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夢幻の月日➄  作者: 吉田逍児
1/1

大学3年生に

 私、周愛玲は新しい年、平成19年(2007年)の朝を角筈のマンションで迎えた。琳美や劉長虹、黄月麗たちと午前7時に起床し、8時半、4人で芳美姉の家に行った。そこで、大山社長、芳美姉をはじめ、そこに泊った何雪薇や謝月亮、謝風梅姉妹、陳桃園、白梨里らと、新年の挨拶を交わした。そして大山社長からの年頭の言葉を聞き、その後、皆と一緒に御節料理をいただき、大山社長からお年玉をいただいた。集まっている女性それぞれに、男たちがいるに違いないが、彼女たちは、このお年玉目当てに、芳美姉の家で越年した。新年を祝う慣例の朝食が終わると、10人程で、明治神宮に初詣に出かけた。何時ものことであるが、明治神宮は都民に人気があり、驚く程の人出で、ゾロゾロ歩いているうちに、ドッと疲れが出た。お祈りする御賽銭箱の場所に辿り着くまでに時間がかかった。やっと御社殿前に至り、私は御賽銭箱に百円玉を投げ入れ、自分や家族の人たちの健康と安全及び自分が無事、大学を卒業出来るよう応援して下さいとお祈りした。そのお祈りが終わってから、桃園に質問された。

「2礼2拍手1礼の時、どのタイミングで、お祈りしたら良かったかしら」

 私はかって今まで、そんなことを考えたことが無かったので、答えられなかった。すると大山社長が笑って教えてくれた。

「最後の一礼の時、ゆっくりと祈り事を小さく口にすると良いよ」

「そうだったの。私、祈り事を沢山、考えてやって来たのに、2礼2拍手1礼に夢中になって、祈り事をするタイミングを失ってしまったわ」

 その桃園の失敗談を聞いて、皆が笑った。桃園は皆に笑われても、真剣だった。

「良く分かったわ。次からは最後の1礼の時、沢山、願い事をするわ」

 そういえば、私はどんなお祈りをしたかしら。祈ったのは自分の健康と無事、大学を卒業することだったような気がする。その他のことについては頭から、もう消えていた。考えれば、おかしな話だ。明治天皇と昭憲皇太后を御祭神とする明治神宮を、中国人の私たちが参拝し、願い事をするなんて。私たちは、そんなことを深く考えず、神楽殿前の仮設のテントで、お守りのストラップや御神籤、絵馬、記念品などを買った。その明治神宮での初詣が終わってから、何雪薇や謝月亮姉妹は、自分たちのマンションへと帰って行った。私は大山社長と芳美姉と別れ、琳美を連れて、池袋店の長虹、月麗、新宿店の桃園、梨里らと一緒に『カラオケ館』に行った。中国人仲間とカラオケを唄うのは楽しかった。中国語の歌もあるので、主に中国語の歌を唄った。琳美はテレサ・テンの歌が好きだった。皆がカラオケを唄っている間、私はふと倉田常務のことを思い出し、メールを送った。

 *親愛なる倉田先生へ。

 明けましておめでとうございます。

 今年もよろしくお願いします。*

 すると倉田常務から直ぐに返信のメールが入った。

 *親愛的愛玲。

 新年好。預祝在新的一年里。

 学習好、身体好。恭喜発財。

 想念你、你是我的心上的人。*

 私は、その中国文の返信を読んで、何故か倉田常務に会いたくなった。不思議なことだった。身体がウズウズして来るので困った。私はまた工藤正雄のことも思い出し、彼にもメールを送った。

 *工藤君。

 明けましておめでとう。

 今、何してるのかな。

 早く会いたいな。

 今年もよろしく。

 工藤正雄からどんな返信メールが送られて来るのか期待していると、何と彼も中国文を入れたメールをして来た。

 *新年好。一陽来福。

 俺は今、お屠蘇の酒を飲みながら、

 ニューイヤー駅伝を見ているところです。

 明日からは友人と箱根駅伝の応援に出かけます。

 大学で会えるのを楽しみにしています。

 正月休みに会えるのを期待していたのに、正雄からは、素っ気ない返事だった。ちょっと不満が溜まった。私は自棄になり、それから数曲、カラオケを唄った。あるったけ声を張り上げて唄うと、胸がスッキリした。

「愛ちゃん、『花水木』の歌、中々、良いじゃあない」

 長虹たちに褒められると、私は嬉しくなって、更に日本語の歌を唄った。私たちは充分過ぎる程、唄い終えると、ゲームセンターに行き、ぬいぐるみ人形などを手に入れようと夢中になった。器用な琳美が可愛い熊の人形をゲットした。それから、私たちは新宿を離れ、池袋の長虹たちのマンションに連れて行かれた。そこでワイワイガヤガヤ食事をしながら、いろんなことを話した。元日は私たち日本で暮らす中国人にとっても、親しい者が集まる一年のうちで最も気軽で、希望を抱ける新年の初日だった。


         〇

 正月休みは、あっという間に過ぎ去った。私は新年の夢に向かって胸を膨らませ、大学へ向かった。その電車の中で、いろんなことを考えた。今年はしっかり勉強しよう。アルバイトにも頑張ろう。オシャレもしよう。旅行にも出かけよう。恋もしよう。考えれば考える程、いろんなことが頭に浮かんだ。しかし現実は、そう甘いものではなく、実に厳しかった。まずは2年後期の試験が待っていた。毎度の事ながら、私は可憐や真理や純子たちと一緒になって、大学近くの喫茶店で、試験対策の勉強をした。以前のように、私のノートは重要視されなくなっていた。何故かといえば欠席が多く、可憐のように丁寧に毎回の講義内容が記されていなかった。でも真理や純子よりはましだった。真理と純子は遊びが優先だったから、ノートなど、日付だけで、ほとんどポイントが書かれていなかった。真理と純子はぼやいた。

「困ったわ。こんなに沢山、覚えられないわ。どうしよう」

「本当に困ったわね。単位を落として留年する訳には行かないし。こうなったら山勘しか無いわね」

 私も真理と純子と同様、不安な気持ちで、いっぱいになった。すると可憐が私たちを睨んだ。

「そんなこと言わないで、兎に角、残された時間いっぱい勉強するのよ。そうすれば今までみたいに上手く行くわ」

 自信のある可憐は、そう言って、私たちを励ましてくれた。私たちは喫茶店のテーブルの上に教授の著述本を置き、可憐のノートに書かれた重要と思われる個所を、お互いに確認し合った。可憐が問題を出して、私たちに答えさせた。

「棚卸資産の評価方法には、どんな方法があるか、2つ挙げよ」

「原価法と低価法」

 私が、そう答えると、可憐は更に追求し、真理に向かって言った。

「では真理ちゃん、低価法とは、どんな方法かしら?」

「ええっと、定価だから、売価かしら」

 真理の言葉に可憐が私の顔を見て笑った。私は真理に助け舟を出した。

「真理ちゃん。その低価法の低価という字は、商品の定価じゃあ無くて、低い価って書く低価なの」

「低い価って、それって何。コストのこと?」

「コストなんだけど、コストにもいろいろあるの」

「コストはコストでしょ。いろいろあるなんて、私には難しくて、分からないわ」

「良く考えて」

「良く考えても分からないわ」

「仕入れた品物が古くなったらどうなるの?」

「価値が下がるわ」

「そうよ。それが正解。低くなった価値のこと。つまり仕入れたコストで無く、低くなった時価で評価するってことなの」

 すると真理が、突然、立ち上がった。その真理を見て、私たちは何事が起こったのかとハッとした。真理は拳を握り締めて言った。

「分かったわ。私たちも古くなったら、価値が下がるのよね。そう考えれば、答えは意外と簡単なのよね」

 真理の言葉に、私たちは、大笑いした。こうしたテーブルを囲んでの学習方法は、他の客に迷惑をかけるかも知れなかったが、実に楽しく、有効だった。仲間から教えられることが結構あって有意義だった。こういった試験前の予習をすると、不思議と後期試験も怖くなくなった。またマッサージのアルバイトも、毎日では無くなったので、琳美と一緒に試験勉強をすることが出来た。そして疲れると、一休みして、琳美とお菓子をつまみながら雑談した。私は琳美にボーイフレンドのことを訊いた。

「近頃、早川君の話をしないけど、彼、元気なの?」

「元気よ。彼、皆にもてるから」

「でも琳ちゃんの気持、分かっているのでしょう」

「うん。だけど私、ブスだから」

「そんなことは無いわよ。とても可愛いわよ」

 私は弱気でいる琳美のことが気になったので、スタイルの良い彼女を褒めてやった。すると彼女は心配そうな目で、私に悩みをこぼした。

「前髪を切り過ぎたかしら。おでこに出来たニキビが、目立っているでしょう」

 琳美は化粧台から鏡を取り出し、あっちの角度、こっちの角度から額に出来たニキビを見て、どうしたら良いか、私に質問した。私もニキビが出来て困った頃の自分の経験から、琳美に答えた。

「気にするのが、一番、いけないの。顔の表面にストレスなどによる老廃物が噴き出るの。肉などの油物を食べるのを少なくし、睡眠を良く取れば大丈夫よ。髪は直ぐ伸びるし、ニキビもそのうち消えるわ」

「そうよね。気にしない。気にしない」

 琳美は、そう答えて、再びテーブルの教科書に向かった。彼女は実に猛勉強家だった。芳美姉の血を引いているからでしょうか。私も彼女に負けず、試験勉強に精神を集中させた。


         〇

 私は試験期間の最中なのに倉田常務に会いたくなって、彼に電話した。

「私のこと、忘れたの?」

「そんなこと無いよ」

「じゃあ、嫌いになったの?」

「そんなこと無いよ」

「じゃあ、どうして連絡くれないの」

「一生懸命、勉強して欲しいから」

 倉田常務は私の意地悪な追求が分かっていて、言葉巧みに言い訳をした。私は、その倉田常務の言い訳が面白くて、執拗に迫った。

「会いたいの。勉強ばかりしていると、頭がどうかなっちゃいそうなの。倉田さんに会って気晴らしがしたいの」

 私が迫ると倉田常務は、あれやこれや理由をつけて逃げようとした。恋はゲームというが、相手が逃げれば逃げる程、追いかけたくなる。相手が追いかけて来れば来るほ程、逃げたくなる。また追いかけて来なくなれば寂しくなる。ところが老練の倉田常務は、逃げることはするが、追いかけて来ようとはしない。こちらがストレスを解消する為、息抜きしたいと思っているのに、それを分かってくれない。それでも、お人好しの倉田常務は、最後には私の願いを聞き入れてくれた。私たちは午後4時過ぎに新宿の東口交番前で待合せし、歌舞伎町に向かい、年末に利用したラブホテル『スイ-ト』に行った。部屋に入ると倉田常務は、カシミアの黒いコートをハンガーに掛け、背広を脱ぎ、ネクタイを外し、ゆっくりと下着を脱いだ。私はその彼より早く衣服を脱ぎ、バスルームに入り、シャワーを浴びた。そしてバスタオルで胸を隠し、ベットに戻ると、彼はテレビのスイッチをひねり、一人でテレビのニュース番組を観ていた。こんな時にテレビのニュース番組なんて。私は彼にシャワーを浴びるよう手で合図した。

「どうぞ」

 私が、そう言うと、彼はパンツを脱ぎ、バスルームに向かった。私はテレビのチャンネルを切り替えた。画面はアダルトビデオに変わった。その映像は、かって自分が演じた『愛の泉』と、そんなに変わらなかった。男が女を裸にして襲いかかり、女の性器を舐め、女も興奮して、男の性器を舐め返す。入れたり出したり。まるで動物と同じだ。私は、あの撮影現場のことを思い出し、恐ろしくなった。そこへ倉田常務が真っ裸のまま、バスルームから出て来た。60歳を過ぎている倉田常務の真裸の姿は、まだ50歳代に見えるエネルギーに満ち溢れていた。布袋和尚のような太鼓腹は、女性の肌のように白く、何故か撫で回したくなるような魅力があった。彼はその太った身体をベットに横たえて、私の後ろに回ると、テレビ画面を観ながら、そっと私の胸に触れた。

「彼女のオッパイより、愛ちゃんのオッパイの方大きくて素晴らしいよ」

 その言葉に私は画面の大写しになっている女の乳房と自分の乳房を比較してみた。確かに私の方が大きい。画面の女は男に乳房を揉まれ、喘いでいる。その顔と興奮の声に、私もそうされたい気持ちになった。そんな私に倉田常務は囁いた。

「衣装を美しく飾り立てる為に、痩せ細った身体が良いと考える女の考えは間違っている。生殖と出産に相応しい肉体は、男の欲望を煽り立てる。だから太った愛ちゃんの身体は、最高で、美しい」

 何という囁きか。小説を趣味で書いている人物だけあって、倉田常務の甘い言葉は、私を蕩けさせた。私はそんな彼の求めに応じ、身体を反転させ、仰向けになり、大きく開脚した。すると彼はそこに入り込んで来て、彼の矛をゆっくりと突き入れた。その優しい突き入れの後の上下の動きは小刻みだったが、そのうちガタガタと激しさを増した。その余震から始まった大地震のような激しい揺れの快感に、私は気が遠くなりそうになった。私は必死に彼の胴体に足を回して彼の攻撃を受け、よがり声を上げた。と、突然、彼が私の上にうっ伏した。私もそれに合わせ全身を突っ張らせ、絶頂に達した。私は恍惚を味わい、卒塔した。自分より、40歳も年上の老人を相手に性欲に満たされようとは、ちょっと普通では無い気がしたが、幸か不幸か、私に近い所に彼がいたのだから仕方ない。性欲を果たすには、その時、側にいた相手を引きずり込み、共に悦びを共有し、そのチャンスに殉ずるしかないのだ。私は試験期間中のモンモンをこうやって解消し、後期試験を突破した。


         〇

 後期試験が終わると、私も仲間たちもホッとした。私は可憐や真理たちと一緒に、カラオケに行ったり、ボーリングゲームをしたり、梅の花を観に行ったりした。そんなのんびりした時に弓木潤也や原島晴人からデートの申込みがあった。彼らも試験が終わり、ホッとしたのしょうか。それとも就職活動で、ストレスなどが溜まっているのでしょうか。私はちょっと悩んだ。弓木潤也と会って見ようかと思ったりした。原島晴人に対しては、キッパリと断った。また『Mスタジオ』の三宅監督たちのオモチャにされてはたまらない。九条美鈴のように、大学卒業を諦める訳にはいかない。私は弓木潤也を懐かしく思った。彼との交流が途絶えてから、どのくらい月日が過ぎたでしょうか。最後に会ったのは、2年前の日本語学校卒業間際だったような気がする。中国に大学合格の報告がてら帰国し、再び日本に戻り、彼に中国土産を渡し、渋谷で同棲生活を申込まれて以来のような気がする。私は潤也に電話した。

「もしもし、私です。分かる」

「分かるよ」

「メール見ました」

「じゃあ、2時半、渋谷の喫茶店で待ってるよ」

 私たちは、それだけの会話でデートの約束を成立させた。私は直ぐに外出着に着替え、以前、弓木潤也と待合せした渋谷の高級喫茶店『シャンティ』に行った。店に入ると、ピンク色のYシャツに緑色のネキタイを締め、その上に紺のブレザーを着て、冬に似合わぬ白のスラックスをはき、茶色の上等な靴を、見せびらかせて、椅子に座り、潤也が私を待っていた。相変わらずチャラチャラした彼のフアッションだった。でも嫌らしくない、とてもキチンとした都会的印象を私に与えた。ダンディな格好とは、彼のようなフアッションをいうのでしょうか。私のコーヒーが運ばれて来ると、潤也はテーブルに両肘をついて言った。

「本当に久しぶりだね。元気にしてた?」

「はい」

 私は少し恥ずかしそうに答えた。潤也との過去の出来事を振り返る気持ちが、私を動揺させた。日本語学校を卒業したら同棲しようと提言した彼の意見に同意していたら、今頃、どうなっていたかしら。潤也は無事、A大学を卒業し、就職が決まったのかしら。私は、私に会えて嬉しそうにコーヒーを飲む潤也に質問した。

「あのー。卒業後の就職先は、どうなったの?」

「うん。石油会社に就職することになったよ。両親も一安心さ。これから卒業記念に、海外旅行をしようと思っている。もし良かったら、一緒に出かけないか」

「そんなこと、突然、言われても」

「そうだよな。新しい彼氏も出来たことだろうし」

 潤也は、そう言って私の瞳の奥をじっと覗き込んで、溜息をついた。私を見詰めることによって、私の瞳の中に私が交際している男たちの姿が見えるのだろうか。そんなことなど、ある筈が無い。

「税理士試験はどうなったの?」

「それが、まだなんだ。会社に入ってから資格を取るつもりさ。オヤジの後を継ぐ時、資格が無かったら困るからな」

「なら、海外旅行などしていられないのじゃあないの」

「そうだね」

 彼は意外に素直だった。私たちは30分程、『シャンティ』で話した。それから道玄坂の奥にある百貨店の8階のレストランで美味しいフランス料理をいただいた。私の気分は2年前に巻き戻された。2年前、私は潤也と同棲しようか悩んだ。あの頃、私たちは燃え合った。あの時、潤也は嵐のように激しく私に襲いかかって来た。彼が私の髪に触れる時、私の頬に触れる時、私の胸に触れる時、私の足に触れる時、私は目を瞑り、彼の肩越しに甘い吐息を吹きかけた。そして彼が私の大事な花に触れる時、私はたっぷり愛を溢れさせ、彼を導いてやった。私は、牛フィレ肉のステーキを食べながら、潤也は多分、あの時と同じことを期待しているに違いないと思った。デザートのイチゴケーキをいただき、食後のコーヒーを飲み終わると、彼はテーブル札を持って立ち上がった。

「行こうか」

 レストランの精算を済ませ、百貨店を出て向かったのは、以前、入った事のある『パンジー』だった。私たちは部屋に入ると互いを確かめ合った。潤也の強くて硬くて長い物は、2年前と全く変わっていなかった。彼は私の上になり、その長い物を抜いたり入れたりしながら、囁いた。

「愛ちゃん。愛しているよ。君の事、考えない日なんてなかったよ。何処に居ても」

「嘘」

「本当だよ。だからこんなに激しく愛をこめて、君を愛し、喜ばせ、満たして上げようとしているのさ」

 彼の愛の攻撃は言葉通り、次第に激しく深く、私の奥に侵入し、私を満潮にさせる程、押し寄せて来た。私は、その愛の怒涛に堪えられず、首を左右に振って、歓びの声を上げた。こうして私たちは2年ぶりの再会を果たした。


         〇

 弓木潤也と再会したことにより、私の心に迷いが生じた。就職が決まった彼との同棲生活を考えたりした。会社員になる潤也と暮らすのは快適かも知れなかった。琳美と別れるのは辛いけど、芳美姉の支配下から逃れ、自由で明るい学生生活を送ることが出来るかと思うと、夢が広がった。潤也と一緒に暮らせるなら、工藤正雄や倉田常務とも別れなければならないが、それはそれ程、苦しむことでも無かった。2人は人生の通りすがりに出会った旅人にすぎない。私は潤也に再会して以来、工藤正雄にも倉田常務にも、何の連絡もしなかった。すると倉田常務がこんなメールを送って来た。

 *後期試験は終わりましたか?

 今週あたり、君の花のような笑顔を見たい。

 時間はありますか*

 倉田常務にとって現在の私は妖しい香りを振りまく百合の花のような愛しい存在みたいだった。そんな私は潤也のことを第一に考え、他の男に接触することを躊躇し、どうしたら良いか悩み苦しみ決断した。そして倉田常務を傷つけないような返信メールを送った。

 *今日、倉田さんのことを思っていたら、

 アレになってしまったの。

 会うのはまたにしましょう*

 私は冷酷とは思ったが、倉田常務に会うことを敬遠した。倉田常務が会いたがっている気持ちを無視して、会うのを先延ばしにした。すると倉田常務から直ぐにメールが送られて来た。

 *了解しました。

 私は来週、中国からの技術者を迎えます。

 彼らを客先に案内するので忙しくなります。

 再来週を楽しみに頑張ります*

 私はびっくりした。来週、中国からやって来る技術者を、倉田常務が客先に案内するとは信じられなかった。中国人の技術者が日本語を話せるとは思えない。どうするのか。倉田常務は中国語が話せるのか。それとも英語でやりとりするのか。それとも『日輪商事』の誰かが通訳するのか。私をあてにしていたのでは無かったのか。私はデートを断ったが為に、仕返しをされたような気分になった。

 *技術者の通訳は、どうされるのですか?

 私に通訳のアルバイトを頼むと言っていたのに

 大丈夫ですか*

 私の問いかけに対する倉田常務の返事は、いとも簡単だった。

 *大丈夫です。

 『日輪商事』の女性に通訳していただきます*

 私は、その返事に、一瞬、カッとなった。女性という言葉が気になった。倉田常務は女性に優しい。年齢に似合わぬ若々しいところがあり、エネルギッシュで、包容力に溢れていて、若い女性に魅力的紳士に見えるに違いなかった。もしかしたら、その女性は倉田常務と一緒に仕事をして行くうちに、倉田常務と親しくなり、倉田常務のことを好きになってしまうかもしれない。私は何故か、西村老人の後、折角、手にしたスポンサーを失うのではないかという不安に襲われた。そうなった時の孤独感を二度と味わいたく無い。私は、これから尚、2年間、大学で学ばなければならない。その間、潤也が私のスポンサーになってくれるとは思えない。たとえ潤也がその気になっても、その力があるとは思えない。私は小狡い、欲張りの自分に呆れ果てた。潤也と倉田常務の二股で行くしかない。私は倉田常務にメールを返した。

 *メール見ました。

 お仕事、頑張って下さい。

 浮気しないでね*

 私は倉田常務が『日輪商事』の通訳の女性に気を取られないように注意の文面を入れた。しかし、彼から、そのことに関する返信メールは無かった。彼は本当に中国人を客先に案内するのでしょうか。普段は大人しい人ですが、物事に対する切り替えが早い。彼の性格を想像すると、私の不安は増幅され、良からぬ妄想が駆け巡った。倉田常務との付き合いは、通訳女性の出現により、このまま終わりになってしまうのかも知れない。翻訳の仕事を介して、折角、知り合いになれたのに、彼は私の前から、去って行ってしまうのでしょうか。私は混乱した。


         〇

 私の不安は取越し苦労だった。翌週3日程して、倉田常務からメールが入った。

 *お元気ですか。

 今週、金曜日、通訳のアルバイトを

 お願いしたいのですが可能ですか?

 万障繰合せの上、都合していただきたいです*

 私は取越し苦労をしていた自分のことが、おかしくなった。嬉しさの余り、倉田常務に電話した。

「どうしたの。通訳の女性いたんじゃあなかったの?」

「うん。2日程、通訳して貰ったが、機械の調整がうまく行かなくて、彼女、通訳が難しいし、金曜日、都合が悪いって言うんだ。会社の仕事と約束があるので、絶対に無理だと断られた」

「だって、通訳も会社の仕事でしょう」

「うん。彼女は『日輪商事』の事務仕事もあるので、これ以上、通訳の仕事が出来ないから、誰か他に通訳を探して下さいと、森岡課長に通訳の仕事を断ったんだ。森岡課長も困っている。だから君に助けてもらいたいと言っている」

「それは大変ね」

「だから君に何とか助けて貰いたいんだ。勿論、アルバイト料は『日輪商事』が支払う。その他に私からもチップを支払うから」

 私はちょっと考えた。金曜日の夜は『快風』のアルバイトが入っているがどうしようか。もし、ここで倉田常務の依頼を断ったら、『スマイル・ワークス』からの翻訳の仕事は、それこそプツッンになってしまうかも知れない。それに、この仕事は『日輪商事』からの依頼だという。『日輪商事』との仕事上の繋がりが出来れば、大学を卒業した時、『日輪商事』に採用される事だって考えられる。私はアルバイトがあるので断りたい気持ちだったが、了解の返事をした。

「分かったわ。良いわよ。手伝うわ」

 すると倉田常務は喜んだ。

「ありがとう。ありがとう。じゃあ、金曜日、8時に、新宿駅南口に迎えに行くから」

 倉田常務の嬉しそうな顔が目に浮かんだ。その倉田常務は、金曜日の午前8時に私が新宿駅JR南口へ行くと、既に私を待っていた。今日は翻訳の仕事では無い。倉田常務から、あらかじめ工場内での通訳の仕事なのでスラックス姿で来て欲しいと言われていた。そこで私は何時もより落ち着いた黒のハーフコートに黒のスラックス、それにかかとの低い黒革の靴、バーバリーの黒いカバンといった就活姿で出かけた。化粧も何時もより控え目にした。そんな私の姿を見て、倉田常務は、目をしばたたかせた。私のビジネススタイルに満足し、新宿から客先へ向かう総武線の電車の中で、今回の通訳の目的と、どんな中国人技術者が来ているか説明してくれた。私たちを乗せた電車は、1時間程して、西船橋駅に到着し、そこで下車した。私は倉田常務に連れられ駅近くのホテルで、『日輪商事』の森岡道夫課長、中道剛史係長と合流し、中国の『天津先進塑料机械』から来た技術者、呂金明工程師と房守信主任を紹介してもらった。その後、タクシー2台で、『八千代プラ』の工場へ行った。まず事務所の会議室で工場責任者の上村課長たちに会い、本日の作業についての打合せを行い、それから輸入された機械が設置されている現場へ行った。私は『日輪商事』が中国から輸入し、『八千代プラ』に販売した機械の大きさにびっくりした。私は現場にて呂工程師と房主任と上村課長たちとの通電作業などの通訳を行った。専門用語が多いが、倉田常務からあらかじめいただいていた中日対比用語集を見ながら、中国の技術者と上村課長たちのやりとりを、スムースに通訳することが出来た。昼食は『八千代プラ』が準備してくれた、お弁当を会議室でいただきながら、呂工程師から専門用語を良く知っていると褒められた。そして午後からはプラスチック機械の試運転に立会った。寒い工場の中での試運転であったが、200℃の高温で押出されて来るプラスチック樹脂の成形を行ったので、機械の側にいると、寒さを感じなかった。私は、その試運転に夕方まで立合い、無事、目的の検収テストを終了した。会議室での最終打合せが終わると、森岡課長と上村課長が、私の通訳を褒めてくれた。

「うちの通訳と全然違い、試運転までスムースに運んでもらい、ほっとしたよ」

「倉田さん。初めから、彼女に来てもらえば良かったのに。そうすれば1日、早く終わったよ」

「でも、通訳の手配は我社の範囲ではありませんでしたから」

 倉田常務が頭を掻いて上村課長に詫びた。すると上村課長が、森岡課長に言った。

「森岡さん。『日輪商事』で彼女を採用したらどうかね」

「彼女はまだ大学生なので」

 そう言って詫びる倉田常務と森岡課長の姿が、私には可笑しくてならなかった。私は、この通訳を通じて、中国語を話せることは自分の武器であると思った。打合せが終わってから、私たちは、『八千代プラ』から西船橋のホテルに行き、ホテルの1階で食事をした。その時、私は、森岡課長が出された領収書にサインをし、通訳料2万円をいただいた。中国の技術者たちからは、私の通訳のお陰で、仕事が成功したと感謝された。私は食事が終わると、ホテルに泊まる森岡課長たちや中国の人たちと別れ、倉田常務と新宿までの帰路についた。ところが途中で車輌故障が起こり、予定していた新宿駅到着時刻より、随分と遅れてしまうことになった。私も倉田常務も『スイート』で休憩するつもりだったが、その時間が無くなった。倉田常務が私に言った。

「これから何時もの所へ行こうと思うのだが、オッケーかな?」

「ごめんなさい。今日は約束があるの」

「そう。じゃあ、新宿に着いてから、チップを渡すよ。明日、中国の2人と一緒に、東京タワーなどの観光をするけど、都合はどうかな?」

「ごめんなさい。明日は入管に行かなければならないの」

 私が依頼を断ると、倉田常務は未練がましいい顔をして、車窓の外の夜の暗い景色を眺めた。電車がやっとのこと、新宿駅に着くと、倉田常務は駅の人目の少ない階段裏に私を誘い、1万円のチップをくれた。それから、突然、私を抱き寄せ、キッスした。私は周囲を気にせず、それに応じた。『快風』でのアルバイトが無ければ、このまま『スイート』に行けたのに、残念でならなかった。


         〇

 翌日、私は東京出入国管理局に行き、在留期間更新の手続きを済ませ、ほっとした。琳美も春休みになり、昼間は2人で、テレビを観たり、買い物に出かけたりして、のんびりとした時間を楽しんだ。そんな春休みの最中、川添可憐や細井真理が会おうと言って来た。私は昼間なら問題ないので、昼食をしながら会うことにした。下北沢のイタリアンレストラン『トスカーナ』に行くと、可憐と真理と純子の3人が来ていた。早速、コーヒーの他にパスタ、グラタン、ピザ、ミネストローネなどを勝手に注文し、それらを口にしながら、3年生になったら、どのゼミに入るかなどの意見交換を行った。純子の考えは単純だった。

「私は片平先生の経営戦略のゼミに入るつもりよ」

「理由は?」

「平林君が入るって言うから」

 純子は恥ずかし気も無く、あっさりと答えた。それに較べ、真理は悩んでいた。小沢直哉と同じゼミに入りたいと考えているのだが、直哉の考えが決まっていないという事だった。可憐の考えは初めから決まっていた。

「私は長山君と竹内先生の会計学のゼミに入ることにしたわ」

 皆の話を黙って聞いていた私に純子が質問した。

「愛ちゃんはどうするの。工藤君も私たちと同じ経営戦略のゼミに入ろうかなどと言っていたけど」

「私は貿易実務を勉強したいの。でも1人っきりじゃあ、寂しいから、まだ思案中なの」

 私は真理と同様、まだどのゼミナールに入ろうか決めかねていた。3年になってから、決定すれば良い事であって、焦らず冷静に考えることにした。話題はゼミの話から、恋愛の話へと移行した。何時も皆に注目されている渡辺純子は、平林光男との関係について、皆に話した。

「ハワイ旅行の時、彼から大学を卒業したら、直ぐに結婚しようって、プロポーズされたわ」

「わっ、凄い。良かったわね」

「平林君て、男らしいのね」

「中々、決断出来ないことだわ。純ちゃん、相当、気に入られたのね。おめでとう」

「ありがとう。でも、それまでに花嫁修業もしないといけないから大変よ」

 純子は得意になって光男との将来について語った。それに較べ、私たち3人の恋愛は、それ程、明確なものでは無かった。特に細井真理と小沢直哉の関係は、進展しそうで進展しなかった。

「小沢君とは年末にスキーに行ったり、正月、映画を観に行ったけど、それまでなの。彼、マザコンで、純情過ぎて、頭にきちゃう」

「まさに草食系男子の典型ね。母親離れ出来ず、純真無垢な人だから、恋愛に不器用なのよ」

「そうなのよ。だから私、カッカしちゃって、彼以外の人と、この間、寝ちゃった」

「ええっ」

 私たちは真理の言葉にびっくりした。彼女の顔をまじまじと見た。しかし彼女は平然としていた。

「だって寂しかったから、相当、年上の人だけど、抱かれたの。とても優しくしてもらったわ」

「その年上の人って、幾つなの?」

「60歳で定年退職したばかりですって。社会的責任も無くなり、自由だからって」

 私たち3人は、それを聞いて、顔を見合わせた。そんなこともあるのかと、可憐が溜息をついた。純子が興味を抱き、真理に質問した。

「そんな年齢なのに、貴女と出来たの?」

「勿論よ。とても勇ましかったわ」

 純子と可憐は、それを聞いて、呆れ果てた。しかし、私には、愛情に飢えている真理の気持ちが、意外には思えなかった。そして真理の相手をした高齢の男が、真理よりはるかに多くの経験を積んでいて、まだエネルギッシュであることも理解出来た。このことは西村老人や倉田常務との出会いによって私も体験済みで、良く分かっている内容だった。若さゆえに男性に愛されたい女性は、愛欲の為に、ふとした弾みで、若い自分を犠牲にしてしまうことがある。切ない話であるが、これも人生航路と思うしかない。こんなことで悩んでいたら人生、お先が真っ暗になってしまう。私は真理の体験を微笑ましく思った。何故か仲間が増えたみたいで、私は年上の男性と関係した真理に、今まで以上に親近感を抱いた。


         〇

 学期末の琳美の高校での成績が優秀だったので、大山社長が私たちの為にパソコンを買ってくれた。大山社長は、『ヨドバシカメラ』新宿本店の社員を、わざわざ角筈のマンションに連れて来て、パソコンの設置と電話やプリンターとの接続の工事をしてくれた。『ヨドバシカメラ』の社員が工事を終えて帰ると、大山社長がパソコンの操作を私たちに指導してくれた。私と琳美は一緒になって、大山社長から、パソコンに関する諸々の指導をして貰った。そのお陰で、私の翻訳の文章の打ち込みは、芳美姉のいる『大山不動産』の事務所に行かずに、角筈のマンションの部屋で行うことが出来るようになった。現在、『スマイル・ワークス』から頼まれている翻訳は、電気関係の説明書の翻訳なので、とても難しかったが、四苦八苦し、翻訳に夢中になった。それがいけなかったのでしょうか。私は急に咳き込み、鼻水と微熱に苦しまされる事態に陥った。

「愛ちゃん。大丈夫?」

 琳美が、とても心配してくれたが、私は昨年の11月の時のように高熱でも無いので、問題にしなかった。しかし、そのうちに鼻水と共に目がかゆくなり、涙が止まらなくなった。マスクをしないと外にも出られない。コンビニや『快風』のアルバイトにも支障をきたすことになった。そこで私は昨年11月に診断を受けた駅近くの『J病院』へ出かけた。病院に行くと、私と同じようにマスクをした人たちで、待合室はいっぱいだった。1時間ちょっと待って、ようやく診察してもらうことになった。何と応診する医師は、前回と同じ、中年の斉田医師だった。斉田医師は、私のことを覚えていた。

「ああ、周さん。どうされましたか?」

「微熱があり、鼻水が出て仕方ないんです」

「そうですか。視てみましょう」

 斉田医師は、そう言うと、この前と同じように、顔を両手で抑えて、私の目を覗き込み、それから口の中を覗いた。その後、私を正面から見詰めて平然と言った。

「上半身を脱いで下さい」

 私は斉田医師の言う通りにした。斉田医師は前回と同じように上半身裸になった私の胸に聴診器を当て、心音を聴いてから、乳房をポンポンと叩いた。ちょっといやらしかったが、我慢した。背中にも聴診器を当てた。私は肺炎にでもなっているのではないかと心配した。ところが結果は簡単だった。

「これは花粉症ですね。薬を出しておきますので、様子を見て下さい。1週間分の飲み薬と目の塗り薬を出しておきます」

「有難うございます」

「来週、また見せに来て下さいね」

「はい」

「では、お大事に」

 診察室から退去する時、私が頭を下げると、斉田医師は私に対し、この前と同じように私の身体に舐めるような目を向けた。それは間違いなく、私を性的欲望の対象として見る男の視線だった。彼は私を抱いてみたいと思っているに違いなかった。私は『J病院』を出てから、直ぐ近くにある薬局に行き、アレルギー治療と皮膚治療の錠剤と目の抗菌薬であるチューブ入りの軟膏をもらった。薬代は、それ程で無かった。それにしても、今まで花粉症などになったことがないのに、何故、花粉症になったのか、原因が分からなかった。日本に来て、体質が変わったのでしょうか。そんなことを考えながら、マンションに戻った。

「只今」

「やだーっ。お帰り」

 何と部屋に琳美の友達が来ていた。

「あらっ、お客さん」

「うん。早川君よ」

「早川新治です。お邪魔してます」

 彼がオドオドしているのが分かった。とても純情そうな少年だった。2人は私が病院に出かけている間、こっそり、楽しもうと思っていたに違いない。私は、それを察知して、とっさに琳美に言った。

「琳ちゃん。私、これから大学の友達に会うことになったから、後を、お願いね。早川君。ゆっくりして行ってね」

「は、はい」

 私は、薬局から受け取った薬袋を薬箱に納め、再びマンションの部屋から外に出た。まるで逃げ出すような気分だった。私は、マンションの玄関でマスクをして考えた。さて、これから何処へ行こうか。若い高校生たちの身体と心のことが、私の頭の中を駆け巡った。私はマンションを出てから、自分の気持ちが混乱していることに気がついた。新宿の街をさまよいながら、駅前の百貨店に行き、エスカレーターに乗って、上り下りした。それから、この前、新宿駅で別れたままになっている倉田常務のことを思い出した。中国人技術者の通訳をした日から、彼と会っていない。『八千代プラ』に納入した機械の電気関係の説明書の翻訳が遅れているのに、何の督促もして来ない。どうなっているのか。倉田常務のことが気になった。天津の技術者たちは、観光を終え、もう帰国したのでしょうか。私は気になって、倉田常務にメールした。

 *お元気ですか。

 私は花粉症になって、とても辛いです。

 今日、病院へ行きました。

 翻訳は来週には終わりそうです。

 遅れてすみません。

 早く会いたいです*

 ところが倉田常務から返信は無かった。何となく寂しい気持ちになった。私は百貨店を出て東口の『紀伊国屋書店』へ行って、そこの地下レストラン『モンスナック』で、サラサラカレーを食べた。その後、2階に上がって、文庫本を立ち読みした。そして適当な時刻に、マンションに帰った。早川少年は、もう帰っていなかった。私はパソコンに向かい、機械の説明書の翻訳に取り組んだ。


         〇

 どうしたことか。倉田常務に何かあったのか。それから一日過ぎても倉田常務からの返信は無かった。待てど暮らせど、返信が無いことは、私を不安にさせた。私は我慢しきれず再度、メールした。

 *私のメール見ましたか?

 連絡をお願いします*

 すると少し時間をおいて倉田常務から返信メールが届いた。

 *私は明日、水曜日から中国へ出かけます。

 戻ってから会いましょう。

 花粉症に気をつけて下さい。

 帰国後、こちらから連絡します*

 何と優しそうで冷たいメールでしょう。明日、中国に出張するなんて。私のことを好きだと思うのなら、出張前に会いたいと考えないのでしょうか。私はメールのやりとりでは、心もとないので、思い切って倉田常務に電話した・

「もしもし、ごめんなさい。仕事中に電話をしたりして。今、大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。何かあったの」

「倉田さん。どうしたの。私のこと、嫌いになったの?」

「そんなことないよ」

「当分、会えないなんて辛いわ。中国へ出張する前に、私に会って」

「何故」

「中国で浮気されると困るから」

 すると彼は笑った。彼はもしかして、本当に私のことを嫌いになったのかもしれない。彼は断りの言葉を吐いた。

「今日は忙しくて会う暇など無いよ。中国から帰ってからにしよう」

 私は倉田常務の言葉にショックを受けた。余りにも冷たすぎる言葉に耐えられなくなり、私の方から電話を切った。今日の私も忙しかった。これから大学の教室に行き、担任の山田教授から、2年間終了の証書を貰うスケジュールになっていて、倉田常務が帰国してから会うのでも良いのだが、何故か不安でならなかった。電気関係の説明書の翻訳の督促もして来ないし、新しい翻訳者が現れたりして、このまま縁が切れてしまうような気がした。私は捨て鉢になり、一方的にメールを送った。

 *お願いです。

 今日、会って下さい。

 何時もの所で待っています。

 必ず6時に来て下さい*

 いっぱいハートマークを付けて、3度程、同じメールを送った。後は倉田常務が6時に来てくれるか否かだった。私はそれから早めの昼食を済ませ、小田急線の電車に乗って、大学へ出かけた。コンビニのアルバイトは琳美に頼んだ。午後2時、私は大学の教室に行き、可憐たちクラスメイトと一緒に、山田教授から、2年の終了証書を受取った。私は、そこで、皆にさよならして帰ろうとした。すると可憐が、私を引き留めた。私は可憐に注意された。

「これから山田先生を囲んでの懇親会があるのよ。ちょっとで良いから、参加しないと駄目よ」

 私は仕方なく、懇親会に参加した。その懇親会で、私は工藤正雄から誘いを受けた。

「この後、一緒に帰らないか?」

「ごめんなさい。私はアルバイトがあるから、今日は駄目」

 私は、そう答えて、仲間より、一足先に駅前の懇親会場から抜け出し、倉田常務の待つ、新宿へ向かった。私が約束の場所に行くと、倉田常務は、ちょっと怒った顔をしていた。

「時間が無いんだ」

「分かっています。行きましょう」

 私は、そう言うなり、倉田常務の手を引いて、歌舞伎町へ向かった。周囲の人たちのことなど

気に留めず、一番、近場のラブホテル『エミール』に入つた。私たちは、そこでくつろぐ余裕も無く、シャワーも浴びず、汗臭いまま、裸になって、ベットの上で絡み合った。激しく激しく、相手を求め、貪り合った。私たちは、どうして、こんな関係になってしまったのか。彼は性器を突き立て私を攻撃する。私は、その攻撃に喘ぎながら、彼に言った。

「中国で浮気しちゃあ駄目よ」

「分かっているよ。愛ちゃんにこうしてパワーを吸い取られちゃあ、浮気なんか出来ないよ」

「じゃあ、パワー、沢山、吸い取ってあげる。全くパワーが無くなるまで・・・」

 私は執拗に彼を興奮させると、自らも情欲が高まり、ついには興奮しすぎて、身体を反転させ、彼の上に跨った。そして彼の攻撃を下から受けた。すると彼も興奮し、膨張しきった性器を下から突き上げた。その攻撃が私の割れ目の奥へ真直ぐに突入し、その躍動を伝えて来た。私はその攻められる快感に気が遠くなった。乗り物の上で、空中にいるような浮遊感を味わい、意識を失った。気がついた時には、彼はもう背広姿に着替えていた。

「明日の朝、4時半に起きて、5時20分過ぎの一番電車に乗らないと、北京への飛行機に乗り遅れてしまうんだ。君にパワーを吸い取られ、明日、起きられるか、どうか心配だ。早く帰ろう」

 彼が慌てているのが分かった。早く家に帰って出張の為の荷物を準備しなければならないのだという。それにもしかしたら、古びた奥さんとやらなければならないのかも知れない。私に精力を搾り取られた上に、そんな奉仕をしなければならないのでしょうか。私は倉田常務と新宿駅に向かいながら余分な事を考えた。私はどうして、このような下品なことを考えてしまう女になってしまったのでしょうか。


         〇

 これから桜の花が咲くというのに、私は花粉症に悩まされ憂鬱だった。『J病院』に出かけ、私は斉田医師に苦痛を訴えた。すると斉田医師は女性看護師が傍にいるのに、何時ものように、私の上半身に触れながら言った。

「これはホルモンバランスが乱れている所為です。あと1週間、様子を見ましょう。ひどくなったら、私にメールしてください。特別に見て上げましょう。これ、私の名刺です」

「ありがとう御座います。よろしくお願いします」

 私は深く頭を下げ、診察室から退出しながら振り返り、斉田医師の顔を見た。斉田医師の視線は、私のお尻に集中していた。いたずら好きの私は、ちょっとお尻を捻って診察室から外に出た。私の手は斉田医師の名刺を大事に持っていた。斉田医師の名は斉田博美。まるで女性みたいな名前だった。私は病院を出て、薬局に立ち寄ってから、マンションに戻ろうとしたが、前回、琳美の恋人、早川少年が来ていたのを思い出し、マンションに戻るのを止めた。私は花粉症がひどいので、夕方からのコンビニでの接客が辛い事から、コンビニでのアルバイトを当分、辞めようと思っていた。そこで、そのままアルバイトをしているコンビニに行った。私は、店長に、体調が悪いので、アルバイトを辞めさせて欲しいとお願いした。

「そんなこと急に言われても」

「花粉症がひどくて、お客さんに対応するのが大変なんです」

「困ったなあ。でも次のアルバイトが見つかるまで、お願いするよ」

「はい」

 私は言いにくかったが、コンビニのアルバイトを断って、ホッとした。でも店長はまだ納得が出来ない風だった。

「本当に良いのかい?」

「はい」

 私は、はっきりと答えた。すると店長はとても残念そうな顔をした。私はコンビニのアルバイトを断り、スッキリしてから、弁当を買い、角筈のマンションに戻った。マンションの部屋に早川少年は来ていなかった。琳美が1人、静かに勉強をしていた。私は琳美にコンビニのアルバイトを断って来たことを話した。

「次のアルバイトが見つかるまで、手伝う約束で、OKして貰ったわ」

「アルバイト辞めて、大丈夫なの?」

「琳ちゃん。お金のこと、心配しているの?」

「そうよ」

「大丈夫。翻訳の仕事が入る様になったから。足りなかったら『快風』の月姉さんに早出の仕事をお願いするから、何とか大丈夫よ」

 私は、そう答えて笑った。琳美は本当に大丈夫なのか、私のことを心配した。今まで子供子供していたが、少女から大人になるのは早い。琳美は、これから大学受験に向けて、更に勉強しないといけないということを自覚していた。出来れば早川少年と一緒に同じ有名私立大学に入学したいと願っていた。私はコンビニで買った弁当を琳美と食べながら、琳美の希望を聞いて微笑んだ。その後、パソコンに向かい、翻訳の仕事を1時間程して、オヤツを食べ、夕方、再びアルバイト先のコンビニへ出かけた。コンビニのドアの脇には、早くもアルバイト募集の紙が貼られていた。私が辞めることが従業員に伝わると、店の従業員たちとの会話も、何となく、よそよそしくなった。私は孤独を感じ、店の外に出て,三日月を見上げた。すると今日、診察してもらった斉田医師の顔が浮かんだ。何でかしら。それは倉田常務が中国に出張していて、国内にいないからに相違なかった。私は斉田医師に電話していた。

「先生。私です。今日、診察していただいた」

「ああ、君か。どうした?何か元気ないみたいだけれど」

「大丈夫です。名刺を戴いたので、その確認だけです」

「そう。今度の土曜、花見出来そうだね。花見に行かないか。良いかな」

「は、はい」

 私は簡単に同意してしまっていた。喜ぶ斉田医師の顔が浮かんだ。その斉田医師は私に提案した。

「新宿御苑だと、知ってる人に見られるかも知れないから、浅草へ花見に行こう」

「はい」

 私は、同意し、隅田川の桜の花を思い出した。私はルンルン気分になり、店に戻り、アルバイトを終わらせた。マンションに戻ると、琳美が食事を準備して私を待っていた。何故か、とても嬉しいルンルン気分になった。


         〇

 土曜日、南からの暖かな風が流れ込んで、一気に桜の花が咲いた。私は午前中に自分と琳美が脱いだ衣類の洗濯を済ませて、琳美と簡単な昼食を終わらせた。それから午後、ちょっと上品なフリルのブラウスと花柄のタイトスカートの組合せに、白いハイヒールと、バーバリーのバックを持ったスタイルで、琳美に言った。

「琳ちゃん。帰りは夜の8時過ぎになると思うわ。申し訳ないけど、夕御飯は1人で食べてね」

「分かった。行ってらっしゃい」

 琳美は明るい声で答えた。私は部屋を出て、マンションから新宿駅に向かいながら、私がいない間、琳美が早川少年を連れ込むに違いないと想像して歩いた。私は新宿駅に着くと、中央線の電車に乗り、神田駅まで出て、そこから地下鉄銀座線の電車に乗り換え、浅草まで行った。待合せ場所の雷門前まで行くと、待合せの人たちで混雑していた。だがピンク色のYシャツに紺色のブレザー姿の斉田医師がキョロキョロして私を待っているのが直ぐ目に入った。ちょっと弓木潤也に似た服装だったが、ズボンが黒い色だったので、落ち着いて見えた。

「ごめんなさい。遅れて」

「いや、こちらこそ。無理な誘いをしたんじゃあないかと。来てくれるかちょっと心配させてもらったよ」

「斉田先生って、正直なんですね」

「ああ、一応、医者だからね」

 斉田医師は屈託の無い笑顔で答えた。その笑顔を応援するかのように雷門前の柳の枝が、春風に揺れて、私たちの心をウキウキさせた。私たちは先ず大勢の人たちと一緒に仲見世通りを歩き、浅草寺にお参りした。それから桜の咲く墨田公園に向かった。墨田公園に入ると、かって日本語学校時代に何度か来たことのある桜並木が、あの頃と同じように、美しい桜の花を溢れさせ、咲き誇っていた。

「綺麗だね」

 何処からか聞き覚えのある男の声が侵入して来た。私はハッとして、桜の枝の花に向かって呟いた。

「お久しぶり」

 私は桜の花を観て、かって西村老人と一緒に、この公園に梅の花や桜の花を観に来た時のことを回想し、その郷愁に似た思いに泣きそうになった。あの頃の喜びや苦しみを、ここの桜は、全部、見て来たのだ。そしてあの頃と同じように、現在もまた、私を監視している。桜の花は現在の私のことを、どう思っているのでしょうか。貴女は悪女なのに今も尚、限りなく純真さを装っている嘘つき。私は斉田医師の腕に掴まり、満開の桜の花の下を歩いた。言問橋を渡り、墨堤公園の墨田川べりの歩道を進んで行くと、老若男女が、満開の桜の花の下にシートを敷いて、飲食をシナガラ、ワイワイ楽しんでいた。和服姿の向島芸者が、花見客に甘酒を振る舞っているのが見えた。私たちは、そこへ行って縁台に座り、甘酒と串団子を註文して、墨田川の桜を眺めた。

「花より団子」

 斉田医師は、そんなことを言って笑った。何時の間にか夕暮れが近づいて来ていた。川を遊覧する屋形船に灯りがともされ、美しかった。私たちは川風を受け、寒さを感じるようになったので、花見を止め、向島の見番通りにある『むらさき』という寿司屋に入り、にぎり寿司を食べ、お酒を飲んだ。カウンター席で、ぴったりと寄り添って、面白可笑しく、ありきたりの会話をした。酒が入った所為か、何でも質問することが出来た。

「ところで先生は、お幾つですの?」

「私ですか。幾つに見えますか?」

「私より、1回り年上」

「外れ。2回り年上。40代も半分過ぎちゃったよ。もう人生の後半に向かい始めていると言って良いだろう」

「そんな」

 斉田医師の年寄じみた発言は医師らしくなく、彼に似つかわしくない言葉のように思えた。私は斉田医師を見詰めた。すると彼は私の顔を窺がって言った。

「可笑しいですか?」

「40歳半ばを過ぎたばかりで、人生の後半だなんて言うから」

「そう言われても、私はもう中年だよ。人生の後が見えている。それに較べ、君には未来が、たっぷり残されている」

 斉田医師は、そう口にして大きく溜息をついた。何だか悪酔いされるのではないかという不安が去来した。このタイミングを逃がしてはならなかった。徳利のお酒も無くなった。

「そろそろ帰りましょうか」

「急ぐことは無いけど、帰ろうか」

 斉田医師は、あっさりと同意した。私たちは『むらさき』を出て、再び夜桜を眺めながら、墨堤通りの人混みの中を歩いた。悪戯好きの川風が、ほろ酔い気味の私たちを、からかう。その夜の妖しさは、互いの心をドキドキさせた。満開の桜につつまれた夜は、何処までも終わりがないように思われた。斉田医師が思い出したように言った。

「ああ、今日は桜の花に見とれてしまって、君の花粉症の診断を忘れていたね」

「先生ったら、午後からずっと、私を見ていたでしょう」

「いや、桜の花ばかり見ていて、うっかりしていた」

「だったら、これから見て頂けますか」

「そうだね。浅草は混んでいるから、離れた所に行こう」

 私たちは言問橋を渡り、浅草方面へ向かった。と、突然、斉田医師が馬道通りでタクシーを拾った。

「鶯谷へ」

 斉田医師がタクシー運転手に鶯谷と言ったので驚いた。私たちは鶯谷に着くと、タクシーから降りて、駅近くのラブホテル『シルエット』に入った。私は、いけない女だった。弓木潤也が、入社前で忙しかったり、倉田常務が中国に出張しているのを良い事に、斉田医師とつながることになってしまった。ホテルの部屋に入ると、斉田医師は私をベットに座らせ何時ものように、先ずは目の観察をした。それから私のフリルのブラウスとブラジャーを外し、上半身を裸にさせた。そして、そっと乳房に触れて、ポンポンと叩いた。

「じゃあ、今日は下の方も脱いで」

 私は斉田医師の指示に従い、花柄のタイトスカートを脱ぎ、まぶしい裸体を披露した。彼は私の裸体を見て感動した。

「素晴らしい。これも外そう」

 斉田医師は私の裸体に最後までつけていたパンティを、細い指に引っ掛けて外した。それから私の股間を観察した。

「先生。恥ずかしいから,見ないで下さい」

「ここを観させてもらわなければ、今日の診察にならないよ」

「そ、そんな」

「清楚な匂いがする。では横になってもらおうか」

 斉田医師は、そう言って私をベットに横たえた。私が仰向けになると、彼も裸になり私にのしかかって来た。斉田医師は自分の太く熱くなった物を私と繋げると、胸からお臍、腰、太もも、足先まで撫でまわした。私は柔らかな身体の曲線を使って、夢中になっている彼を溺れさせた。私は、医師という職業の彼を、私のトリコにしたいと思った。愛情に飢えていた私は斉田医師に愛され、満たされ、歓喜した。こうして斉田医師は、私の男たちの仲間入りをすることになった。


         〇

 4月2日の月曜日、新入社員が緊張して出社する姿を目にした。私は新橋の大手石油会社に入社した弓木潤也のことを思った。彼は石油会社に入社し、どんな部署に配属になったのでしょうか。彼の周囲には若い女性社員がいるに違いない。チヤホヤされるに違いない。税理士試験の勉強は、勤務しながら出来るのでしょうか。私は入社したての彼の環境がどのようになったのか、訊きたくなった。夕方近くになって、彼の携帯電話にメールした。だが返信が無かった。それで今度は電話してみた。しかし、彼は携帯電話の電源を切っていて、電話は通じなかった。考えてみれば、当然のことで、彼は、まだ会社の業務中か上司と一緒で、携帯電話に目を通すような余裕が無いのだと思った。私は初日なので、潤也との会話を諦めた。翌日の夕方になって、私はまた弓木潤也に電話を入れてみた。彼は昨日と同様、携帯電話の電源を切っていた。多分、潤也は社会人の第一歩を踏み出したばかりで、背筋をすっと伸ばし、新しい希望に向かって、勤務先の仕事に熱中し、携帯電話を切っているに違いなかった。社会人になり、何もかもが新しい事ばかりなので、目を丸くしていて、携帯電話など確認する余裕など無いのかも知れない。日本社会の入社してからの競争は、とても厳しいと聞いている。世界の中でも日本人ほど会社を大切に思い、会社に忠誠を尽くす人たちはいないらしい。それだから、入社したての潤也は必死なのでしょう。普段はチャラチャラしているが、仕事に対しては生真面目なのかもしれない。でも昼休みとかに電話をしてくれても良いのではないかしら。潤也からの電話が入らないので、私は倉田常務に電話した。自分に甘い言葉を囁いてくれる男の声が聞きたかった。だが通じなかった。夕方近くになって、倉田常務から電話が入って来たので、直ぐに出た。

「私です」

「やあ、久しぶり。元気にしてるかな」

「元気よ。今、何処にいるの」

「今は天津。明日、北京に移動し、1日、北京観光してから、日本に帰るから待ってて。また一緒に食事でもしよう」

「ちゃんと約束、守ってる?」

「守っているよ。君の方こそ、花粉症、大丈夫かな」

「少し良くなったわ」

「そりゃあ良かった。君の声、聞けて、帰るのが楽しみになったよ。じゃあ、これから宴会なので、電話切るよ」

 私は倉田常務の元気な声を聞いて、少し力を得た。それにしても私は勝手だった。彼に浮気をするなと言っておきながら、彼が中国に出張している間に、新しい男と関係を持ってしまった。愛されたい。認められたい。満たされたい。こういった私の欲望は異常かも知れなかった。まるで探し物をしている乞食だ。愛、男、金、心などなど、欲求に限りが無い。このような強欲は、一体、私の身体の何処に巣をくい、潜んでいるのでしょうか。次から次へと男を巻き込み、止まらなくなっている。私は、これはいけない事だと分かっているが、何故か止められない。まるで阿片の吸飲者のようだ。この悪い性癖は何時か私を奈落に突き落とすに違いない。そんな良からぬことを考えていると、やっと弓木潤也から電話がかかってきた。

「ごめん、ごめん。電話、出来なくて」

「入社したてで、忙しそうね」

「うん。毎日、毎日、研修、研修で、自分の時間がないんだ。参ったよ」

「そのうち会わない?」

「そうしたいんだけど、当分、無理だよ。新入社員だからね。今は仕事を覚えるので精一杯なんだ」

「分かった」

「時間の余裕が出来たら、電話するよ」

「分かったわ。じゃあ、またね」

 私は一方的に電話を切った。潤也が私のことを重要視してないように感じられた。同棲しようとまで考えた男なのに、何故か優しさが感じられなかった。社会人になり、考えが変わったのでしょうか。入社した会社に良い女でも見つけたのでしょうか。でも今の私は強気だった。潤也がその気にならないのなら、別の相手に会えば良い。私に会いたいと思っている男は沢山いる。人生には、いろんな出会いがある。人生という時間は前にしか進まない。そう思ったりしたものの、当分、潤也に会えそうも無いので、私は寂しくてならなかった。私は自分の心の空洞を埋める為に、新宿の地下街をさまよった。お金が無いのに、洋服や帽子や靴を見て歩いた。真摯に勉学に励むべきなのに、自堕落な時間を浪費していた。こうして私のちょっと憂鬱の入り混じった春休みは終了した。


         〇

 私は周囲の協力援助を受け、4月に大学3年生になることが出来た。4月6日、授業が始まるや、今まで放置しておいたゼミナールを決めなければならなかった。私の希望は貿易実務であったが、私の仲間に貿易実務を選択する人が、1人もいなかった。可憐は長山孝一と会計学のゼミに入ることを決めているし、純子も平林光男と同じ、経営戦略のゼミに入ることを決めていた。決めていないのは、真理と私だった。私はどうしようかと真理に相談した。すると真理は商店経営学の川北先生のゼミに入ろうと思っていると答えた。

「小沢君は工藤君と相談して、川北ゼミに入ることにしたらしいの。彼、工藤君と気が合うから」

「でも、何で商店経営なの?」

「工藤君の家って、建築業でしょう。今、お父さんが建築の仕事をして、お母さんが、自宅で板材や大工道具などを小売りしているの。本業の建築業は、お兄さんが継ぐことになっているらしいの。工藤君は、そのお母さんがしている板材や大工道具、ペンキなどの小売りの仕事を引継ぎ、今の工務店から分離独立して、お母さんの仕事をホームセンターに拡大させたいのですって」

「そうだったの」

 私には全く初耳の話だった。工藤正雄は平林光男や純子と同じ経営戦略の片平ゼミに入るものと思っていた。川北ゼミに入りたいなどと、一度も私に話してくれなかった。ただ私の希望する貿易のゼミとは無縁であると言っていた。それでも私は貿易実務のゼミに入りたくて、藤田ゼミの面接試験に臨んだ。藤田貞夫先生は現在、『三星物産』の講師をしており、うまくすれば、『三星物産』に就職を紹介してくれるかも知れなかった。ところが、面接試験は英語だった。その面接試験で私の英語力程度ではついていけないと感じた。貿易実務の面接試験を受けて愕然としている私に真理が、優しく声をかけて、川北ゼミに誘った。

「どう。愛ちゃん。貿易実務のゼミを諦めて、川北ゼミに入らない。そうすれば、愛ちゃんの考えているフアッションの仕事と貿易の関連も出て来る気がするし、気心の知れた仲間と学ぶことが出来るからよ」

「真理ちゃんは、川北ゼミに決めたのね」

「うん、そうよ。商店経営って面白そうだし、小沢君と一緒にいられるんだから」

「そう。じゃあ私も同じゼミにしようかな」

「じゃあ決まりね」

 真理は、そう言うと、私の両手を一方的に捕まえ握って来た。仲間が出来て、とても嬉しそうだった。私はまだ迷っていたが、流れに翻弄されて、にっこり頷き、同意した。さんざん考え、悩んだというのに、結論は簡単だった。結局、工藤正雄と同じ、川北ゼミに決めている自分に安堵した。貿易実務に未練はあったが、それは『スマイル・ワークス』で海外との取引をしている倉田常務に教えて貰えば良い事であった。私は早速、真理と一緒に川北ゼミへの入部手続きの申請を行った。簡単な入部志望レポートと面接で、私も真理も合格した。私たちの合格を知って、小沢直哉と工藤正雄は大喜びして、下北沢の『ピッコロ』で、4人で入部祝いをした。その席での会話は最初は明るかったが、工藤正雄が途中で、生真面目な話を始めるから、堅苦しくなってしまった。彼はアメリカのバージニア工科大学での韓国系アメリカ人学生32名の射殺事件を話題にした。

「俺は自分の身の危険は自分で守れというアメリカの社会通念に怒りを覚える。西部開拓時代から、ずっと男も女も銃を所持している国が、果たして民主国家などと呼べるだろうか」

 正雄の意見に真理が同調した。

「そうね。本当に恐ろしいわ」

「そんな国であるから、戦争を罪悪と思わず、世界の保安官気取りで悪行を重ねているのだ。アメリカは全く危険な国だ」

 私も正雄の考えに同調した。

「ぞっとするわね。アメリカに留学しなくて良かったわ」

 小沢直哉も、アメリカの教育機関での銃乱射事件の原因は、日本のような銃刀類所持等取締法が無いからだと言って、アメリカを罵った。

「アメリカは世界の一等国などと言っているが野蛮な国だ。北朝鮮の核開発に反対する前に、自国の銃廃絶を実施すべきだと思う」

「そうだな。アメリカは血に汚れた国。血に汚れた大地の上に存在する。何処かの国に似ているな」

 私は正雄の言葉にちょっと怒りを覚えた。何処かの国とは私の母国、中国のことだ。言われれば確かに、中国も共産党軍が、銃を持って威張っているので、似ているといえる。何時、再び、天安門事件が起こるか分からない。世界は笑顔を必要としているのに、最近、何故か暗いニュースが多かった。私たちは『ピッコロ』での入部祝いを済ませると、下北沢駅の改札口で解散した。


         〇

 大学3年生になると、今までのような基礎的授業が少なくなり、私たちの授業は専門的授業に移行した。私は、その『配給論』の授業中、窓の外の葉桜が、風にそよぐのを眺め、弓木潤也のことを思った。離れていれば忘れられるというものでは無い。彼はクラスメイトと異なった自由な風を私に運んで来てくれる。何かを押し付けようとする圧迫感など一切無く、その優しさは、私を仕合せにしてくれる。私の希望に耳を傾け、相談に乗ってくれる。その彼は今、社会人になり、新入社員研修を受け、会社の発展の為に貢献しようという気概を持って、頑張っているに違いない。この間、電話で話した時、当分、会えないと言われたが、会いたいと思う。メールを入れようか止めておこうか悩む。そんな時、『スマイル・ワークス』の倉田常務からメールが送られて来た。

 *昨日、帰国しました。

 一生懸命、勉強してますか?

 私は今日から出社しています*

 私は、そのメールを受け、講義をしている教授に見つからぬよう、机の下で画面を読み、返信のメールを送った。

 *お帰りなさい。

 来週、翻訳が出来上がりそうです。

 出来たら連絡します。

 会いたいです*

 メール文の後に、私は、沢山、ハートマークを付けて上げた。その為でしょうか、倉田常務は調子に乗って、またメールして来た。

 *謝々。我想愛麗。

 来週を楽しみにしているよ*

 私は、その文面を見て私の名前が間違っているのに気付いた。玲という漢字を麗と言う漢字に誤っていたので、ちょつと怒りのメールを送った。

 *愛麗とは誰のことですか?

 私と違う人のことですか?*

 するとミスを指摘された倉田常務は、慌てて、お詫びのメールを送って来た。

 *ごめん。愛玲の名を愛麗と

 間違えてしまいました。

 私の頭脳は中国出張で、

 狂わされてしまったのでしょうか。

 私の心には愛ちゃんしかいません。

 愛ちゃんは私の理想であり、夢です*

 倉田常務は名前の文字を間違えたことを詫び、私と同じように文章の後に、沢山、ハートマークをつけて来た。しかし私は授業中なので、その後の返信はしなかった。そんなことより、私の頭の中は、弓木潤也のことが気になって仕方なかった。何故、こんなに気になるのか。『配給論』の授業が終わって、学生食堂に向かいながらも、私は潤也のことを考えていた。

「どうしたの、愛ちゃん。考え事して、何か変よ」

「えっ」

「何、考えていたの?」

 私は可憐に質問されて、一瞬、慌てた。ひどく混乱した。戸惑っている私を見て、真理がからかった。

「私たちが気づかないとでも思っているの。男のことで悩んでいるのでしょ」

「うん、まあね」

「工藤君のこと?」

「違うわ」

「貴女って身勝手な女の子ね。工藤君以外の男のこと、考えているの?」

「それって、いけないこと?」

 私の言葉に可憐と真理はびっくりした顔をした。可憐が私を睨みつけた。

「愛ちゃん。それは駄目よ。1人にしないと」

 真面目な可憐は、私を叱る様に意見した。私は可憐の、その怒ったような顔を見て、しゅんとなった。1人だけなんて、選ぶことが出来ないのに、私は可憐の言葉に頷いた。そんな私の顔を見て、真理が笑った。それは二股を容認する笑いの表情だった。私は大学の授業を終えてから、帰りの電車の中で、弓木潤也にメールを送った。

 *新人研修、お疲れ様。

 何事もスタートが大事です。

 頑張って下さい。

 落ち着いたら連絡下さい。

 会いたいです*

 そして、このメールを見て、潤也がどんな返事をくれるか期待した。返事を待つ間、胸がドキドキした。しかし、潤也からは、待てど暮らせど、連絡が無かった。新入社員研修とは、外部との連絡が出来ないほど、そんなに厳しいものなのでしょうか。このことは、可愛い自分が、男に絶対もてると思い込んでいた私の自尊心を八つ裂きにした。


         〇

 恋しい潤也に会えないストレスの吐け口は、結局、お人好しの倉田常務に向けられた。私は名前を間違えられた怒りが治まったふりをして、倉田常務にメールを送った。

 *私は愛玲です。

 明日の昼、食事でもしましょうか?*

 私のメールを見て、倉田常務は困惑しているようだった。仕事始めの月曜日早々の誘いは予想外であり、何故、昼食なのか。慌てているのが、私には予想出来た。その倉田常務は、スケジュールがびっしり詰まっていて、どうすることも出来ないと、こんな返信をよこした。

 *明日は客先に出張する為、会えません。

 水曜日は会議があり、駄目です。

 木曜日はシンガポールからお客が来るので

 難しいです。

 金曜日は展示会に出かけます。

 金曜日の夕方からなら、

 何とかなるかもしれません*

 そのメールを読んで、自分勝手な私は、金曜日まで待てなかった。一時も早く、ストレスを発散させたかった。木曜日の夕方はどうかと質問のメールをした。すると倉田常務は、こんなメールを送って来た。

 *夕方からシンガポールの客先の宴会です。

 その前の1時半から4時までの間なら、

 会えるかもしれません。

 都合は、どうですか*

 私は、その日、授業があるので、1時半までに新宿に行くことは不可能だった。その為、次の返事をした。

 *学校の授業が終わってから、

 何時もの所へ行きます。

 3時過ぎになります*

 すると倉田常務から断りのメールが入った。

 *ごめん。1時間足らずの時間では

 細かな打合せや報告が出来ません。

 夕方、4時半から、

 シンガポールのお客に会うので

 別の日にしましょう*

 私はシンガポールからの来客を相手に忙しくしている倉田常務を、これ以上,攻めても無理だと判断して、次のメールを送った。

 *じゃあ、金曜日の夕方にしましょう*

 このメールに対する倉田常務からの返信は無かったが、私は了解してもらえたと理解した。私は、少し気分が静まり、2時半からのゼミの授業に出席した。工藤正雄や小沢直哉、細井真理たちとゼミの教室に行くと、10人以上の仲間が集まっていた。私たちの後にも、数人、部屋に入って来て、やがて川北敏行教授が姿を見せ、授業が始まった。川北教授は先ず、ゼミの新メンバーの出欠を確認した。名前を呼ばれるごとに、私たちは手を上げて、ハイと答えた。それからゼミの教科書『商店経営論』が配布された。その『商店経営論』の著者は、川北教授だった。川北教授は、教科書で論じている内容を、私たちに伝授し、学生たちの将来に役立たせて欲しいと語った。

「現在の商店経営は、かっての個人商店や百貨店などの経営とは異なり、大きく変化している。大型スーパーもあれば、コンビニ、インターネット販売もある。かと思えば、フランチャイズ方式の店もある。私はこれらの商店が、如何にして生まれ、これから、どの方向に進化して行くのか、皆さんと一緒に、調査研究を進めて行きたいと思っています。そこで先ず、このゼミのリーダーを決めたいと思います。リーダーをやってみたいと思う人がいましたら、手を上げて下さい」

 私や真理は、初めての事なので、リーダーなどやってみる勇気は無かった。工藤正雄や小沢直哉が、粋がって手を上げるのではないかと視線を向けたが、2人とも、そんな気は無かった。手を上げたのは、たった2人だけだった。それも男子1人、女子1人。結果、この2人が川北ゼミのまとめ役に選出された。すると川北教授が、私たちに向かって、こう発言した。

「2人が挙手されましたので、この2人にリーダーになってもらいます。私の勝手ですが、浜口明夫君をリーダー、水野良子さんをサブ・リーダーに決めます。じゃあ、自己紹介して下さい」

 川北教授は2人に自己紹介させた。2人とも東京出身で、実家が商売をしているとの説明だった。ゼミのメンバーは15名ほどだが、皆、明るそうな人たちばかりだった。外国人は私と韓国からの留学生、柳英美の2人だけだった。柳英美は親戚が新大久保でスーパーを経営していて、将来、彼女も日本で店を持ちたいと希望していた。私は明確な目的を持って、ゼミに入って来た人たちに較べ、自分は何て、行き当たりばったりの人間なのかと、情けない気持ちになった。無理をしてでも、貿易実務の藤田ゼミに入れてもらうべきだったのでなないかと、思ったりした。


         〇

 金曜日の午後、展示会に行っている倉田常務からメールガ届いた。

 *夕方、何時にしましょうか*

 互いに待ち合わせ時刻を決めていなかったので、時刻確認のメールだった。私は授業中だったので、簡単に返信を送った。

 *4時半頃かな?*

 ハートマークも付けなかつた。彼からのメールにもハートマークが無かったからだ。何時も付けるハートマークが無い事に対して、彼がどう思うのか、心理作戦のつもりで、ハートマークを点けないで、反応を見た。すると倉田常務から了解の返事が来た。

 *了解しました。

 4時半、東口に行きます*

 その文章の後に、ハートマークが5個も付いていた。私はとても嬉しい気分になった。私は午後の授業が終わるや、可憐たちに用事があるからと言って、急いでキャンパスを出た。小田急線の電車に跳び乗り、新宿に向かった。急いで向かったので約束の東口に4時ちょっとに着いてしまった。倉田常務が現れるまで、手持無沙汰だったので、潤也にメールを送った。

 *新人研修はまだ終わらないのですか?

 私は商店経営のゼミに入りました。

 これからの仕事に役立てたいと思っています。

 会いたいです。

 連絡を待っています*

 しかし、潤也からの返信メールは入って来なかった。そこで倉田常務にメールを入れた。

 *もう到着して待っています。

 今、何処ですか*

 すると直ぐに返事が来た。応答が早い。

 *只今、新宿駅に着きました。

 そちらへ向かいます*

 倉田常務は息せき切って現れたが、私が何処にいるのか、気が付かなかった。私が後ろに行って、肩をポンと叩くと、目をまん丸にして、私の頭から足先まで、じっと見降ろして言った。

「びっくりした。別人かと思ったよ。髪型を変えて、ミニスカートだなんて」

 彼の視線は私の奇抜なフアッションに対する驚嘆というより、そのセンスに対する疑問と拒否の色を露わにしていた。何時もより、色っぽい格好をして、喜ばせて上げようと思って来たのに、倉田常務が喜ばないので、私は言訳をした。

「この格好、可笑しい・長い髪、暑苦しいから、ちょっとだけ短くしたの」

「髪型は良いにしても、ミニスカートや厚底サンダル、君には似合わないよ。女子大生なんだから・・・」

 その後、彼は風俗嬢みたいだと言い出しそうな顔をした。立派な背広を着て、ネクタイを締めて、黒いカバンを持った紳士には、今日の君の格好は、不釣り合いだと言いたいみたいだった。私は不満だった。自分の細くて長い美脚を露出して見せられるのは若いうちだけ。なのに露出は卑猥だという考え方は、余りにも短絡的過ぎではないでしょうか。私は内心、私の露出した格好を嫌う彼のことが憎らしくなり、わざと彼にしがみついて歩こうとした。すると、彼は私の手を払い、ちょっと離れて歩いた。なのに向かったのは、前に入ったラブホテル『エミール』。部屋に入るなり、倉田常務は、カバンを放り投げるや、私を抱きしめ、お尻を触り、ミニスカートの中に手を突っ込んで来た。

「どうしたの。そんなに急いで」

「ちょっと、いいじゃないか。気になって仕方ないんだ」

 今までのミニスカートに対する嫌悪感は、何処へ行ってしまったの。私はミニスカートの中に、強引に手を入れられ、指で股間のボタンを押され、倒れそうになった。何、このチョンチョンとボタンを押される気持ち良さ。気持ち良くて倒れそう。その倒れようとする私を倉田常務はしっかりと支え、細やかな愛撫を続けた。とても気持ちが良い。来た来た。私は慌ててパンティを外し、メロメロになり、そのままバスルーム入口の柱に身体を預けた。最初はからかい合っていた2人なのに今や夢中になっていた。もう破廉恥な格好など、気にならなかった。立ったまま身体をくねらせ、倉田常務の背広やYシャツを脱がせ、ズボンを下ろした。言うまでも無く、彼の性器は天狗の鼻のように真っ赤に光っていた。私はそれを手にしてミニスカートをまくり上げ、経ったまま受け入れた。自分の繁みが割れて彼を迎え入れているのがはっきりと確認出来た。私は立ったまま嫌らしい声を上げていた。

「ああーん。もっと強く、強く、激しく私を突いて」

 私のよがり声に倉田常務は更に興奮し、バスルームの柱に寄りかかっている私に、強烈な愛の嵐を送って来た。私は快感に耐えられず、下半身がしびれ、そのまま意識を失った。気が付いた時には、私はベットの上に運ばれていた。


         〇

 そんな日々を送つているいるうちに4月も終わりに近づいて、ゴールデンウイークが目前に迫って来た。しかし、大学1,2年生の時のように、5月の連休にグループ旅行に出かけようという声がかかって来なかった。皆、カップルが出来て、別行動を計画しているらしい。今まで、この時期になると、大学のグループ以外の男たちからも、決まって声がかかって来たのに、今年は、その気配が無かった。温和で人慣っこく、ちょっと可愛いと思っていた私だけど、本当は魅力の無い女なのでしょうか。私には、男の入っている引き出しがいっぱいあると思っていたのに、実際は、どこの引き出しも空っぽで、独りぼっちであると気付いた。私は突然、孤独に襲われ、どうしたら良いか分からなくなり、弓木潤也にメールを送った。

 *入社して、間もなく1ヶ月ですね。

 仕事には慣れましたか?

 ゴールデンウイ-ク、何をされますか?

 会いたいです*

 あのチャラチャラした潤也のことを思い出すと、社会人になってどのように変化したか知りたくて、無性に会いたくて仕方なかった。私はいたたまれなくなって、肌に触れる春風に言った。

「彼に新しい恋を呼ぶのは止めて頂戴」

 しかし、春風は知らんふりをした。私は暗い画面しか映らない携帯電話を見詰め続けた。と、突然、知らない女性からメールが送られて来た。

 *お久しぶりです。

 潤也へのメール、拝見しました。

 ちょっと、ひっつこ過ぎます。

 彼へのメールは迷惑メールですから、

 止めて下さい。

 潤也に言わせれば、私より、魅力のある女性は

 いないそうです。

 悪しからず*

 私は、このメールを読んで、驚いた。何故、知らぬ女が、お久しぶりなどと言って、私に嫌なメールなどして来るのか。私は、カッとなり、問い合わせた。

 *貴女は一体、誰?

 弓木さんの何なのですか*

 私の心は尋常では無かった。見知らぬ相手に恐れること無く迫った。すると相手から返信メールが送られて来た。

 *A大学の橋本ゼミと日本語学校の生徒さんとの

 交流会でお会いした藤井洋子です。

 私は潤也の婚約者です。

 ゴールデンウイーク、私たちは軽井沢に

 行きます。

 これ以上、潤也につきまとわないで下さい*

 私は、このメールを読んで、更にカッとなった。潤也に対してでは無く、藤井洋子に対しての怒りだった。彼女は私と潤也のメールを盗み見たに違いなかった。なんで、そんなことをするのでしょう。多分、藤井洋子は長い間、弓木潤也と付き合っていて、何となく、私の存在に気付いたに違いありません。気まぐれに私を誘い、遊んでいた潤也は、今までの私とのことを彼女に秘密にして、話していなかったのでしょう。というより、私とのことが、藤井洋子に露見するのが恐ろしかったのではないでしょうか。だから石油会社に入社以来、私がメールしても、電話しても、何の反応も示さないで来たに違いありません。そんな事情も知らず、私はただ潤也からの返事をひたすら待ち続けた。その結果が、藤井洋子からのメールだった。私はカッとなったが、潤也に騙されたとは思わなかった。共に楽しんだのですから、相手への愛情と理解力があれば、互いに遊びだったと許すことが出来た。それと共に洋子に私とのことが発覚し、ペコペコ頭を下げる潤也の姿を想像すると、滑稽でならなかった。一時期、私は彼との同棲生活を考える程、のぼせ上がったことがあったが、いずれこのようになることも、心の片隅で予想していた。私は異邦人。日本人との恋愛がそんなに上手く行く筈が無かった。人生、傷つく時もある。私は藤井洋子からのメールを受取り、怒りを覚えたりしたが、2人の恋愛を破壊させようとは思わなかった。簡単に自分の方から諦めた。かなり不愉快な気分になったが、潤也と適当に戯れただけのことと思えば、未練も執着も無かった。何故か、あっけらかんとして、何もしないでいる自分自身に驚いた。このことで失恋したなどという気持ちにはなれなかった。それは女の強がりかも知れなかった。


         〇

 結局、ゴールデンウイ-クに男と接触することが無かった。5月の初日は、代々木上原の喫茶店『コロラド』で川添可憐と会った。ゴールデンウイーク前に彼女から悩みを聞いて欲しいと下校時に言われたので、5月1日に可憐と会う約束をしたのだ。細井真理は小沢直哉と上高地に、渡辺純子は平林光男と沖縄に旅行することになっていて、ゴールデンウイーク中に可憐の悩みを聞いてあげられるのは、私だけだった。『コロラド』で濃いコーヒーを飲みながら可憐が悩みを告白した。

「実は大学を中退しようかと思っているの」

「何、言ってるのよ。どういうこと。大学を辞めるなんて駄目よ。絶対駄目!」

 私がそう言うと、可憐は目にいっぱい涙をためて、私を見詰めた。一体、どうしたというの。彼女の顔を見て、何も聞いてないのに、私も泣きそうになった。

「実は長山君、昔からの彼女がいるの。静岡の高校時代からの彼女で、大学を卒業したら、直ぐに結婚するかも知れないの」

「何ですって。何よ。信じられないわ。今まで、そんなこと一言も言ってないじゃないの」

「おかしいでしょう。ところが、ゴールデンウイークに旅行しようと誘ったら、彼女の実家に行かなければならないからって、断られたの」

「どうして。どうして。今まで、貴女たち、ラブラブだったじゃあない」

 私が、そう言うと可憐は、もう泣いていた。涙を流し、しばらく声が出て来なかった。私は、どう慰めたら良いのか分からなかった。喫茶店のマスターが小皿を拭きながら首を傾げた。私の場合、潤也を失ったというのに藤井洋子への怒りで涙も出なかった。なのに可憐は、こんなにも涙を流している。可憐は泣きながら、ようやく口を開いた。

「でも私たちの付合いは純子ちゃんや真理ちゃんたちと違って強いつながりが無かったから」

「だからって、彼女の実家に行くなんて、言わなくても良いのに。なぜ、そんなことを可憐ちゃんに言わなければならないの}

「私にも全く分からないわ。私が何かいけないことでもしたのかしら」

 可憐は弱気だった。長山孝一はどんな顔をして可憐に言ったのか。私には可憐が孝一を責めようとしない理由が分からなかった。

「可憐ちゃん。どうして、そんなに弱気なの?」

「だって私、長山君に弄ばれた訳では無いし、肉体交渉も、まだだから」

「まあっ、そうなの」

 私は長山孝一と可憐の関係が、もっと進んでいるものと思っていた。私は2人の関係が工藤正雄と自分の関係のような淡く浅いつながりだと知った。2人の関係は多くの男たちと付き合って来た私にとって、全く予想外で、清純だった。

「長山君は酒造会社の跡取り息子だから、相手の人は、きっと田舎の堅実な家庭のお嬢さんだと思うわ。彼女は女子大に通っていて、とても優秀なんですって」

「だから何よ。駄目ねえ、可憐ちゃんって。もっと強くならなければ。長山君は、貴女のこと、好きな筈よ」

「本当?」

「本当よ。もしかすると長山君、貴女の事、嫉妬させる為に、田舎の彼女のことを口にしたのかも知れないわ。だから、そういう時は、激しく攻撃するの」

「攻撃?」

「体当たり。肉弾攻撃よ」

 私が、そう口にすると、可憐は真赤な顔をした。私は未熟で無垢な可憐に呆れ果てた。彼女はいわば昔の古風な令嬢みたいで、男を知ら無い処女だった。私は、そんな恋の経験の浅い可憐に勝手なことを言った。

「彼のアパートに行って抱かれちゃいなさいよ」

「そんなこと出来ないわ」

「じゃあ、長山君のこと諦める?好きなんでしょう。連休が終わったら実行よ」

 私は可憐を励ました。彼女は私に悩みを告白して、すっきりしたのか、柔和な顔になった。

「分かったわ。連休が終わったら実行するわ」

「その気になってくれたのね。良かったわ」

「ありがとう、愛ちゃん」

 可憐は私に感謝して、私の手を握り締めた。そこへマスターが近づいて来て言った。

「コーヒー、もう一杯、如何ですか?」

「はい。お願いします」

 可憐が明るく答えた。私は可憐が元気になってくれて、ホッとした。


         〇

 ゴールデンウイークの中盤は『快風』の仲間や琳美と一緒に高尾山の大自然を味わった。参加したのは、池袋店の何雪薇、謝風梅、劉長虹、黄月麗、、新宿店の謝月亮、陳桃園、白梨里、それに私と琳美の9人。午前8時、新宿の『京王デパート』の前に集合し、芳美姉から、おにぎりや御菓子やミネラルウオーターの差し入れをいただき、それを、それぞれのリュックサックに詰めて、京王線電車の改札口で、芳美姉と別れた。それから京王線の電車に乗り、9人で高尾山口へ向かった。調布、府中、高幡不動と八王子方面に近づくにつれ、新緑が次第に増えて来た。染井吉野の桜は散ってしまい、八重桜が所々に咲いているのが目に入った。私たちは、そんな車窓を眺めたり、喋り合いながら、1時間ほどで高尾山口駅に到着した。2階高架式の三角屋根の駅を出ると、その周辺には昔ながらの商店が並び、土産物屋やとろろ蕎麦店などの店があり、大勢の観光客で賑わっていた。ハイキングをする人たちは大人から子供までいて、皆、それぞれに登山のフアッションやカメラ撮影を楽しんでいた。若い恋人たちや不倫のようなカップルを目にしたりしたが、女同士の私たちには、女同士の楽しさがあった。しばらく歩くと、曲がりくねった山道に入り、民家などがまばらになって来た。普段、運動不足の私たちは直ぐに足が疲れて、清滝駅からケーブルカーで八合目の展望台近くまで登った。そこから吊り橋を渡って、頂上へ向かった。山ツツジの花が新緑の中に鮮やかに赤く咲いていた。私たちは新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込み、爽快な高尾山の気分を味わった。途中、休憩用のテーブルがあったので、そこで昼食をとった。おにぎりも美味しかったが、芳美姉からもらった、ミネラルウオーターが、最高に美味しかった。水がこんなに美味しい物とは思わなかった。昼食を終え、私たちは汗に濡れたチョッキなどを脱ぎ、テーブルに備え付けられたベンチの上に横になったりして喋った。私は久しぶりに会った劉長虹に訊いた。

「虹ちゃんは、何時、彼氏とデートするの?」

「今度の日曜日。美容学院を卒業したのだから、そろそろ自分たちの店をオープンすることを、考え始めないとね」

「そうよ。グズグズしていると、私たちみたいになってしまうから」

 謝風梅が、そう言うと、風梅の姉の謝月亮が渋い顔をした。彼女たち姉妹は、2人で力を合わせ、美容院を開く予定で頑張っていたのに、その開業資金を、月亮の彼氏に持ち逃げされたという過去があったからだ。彼氏の話は私に移って来た。

「愛ちゃんの彼氏って、どんな人なの。学生さん?」

「彼氏なんていないわよ。彼氏がいたら良いんだけど・・・」

 私は弓木潤也にふられたばかしであり、工藤正雄とも深い付合いで無かったので、彼氏がいないと話した。すると琳美が、それを否定する発言をした。

「私、知ってる」

 それを訊いて、月亮が目を輝かせた。

「どんな人?」

「お医者さん」

「えっ、お医者さん」

 一同の視線が私に集中した。医者と言えば中国での職業評価は低いが、日本では年収が多くて評価の高い高級職業だった。私は慌てた。真っ赤な顔になって、それを否定した。

「何、言ってるのよ、琳ちゃん。琳ちゃんの間違いよ」

 私は琳美を睨みつけた。私の形相が、相当、怖かったのでしょう。琳美はクシュンとなって項垂れた。そんなことを喋ったりしての休憩を終えてから、私たちは頂上に行き、四方の景色を眺めた。そこからは遠く、都心まで眺められた。素晴らしい大自然の眺めだった。私たちは、その後、『薬王院』というお寺をお参りし、天狗の足跡や腰かけ杉などを見ながら下山した。途中、山野草などを売っている人と会話したり、御菓子を食べたりしながら、何とか高尾山口駅に戻ることが出来た。その時には皆、足がガタガタになっていたが、目的を果たせたという満足感で、皆、嬉しそうだった。


         〇

 ゴールデンウィークは、あっという間に過ぎ去り、再び大学の授業が始まった。夏休み前に前期試験があるので、これからの授業は重要だった。流石、3年生になると私は好成績を取る為に何処のあたりの講義内容が試験問題に出るのか、その要領が分かるようになっていた。真剣に勉学に取組むことによって、私は潤也のことなど忘れようとした。だが、そう簡単に忘れられるものでは無かった。失ったものは大きい。しかし、クラスの仲間に会ったり、授業に出たり、ゼミの活動に参加していると、気を紛らすことが出来た。また可憐の恋がどうなっているのか、心配するのにも興味が注がれたりした。

「その後、長山君と、何か話したの?」

「ちょっとでけ。でも何となく、よそよそしい感じ。今日、話せた、話せなかったで、一喜一憂の毎日よ」

「彼、可憐ちゃんの気持を分かっていないんじゃあないの?」

「そんなこと無いわ。分かっているから、恋人のことを、私に話したのだと思うわ」

 可憐は純粋過ぎた。長山孝一を憎まず、彼の実家の環境を恨んでいた。長山孝一は、本当に可憐のことを嫌っているのかしら。私には、そうとは思えなかった。私は可憐に言ってやった。

「でも希望を失っちゃあ駄目よ。長山君は工藤君と同じで、恋に臆病なのよ。前にも言ったけど、こちらから攻撃しなければ駄目なのよ」

「工藤君も、そうなの?」

「そう。あの2人は、とても似ているわ。女性が嫉妬する程、仲が良いでしょう。ホモと思えるくらい」

「信じられないわ。工藤君、あんなに男らしいのに・・・」

 私は可憐から、ホモなどという言葉が出て来たので、びっくりした。男なんて外見だけでは分からない。私は今まで沢山の男たちと接して来て、嫌という程、男の狡さ、優しさ、素晴らしさを味わって来た。だから工藤正雄や長山孝一、小沢直哉のような純情な男たちに、清潔感や愛しさを感じはしても、深入りはしない。こういった純情な男に夢中になられたら、それこそ恐怖だ。

「ところで、工藤君と愛ちゃん、どうなっているの?」

「私って真面目な男、苦手なの。緊張しちゃって、肩がこっちゃうの」

「でもゼミも一緒でしょ。いろんなこと話すんでしょう?」

「うん。でも堅い話ばかり。工務店を拡大するには、どうしたら良いか。日本と中国の関係悪化の原因は何か。これからの日本経済はどうなるのかなんて・・・」

「なら、良いじゃあない。長山君は私が話しかけても、返事をしてくれなかったり、私を避けているみたいだから、攻撃のしようが無いわ」

 私は、これから先、どうしたら良いか、見えていない可憐が、可哀想でならなかった。彼女は身体が震える程、長山孝一のことを思い詰めているのに、彼に突進しようという勇気が無いのだ。グズグズしていたら、それこそ彼の高校生時代の同級生だった女子大生に彼を奪われてしまう。そこでお節介な私は、可憐に協力してやることを決断した。

「こうなったら、長山君のアパートに行ってみましょうよ。そうすれば、彼の実情が分かる筈よ」

「えっ。愛ちゃん、一緒に行ってくれるの」

「ええ、そうよ。本当よ。友達だもの」

 私は可憐と長山孝一のキューピット役を買って出た。そして数日後、可憐と一緒に長山孝一の住所に訪問した。そこは予想していたアパートで無く、立派なマンションだった。一階のポスト受けで、彼の部屋番号を確認し、302号室のブザーを押した。すると、ドアを開けた孝一は、私たちの訪問にびっくりした。私は適当に、訪問した理由を言った。

「私たち、『世田谷美術館』に行って来たの。この近くに長山君が部屋を借りているって可憐ちゃんが言ったものだから、来ちゃった」

「参ったなあ。電話くれたら、部屋の中、綺麗にしておいたのに」

「気にしない。気にしない」

「入らせていただて良いかしら?」

「ああ、良いよ」

 孝一は、渋々頷いた。

「迷惑をかけてごめんなさいね」

 私は、可憐の手を取って、長山孝一の部屋に入った。それから彼の部屋の中を観察し、持参したケーキを戴きながら、3人で雑談した。この訪問によって、可憐と長山孝一の関係は、一歩、前進したような気がした。


         〇

 弓木潤也を失ってからの私は、可憐のキューピット役をしたりしても、気が晴れなかった。どうして、こう憂鬱なのか、何となく不愉快だった。倉田常務にメールしても忙しいの一点張りで、会えないと言うし、仲間はそれぞれに恋人たちと楽しんでいるし、スケベな男たちを相手にする『快風』での風俗のアルバイトは暗く、不潔極まりないものであったし、私は幾度となく溜息をついた。このすっきりしない都会の生活は、私の孤独感を更に強くした。祖国、中国から仕合せを夢見て日本にやって来たのに、試練ばかりが前途に立ちはだかり、思うように行かず、生きて行くのが辛かった。その現実を前にして、私は何が何でも、そこから脱出したいと思った。自分の意志とは違うけれど、罪悪感に苛まれながらも、私は誰かの慈悲に縋り付かなければ生きていけない存在だった。私は、ふと高尾山にハイキングに行った時、琳美が喋りかけた斉田博美医師のことを思い出した。彼は私にとって身近な存在になりかけていた。声をかければ、直ぐ近くにいた。それで会いたいとメールを入れてみた。すると斉田医師は直ぐに了解してくれた。新宿だと知り合いに会うかも知れないから、新大久保で待合せした。夕方の7時、斉田医師は暗いのにサングラスをかけてやって来た。人目を相当に警戒していた。私を発見するや、嬉しそうな笑い顔をして私に訊いた。

「どちらが先かな。食事?診察?」

「診察」

 私は恥ずかし気も無く答えた。すると斉田医師は駅前から、ちょっと離れた所にある『ドルフィン』というラブホテルに、私を連れ込んだ。部屋の中に入ると、斉田医師は私をベットに腰掛けさせ、上から下まで真裸にさせ、自分は化粧台の椅子を利用して、対面形式で診察を開始した。

「さあ、目を開けて」

 斉田医師は、私の黒目と白目を観察してから、口を開けさせ、口の中を覗き込んだ。

「舌を出して」

 まさに診察の手順に従っていた。それから彼は、私の胸を丁寧に撫で回した。

「素晴らしいな。柔らかくて」

 斉田医師の手は、まるで料理人の手のように心地よく私の乳房を揉んでから、下腹部へと移動した。

「下を見せて」

「はい」

 私は、その言葉に、再び口を開いて、舌を見せた。すると斉田医師は渋っ面をして、叱る様に言った。

「そっちじゃあ無い。下だよ。下。足を開くの」

 私は慌てて、両膝に手をやり、股間を開いた。大切な箇所が、黒い毛で隠されているとはいえ、流石の私も恥ずかしくなり、動悸が乱れた。斉田医師は、そんな私のことなどお構いなしに、私の両膝に手をやり、股間に頭を突っ込んで来た。

「開いて、開いて、もっと、もっと開いて」

 その声に私の開脚した中心部は火のように熱く火照った。私は、その中心部を斉田医師の要望に応じ、自分で指で開き、男たちが憧憬してやまない、深い女の鍵穴を覗かせてやった。斉田医師は、吸い込まれるように、その鍵穴に顔を寄せ、舌で、その部分を舐め回した。それから鍵穴に指を突っ込み、その奥にどんなものが潜んでいるのか診察した。その執拗で長い診察は、私の奥深くに、とぐろを巻いて潜んでいる官能を溶解させた。私の肉体感覚は恍惚に陥り、自分を失った。

「ああ~ん、早く入れて」

 なのに斉田医師は果てしなく診察をやり続けた。その為、私の鍵穴の中は溶鉱炉のように溶解して、大量の流れが発生し、ドロドロになり、臭気を放っまでになった。斉田医師は狂喜した。

「人間とは実に素晴らしい生き物だ」

 そう言うと彼はいきなり自分の鍵棒を取り出し、私の鍵穴に突っ込み、太い注射をした。私は彼から沢山の栄養剤を注入され、卒倒した。斉田医師の激しい『ドルフィン』での診察は、こうして終わった。診察を終え、私たちは『ドルフィン』を出て、新大久保の焼肉屋『吉林坊』に入り、スタミナを補給した。斉田医師は医者であるのに、大食漢で、肥満のことなど、全く気にしていなかった。人間の身体の観察をしている職業柄なのか、実に動物的で、欲望丸出しの人だった。食事を終えて駅で別れる時も、人に聞こえるような声で私に言った。

「気持良かったね。またやろうね」

 私は恥ずかしくて女性トイレに駆け込み、身を隠した。そして彼の乗った電車の音が高架線を走る去るまで、トイレの中にいた。


         〇

 5月末になって、珍しく倉田常務からのメールが送られて来た。

 *お久しぶりです。

 ハシカで学校は休みなのでは?

 木曜日か金曜日の夕方なら

 時間が取れそうです*

 不思議なもので、男たちから連絡が入り出すと、それが続いたりする。私は木曜日の午後なら都合が良い旨、返信した。倉田常務から直ぐに了解のメールが届いた。その木曜日がやって来た。5月末なのに、まるで夏のような暑さだった。若葉が青葉に変わる眩しい季節だった。私は新宿駅の東口広場で、倉田常務を待った。彼は汗を拭き拭き、地下階段から上がって来た。私が肌が日焼けするのを気にして日傘をさしているのを笑った。

「何がおかしいの?」

「若いのに日傘なんてさしているから」

「だって、私の肌が綺麗な方が良いんじゃあないの。私、肥ったかしら?」

 私は何時も自分の顔の白さとスタイルに気を使っていた。そして、会う人たちに自分がどう変化しているかを確認するのが癖だった。私の質問に倉田常務は笑って答えた。

「肥ってないよ。今よりちょっと肥り気味の方が、健康的で私は好きだな」

「ありがとう。でもクラスの友達から肥っていると言われているので、少し痩せたいの。どうしたら痩せられるかしら」

「恋をすることだね。若くて綺麗でありたい女性は男性に恋をすれば、痩せて綺麗になれるよ」

「恋をすることね」

「そう。恋は化粧品みたいに売っていないから、自分から男性を好きになり、身を捧げ、愛され、運動することだね」

 私は倉田常務の回答の意味を薄々、理解して頷いた。それから何時もの喫茶店『トマト』に入り、そこで翻訳した書類と引き換えに、翻訳料をいただき、互いの最近の状況を報告し合った。倉田常務は先週、学生時代の友人と南アルプスの雪の中で、素晴らしい自然と触れた感動を、少年のように目を輝かせて語った。私は私で、今年もまた、奨学金試験にパスしたことを話した。すると倉田常務は、とても喜んでくれた。

「良かったね。優秀なんだね。おめでとう。お祝いの乾杯をしよう。焼肉料理で良いかな?」

「はい。祝ってもらえるなんて嬉しいわ」

 私たちは喫茶店を出て、歌舞伎町にある焼肉店『叙々苑』へ行った。店に入り焼肉料理を註文し、ビールで乾杯した。『叙々苑』のコース料理を食べながら、倉田常務は、私のことを、とても堅実な子だと褒めてくれた。私は少し戸惑いながらも、彼の勝手な思い込みに苦笑して、焼き肉をいただいた。『叙々苑』のコース料理はボリュ-ムがあり、スタミナ充分になった。倉田常務はエネルギーに溢れた笑顔で、私を見詰めた。私は彼が次に何を欲しているのか、自分勝手に想像し、ワインを飲み干して言った。

「今日は、スタミナつけて体調が良さそうね。そろそろ出ましょうか」

 私は倉田常務より先に立ち上がった。倉田常務は私に従った。私の方が積極的かも知れなかった。ラブホテル『エミール』に行くと、何時もの受付のオバさんが倉田常務に鍵を渡し、ウインクした。

「何時も、お盛んね」

 そう語りかける目つきだった。倉田常務は、そのオバさんに微笑み返した。久しぶりに会った私たちは、衣服を脱ぐのももどかしい程に欲情にかられていた。部屋に入るなり、立ったまま濃厚なキッスをして、情事を開始した。私は彼にスカートの下から攻撃され、悶えに悶えた。私たちは立ったままつながった。その私を彼はお尻から抱き上げ、つながらせたまま、ベットに運んだ。私たちは、衣服を着たまま、ベットの上で激しく燃えた。私は着ている物がシワクチャになると困るので体位を逆転させて、彼の上に乗り、ブラウスやブラジャーを取り外し、上半身、裸になって、彼に挑戦した。私は競馬のジョッキーの如く倉田常務に跨り、腰を揺すり、性交の操縦をした。

「倉田さん、好きよ」

「我一様」

 倉田常務は私のリズムに合わせて、下から腰を突き上げながら中国語で喋った。中国に出張して、中国の彼女たちから、卑猥な中国語を教えてもらったに違いない。負けてなるか。この人は私の情夫。私たちの我侭な情欲の貪り合いは、果てしなく続いた。焼肉を食べて力をつけた倉田常務は、ギンギンの若者のようなパワーを発揮し、私は、その激しい下からの愛に惑溺して、フラフラになり、馬上から落馬した。そんな私を見て、倉田常務が小さく笑った。

「我愛你」

もう駄目。


         〇

 6月になると川北ゼミの仲間との交流も深まった。浜口明夫リーダーと水野良子サブ・リーダーにによるチームワークも上手であったが、酒井真紀、柳英美、杉本直美たちと知り合えたことは好運だった。仲間それぞれに、大学を卒業してからの夢があった。水野良子は実家の家具店、酒井真紀は輸入雑貨店、柳英美は食料品スーパー、杉本直美は化粧品店、真理と私はアパレル店といった商店経営の夢を抱いていた。私の本当の夢は、小さな貿易会社を経営することであったが、川北ゼミのメンバーに、そんな話は出来なかった。自分で秘かに、その方面の勉強をするしか、方法が無かった。でも、その夢は、そんなに手の届かない遠い所にあるものでもないように思われた。何故なら、上野のスナック『紅薔薇』で知り合った『三星物産』の人たちや『日輪商事』の人たちや、『スマイル・ワークス』の倉田常務に相談すれば、いろんなアドバイスや支援をしてもらえる可能性があったからだ。だからといって川北ゼミの仲間との交流は、全く無駄では無かった。中でも輸入品ショップや食料品スーパーの経営を考える酒井真紀や柳英美との交流は、輸入業務も関連するので、とても参考になった。また英美とは外国人留学生ということで、個人的なことも、語り合うことが出来た。彼女には韓国人としての悩みがあった。或る日の下校時、英美は、私に打ち明けた。

「私、クラスの日本人学生と付き合っていて、将来、彼と結婚して、日本で暮らしたいと思っているの。でも周囲の韓国人が、日本人と結婚するのは止めろというの。日本人男性に遊ばれて、捨てられるに決まっているからって」

 私は悩む英美に言ってやった。

「それは相手によるわね。でも日本人男性の多くは優しくて誠実よ」

「そうかしら。日本人は悪人が多いから注意するよう、韓国から日本に来る時、教えられたけど」

「中国人も同じことを言うわ。でも日本に来てみて分かったわ。日本人男性は、不戦の時代の中に生きているので、戦うことを忘れてしまっているわ。今の日本人は敗戦後、殺しもしない、殺されもしない平和な世の中で育って来たから、どちらかというと、喧嘩を嫌い、女性っぽいのよ。中国や韓国のように敵を意識することが無いの。だから日本人男性は、なよなよしてて、勇ましいところが無いの。それに反してか、日本人女性は溌溂として大胆で、積極的よ。そう思わない?」

「そうね」

 私の言葉に英美は頷いた。同感するところがあったのでしょう。私は英美を励ました。

「だから、彼のこと、じっくり時間をかけて、見極めれば良いと思うわ」

「分かった。韓国人の勝手な考えに巻き込まれて、自分を見失っては駄目ね」

「そうよ。私たち異邦人に対する偏見はあっても、日本は平和で暮らしやすい国だわ」

「韓国や中国など、日本が平和国家であるという現実を理解してない国々があるけど、それは誤解ね」

「そう、誤解よ。日本に来てみないと分からないわ。今度、彼のこと、私に紹介して。真面目な男か、不真面目な男か見て上げるから」

 すると英美は困った顔をした。感受性豊かな英美は、用心深かった。

「困るわ。彼が貴女の美貌とプロポーションに心を奪われたら、どうするの」

「大丈夫よ。今まで彼は、貴女に手を一切、出さなかったのでしょう。彼は、それ程までに、貴女を深く愛し、大切にしているのよ」

「でも心配」

 英美は、頑なだった。自己憐憫に囚われ、前に一歩も進めない、韓国人にしては珍しい引っ込み思案だった。しかし彼女の心配も分からないでも無かった。多分、彼女は、韓国人仲間から、中国人は欲しい物は何でも奪うから気を付けろと言われているに違いなかった。だから私の中にも、その血が流れていると思っていると疑っているのかも。


         〇

 梅雨明けが間近となった。これから夏に向かうのかと考えると、衣類や光熱費がかかるので、私の貯金通帳の預金残高では資金的に苦しくなることが心配された。ましてや雨などが降り続いていると、気持ちが一層、暗くなり、憂鬱になった。私は、この鬱病を治してもらうには、斉田医師が適任だと思った。私は憂鬱な気分を治してもらう為に、斉田医師にメールした。

 *今日、時間がありますか?

 会いたいです*

 すると斉田医師から問い合わせの返信が送られて来た。

 *今回は何の病気ですか?

 夕方からなら時間がとれますが*

 そのメールを読んで、私はどのような病名にするか思案した。まさか金欠病とはメール出来ない。鬱病とも書けない。適当な名前を付けて返信することにした。

 *会いたい病です。

 胸がドキドキして仕方ありません。

 夕方6時半、新大久保で待っています*

 私は夕方6時半、新大久保駅に行き、斉田医師がやって来るのを待った。サングラスをかけた斉田医師は6時半丁度に現れた。彼は嬉しそうに白い歯を見せて私に訊いた。

「どちらが先かな?」

「食事」

 私はずうずうしく答えた。それから前回、入ったことのある焼肉料理店『吉林坊』に行き、カルビ、ハラミ、ホルモンなどをたらふく食べた。2人ともスタミナをつけ、ギンギラギンになった。ほろ酔い気味で、この上ない雰囲気だった。私たちは『吉林坊』を出て、少し暗がりを散歩してから『ハレルヤ』というラブホテルに入った。部屋に入ると、斉田医師は何時ものように診察を開始した。

「さあ、目を開けて」

 斉田医師は先ず、そう言って、目を観察してから、私のブラウスのボタンを外した。私が続いて自分の背中に手を回し、ブラジャーを外した。その後、斉田医師が、露わになった私の胸をポンポンしてくれるものと思っていたら、何時もと違った。斉田医師は自分のカバンの中から聴診器を取り出し、私の胸に当てた。

「ドキドキするって言うから、これ、病院から持って来ちゃった」

「まあっ」

 斉田医師は、その聴診器を胸や背中や肩や、お臍に当てて楽しんだ。お医者さんゴッコだ。私は、その刺激に興奮してしまった。あっという間に、乳首が硬くなった。それを確かめると、斉田医師は聴診器をベットの上に放り投げ、私の乳首に吸い付いた。斉田医師は私の乳首を口に含みながら、私の乳房を揉みしだいた。その後、斉田医師は私の乳首を吸うのを止め、濡れた舌で私の胸下から、お臍の上あたりまで舐め、更に彼の頭が下腹部へと向かって行くのが分かった。私はゾクソクした。彼の濡れた舌がナメクジのように股間に向かっている。私は、たまらなくなって彼の硬くなっている物を掴もうと手を伸ばして探すが、それが何処にあるのか分からない。斉田医師は私をベットの上に押し倒し、私の両脚を自分の肩の上に置き、私の股間を広げ、赤い舌を伸ばして来た。まるで蛇のように私の割れて開いた部分を、チョロチョロと舐めた。

「ああん」

 快感が股間に走るのを見て、斉田医師は更に卑猥になった。ズボンを脱ぎ、私が先程まで探していた太くなった逸物を私に見せ、今度はそれを私の広げている股間に突っ込んで来た。彼は激しく腰を前後させながら、私にキッスして来た。私は吸い付いて来る彼の口の中に、私の舌を入れ、彼の舌と絡み合わせ、激しい股間への攻撃に耐えた。斉田医師は私の両脚を肩に担ぎ上げたまま、海老がための姿勢で、抜き差しを繰り返した。私の愛器は、その攻撃にメロメロになった。身体全体が、溶け出しそうになり、よがり声を上げた。

「ああん。どうにかなりそう」

 私はベットの脇を掴んで大声を上げた。快感が電流のように、身体中を駆け巡った。斉田医師が高まって叫んだ。

「行くぞ!」

「いいよっ!」

 斉田医師は最期の一撃を深く突き入れて、私の上で果てた。激しい性交に、2人とも満足し、数分間、ベットの上で、そのまま大の字になって仰向けになって休んだ。その後、交替でバスルームに入り、ゆっくりと、総てを洗い流した。バスルームを出て、衣服を整えてから、斉田医師は私に、2万円くれた。私は、それを受け取って、ホッとした。こんな私のことを知ったなら、何て愚かな事をしているのかと私を軽蔑する人がいるでしょうが、私は不器用な人間であり、こんな生き方しか出来なかった。そして、それを悔いつつも、それを改めようとはしなかった。何故なら、それが日本で学び、生き残って行く私の道だったから・・・。


         〇

 前期試験が始まると忙しくなるので、その前に倉田常務に渡さなければならない翻訳の仕事があった。督促されるのではないかと思っていたが、一向に連絡が無いので、こちらからメールした。

 *お久しぶりですね。

 お元気ですか。暑いですね。

 翻訳は出来上がっています。

 何時、会いましょうか*

 すると珍しく直ぐに返信メールが送られて来た。

 *明日の午後ならOKです*

 それを見て私は了解のメールを送り、翌日の午後、約束の場所へ行った。その前に新宿駅南口の『ルミネ』に立ち寄った為、約束の時刻より遅刻してしまった。エスカレーターを降りて行くと、倉田常務が心配そうな顔をして、私を待っていた。

「遅れて、ごめんなさい。このジーパン買っちゃった」

「何だ。心配したよ。電車事故でもあったのかと思ったよ」

「早目に着いたから、これ買ったの。。どう似合う?ぴつたりでしょう」

 私は『ルミネ』で買って履き替えて来た白いジーパンを見せびらかした。倉田常務は私の脚線を腰から足首まで、じっくり眺めて心配した。

「そんなにピッタリで大丈夫かな?」

「大丈夫よ。履いているうちに、ゆるくなるの。というか、私の足の方が、ジーパンに合せて細くなるの」

「本当かな」

 私たちは、そんな会話をして、新宿東口駅前から、歌舞伎町方面に向かった。私は歩きながら自分の容姿について、倉田常務に確認した。

「私、肥ったかしら?」

「変わってないよ。髪、短くしたの?」

「やっと気づいてくれたのね。ストレートパーマをかけてみたの。綺麗でしょう」

 私は恥ずかし気も無く自慢した。そして何時もの喫茶店『トマト』に入り、頼まれていた翻訳原稿を倉田常務に渡した。すると倉田常務は、カバンの中から中国語の原本と茶封筒に入った翻訳料を取出し、テーブルの上に置いて言った。

「有難う。今回の翻訳料と最後の1章」

 私は倉田常務から取扱説明書の最後の1章の原本を渡され、この1章を翻訳してしまえば、その後、倉田常務との縁が切れてしまうような気がした。私は欲張りだから、倉田常務との関係を続けることを希望した。

「この翻訳の仕事で、私のアルバイトは終わりになるのね」

「そうだね」

「残念だわ。次の仕事を頂戴」

「探しておくよ」

 倉田常務は困った顔をした。それからの会話は何故か続かなかった。次の翻訳が完了したら、倉田常務との繋がりが終わってしまうのでは、余りにも寂し過ぎる。私たちは喫茶店の前の通りを行き交う車や人を眺めながら、静かにコーヒーを味わった。それから私たちは喫茶店『トマト』を出て、靖国通りを渡り、歌舞伎町の『エミール』に向かった。まだ夕方前の明るい時刻で、何処からか、くちなしの白い花の匂いが漂って来た。人目を避け裏道を通り、『エミール』に行くと、何時もの受付のオバさんが、倉田常務に鍵を渡しながらウインクした。倉田常務は微笑みを返し、私と2階の部屋に入った。倉田常務はハンガーに背広をかけてから、きつい私のジーパンを脱がしにかかった。私が『ルミネ』で買って履いて来た、ピッタリのジーパンを脱ぐのに手こずっていたのが、じれったかったみたいだ。私は倉田常務に抱き上げられ、ベットに運ばれ、ベットの上で、赤ちゃんのように両足を広げさせられ、ジーパンを脱がされた。そのついでにパンティも脱がされた。素っ裸になり、すっきりした私が、ベットから起き上がり、シャワーを浴びに行こうとすると、倉田常務は、真っ裸の私を捕まえ、そのままベットの上に倒した。彼はYシャツのネキタイを外したばかりなのに、一時も早くしたい風だった。そこで私はバスルームに行かずに素早く彼のズボンのベルトを外した。彼はYシャツと下着をソフアの上に放り投げ、ズボンを脱いだ。トランクスが大きく膨らんでいるのが私の目に入った。そして彼は、そのトランクスを外すと、急いで私の上に覆いかぶさって来た。まだ私の股間は濡れていないのに、倉田常務は、何時もに無く強引だった。私とキッスしながら、私のマンホールに指を入れ、その円筒形の奥にある私の密室を弄った。彼の優しい指で、マンホールの中の密室がかき回されると、そこは直ぐに密室から分泌された液体でヌルヌルになった。私は慌てて彼の膨張した大砲にコンドウムを装着した。そして、その大砲を受け入れた。彼は夢中になって発射準備の快感を高めた。ペチャペチャという卑猥な音がたまらなかった。私は心地よさにドハマリ。ああ、たまらない、この快感。私は大砲をマンホールに入れたまま全身を突っ張らせた。それを見て、彼は大砲の中にたまっていたものを一斉に発射した。私たち好き者同志は大いに性愛を堪能し、時を過ごした。同じ日、北朝鮮の金正日最高指導者はアメリカのホワイトハウスで開かれた独立記念日のパーティを混乱させてやろうと、日本海に向けて弾道ミサイルを発射した。アメリカのブッシュ大統領は独立記念日パーティをメチャクチャにされ、国連安保理で全員一致の非難決議を行った。発射には好ましい発射と好ましくない発射があるのだと痛感した。


         〇

 大学の前期試験は自信があった筈なのに、いざ試験日がやって来ると、不安で不安で仕方無かった。好成績を取る為の要領が分かっていたが、真理や純子たちが不安がると、私も同じ気分になった。その為、琳美が眠りについてからも、食卓に座って、遅くまで勉強した。お陰で試験の1日が終わるたびにとても疲れた。そんな私を見て、琳美が私に訊いた。

「普段、勉強しているのに、そんなに熱中しないと、大学の試験て、良い成績が取れないの?」

「そうなの。3年生の成績が就職の時の成績表になるから、優を沢山、増やさないといけないの」

「そうなんだ。学校の成績って、大学に入るまでじゃあないんだ」

 高校2年の琳美は高校を卒業し、大学に入りさえすれば、後の試験の成績はそれ程、重要視しなくて良いと考えていた。それは生まれた時代の環境による違いだった。日本は年々、少子化に向かっていた。今まで増加して来た各学校は、ここに来て生徒数や学生数が減少し、学校経営に影響を及ぼすほどになっていた。それ故、私よりも年下の琳美たちにとっては、芳美姉や私の時代ほどに、競争率は高く無く、ちょっと努力すれば、他を追い抜くことが出来る甘いものだった。だから努力家の琳美の成績は、何時もクラスでも、トップの位置に近かった。早川少年と付き合っているのも励みになっていて、良いのかも知れなかった。それに較べ、私たちの環境は琳美たちの年代とは少し違っていた。憧れてやって来た日本の経済状態は、決して夢に描いていたような甘いものではなかった。小泉内閣は竹中平蔵という大学教授の意見を採用し、アメリカの要求に乗り、不良債権処理、道路公団民営化、郵政民営化、公共事業の削減、労働市場の改革などを強行した。改革なくして成長無しというが、まさに金融関係は不良債権を処理し落ち着きを取り戻した。企業も不良債権を処理し、利潤追求に重点を置くようになった。結果、日本の景気が好転するかのように思われた。しかし、不良債権処理と雇用に関する問題点は、かえって日本の国力を低下させた。不良債権処理し二束三文になった土地や建物は外国人の手に渡った。労働改革は正規社員を減少させ、派遣社員、契約社員を生み出し、個人の所得向上が望めず、中国や韓国の企業に転職する優秀な人材の流出が見られるようになった。苦労して大学を卒業したのに、気に入った会社に就職出来ず、そのままコンビニでアルバイトを続けている人もいた。企業が事業改革だといって人員を削減している為、就職先が無く、人材派遣会社に使ってもらい、正社員になることを諦めている人もいた。大学を卒業したのに、日本での働き口が無く、東南アジアに働きに行くという人もいた。このような状況であるから、日本で就職する為には、大学で良い成績を取得しないと、明るい未来が望めなかった。私は何としても、人間的差別の無い日本で就職して、平和で豊かな生活を送りたかった。『経済史』の試験を終えて、教室から学生食堂に向かいながら、可憐が私に訊いて来た。

「ねえ、、どうだった。『経済史』の試験?」

「ちょっと難しかったわね。私、文章書くの苦手だから」

「でも思考が伝われば、大した問題じゃあないんじゃないの」

 可憐は私の自信なさに気づいて私を慰めるような言い方をした。それに対し、真理は全く自信なさそうに言った。

「2人とも良いな。私は、どう答えを書けば良いのか考えが見つからず、問題に対し、一字も書くことが出来なかったわ。だから、教授が喜ぶように、『経済史』は過去を知り、将来を予測出来る素晴らしい学問だと書いてやったわ。〇×問題の解答が外れたら、単位の取り直しね。皆と一緒に卒業出来るかどうか心配よ」

「私も真理ちゃんと同じ。遊び過ぎよね」

 純子が深い溜息をついた。私たちにとって、試験期間は、憂鬱な日々であった。


         〇

 前期試験が終わると、大学は直ぐに夏休みに入る。その夏休み前の最終日、私はゼミの仲間と、成城のビアーガーデンで、ゼミの川北教授を囲んでのコンパに出席した。浜口明夫と水野良子の司会で、コンパは始まり、川北教授が挨拶した。

「今の時代はグローバル化が進み、資本や人が軽々と国境を越えて、移動する時代です。こういった時代の中で、自分の目的を目指して、生きて行く為には、目前のことに迷わされては成功しません。じっくりと世の中の流れを把握し、未来に適合した仕事の仕方を見つけることが、大切です。商店経営を目指す諸君においては、どうすれば客が自分の勧める品物を買おうと欲するかを、見極めることが、大切です。その見極めが商店経営の極意です。その為に、店の構造をどのようにすれば良いか、商品や販売員の配置をどのようにすれば良いか、販売員をどのように教育すれば良いかなど、皆さんと共に学んでいます。が、究極は販売の質です。明日から夏休みになります。その間、いろんな商店に足を運び、繫盛している店が、何故、繁盛しているのか、その要因を調べてみましょう。そして、沢山の知識を得て、また秋に再会しましょう。明るい笑顔で・・・」

 川北教授のちょっと長い挨拶が終わると、浜口明夫が乾杯の音頭をとって、飲み会がスタートした。大学1,2年の時と違い、誰もが成人になっているので、遠慮せずに飲酒に加わることが出来た。陽気な真理と私は酒井真紀や柳英美がウーロン茶なのに、男子学生と一緒になってビールを飲んだ。普段、大人しい男子学生が、飲めないのに調子に乗って、イッキ、イッキを始めた。私と真理がはやし立てられ、一気飲みしようとすると、工藤正雄と小沢直哉が止めた。

「やめろよ。一気飲みなんて」

「どうして?」

「女なんだろう。一気飲みなんて駄目だよ」

「何、言ってるの。私は飲むの」

 真理は悪酔いしていて、直哉が止めるのを訊こうとしなかった。すると正雄が強引に真理の手首を掴み、ビールのジョッキを取り上げた。真理が怒った。

「どうして、どうして」

 乱れる真理を見て、川北教授や浜口明夫たちは、呆れ返った。これ以上、雰囲気が乱れると困ると思ったのでしょう。水野良子が皆に言った。

「皆さん。時間になったので、お開きにします。阿部さん、締めをお願いします」

 すると阿部修二が元気に立上り、音頭をとった。

「では締めの音頭をとります。1本締めで行きます。ヨーッ」

「パン!」

 一同が手拍子を合わせ、コンパは終了した。私は悪酔いした真理を直哉が家まで送ってくれるものと思っていたが、直哉は全く冷たかった。男たちで経堂のスナックに行くので、真理の相手は出来ないということであった。私は仕方なく、酒井真紀と一緒に目黒不動の真理の家の近くまで真理を送って行った。目黒不動駅前の喫茶店に入り、3人でコーヒーを飲み、酔いが覚めたところで、真理と別れた。私と真紀はもと来た経路で、目蒲線から山手線に乗り換えて帰ることにした。真紀とは渋谷で別れた。私はそれから新宿に向かった。1人になり、私は工藤正雄のことを心配した。直哉と2人で飲み過ぎなければ良いが・・・。


         〇

 夏休みに入った私にとって、倉田常務は、気楽な遊び相手だった。彼は還暦を過ぎて老体だと言っているが、実際は、健康的な男性で、客先に訪問したり、海外へ出張したり、仲間とゴルフをしたり、山荘へ行ったり、銀座や上野や横浜のクラブ、スナックで遊んだり、実に人生を楽しんでいた。また彼は身長が高く無く、足が短かったのに、私にとっては足長オジサンだった。私は時間が出来ると、倉田常務に声をかけた。今日は新宿の歌舞伎町で会う約束をした。待ち合わせ場所は東京都健康プラザ前。私は翻訳し終えた最後の書類を持って、サイクリング自転車に乗り、短パン姿で、大久保病院の所までまで行き、交番の裏側に自転車を停めた。それから、階段を降り、プラザ前の広場で待っている倉田常務と合流した。私が黄色いシャツに短パン姿で行った為、倉田常務から、目立ち過ぎると注意された。私たちは交番の警察官に声をかけられるとまずいので、急いで、直ぐ近くにある『エミール』に入った。何時もの受付のオバさんが倉田常務に鍵を渡しながら、倉田常務の手を握ったのが目に入ったが、私は知らぬふりをした。私たちは部屋に入り、まず翻訳の仕事の内容を確認し合った。倉田常務は、和文の取扱説明書が出来上がり大喜びだった。

「有難う。これで一段落したよ。本当に有難う」

「次の私の仕事は?」

 私は、おねだり口調で訊ねた。すると倉田常務は、私を見詰め微笑した。私に仕事以外の事を督促されたと勘違いしたらしい。突然、ソフアに座っていた私を抱き上げると、ベットの上に寝ころばせた。そして黄色いTシャツと短パンの私を丸裸にして襲いかかって来た。彼は背広を脱ぎ、ズボンを外し、私に重なりながら囁いた。

「仕事は翻訳だけじゃあないよ」

「分かってる」

 私は、そう答えて私の方から倉田常務にキッスした。私の悪戯っぽい笑みを見て、倉田常務は興奮した。彼は私にキッスしてから、私の乳房を弄った。ちょっとくすぐったかったが、乳首を吸われたりしていると、赤ん坊に乳房を吸われているような母性的歓喜が押し寄せて来た。私は散々、乳房を愛撫され、乳房の間に汗が溜まり始め、それと同時に下の股間の割れ目からも果汁が漏れ始めているのを感じた。私の準備はもう充分。私は自分の欲望の抑え利かなくなって来たので、慌てて倉田常務の太くなった物を握った。早く入れて欲しい。私は慌てて枕元のコンドームを手に取り、倉田常務の物に被せた。最近の私はどうかしている。これからいよいよ突入しようとする倉田常務を押し退け、私は激しい刺激を求め、体位を変え、彼の上になり、彼の物を手に、自分の愛器の中に自分で差し入れた。

「ああっ」

 濡れた愛器から発した快感が、背骨を通過し、脳から髪の毛先まで電流のような衝撃となって走った。良すぎて、たまらない。私は倉田常務のことなど、お構いなしに、自分の快楽に没頭した。そして、その欲求を果たそうと、何度も何度も絶叫した。倉田常務も負けてはいられなかった。私の下から、真紅に燃えた直立不動の火柱を、何度も何度も上に向かって突き上げた。

「何て強いの。何て硬いの。もう駄目」

 私は倉田常務の風船のようなふんわりとした身体の上で、悶絶した。それと同時に倉田常務は、体内に漲っていた欲望を全部、放出した。愛の散華。私も倉田常務も満足した。私は行為の後始末をしながら、倉田常務に訊いた。

「こんなに放出しちゃって、家に帰って大丈夫なの?」

「大丈夫。私たち夫婦には夜の生活が無いから」

「でも月に何度かあるのでしょ」

「いや、全く無いんだ」

「それで夫婦生活は問題ないの?」

「問題ないよ」

 倉田常務は、あっさりと答えた。夫婦生活なんて、そんなものなのでしょうか。私には全く理解出来ないことだった。結婚生活は性交の連続ではないのか。夫婦なのに抱き合うこともしないで、毎日を過ごす事が、本当に出来るのでしょうか。私はふと倉田常務の奥様のことを想像した。きっと理知的な人に違いない。その奥様について、倉田常務は、こう語った。

「妻とは明日、墨田川の花火大会を観に行く約束をしている。美しい花火を一緒に観られれば、妻はそれで、大満足するのさ」

「仲が良いのね」

 私は倉田常務の奥様のことを羨ましく思った。仕合せって、そういうものなのかも知れない。


         〇

 大学の夏休みは、私にとって、退屈で仕方なかった。クラスやゼミの仲間は、海に出かけたり、山に出かけたり、帰省したりしたが、私は『快風』でのアルバイトがあるので、夜間だけ忙しくて、日中は琳美の勉強の相手をしたり、食事を準備したりする程度しか、やることが無かった。翻訳の仕事が入れば有難いのだが、それも無かった。その上、琳美のボーイフレンドの早川新治がやって来たりすると、私が邪魔者だった。そんな時、私は気を利かせて『京王デパート』に涼みに行ったりした。洋服やジュエリーなどの買いたい物が沢山あったが、先立つお金が無いので我慢するしかなかった。それにしても日本のデパートなどの商店は、沢山の品物で溢れ返っていた。お金を出しさえすれば、何でも手に入るから便利だった。中国では粗悪品が多く、欲しいと思う物が中々、見つからなかった。それに較べ、日本には素晴らしい商品が沢山あった。私は『商店経営学』の川北ゼミの夏休みのレポートを作成する為に、『京王デパート』の他、『小田急デパート』や『伊勢丹』などの百貨店をはじめ、『ヨドバシカメラ』、『ビックカメラ』などの店にも足を運んだ。アパレル店にも行ってみた。夏休み前のゼミのコンパの時の川北教授の言葉が思い出された。

「明日から夏休みになります。その間、いろんな商店に足を運び、繁盛している店が何故、繁盛しているのか、その要因を調べてみましょう」

 私は川北教授の言葉に従い、繫盛している商店と、客入りの少ない商店とを、自分の目で見較べ、その差異を調べた。その要因が分からない時は、直接、店員に取材したりした。化粧品店の女性は質問しようとする私を見て、商品のバラエティの多さと口紅とアイシャドウについて、得意になって説明し、私に商品の売り込みを行った。

「お客様には、この薄紅色の口紅が、お似合いです。この薄紅色にしたら、彼は貴女のことを見違えます。清楚で理知的だと・・・」

 女性店員は、私の恋人が誰だとも分からないのに、上手に私を誘導した。結果、私は、その口紅を買わされてしまった。高級ブランドのアパレル店に行くと、店で売っているブランド商品を着た美人の女性店員が、流暢に自社商品の説明をした。

「私たちの会社は、このような新素材の開発をはじめ、婦人服、アクセサリー、バック、帽子等の服飾雑貨の企画、生産、物流、販売まで、一貫して、世界各地に提供しています。その信頼が私たちの扱う商品価値を生み出しているのです」

 その自慢ぶった説明に、私はちょっと違和感を抱いた。それから私はデパートから少し離れた所にある地下街のアパレル店に行ってみた。私は、そこで涼しそうな花柄のワンピースを探した。私より年下と思われる女性店員は、お客を良く観察し、何を欲しがっているか想像し、それを見抜こうと、笑顔で私に質問して来た。

「お客様は何を、お探しですか?」

「薄色の花柄のワンピースがないかと思って。でも残念ながら見当たらなかったわ」

「そうですか。お客様が今、着ているのも可愛いですものね。ワンピースでなくて、ブラウスは如何ですか。これなど可愛くて、お客様にピッタリですわ」

「そうかしら」

「このスカートと合わせたら最高ですわ」

 彼女は客の価値観や欲求を見抜くのが得意だった。女性店員の客の希望を尊重し、それに応えようと努める態度は、心地良かった。結果、私は彼女を信頼し、花柄のブラウスとベージュのスカートを買ってしまった。お金が無いのに商店回りをしていて、思わぬ出費をしてしまった。そんな中で私が感じた繁盛している店は、商品を売ろうとせず、その商品が顧客の要望に適合した価値の或る商品であるかを追求し、顧客にその商品価値を伝えている店であると知った。そういった意味でも、夏休みの商店巡りは、私にとって有意義だった。


         〇

 日本の終戦記念日がやって来た。中国ではこの日を戦勝記念日と呼んでいるのであるから、日本では反対の敗戦記念日と呼ぶべきである筈だ。なのに日本人は終戦記念日と呼ぶから、日本人の物事に対する考え方は素直で無く、ややっこしい。大日本帝国が犯した残酷で、獰猛で、傲慢で、冷血な戦争行為や、アメリカによって沖縄や東京を焼け野原にされたり、広島や長崎に原爆を投下されたりした悲劇の数々を、終戦と言う言葉で、総てひとくくりにして、水に流してしまおうと言う考えなのだ。こういった考えの日本人が、もう戦争をせず、世界平和の為に尽力しようなどと、どれ程、真剣に考えているか疑問に思えてならない。敗戦後60年以上を経て、敗戦の悲惨さがどんなものであるかを体験をしたことの無い日本人が増えている現在、日本人の多くが戦争という残酷さを知らされていないし、理解していない。平和ボケして、日本憲法を守っているから戦争は起こらないと思っている。しかし、日本の周囲は何時、戦争が勃発してもおかしくない状況であることは、中国人の私は良く分かっている。中国共産党は台湾の国民党と争ったままであり、両党間での政治的決着がなされていない。孫文ら国民党によって建国された中華民国と遅れる事、1949年に共産党が建国した中華人民共和国との、いわば内戦の延長戦が、いまだ睨み合ったまま解決していないのだ。お互いに分かれれば良いのに、巻き添えをくっている台湾の人たちが気の毒でなりません。また香港も中国とイギリスの間で一国二制度を50年間遵守すると約束したのに、現実は中国共産党の思いのままだ。朝鮮半島も同様な南北対立の状況が続いてる。北朝鮮と韓国は同じ民族同士で、睨み合いを続けている。日本人は、こういった争い続けている民族を軽蔑しており、もう昔のように仲介しようとは考えていない。良かれと思って仲介して、再び戦争の巻き添えになりたくないのだ。兎に角、当事者間で話し合い、一緒になろうなどと考えず、終わりの幕を降ろしことを願っている。私は、この日本の態度を良いとは思えないので、芳美姉の夫、大山社長に質問した。すると大山社長は笑って答えた。

「夫婦喧嘩は犬も食わぬという日本の諺がある。かって日本は朝鮮からの依頼を受け、清国やロシアとの仲裁に入り、成功したかのように見えたが失敗。アメリカが入って来て大火傷させられた。だから以後、日本は隣の家の中の争いごとには首を突っ込まないことにしている。但し、その喧嘩で放り投げられたものが、自宅の庭や建物にぶつかって来たら、それを投げ返す。日本の自衛隊は、その為に控え、監視している」

「自衛隊は軍隊ではないの?」

「軍隊ではないよ。日本には、こちらから他国に侵攻したり、攻撃せよなどという命令系統は存在しないんだ」

 私は、この大山社長の自衛隊を軍隊と呼ばない考えも日本人の曖昧さであると思った。日本人ははっきりしたものを好まない。敗戦が終戦。軍隊が自衛隊。霞のかかった朧な表現が好きだ。それは、さながら日本画の風景に似ている。私は、自分が生まれた満州や中国と日本の過去についても、大山社長に質問してみた。

「もしかして、日本人は中国の東北地方、満州を占領し、更に華北地方まで侵略しようとしたことを悪い事をしたと思っていないのではないかしら?」

「日本人の中国大陸への進出は、日本人が言い訳しても他国民には理解してもらえない。いずれにせよ、日本人が大陸に進出したことは失敗だった。大陸のもめごとに、大東亜共栄圏を守る為にといって、日本国民が命懸けで、大陸進出したことが失敗だった。その為に、日本人は中国人にでは無く、アメリカ人やイギリス人によって十字架にかけられた。この大東亜共栄圏を守る為に十字架にかけられた日本人のことを、中国人も朝鮮人も分かっていない。十字架をかけられた日本人に向かって、ざまを見ろと中国人も朝鮮人も叫び喜んでいる。ロシア人は、それを見て楽しんでいる。日本人の親切さは時に不幸を招く。残念なことだ」

 私は大山社長の言わんとすることが、ちょっと分かるような気がした。事実、中国は中華ソビエト共和国にされようとして、日本に反対され、現在に至っているのだ。大山社長は冷めていた。

「人間は残酷な生き物さ。次に十字架にかけられるのは何処の国か。欧米人は、その者が現れるのを楽しみに待っている。それが残酷なキリスト教徒たちの集まりだ」

 私は大山社長の話を聞いて、大山社長が、外れ者で、無頼な生き方をしているのが、何となく理解出来た。この世界は今まで戦争に負けたことのないアメリカやイギリスが支配しているのが現実ということだった。だが、その世界は日本から技術導入などをして、発展している私の母国、中国によって、将来、くつがえされるかも知れないと思った。


         〇

 夏休みも終わりに近い日、私は倉田常務とデートした。退屈な時間を消化する為であった。それに種々、教えてもらいたいこともあった。2人で何時もの喫茶店『トマト』に行き、アイスコーヒーを飲みながら、雑談をした。

「墨田川の花火、綺麗だった?」

「うん。とても綺麗で素晴らしかったよ。女房の奴、浅草の夜空に打ち上げられた花火の大輪の花に見とれて、感動しっ放しで、とても良かったよ」

「そう。それは良かったわね」

「うん。98万人の人たちが眺める花火大会を会社の事務所のテラスから観られるなんて、最高だったよ」

 私は、かって西村老人たちと観に行ったことのある墨田川のほとりを思い出した。浅草寺の初詣、墨田公園での梅見や桜見など。倉田常務は更に溜息をついて、ポツリと言った。

「日本は平和だ。北朝鮮のようにミサイルなど発射せず、2万2千発の花火を打ち上げ楽しんでいる。しかし、世界では現在も各地で戦争が続けられている」

「困った事ね。その為に大勢の女性や子供たちが巻き込まれて亡くなっているのだから」

「そうしたことを思うと、敗戦後の日本は、武器を捨て、不戦を誓い、殺しもせず、殺されもせず、60年も平和を享受して来た。実に誇らしいと思うよ」

「でも日本は恨まれているわ。敗戦国なのに残虐な戦争をしたことを反省していないって。今でも靖国神社に参拝し、敗戦日のことを終戦日だなんて呼び方をして、総てを誤魔化しでいるって。中国人や朝鮮人やフィリピン人たちは、日本人が、そうやって総てを片付けてしまおうなんて思っても、決して日本が行った戦争犯罪を忘れないと怒っているわ」

 私の言葉に、普段、もの静かな倉田常務が表情を曇らせた。彼はアイスコーヒーを苦々しく飲んでから、私に反論した。

「中国人や朝鮮人やフィリピン人は、日本が東アジアを欧米の侵略から守ろうとして、やったことを理解していない。日本人がアジアを牛耳ろうとして、戦争をやったのだと思っている。しかし、その考えに、日本人は反論しない。そこが欧米人や中国人と日本人が違うところなんだ。日本人は罪を憎んで人を憎まず。原爆を落とされても、日本人はじっと我慢している。ところが中国人たちは日本に罰が当たったのだと日本をののしったりしてる。日本人は勝った、負けたと言って、威張ったり、弱気になったりしない。相手を卑下したり、憎んだり、恨んだりしない。敵国だったアメリカともうまくやっている。そういう日本人は元来、戦争の嫌いな民族だと思っている」

「それって勝手な日本贔屓の考えだと思うわ。およそ戦争も紛争も、大義だの正義だのと言って、男たちが始めることでしょう」

「そうなんだが、そういった権威主義を終わりにしない限り戦争は続く。兎に角、戦争を好まない日本人は、第2次世界大戦で、戦争の愚かさを知った。それ故、不戦を誓い、60年以上も、戦争をしないで来ている。そんな戦争を好まない民族であるのに、日本人は好戦的民族であると思われているから困る」

「好戦的民族じゃあないの?中国の教科書には日本人は好戦的侵略民族だと書かれているわ」

「それは欧米人がでっち上げた評価だ。日本人は驚く程、独占欲の希薄な民族だ」

「独占欲が無いの?」

 私は、そう言って倉田常務を、じっと見詰めた。私への独占欲があるか否かの視線に倉田常務は燃え上がった。

「魅力を感じた時は、また別だ。もう戦争の話は止めにして、店を出よう」

 倉田常務は、そう言って、レシートを手にするや、もうレジに向かっていた。私は慌てて、バックを手に、倉田常務の後を追った。ラブホテル『エミール』に入ると、部屋の中は冷房の利き過ぎだった。余りにも寒いので、2人でバスルームに入り、身体を温めた。それからバスタオル姿のままベットの上に移動し、互いの肌に触れ合った。倉田常務は私の長いサラサラの髪をかき上げ優しくキッスしてから、私の豊満な乳房に手を伸ばした。私も彼の胸に手を伸ばした。彼の身体は男なのにスベスベして、まるで豆腐のように柔らかく、白かった。それが、たまらなかった。私は彼が添い寝して私の股間に手を延ばすのに合わせて、彼の男根に手をやった。そして男根を揉みしごいてやった。すると男根は見る見るうちに膨張し、屹立した。私がそれにコンドームを被せた。倉田常務はそれを確認すると、私を自分の腹の上に乗せ、男根を私の割れ目に挿入して、更に私の陰核の突起をクチュクチュした。その倉田常務の超絶な愛の技巧に私は翻弄され、彼の上に乗せられたまま、M字開脚し上下運動を繰り返した。倉田常務は愛液を滴らせる私の愛の巣窟に、彼のギンギンになった主柱を下からズンズン突き上げた。ああっ、たまらない。私は恥ずかしげも無く叫んだ。

「倉田さん。行って、行って!」

 私は顔をしかめ倉田常務の太鼓腹の上で絶叫した。その顔を見て、倉田常務は歓喜した。何と精力的な方でしょう。私は攻めに攻められ悶絶した。戦争の話をしたのがいけなかったのでしょうか。倉田常務は私が行ったのを確かめてから、ゆっくりと愛の砲弾を発射した。私たちの夏の戦争は、こうして終わった。終戦後の静かで至福な時間は、私を充分過ぎる程、満たしてくれた。


         〇

 かくして猛暑の夏が去り、退屈な夏休みの日々も終わった。私は大学のキャンパスに行き、可憐たちクラスメイトと再会した。彼女たちは、それぞれに思い出の夏休みを過ごせたという。可憐は長山孝一と修善寺温泉に行けたという。真理は小沢直哉と上高地に行ったという。純子は平林光男と沖縄に行ったという。しかし、私と工藤正雄は何処に行くことも無かった。ゼミの水野良子と酒井真紀と杉本直美の3人は佐渡旅行をしたという。柳英美は、日本人の恋人を連れて韓国に行ったという。だからといって、私は彼女たちに嫉妬することは無かった。自分の境遇を考えれば旅行などしていられなかった。アルバイトで、授業料と生活費を稼がなければならなかった。それに工藤正雄からの誘いも無かったので、正雄にはちょっと腹を立てていた。その工藤正雄に久しぶりに会ったので、皮肉を言ってやった。

「夏休みに新しい彼女が出来たみたいね?」

 すると正雄は、真剣な顔をして、左右に手を振った。

「そんなところじゃあ無かったよ。大変だったんだ」

「何かあったの?」

「原島先輩が自殺したんだ」

 私は正雄の言葉が信じられなかった。あの図々しくて強引な原島晴人が、自殺などするとは思えなかった。私に酷い事をさせて、私を弄んだ彼が、何故、自殺を図ったりしたのか。

「信じられない」

「アパートで首を吊って死んだ」

「嘘!」

「本当だよ」

「どうして?どうして?」

「多分、どんな仕事に進むべきか悩み過ぎたんじゃあないかな」

「写真の仕事をするんじゃあなかったの」

 私の質問に正雄は渋い顔で答えた。

「でも、その写真の仕事が職業として、難しいと分かったのじゃあないかな。有吉泰次監督の手伝いをしたいと言っていたけど、それも断られたらしい」

「それくらいでへこたれる人には見えなかったけど」

 私が、そう言うと、正雄は哀しい顔をした。お前には原島先輩のことなど理解出来る筈が無いという顔つきだった。

「原島先輩は希望する広告会社に採用される見込みが立たたなくなり、余りにも、目の前の厳しさに追い込まれ過ぎてしまったみたいだ。ちょっと有名になり、それが災いしたのかも。成功のみに焦って、耐えることが出来なかったんだ」

 工藤正雄は原島晴人の自殺に同情して、世の中の不条理を嘆いた。正雄は晴人の才能を高く評価していたから、そんな有能な晴人を理解しない世の中の方がおかしいという考えだった。如何に映像サークルの先輩だとはいえ、同情のし過ぎではないでしょうか。人との交わりの中で苦しみや障害を乗り越えて生きるというしぶとさが、若者ではないでしょうか。綺麗ごとでは生きて行けないことは私でも分かっているというのに。あんなに汚いこともやっていたのに、どうして。人は環境の変化に応じて、生きることが出来る筈なのに何故。私は正雄に言ってやった。

「原島先輩って、依存症が強いくせに、それが分かってなかったのよ。先輩仲間に助けられて、脚光を浴びたことを個人の実力と思っていたのかも。遊びの世界では、それでも良いけど、現実世界では、そう思うようにはならないわ」

「そうかもな。就職試験を受けて、ことごとく失敗し、精神的におかしくなってしまったのかな。自分の実力の無さに気づき、絶望し、生きることを諦めてしまったのかな」

 正雄の判断は余りにも単純すぎるように思われた。就職が思うようにならないだけで、大切な命を捨てたりするでしょうか。晴人の自殺について考えれば考える程、納得が行かなかった。『Mスタジオ』や自分に関連したことも、自殺の動機の一つになっていたのかも知れない。不安になった私は正雄から聞いた原島晴人の自殺の事を可憐たちに話した。すると渡辺純子が、あっさりと、その原因を分析した。

「美鈴にふられたからよ」

 それは極めて単純な答えだった。男は、そんな単純なことで自殺するのでしょうか。美鈴や私に只乗りしたりしながら、映画の世界を夢見ていた晴人の生きざまが、今では嘘のように思えた。晴人は、そんなに美鈴のことを真剣に考えていたのでしょうか。私に、好きだと言いながらも・・・。


         〇

 日本に来てから知り合った男性2人が、この世からいなくなった。西村老人と原島晴人。大学からの帰りの電車に乗って目を閉じると、2人の事が、幾重にも交錯し、まるで古い映画でも観ているように、その1コマ1コマが、脳裏に浮かんで来た。たまらなくなって目を開けると、帰りの電車のガラス窓に冷たい雨の雫が、幾筋も流れているのが見えた。もしかして私の涙が暗くなり始めた車窓に映っているのかしら。私にとって、2人は、私が日本で生活する為に協力してくれた人たちでであったことは確かだ。西村老人は生活費の他、授業料まで面倒をみてくれた。原島晴人は只乗りはしたが、三宅監督を私に紹介し、映画『愛の泉』の出演で、沢山の演技料を稼がせてくれた。しかし、2人の死に方は違っていた。西村老人は自分の病気のことが分かっていて、死を覚していた。家族の者にも、亡くなってからの事を、ちゃんと指示していた。たとえ胃癌の手術に成功しても、完治はあり得ず、死から免れることが出来ないと悟っていた。何時だったか、私にこう嘆いた。

「時は一方向にしか進まないんだ。私には、もう一年先の花を楽しみたいという、心のゆとりがない」

 しかし原島晴人は、大学を卒業し、社会人になろうとする寸前に、精神を病み、孤独と不安に追い込まれた。周囲の事ばかりに気をかけ、こんな筈では無かったと、寂しい道を選んでしまった。野心を持っていたのだから、もっと強く生きれば良かったのに、何故、その野心が燃え上がらなかったのか。渡辺純子が言うように、九条美鈴にふられ、心が押し潰され、愛を諦め、人生と決別したのでしょうか。どうしようもない絶望感に襲われ、命を絶ったのでしょうか。人は愛が無ければ生きて行けない生き物なのでしょうか。20歳代で自殺だなんて。死への恐怖は無かったのでしょうか。私だって自殺を考えたことは何度かあります。でも、その都度、怖くなって何度も思い留まったわ。自分が人生に迷った時、1度、立ち止まれば良いのです。そういった時は、正直、自分が何処に行こうとしているかが分からないのです。ですから、そういう時は、自分1人で抱え込まず、誰かに問えば良いのです。ところが心から信頼出来る人が周囲にいないと、絶望感に頭を占領されてしまい、その憂鬱が蓄積して頭に絡みついて、振り払っても振り払っても、振り払うことが出来なくなるのです。私は車窓に映る自分の顔に向かって、いろんなことを呟いた。すると、隣りの車両から移って来た男から、突然、声をかけられた。

「周さんじゃあないですか?」

「あっ、川北先生。今、お帰りですあか?どうぞ、御座り下さい」

 私は、びっくりして立ち上がり、川北教授に席を譲った。

「申し訳ないね。初め周さんとは分からなかったよ。何時もと違う難しい顔をしていたから・・」

「本当ですか?」

 私が、そう言いながら、吊革に掴まると、川北教授が、私を見上げて質問して来た。

「彼氏に何かあったの?」

 その質問に私は思わず眉根を寄せて、川北教授の顔を睨みつけた。

「・・・・」

「図星だ」

 川北教授は、そう言って、にっこり笑った。私は一瞬、カッとなったが、相手が川北教授なので、直ぐに笑い返した。

「そんなんじゃあ、ありません」

「そう。なら、良いけど」

 川北教授は、ちょっと顔を赤らめて、そっと周りを見回した。職業柄、何時も周囲に気を配っているらしい。私は、そのまま沈黙を続ける訳にも行かず、川北教授に訊いた。

「先生は、どちらまで」

「代々木上原で千代田線に乗り換えて、根津までだよ」

「そうですか。私は新宿までです」

 私たちの会話は、ありきたりの学生と教授の会話で終わった。下北沢を過ぎ、電車が代々木上原駅に到着すると、川北教授は、ありがとうと、明るく笑って電車から降りた。私は、反対ホームに入って来る千代田線の電車を待つ川北教授を窓越しに見送ってから、また雨の車窓と向き合った。まだ雨の雫が涙のように流れていた。


         〇

 私は、ちょっと精神的におかしくなっていた。原島晴人の自殺のことなど、受け流してしまえば良いのに、何故か、消えてくれなかった。私は彼のことを忘れようと、アルバイトに夢中になった。マッサージ店『快風』の仕事は手首を使うので、きゃしゃな私には、とても辛かったが、店長の謝月亮や仲間の陳桃園や白梨里が、楽しい人だったので、男性客を相手に、キャッキャッと騒いでいると、暗い憂鬱は何処かへ吹き飛んでくれた。男性客のほとんどが、昼間の仕事を終え、クタクタになって帰る途中の人たちで、肩や首や手や足、凝っていて、それを揉みほぐしてやるのが楽しかった。マッサージには整体マッサージ、足つぼマッサージ、岩盤マッサージなど種々あるが、私たちのやっていることは、基本的な指圧ナッサージだった。その方法はベットにうつ伏せになったお客を、頭、首、肩、腕、手首、背中、腰、腿、足首などを揉んだり、叩いたり、さすったりするやり方で、それ程、難しくは無かった。時には背中に乗ったり、馬乗りになったりすることもあったが、自分が疲れると会話で誤魔化した。チャイナドレスを着てのマッサージなので、ちょっと色っぽいところも見せたりした。芳美姉はがめついので、新宿店の謝月亮、池袋店の謝風梅の両店長に、オイルマッサージや時間延長などで、きっちりと追加料金をお客に請求させた。お客の要望によっては、回春エステということで、快感を盛り上げ、フェラチオや手コキをして上げることもあった。お客は興奮し、本番を求めたが、それは絶対禁止だった。そんなことをしたら、噂になり、風俗営業法違反ということで、警察の捜査が入り、経営者は勿論の事、私たち従業員も摘発逮捕されるということだった。従って、私たちのマッサージは一般的癒しのマッサージだった。しかし、お客に気に入られると、御指名を受けることもあった。桃園などは月亮店長公認の指名客を持っていた。だが、この指名客と個人的に付き合うことは店長の許可をいただかないと、罰せられた。そんな或る日の晩、斉田医師が突然、店に現れた。私はびっくりした。小さな声で、斉田医師に訊いた。

「何故、ここが分かったの?」

「病院の仕事帰りに、君がここに入るのを見たから」

「メールくれれば良かったのに」

「うん。どうしているのかなあと思っていたら、本人を見たから来ちゃった」

「困った人ね。仕事場まで来るなんて」

「ごめん」

 斉田医師は両手を合わせて、謝った。私は思わぬ来客に動揺したが、御指名なので、断ることも出来ず、深呼吸をして、落ち着きを取り戻した。それから更に小さな声で言った。

「ここの人に、知り合いだと知られると、すごく困るの。だから初めてのように振る舞ってね」

「うん。分かった」

 それから私は初めてのお客を相手にするような対応をした。基本コースに従い、うつ伏せになってもらい、頭から背中、腰、足首まで、揉んでやった。その後、仰向けになってもらい、胸や腹部にオイルを塗って、マッサージをしてやった。すると斉田医師は私の胸をまさぐり、股間の物を勃起させた。彼は私の顔を見詰め、その後、自分の股間に視線を送り、私に合図した。私は、それだけで意味が分かった。私は彼の屹立して大きくなっている物を手にした。そして、そっとそれを握り、上下にしごいてやると、彼は私に息を吹きかけ、腰を動かし、たまらないと言った。彼の天に向かった物は、私に握られ、血液が急激に流れ、硬直さを増した。私は、更に激しく手を上下させ、彼を興奮させた。それと同時に自分も潤い、溶け出しそうになった。斉田医師はその私の溶け出しそうになった股間の谷間に手を突っ込み声を上げた。

「ううーっ」

 次の瞬間、私の握つていた彼の肉棒の先端の亀頭から白い粘液が噴き出した。私は、慌てて、その始末にかかった。温かい濡れタオルで始末しながら、私は斉田医師に言った。

「ここには2度と来ないで」

 斉田医師はコクリと頷いた。それから身支度を整え、カーテンの仕切り部屋から外に出て、月亮ママにマッサージ代金を支払った。私はカーテンの脇に立って、『快風』から出て行く斉田医師の後ろ姿に深く頭を下げた。


         〇

 サラリーマンにとっての花の金曜日、私は早めに大学の授業を切り上げ、新宿で倉田常務とデートした。新宿東口で会うなり、倉田常務が言った。

「ちょっと痩せたみたいだね。何かあったの?」

「ここのところ、いろんな試験などが重なって、ちょっと疲れているの」

「なら良いけど。病気だったら大変だから」

 倉田常務は大学生の時、無理が重なって、急性肝炎になった話をした。3ヶ月も入院したとのことであった。私は痩せたみたいだと言われたのが気になったが、それは多分、私の服装が初秋になったので黒っぽくしたからでしょう。白黒のTシャツの上に、黒のカーデーガンをひっかけ、黒のショートパンツをはき、バックも、お気に入りのバーバリー製の黒いものを持っていたから、きっと暗くて寂しそうに見えたのでしょう。私たちは新宿駅東口から、何時もの歌舞伎町へと向かった。途中、アクセサリーショップがあったのを見て、珍しく倉田常務が足を止めた。

「欲しいものがあったら、買って上げるよ」

「本当」

「うん。胸元がちょっと寂しいから」

 私は、そう言われて大喜びした。倉田常務は女性の服装を気にする人だった。私は遠慮せず、そこで大粒の真珠の首飾りを買ってもらった。それから何時もの喫茶店には立ち寄らず、直接、『エミール』に行った。私は部屋に入るなり、先程、買ってもらつたばかりの真珠の首飾りを箱から取り出し、首に付けて部屋の中の大きな鏡に向かって確認した。黒っぽい服装の私にとても似合って素晴らしかった。でもモナリザのような暗さも、ちょっと感じられた。私は鏡に映つた自分の姿を見て満足し、嬉しくなって、倉田常務に跳びつき、キッスした。

「倉田さん、好き!」

 それから私は、椅子の上に、衣類を脱ぎ、ピチピチになってバスルームに駆け込んだ。すると倉田常務が慌てて背広やズボンや下着を脱いで、私を追いかけて来た。私たちはバスルームの中で、シャワーを掛け合い戯れた。それからバスタオルで身体を包み、ベットの上へ。ベットの上に移動してからも、私たちは、じゃれ合った。鼻を突っついたり、キッスしたり、互いの胸を触ったり、互いの昂りを確認し合った。

「矢張、ちょっと痩せたね」

「本当。倉田さんのお腹は、相変わらず、白く、ポチャポチャして大きく膨らんでいるわよ」

 倉田常務は私のように夏バテして、痩せたりしていなかった。まるで白豚のように肥って、丸太のように私の隣りにころがっているだけ。私はテレビを観ながら、画面の女同様、彼を急き立てるが、彼の物は中々、興奮しない。そこで私は、テレビの映像に合わせ、彼のバナナのような形の物を口に含み、顔を上下させ、彼の物に刺激を与えると、彼はようやく両手を使い、私の性感帯をいじり始めた。いやらしく恥ずかしいことを私に話しかけ、質問した。

「ここを日本語で何んて呼ぶか知っているか」

「知らないわ」

「知ってるくせに」

「ああ、そうか、ザクロよね」

 私はその都度、質問に答えた。彼は私の股間のザクロが果汁を出し始めるのを確認すると、私の愛技を止めさせ、体位を変え、私の上に跨った。彼の勃起している物を目の前に見て、私は興奮し、夢中になった。急いで両足をV字型に開き、彼に海老固めを要求した。私はこの体位がとても好きだった。奥の奥へと入って来るから、自分の欲しい快感を存分に得られた。彼は私の両脚を肩にかつぎ、腰を上から下へと動かし抜き差し運動を繰り返す。ゆっくり、ゆっくり、私の顔を窺がいながら。ああ、それがたまらない。良いなんて言えない。私への愛の繰り返し。ああっ。

「イン、イン、イン!」

 私は興奮し中国語で、硬い硬い硬いと絶叫してしまう。何という快感。彼の逸物を受け入れている私の姿が、彼の後方にある鏡に映る。私の表情を見て、倉田常務の動きが早くなった。彼の腰の突撃が私の割れているザクロの実を潰そうとするかのように、何度も何度も強く打ち付けられた。その激しさに私は脳中に穴を開けられるような恐ろしさと悦びに目を瞑った。次の瞬間、倉田常務が溜まっていた物を吐出した。そして、私の身体の上から転がり落ちた。気が遠くなって行く。2人とも共に失神した。何が何だか分からない。何もかもが、朧。かすかにテレビの音声が聞こえた。そして、私が気づいた時には、倉田常務の姿は隣りから消えて、バスルームに入り、シャワーを浴びていた。


         〇

 9月の後半になると日本の首相が1年経たずで安倍晋三から福田康夫首相に替わった。安倍晋三首相は、小泉内閣の後を引継いだのですが、7月の参議院選挙で自民党が惨敗し、ストレスと疲労が重なり胃腸症を理由に退陣した。この急変を倉田常務に質問すると、倉田常務は、こう話した。

「小泉首相は自民党をぶっ壊すと言ったが、日本国まで、ぶっ壊すような、きっかけを作ってしまった。郵政民営化など派手な事をやって、景気回復させたように見せかけたが、実態は違っている。総務大臣の竹中平蔵の間違った経済政策を推し進めてしまった。確かに不良債権処理で企業の収益が上がり、株価も上がった。だが利益を追求するが為に、公共事業を削減し、地方と都会の経済格差を生み出してしまった。また企業が利益を上げて株主を喜ばせる為に、労働者の雇用形態を変更し、正社員を削減した。その為、雇用も停滞し、失業率が高まり、低所得者が増え、所得格差が広がった。その上、年金記録問題などあり、小泉改革を引継いだ安倍晋三首相は身動き出来なくなり、馬鹿らしくて、やってられないと、退陣したんだ。お坊ちゃんだからな。今の日本は間違っている。汗水たらし頑張ることを忘れ、物造りに努力せず、マネーゲームに走っている。だから、余程、頑張って勉強しないと、中小企業にも採用されないよ。兎に角、勉強しないと」

 そんな倉田常務のアドバイスや斉田医師の励ましを受け、私の精神状態は落ち着きを取り戻した。私にとって原島晴人は、私を騙し、私の肉体を弄び、不道徳な世界に陥れた張本人だと恨んでいたが。彼が自殺して分かったことは、あの頃の自分は、彼がいなければ、行き詰って生きて行けなかったかも知れなかったとうことであった。今までは、晴人が私にしたことを、どうしても許すことが出来ないと思っていたが、彼の死によって、私の心は、女の自分が強く生きて行く為の試練を、彼が与えてくれたのだと理解出来るようになっていた。この心の変容は、傷つきながらも相手の事を思いやる私の成長だった。私は、この世の人との出会いは、神様からいただいたプレゼントであり、共に生きる為の大事な巡り合わせであると知った。私の前に現れては消えていく男や女の人たち。その様々な人たちと様々な関係の糸を絡み合わせて生きる絵柄を紡ぎ合わせ、描いて行くこと。それこそが自分の人生であると理解した。それにしても、神様の私へのプレゼントは年配の男性たちが多いように思われる。このことを倉田常務に話すと、倉田常務は笑って答えた。

「理由は簡単さ。この世は成人前の子供たちが20%、青年と呼ばれる人たちが20%、それ以上の人たちが60%なんだから・・・」

 言われてみれば、その通りだった。この世では40歳以上の人たちの数が圧倒的に多いのだ。だから倉田常務や斉田医師や亡くなった西村老人からすれば、私などは、まるで、これから飛び立とうと努力している可愛い小鳥に過ぎないのだ。

「若いのに頑張っているから」

 そう言って老人たちは私を応援してくれた。このことは異国の地で生活する私にとって、とても嬉しく仕合せな事だった。このことによって私も努力し、彼らもまた残りの人生を踏ん張ることが出来るのかも知れなかった。倉田常務は『スマイル・ワークス』の為だけでは無く、自分や私の為にも、中国との仕事を増やして行きたいと言っていた。来月もまた中国の北京、天津に出張するという話であった。そんな時、中国の母、紅梅から私に手紙が届いた。

〈愛玲。こんにちは。お元気ですか。

貴女が日本に行って、4年以上にもなるのに、

まだ貴女のことが心配です。

私は、時々、貴女の夢を見ます。

お父さんは、小愛は、芳美ちゃんの家族と一緒に

いるのだから、何も心配することは無いよと、

決まって言います。

芳美ちゃんのお世話になって、多々、

迷惑をかけているのではないかと思うと、

申し訳ない気がします。

我が家は皆、元気に過ごしているので

安心して下さい。

それに、とても良い知らせがあります。

春麗が女の子を出産しました。

色白でまるまる肥った、とても

可愛い赤ちゃんです。

私たちは勿論のこと、親戚中が喜んでいます。

春麗も到頭、母親になった訳です。

貴女のことも日本の大学に留学出来て、

皆が羨ましがっています。

皆の期待に沿うよう、頑張って下さいね。

大山社長さんや芳美ちゃんにも、

よろしくお伝え下さい。

貴女の健康と成功を祈つています。

                  母より〉

 私は姉、春麗の出産の知らせを受け、急に中国に帰りたくなった。出来れば倉田常務に、中国へ連れて行ってもらいたかった。しかし、そんなことは不可能なことだった。私は早速、春麗姉に祝いの電話を入れた。

「出産、おめでとう。良かったわね」

「ありがとう。安偉は男の子が欲しかったみたいだけど、生まれて来た女の子が、余りにも可愛いので、大喜びよ」

「そう。仕合せね。名前、何てつけたの」

「麗琴よ」

 春麗姉の声は弾んでいた。その声は女の仕合せを掴んだ幸福感で満ち溢れていた。私は麗琴を見に、中国へ帰りたくなったが、お金が無いので、我慢するしか仕方が無かった。


     ( 夢幻の月日⑥に続く )


 

 、




 






 

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