしては幼過ぎる上、悪事を働くどころか、嘘一つまともに付けない少女が流刑に処された経緯に不審を抱いた禎亮は、ここ半月というもの、殷国に潜らせた斥候に命じて、その内情を秘密裏に探らせていた。

 忌み嫌われているが故に表向きこそ完全なる鎖国状態だが、実のところ、出自を隠して他国へ外商に出ている紅の民は数多存在する。他国の民にはほとんど知られていないものの、紅には良質の金や鉱石を産出する土地が多く、またその加工技術に秀でた職人も数多い。国内で生産した高価な装飾品を他国で売り捌き、そこで得た外貨で食料品類を購入して、自国へと舞い戻るのだ。各国と紅国の間に設けられた国境門には、いずれの国も罪人崩れの兵士が配備されているため、無論、頻繁に通過することこそ不可能だが、金品を袖の下に握らせてやりさえすれば、快く見逃してくれる関所がほとんどである。

 今回もそうやって潜らせた殷国の密偵たちに、黎琳の一件を託した訳であるが――今朝方、届いたばかりの報告は、実に頭が痛くなるようなものだった。


「確かに〝子が望めぬから〟という言い分は王侯貴族にはままあるが、相手は巫女だぞ? どうして国から追い出す必要があったのか、さっぱり分からん」

「何でも太子の薛郗様、色好みで胸の大きな美人がお好みだそうですよ? そんな訳で、原因不明の発育障害で幼いまんまの黎琳様を、公然と冷遇してらしたとか……それに、何度も嫌悪も露わに〝薄気味悪い〟と周囲に漏らしていたようですし、単純に遠去けたかったんじゃないですかね?」


 眉間を揉み解している禎亮の前で、腕を組んだ申が侮蔑し切った半眼で鼻を鳴らした。


「宝石商として白渓宮に潜入した芳祥様の話では、新たに太子の許嫁として繰り上がった蘭々様を始め、殷国の巫女様方は揃いも揃って、美容磨きと宝飾品に目がない後宮の側妃みたいな方々ばかりだそうです。おまけに他人の陰口や噂話が大好物で、それはそれは偵察のお役に立って下さったとか」

「……王宮絡みの案件ゆえに内偵には時間を要するかと思っていたが、サクサク調査が進んだのはそういう理由からだったか」

「お喋りな方が多くて助かりましたね」


 冷ややかな表情で肩を竦めると、申は短く嘆息した。


「しっかしまあ、黎琳様もとんだ災難でしたね。七歳で太子様の許嫁に決まったときは、やれ龍姫の生まれ変わりだの再来だのとめちゃくちゃ誉めそやされたのに、その後は絵に描いたような転落人生真っしぐらじゃないですか。呪いでも掛けられたみたいに子供の姿のまま成長出来ず、散々奇異の目で見られた挙げ句、家族と許嫁に捨てられて国外追放……あ、でも、殷国の色ボケ太子が巨乳好きだったところだけはよかったですよね? だってもし幼女趣味(ロリコン)だったら黎琳様、今頃――」

「――まあまあまあ、下劣極まりない発言を垂れ流していらっしゃるのは一体、何処のどなたでございましょうねえ?」


 申の背後から、慈母のように優しい声が上がったのはそのときだった。そして次の瞬間、男にしてはやや薄い文官の肩は、彼の後ろから伸びてきた白魚のような繊手によって万力めいた怪力で握り取られている。


「申? 貴方、私がいくら黎琳様のお人柄を訴えても、この一月というものずっと殷国太子様の密書を鵜呑みにして、あの方を疑わしげに見ていたわね? それが此度の調査でようやく晴れると喜んでいたのに……その言い様は何なのです?」

「は、母上!?」


 いつの間にか真後ろに佇んでいた人物――全く目が笑っていない微笑を浮かべた寧寧を認めるや、申の童顔から音を立てて血の気が引いた。条件反射で背筋を伸ばすと、完全に裏返った声で抗弁する。


「いや! 今の言葉のあやってやつで……()った! ()ったァァァァァァァァァァァァ! ちょ、痛い痛い痛いから助けて下さい禎亮様!」

「……俺も今の発言は不快だったぞ? と言う訳で寧寧いいぞもっとやれ」

「うわマジですいません謝りますから許して下さい()ったァァァァァァァァァァァァ!」


 額に青筋を浮かべた実母に説教を喰らいながら、制裁を加えられることおよそ五分――ようやく解放されたときには、既に童顔の文官は精魂尽き果てていた。掌の形そのままに窪んだ肩を震える手で押さえながら、白眼を剥いて床に這いつくばっている。


「大変お見苦しいものをお見せしてしまって申し訳ございませんでした、禎亮様」


 身悶える息子を綺麗に黙殺すると、寧寧は何事もなかったかのように押してきたワゴンから茶器を取り上げて主君に振る舞った。


「良い調査結果が得られて喜ばしゅうございましたね。紅にいらしてから暫くは暑さに慣れず、伏せっておられることもしばしばでしたが、最近の黎琳様は体調も(すこぶ)る宜しいご様子です。晴れて何の珠傷(たまきず)のない筆頭巫女であらせられたこともわかったことですし……そろそろ黎琳様に、紅で神事を執り行うことは出来ないかと御相談申し上げても宜しいのではありませんか?」

「…………」

「……禎亮様?」


 当然、笑って頷くであろうはずの主君が実に複雑そうな表情で押し黙ってしまったのを見て、寧寧は双眸を瞬いた。

 殷国から巫女を招いて神力を施してもらうことは、長年に渡る禎亮の悲願であったはずだ。だからこそ、彼の国から幾度となく拒絶されてもその都度、使者を送り直し、嘆願を重ねてきた――それなのに、一体どうしたことだろう?


「禎亮様、如何されたのです? もしや、お身体の具合でも――」

「あ、俺は今、用事があるのを思い出したぞ。話の途中ですまんが、ちょっと行って来る」

「はい? 禎亮様、急にどちらへ……禎亮様!?」


 やけに朗らかな笑顔を湛えた禎亮はそそくさと席を立つや、女官の呼び掛けなど一切聞こえていない振りをして、足早に退室した。瞬く間に遠去かっていった足音が完全に途絶えた後、ここに至ってようやく床から半身を起こした申が呆然と呟く。


「………………え、何か馬鹿みたいにわかりやすく誤魔化して逃げて行きましたよね? 今そんな聞いちゃまずいこと聞きましたっけ?」

「さあ……一体どうなさったのでしょう、禎亮様」


 頭に疑問符を飛ばしながら互いに顔を見合わせると、寧寧と申は揃って首を捻った。




     *     *     *




「……いかん、反射的に逃亡してしまった」


 一方、人気のない廊下の果てまで歩いてくると、禎亮はようやく足を止めた。

 宮中には相変わらず近衛兵の一人もおらず、しんと静まり返っている。灼けるように強い陽射しが差し込む窓辺に片手を付くと、禎亮は悩ましげに眉を寄せて、深い溜め息を吐き出した。


「巫女を招致することは、確かに積年の夢だったが……よもや、これほど訳ありの子が送られて来るとはなあ」


 初めて彼女――殷国からやって来た黎琳の容姿を目にしたときの驚嘆は、今でもはっきりと覚えている。長い白銀髪に琥珀色の瞳、幼いながらも完璧に整った白皙の顔。まさに伝承に聞く龍姫そのものの容貌に、彼女ならば故国を救ってくれるに違いないと、否が応にもその期待は高まった。

 そして、それは黎琳と出会った誰しもが同じであっただろう。現に農園で初めて黎琳と対面した奎秀、翠玉、春嶺の三人は、御伽話に出てくる銀色のお姫様みたい、と大きな瞳を輝かせて異国から来訪した巫女を見上げていたものだ。

 だが、暗に龍姫を示唆するその呼称を聞いたとき――


『……銀色のお姫様、ですか』


 黎琳は酷く淋しそうに微笑んで目を伏せた。

 あの頃はまだ、黎琳の本性を半信半疑で見定めようと暫し静観していた頃合いであったから、禎亮はこう思っていたのだ――もし彼女が龍姫の再来を詐称していたのが事実なら、今更その名で呼ばれることを自嘲しているのだろうか、と。

 しかし、実際にはきっと、絶望にも近い不安を抱いていたに違いない。また預かり知らぬうちに龍姫の生まれ変わりだなどと期待を掛けられ、挙げ句、再び失望されてしまったら?――だって彼女は、そのようにして故郷を追い出されたのだから。


「はあ……」


 背中を丸めて、禎亮は再び溜め息を吐いた。

 この一月、間近に接して彼女の為人(ひととなり)が如何に実直であるかを体感したからこそ尚のこと、あの優しく不幸な生い立ちの少女を僅かにでも疑ってしまった事実が、今更ながら自責の念となって重く伸し掛かってくる。あまつさえ、これから自分はそんな彼女に紅国の命運までもを背負わせようとしているのだ。

 恐らく、義理堅く真面目な彼女は神事を快諾してくれるだろうが、果たしてどこまで成果が上げられるかは全くの未知数である。もしも、けして芳しくない結果が出てしまったら、黎琳は泣いてしまったりはしないだろうか?

 彼女には思い悩んでほしくない――いつだって笑っていてほしいのだ。


「民のために万策を尽くさねばならんのはわかっているが……俺は意外にヘタレだったのだな」


 こめかみを指で揉み込んでから、禎亮はひとつ頭を振った。再び廊下を歩き出そうとしたところで――ふと、報告書の中にあった少々の情報を思い出す。


「ふむ、黎琳もああ見えて十八歳か……翠玉や春嶺と同じように気安く撫でるのは良くないな」


 気を付けよう、と一人頷いて、禎亮は今度こそ廊下を歩き始めた。




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