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第二節 - Ⅴ




「うちの国は、長らく外交とはとんと無縁なものでな、俺は堅苦しいのが苦手なんだ。不躾な態度が貴女たちの気に障ったら申し訳ない」


 口元に笑みを湛えたまま玉座の置かれた壇上から降りてくると、紅国国主――禎亮は、外套姿の少女の前で片膝をついた。およそ主君らしからぬ振る舞いに面食うあまり暫し床の上で硬直していた少女が、慌ててフードを外して跪く。


「と、とんでもないです! 申し遅れましたが私、殷国から参りました宗黎琳と申します。不束者ですが、こちらこそよろしくお願い致します」

「…………」

「……………………あ、あの、国王陛下?」


 微かに双眸を瞠ったまま瞬きすらせぬ目前の王に気圧されたように、黎琳は顎を引いた。その様子を見てとるや、禎亮がはっと我に返る。


「ああ、すまんな。これほど美しい姫にお目に掛かったことはなかったものだから、うっかり巫女殿に見惚れてしまっていた」

「う、うつ」

「うちの子誑かすの止めてくれませんかねぇ国王陛下」


 小舅丸出しの台詞で割り込んできたのは、真っ赤に染まった顔面から、ボンと音を立てて湯気を噴いた少女の後方――それまで黙して黎琳と禎亮の挨拶を見守っていた四兄弟の長兄、白蓮である。


「巫女殿、後ろの方々は?」

「こちらは殷国から私について来て下さった……………

……………ええっと、神官? の皆さん? です」

「え、何でそこ疑問系なんですか? しかも今すごい考え込みましたよね?」

「神官の白蓮でーす」

「朱霞と」

「青藍」

「玄奘でーす」


 申から入った突っ込みを潰すように、外套を目深に下ろしたままの四兄弟が次々と手を上げた。童顔の官吏はあからさまに訝しげな渋面を拵えていたものの、その主君はと言うと、別段、その辺りはどうとも気に掛けなかったものらしい。再び精悍な面に朗らかな笑みを浮かべると、鷹揚に頷く。


「なるほど、神官殿か。とても砕けていて、何だか俺と気が合いそうだな……ああ、俺のことは気安く禎亮と呼んでくれ、陛下だなんて畏まった呼び名は肩が凝る。巫女殿のことは名前で呼んでも構わないか?」

「は、はい」

「では、黎琳」

「!」


 まだ、ほんのりと頬を上気させている巫女の小さな両手を優しく取り上げると、禎亮はそれを自らの額に押し宛てた。


「貴女を我が国に導いて下さった龍神に、心より感謝申し上げる。どうか心優しき聖女の慈悲が、呪われし我が国の地と――そこに暮らす全ての生命に等しく齎されんことを」




     *     *     *




「――さ、黎琳様、寝支度をお手伝い致しましょうね」


 瀟洒な飾り枠に縁取られた窓硝子の向こうには、白く瞬く満天の星空が広がっていた。夜の帳が落ちた寝室にはランプが灯され、華美な調度品こそ誂えられてはいないものの、清潔に保たれた簡素な部屋を柔らかに揺れる橙色の灯りが照らしている。


「日中は灼熱のような暑さですが、夜間はびっくりするほど冷えるんですよ。今晩は暖かくしてお休みになって下さいましね」


 就寝中に絡まぬよう、慈母のような優しい手付きで白銀色の長い髪を右肩でひとつに編み込んでいきながら、四十も半ばを過ぎた中年の侍女――郭寧寧(ねいねい)は、新たに迎えたばかりの小柄な主に向かって微笑みかけた。

 きっちりと結い上げられた黒髪の下、いかにも宮廷女官らしい品のある立ち振る舞いと、目尻に笑い皺の刻まれた柔和な顔立ちは、実の息子だという申にはあまり似ていない。


「わかりました……ありがとう、寧寧」


 髪を滑る他人の指の動きを懐かしく思いながら、寝台に腰掛けた少女――黎琳は、上目遣いに侍女の笑顔を見上げて、気恥ずかしげな笑みを返した。膝の上で重ねた両手に夢見るような視線を落とすと、ほうっと溜め息をつく。


「あんなに楽しく誰かと一緒に取るお食事は、とても久しぶりでした……」


〝玉座の間〟で禎亮と挨拶を交わした後、黎琳ら一行は至極ささやかな宴に招かれた。席を共にしたのは禎亮と申、侍女として紹介を受けた寧寧の三人に加えて、料理番の寇哲(こうてつ)だと名乗るや否や、当初はすぐさま厨房に引っ込んでしまった熊のような風体の大男のみである。冗談抜きで今、玄天宮に常任している人間は、王を含めても四人しかいないらしい。事由は禎亮曰く、うちは貧乏なものでな、とのことである。

 同じ理由から酒こそ振る舞われなかったものの、殷では一度も口にしたことのない香辛料を多用した紅国の郷土料理が数多く卓上に並べられ、黎琳と白蓮らの舌を存分に楽しませてくれた。食料や水に事欠くことも稀ではないと聞いていたのに、これほど大人数に料理を一遍に振る舞うのはさぞや苦労したことだろう――だが、禎亮たちはその苦労を微塵も垣間見せなかった。

 当初こそ恐縮してなかなか口を付けられなかった黎琳だったが、申によって厨房から引き摺り出されてきた寇哲が隣に座り、あれやこれやと物珍しい注釈を添えられながら料理を勧められているうちに、いつ間にか満腹になり、気付けば終始笑っていた。


「まだ王宮にいらっしゃるほんの一部の方にお会いしただけですが……紅国の方々は、お人柄の暖かい方ばかりですね」

「黎琳様……」


 一瞬、髪を編み込む手を止めてから、寧寧は物言いたげな表情になった。だが、再び指先を動かし始めたときには、既にその顔には最前までの笑顔が浮かんでいる。


「王宮だと言うのにあまりに人が少なくて、さぞや驚かれたでしょう? 禎亮様の御父君――亡くなられた先王陛下は、呪われているのだから仕方がないと絶望して何もかもを放り出された方でした。その御父君に代わって幼少の頃から国政を摂られていたのが禎亮様です」

「御自身が王位に就かれる前から、ですか?」

「ええ、いつも(わたくし)たちの……臣下や民のために、沢山のことをして下さいました」


 目を丸くして見上げてくる少女に向かって、寧寧は大きく頷いた。


「この玄天宮に今、近衛兵や女官がほとんどおらず、一切の宝物品がないのもそのためです。父王が崩御なさるなり、あの方はほんの僅かな家財を残してほぼ全てを売り払われ、密かに炎天下でも育ちやすい果樹や作物の種子を南国から取り寄せて、幾つかの小さな農園を作られました――〝俺の世話は俺が自分でするからな〟〝これから王宮勤めの者たちには、民が飢えぬよう旨いものを作ってほしい〟と、あの飄々とした顔で笑って皆にそう仰って」

「……禎亮様はすごいのですね」

「そんなことはありませんよ」


 感嘆の溜め息を溢した黎琳に向かって、寧寧はわざとらしく片眉を上げてみせた。


「自分のことは自分で出来ると大見栄を切っておきながら、いざ様子を見に戻ってみれば、髪は爆発したような有り様で料理も黒焦げ。とても苦そうに炭を齧っていらしたのです……だから私と寇哲が慌ててこちらへ復帰したのですよ」

「ふふ」


 侍女の口振りが可笑しくて、黎琳はくすくすと肩を揺らした。一頻り笑った後、ぽつりと呟く。


「私も……私にも、何か、この国の皆様のために出来ることがあるしょうか?」

「まあ、黎琳様」


 ぱっと表情を明るくして、寧寧はいかにも嬉しそうに微笑んだ。


「こんなにお優しくて可愛らしい巫女様にいらして頂けるなんて、我が国はそれだけで幸せですよ……さあ、御髪の用意が出来ましたよ。遠路遥々、白渓宮からおいでになられて、さぞやお疲れになったでしょう? 今晩はゆっくりとお休みなさいませ」

「……お休みなさい、寧寧」


 寝台に横たわらせた少女の首元まで優しく上掛けを引き上げてやってから、寧々は枕元のランプを消した。恭しく一礼して踵を返した侍女の背中が、扉の向こうに消えていく。

 硝子越しに注ぎ込んだ月明かりが、室内を蒼白い光で満たしていた。

 隣室には『四人一部屋でいい』と言って、結局、宴の間中も外套を目深に被ったままだった白蓮らがいるはずだが、もう寝静まってしまったのか、物音や話し声は聞こえてこない。


(私は……ここで何が出来るかしら?)


 星の瞬く音すら今にも耳に届きそうな静寂の中で、黎琳は寝台の天蓋を見上げながら自問自答した。

 まだ会って間もない人々だが、こんな自分をただ暖かく出迎えてくれた――たったそれだけでも、黎琳にとっては〝何かしたい〟と思うには充分過ぎる理由だった。

 殷国からの知らせが届いていたということは、きっと禎亮たちは、黎琳が流刑に処された曰く付きの巫女だと知っていたに違いない。にも拘らず――彼らは何も問わず、笑顔で受け入れてくれたのだ。


(私に、出来ること)


 それは一体、何か――

 模索を繰り返しながら、黎琳は目を閉じた。




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