秋の休日(前編)
外伝。
今回の主人公はキール・デリではなく実験体として育てられていたルドワイヤン博士です。
幼い頃のルドワイヤン博士は文字も知らず、またベッドに寝たきりだったため外出したこともありませんでした。
たいしたことはありませんが、メンタルにくる人がいるかもしれませんのでR15指定となります。
ファンタジアの真ん中にも秋は来る。これから話すのは明るい日差しと黄色くなった枯葉の舞う、そんな秋の日の午後の出来事だ。その日、ルドワイヤン博士は珍しく屋外に出ており、すぐ後ろではマン・ダミーのロッキーが、ジェナスに言いつけられた立ち木の手入れをせっせと行っていた。
「こ、こ、こんなもので、い、いいです、か」
ロッキーは自信がなかったので、すぐそばにいたルドワイヤン博士に刈り込みの出来を聞いた。いいですよ、とルドワイヤン博士は答え、そこに置かれていた白いプラスチックの椅子に腰掛けた。
彼の顔はおそらくファンタジア随一の異相であろう。目の色は左右で違うし、口元には人工的につくられた大きな犬歯が上下に見えている。この顔のモデルはとある大昔のホラー映画に出てくるモンスターだと言われているのだが、その理由は彼を作出したドクター・サイモンがたったひとつだけ所有していた映画ソフトがそれだからであった。もっともルドワイヤン博士本人はその顔とはうらはらに、とても物静かな人物である。
「は、は、はくしゃくさまは、ひ、ひまなんですか」
「今日はね。特に何もありませんから」
穏やかにルドワイヤン博士は答える。
「伯爵様はやめて下さい。公じゃないんですから」
「わっ、わ、わかり、ました」
どもりながらロッキーは言い、また剪定作業に戻った。下男ではないのだから、とセンター代表のジェナスはロッキーの言葉遣いを改めさせようと事あるごとに注意するのだが、ロッキーの話し方はいつまでたっても直らなかった。この前時代的な言葉遣いが、聞いているほうにとってはなんとも恥ずかしいということもある。ルドワイヤン博士は伯爵様だしジェナスは坊ちゃんだ。ホーバーにいたっては先生様である。例外はパフィキャットのカラットで、彼女だけはねこちゃんだ。分かりやすく耳と尻尾があるからなのだが「坊ちゃんの猫ちゃん」はやめてほしいと、これも本人からはひどく不評なのだった。
「こ、こ、これは、な、なんですか」
ロッキーが植え込みの隙間から何かを拾い上げた。文庫本を出してくつろいでいたルドワイヤン博士は、それを聞いて本から顔を上げてそっちを見た。誰かが投げ込んでいったらしい。このサイモン財団遺伝子研究保存センターは大通りに面した場所にある。特に人通りが激しい場所でもないのだが、こうやって庭を掃除すると時々出所不明なものが出てくることがあった。
「またですか。捨てて……いや、ちょっと見せて下さい」
ルドワイヤン博士は本を閉じ、ロッキーのほうへ歩いていった。渡された泥だらけのそれを、手が汚れるのもかまわずにしげしげと見る。ロッキーがあ、あの、と話しかけてきた。
「は、はくしゃくさま、そ、それは、ど、どうし、ますか」
苦笑を浮かべつつ、ルドワイヤン博士は泥を振り落として外側が見えるようにした。ジャンクだ。古い、何十年も前にはやった携帯ゲーム機だった。青いプラスチックカバーにゴム製のボタンが見える。使えもせず廃品業者も引き取らないので誰かが投げ捨てていったのだろう。
「洗ってみましょう」
ロッキーがええっ、という顔をした。しかしすぐに水道からシャワーのついたホースを引っ張ってくる。坊ちゃんと伯爵様と先生様の命令は絶対なのだ。
「使えたら笑いますけどね」
ルドワイヤン博士はそれを芝生の上に置いて、水をかけてじゃぶじゃぶと洗った。動くことなどはなから期待していないからであった。
泥はねだらけの白衣のまま、ルドワイヤン博士はその古い携帯ゲーム機を持って、使っていない会議室に移動した。もとより今日はひまである。ロッキーにねじまわしやらゴムシートやらを持ってこさせて、彼はそのゲーム機を分解にかかった。
「おや。中身は無事ですね」
子供用のおもちゃであったのが幸いした。しっかりとねじ止めされた筐体からはどこからも水も泥も入っていず、落とされたような傷はあったが内部にひびくゆがみはなかった。ルドワイヤン博士はさらに筐体の内部をいじりまわし、内蔵された本当に小さなカメラとマイクを見つけ出した。ついでに入出力のジャックも見直し、中に詰まっている泥を掻き出す。
何をしているのかとリンダがやって来た。彼はリンダにウエスと定格のアダプターを倉庫から持ってくるようにいいつけ、ついでに室内をのぞいていたロッキーに中に入るように言った。
「な、なにをして、い、いるんですか」
「思ったより状態がいいので、もしかして動くかと思ったんです」
リンダがアダプターを持ってきた。ルドワイヤン博士はそれを壁のコンセントに差込み、その片方を古いゲーム機に繋いだ。ロッキーがすぐそばまできて、その画面を見守る。ルドワイヤン博士は慣れた手つきで電源ボタンを押し込み、ゲーム機を起動させた。
何も起きなかった。やっぱり駄目ですか、とルドワイヤン博士が電源を切ろうとした時である。パッと画面が明るくなり、続いてゲーム機のメーカーの商標が表示された。それからたくさんの風船が宙に浮き上がる絵が表示され、メニュー画面に切り替わった。
「う、うごいた」
ロッキーが言った。ルドワイヤン博士はボタンを押し、トップメニューからゲーム、カメラ、マイク、通信などど表示された各メニューを確認した。通信の場面でボタンを押す。「通信しています」というメッセージが出て、すぐに「接続できません」に変わった。
「それはそうですね」
ルドワイヤン博士はそういうと、また画面をトップメニューに戻した。コンセントを繋いだままなのに、バッテリー表示が赤くなる。そしてふっと画面が消えてしまった。
「き、きえた。なくなった」
「しょうがありませんよ」
ルドワイヤン博士は残念そうなロッキーにそう言った。コンセントを抜き、リンダにアダプターを返す。リンダはそれを倉庫に戻しにいった。
「い、いまのは、な、なん、ですか」
ゴムシートの上に様々な道具と汚れたウエスを並べ、真っ暗になった小さな画面を見ながら、ルドワイヤン博士は言った。
「ロッキーはこういうものを見たことはありますか」
ロッキーは首を横に振る。
「ち、ちいさいぼっちゃんはもってなかった」
「そうですか」
小さい坊ちゃんとはロッキーが以前いたお屋敷に住んでいた、五才くらいの子供のことである。ロッキーはそこで子供の遊び相手兼ボディガード兼庭師として使われていたのだった。そのお屋敷は、ロッキーにとってはあまり思い出したくない記憶とつながるものだったが、小さい坊ちゃんについてだけは別であった。
「ふ、ふうせんはしってる。ち、ちいさいぼっちゃんが買うから、い、い、いっしょにいくんです。た、たくさんほしいって」
ルドワイヤン博士は思わず話に聞き入った。ロッキーがこんな話をするのはめったになかったからである。
「買うんですか?」
「そ、そうです」
ロッキーの話によれば、お屋敷の門前にはよく風船売りが来たらしい。そこで小さい坊ちゃんのお供として、ロッキーはそれについて行くのだった。すぐそこの距離ではあるのだが、お金持ちの家でもあるし、小さい子供だけで外をうろうろさせるのはやはり無用心である。そんなわけでロッキーは、風船売りが来ると今までやっていた仕事をいったんやめてその買い物につきあうのであった。そう命じられてもいたからである。
「い、いっぱい買ってて、みんなとんでいって、それで、ち、ちいさいぼっちゃんが泣くんです。あ、あの、がめんみたいに」
なので買った風船を持つのもロッキーの仕事であった。ロッキーはたくさんの風船を無事に屋敷の中に届けて、それでやっと一息つけたのである。
「ふ、ふ、ふうせんいっぱいは、き、きれい。だ、だけど、小さいぼっちゃんが、な、泣くからいやです」
「そうでしたか」
ルドワイヤン博士は言った。
「じゃ、私の話をしてあげますよ。少し……難しいかもしれませんが。できるだけ分かりやすく話しますから。そこへ座るといいですよ」
なにごとかとロッキーはルドワイヤン博士の顔を見た。伯爵様がこんなことを言うのは初めてだったからであった。
サーパス・リー・ルドワイヤンが物心ついたころには、周囲にいるのは白衣を着た初老の男性一人だけであった。彼はベッドから動けないサーパス少年に一台のゲーム機を渡し、ひまな時はそれで遊んでいいと言った。間もなく一台だったゲーム機は二台になり三台になり、彼が五才になったころには十数台の機械がベッドまわりに置かれていた。あの男性は食事や入浴等の世話をし、時々何か少年に注射やその他の処置をする。それ以外はほうっておかれた。ただし飽きてきた頃に新しいゲーム機を持ってきたから、サーパス少年はそれを不満に思ったことはなかった。世界はそういうものだと思っていたのである。ただ、自分がベッドに横たわっていなくてはならない状況だけが納得いかなかった。手足があるのにまともに動かず、少し身を起こすと息切れする。そんな自分の体だけが不満であった。
六才の頃に、彼はまわりにいる初老の男性の名前を知った。その男性がたまたま室内で受けた電話に登場したサイモン・リーというその名を、彼は最初無感動に受け入れた。同時に名を呼ばれ、自分の正しい名前も知った。ドクター・サイモンはサーパス、もしくは実験体としか彼のことを呼ばなかったのであった。
八才になったころ、転機が訪れる。ドクター・サイモンは彼のところに、新しく発売された携帯ゲーム機を持ち込んできた。あのロッキーが拾ってきた古い機械と同じものである。サーパス少年はそれを受け取ると、すぐに電源ボタンを押した。いつもとまったく一緒であった。
それが違ってきたのは、内蔵されていた「フィールド探検隊」というタイトルのゲームを始めた時である。それまではドクター・サイモンが持ってきたカードチップを使って、同じようなゲームを延々と遊んでいた。それにも飽きてきて、何か新しいものはないかと探していた時にこのタイトルを見つけたのだった。今までとは全然違うタイプのゲームに思えたので、彼は喜んでこのバンドルソフトに飛びついたのである。
広い、何もないフィールドを歩き回り、アイテムや住人を探して歩く。昨日はなかった場所にいくつも店ができ、途中で手に入れたアイテムが意外な高値をつけることもある。違う店ではそれなりだ。唐突に、からっぽだった場所に山や湖を設置してまわる住人が出現する。翌日、その隙間に違う住人が現れる。飽ききっていた彼はその日々展開する世界に夢中になった。そしてある日、劇的な変化が彼の元におとずれた。
「なまえはなんだ?」
画面に表示される住人の一人が、毎日ふらついている彼に音声とウインドウで話しかけてきたのである。こんなことは初めてであった。
「おまえ、いつでもいるけどNPCじゃないだろう?」
その住人はそうとも言った。
「なまえをにゅうりょくしてください」
音声とともに文字入力の画面が表示されたが、自分の名前のつづりが分からない。返事ができずにいると、その住人はウインドウを閉じて去っていってしまった。彼はゲーム機の電源を切り、体がろくに動かないのも忘れて、そこらじゅうを探して文字が書いてある紙切れを拾い出した。そして息切れして咳き込み、紙くずを散らばしたままベッドに倒れこんだ。どれがどれなのか分からない。ドクター・サイモンは不要とみなし、彼に文字を教えなかったのである。
(ちっくしょう)
そして悔しさが収まってくると、今度はなぜ自分はろくに文字を知らないのかと思った。今知っているのは、「スタート」「セレクト」「プレイ」「中断」「終了」くらいである。文字として知っているというより、記号として覚えていると言ったほうがよかった。なぜならどのゲーム機にも共通して記されていた単語だったからである。そしてゲーム機のボタンに自分の名前は書いていなかった。
「……名前ってどれなんだろう」
伯爵ことサーパス・リー・ルドワイヤンの、人生最初の挫折と疑問であった。
翌日、彼は高熱を出した。ドクター・サイモンは周囲に散らばった紙くずを片付け、彼に点滴の管をつけて部屋の隅にある机に引っ込んだ。そしてノートを広げて記録をつけだした。他にもやることはたくさんあるようだったが、うなされている彼に声をかけることはついぞなかった。
サーパス少年が目を開けたのはもう夜になってからである。彼は部屋の隅にいるドクター・サイモンを見つけた。ノートはもうつけていなかったが、手帳を広げて今度は何か書き物をしていた。それを見て彼は言った。
「僕の名前ってどう書くの」
ドクター・サイモンは手帳から顔を上げてこちらを見た。
「なぜだ」
答えることにためらいがあった。どうしてなのかは分からない。なんとなく、正直に答えてはいけないことのような気がしたのだった。
「ここになまえをにゅうりょくしてくださいって出た」
あらかたを省き、サーパス少年は手元のゲーム機に目をやってそうとだけ言った。いつ、どんな状況でその問いがなされたのかは言わなかった。
「そうか」
ドクター・サイモンはそこにあったメモ用紙に、「サーパス」と書いて持ってきた。彼はそれを穴があくほど見つめ、やがてまた眠ってしまった。
数日の中断ののちに、サーパス少年はまたそのゲームを再開した。ほんの数日のうちに何もなかった世界は発展しており、牧畜や農耕を行う者が現れていた。どうなっているのか確認するため、彼は小さな画面に表示される広い世界を歩き回り、一時間ほどたった頃に「じぶんのいえ」と書かれた家のグラフィックを見つけた。字は読めなかったが音声ガイドが読み上げてくれ、彼はその家の中に入った。
細々とした設定変更ができる場所だった。項目を選択すると「はい」と「いいえ」が出てそれを選ぶ。そうすると表示されているアバターが変わったり、画面表示の設定が変わったりする。彼はさんざんそれで遊んで、また元に戻して家の外に出た。
そしてまたあの住人と会った。同じように名前を聞いてきたので、彼は表示されたウインドウに自分の名前を打ち込んだ。時間はかかったが何度も見直していたので、そのつづりを間違えることはなかった。
すると相手はこう言ってきた。
「おれはマック。おまえはがっこうにいってないのか?」
予想外の問いだった。思わずサーパス少年は声に出して言ってしまった。
「えっ……学校って、なに?」
もっともこの言葉は向こう側には伝わらない。また入力用のウインドウが表示された。はいといいえのつづりは分かったので、彼はゆっくりと「いいえ」と打ち込んだ。マックという住人はしばらく黙っていたが、やがてこう言った。
「にゅうりょくコマンドのへんこうはしってるか?」
またもや彼は「いいえ」と打ち込んだ。画面の向こうで彼の知らない、何かとんでもないことが起きていた。
「じぶんのいえにいって、『おんせいにゅうりょく』をオンにするんだ。おれはここでまってるから、いってやってこい。そうすると、そこではなしたことばがおれにつたわるようになる」
次の答えは「はい」だった。彼は大急ぎで先ほど見つけた「じぶんのいえ」に行き、『おんせいにゅうりょく』のコマンドを見つけ出した。何と書いてあるのかは分からなかったが、さっき見た文字と同じ配列だった。彼はその項目の「はい」にチェックをつけ、また元の場所に戻った。
(まだいた)
三十分もかかったというのに、そのアバターはまだそこにいた。大慌てでそこにいる「マック」のアバターに接触する。相手は「よう」と言った。
「サーパスだな」
ゲーム機から音声のみが流れた。相手も設定を変更したようだった。
「そ、そうだよ」
画面上のマックは手を振った。ちゃんと聞こえたのだ。
「お前、いくつだ」
この日、サーパス・リー・ルドワイヤンは、初めてサイモン・リー以外に人間が存在することを知った。彼が八才と二ヶ月になった日のことである。
サーパス少年は「マック」の存在をひた隠しにしていた。ドクター・サイモンに見つかったら間違いなくゲーム機を取り上げられてしまうからだ。「マック」は彼にいろんなことを尋ね、彼はできるだけそれに答えた。「マック」が人間であるのは間違いがなかった。
「八つかよ。なんで学校に行ってないんだ。いじめられたか」
あの後、マックは彼にそう聞いてきた。サーパス少年はその問いのすべての意味がつかめなかった。
「学校って、なに?」
沈黙があった。気を取り直したのだろう、少したってからマックはこう言った。
「昼間って、お前だけなのか」
「うん。だいたいそう」
「親はどうしてるんだ。かあちゃんとかいないのかよ」
またもや分からない言葉であった。仕方ないので彼はこう言った。
「ドクター・サイモンなら朝と夜、それに昼間も時々来るよ。親ってのは、しらない」
「親を知らないって……ドクター・サイモンって誰だよ」
そう聞かれても分からなかった。疑問すら持ったことがなかったからでもある。そういうものだと思っていたのであった。
「なんか、来るよ。ご飯のほかに注射したりとか薬を持ってきたりとか。ずっとそう。あとゲーム機を持ってくる。たくさん。いっぱいあるよ」
「ゲーム機だけか? 他には? テレビとかないのか? ていうかお前具合悪いの?」
どうも相手は病院や療養施設だと思ったようだった。質問責めにされながらも、彼はそれにひとつずつ答えた。
「うん、ゲーム機だけ。テレビって見たことない。パソコンはドクター・サイモンが持ってくるよ。すぐ持って帰っちゃうけど。それから僕、このベッドから出られないんだ。少し動くとすぐ息切れして気持ち悪くなる。それに……なんか目が回ってきた」
さっきまで半分起き上がっていたのだが、話しているうちにサーパス少年はベッドに寝転がってしまった。興奮して体力を使い果たしてしまったのである。また熱が出るかもしれなかった。
「ごめん、今気持ち悪いや。あんまり話せない」
画面の向こうにいるマックは、どうにも困った様子であった。その困惑がゲーム機に内蔵された小さなスピーカーからも伝わってきた。
「こりゃまた……サボリかと思ったらとんでもないな。説教しようと思ったんだがそれどころじゃなさそうだ」
何のことか分からなかった。マックは話を変え、彼にこう言ってきた。
「サーパス、お前、字が読めるか」
「読めない」
「よく名前が書けたな」
「前に聞かれて、分からなかったからドクター・サイモンに教えてもらった。でも名前しか書けない」
ふむ、とマックは何か考えていたようであった。
「とりあえず読み書きを覚えろ。そうじゃないと先へ進まない。頭は悪くなさそうだからすぐ覚えられる」
「……分かった」
ここまで話したところで廊下を歩く足音が聞こえた。彼は小声になって言った。
「ドクター・サイモンが来た」
「じゃあ切る。IDを通知しておくから用があったら呼び出せ。いいか」
「うん」
ちょうどゲーム画面を終了したところでドクター・サイモンが入ってきた。ぐったりとベッドに横たわり、うつらうつらする彼の脇に、電源が入ったままのゲーム機が置いてある。ドクター・サイモンはそれを取り上げ、電源を落としてまた元の場所に戻した。よくあることだった。
ロッキーは目を丸くして正面にいる、ルドワイヤン博士の顔を見た。自分がマン・ダミーであり、他の者達のように込み入った話がろくに理解できないことは分かっていたが、それを差し引いても分からないことがあった。
「は、は、は、はくしゃくさまは、そ、そと、に、でたことが、な、なかったんですか」
吃音が聞き取りにくい。ルドワイヤン博士は辛抱強くその質問を最後まで聞いて答えた。
「そうですよ」
どうしてこんな難しい話を自分にするのだろうか。そんな疑問が顔に出ていたのだろう、ルドワイヤン博士は言った。
「ロッキーは、お屋敷にいた小さい坊ちゃんとくらべてどう思いますか」
「え、ええと」
ロッキーは一生懸命思い出した。何もかもが違っていた。
「ち、ちいさいぼっちゃんはまいにちそとであそんで、ど、どろんこでした。ち、ちょうど、いまのはくしゃくさまみたいに」
ルドワイヤン博士は泥はねだらけの自分の白衣を見やってくすっと笑った。
「そうですか」
「そ、それから、字をならってて、それから……」
絵本を読んで、時間になったらおやつを食べて、とどうでもよいような子供の生活をロッキーは並べ立てた。好きなものは飴玉で嫌いなのはピーマンとか、そんなことばかりである。ルドワイヤン博士はうなずきながらその話を聞いていたが、ロッキーが話し疲れたタイミングを見計らって自分のことを話し出した。
「食事はいつも同じです。完全調整のシリアルとミルク。ほかにはあれば卵。時々果物がありましたが、菓子やデザートのたぐいはありませんでした」
ええっ、とロッキーはとびあがって驚いた。小さい坊ちゃんは毎日のように、おやつにお気に入りの菓子が出ないと泣きわめいて怒ったからである。
「な、なくて、い、いいん、で、ですか」
「そういうものだと思ってましたから」
こともなげにルドワイヤン博士は言った。