61.今後の方針
これですべて明らかになった、とティルダは思った。どうして彼女が死んだのか。どうしてカイは、コキュートスまで追って来たのか。……それに加えて、彼女はどうするべきなのか。
(でも、私だけじゃなくて、カイも解放してあげないと)
カイは、ティルダを殺した──裏切ったから、死後はコキュートスに堕ちたのだろう。ならば、彼を許す権利は彼女にある。彼は、先に彼女を許すつもりのようだけど──
(同時に許す、と言えばどうなるのかしら。少なくとも、先に言われることがないようにしないと……!)
いざとなれば、さっき彼女がされたように、強引にでも彼の口を塞がなければ。油断をしないように、と。全身に力を入れてカイを見つめる彼女の前で、でも、カイはあっさりと首を振った。
「……違います」
「え、そうなの!?」
どうにも間の抜けた顛末にティルダが肩を落とすと、カイは宥めるように苦笑し、そして眉を顰めた。宙を睨んだのは、魔王の宮殿の凍った天井を、ではなく、地上の国の王たちに対してのことらしい。カイが次に続けた言葉が、彼の憤りの対象を教えてくれていた。
「エステルクルーナの強欲を甘く見過ぎです。奴らは、成功作品を手放すつもりなんて毛頭ない。地上では、今ごろ膨大な魔力と貴女の──その、遺体を使って、反魂の術を検討している真っ最中です」
「反魂って。そんなこと──」
世界の理に反する、禁術と呼ばれる類の技だ。試みた者は歴史上も多いけれど、成功した者は聞いたことがない。それどころか、後世への戒めの意味もあってかもしれないけれど、大抵は悲惨な結末に終わる逸話が多い。
ティルダの声には、嫌悪が滲んでいただろう。カイも、理解を示すように小さく頷いた。でも、これは彼女たちが望むかどうか、賛成できるかどうかの話ではない。
「奴らならできるかも、と思っています。貴女の肉体は、まだたぶんそんなに傷んでいないから。……魔力は、身体のほうにも通っているはず」
「ああ……その繋がりを利用して、ということになるのかしら」
エステルクルーナは、何をするか分からない。目的のためならどんな非道な手段も取るのだろう。カイの話と自身の経験を照らし合わせれば、ティルダももはや疑うことはできなかった。地脈から汲み上げる──ティルダが盗んでしまっている──魔力も計り知れない大きなものだから、確かに大抵の術は実現できてしまうのかもしれない。
「でも、貴方としては私が生き返っては困るんでしょう?」
「……はい」
ティルダは、自分がとうに、そして普通に死んだと思っている。生き返りたいだなんて思ってもみなかったし、おぞましい術の恩恵にあずかりたいとも思っていない。だから、彼女としては、ただ現状を確認しただけのつもりだったのだけど。カイはひどく苦しそうな顔で頷いた。そして、続ける。
「だから──貴女を生き返らせたうえで、地脈との繋がりを断つのが理想ですね。そうすれば、貴女は聖女の役目から逃れられるし、エステルクルーナは聖女を失う」
「そんな……上手くいくかしら? えっと、貴方の仲間? の人たちには、何か考えが……?」
生き返った上で、聖女の役目から逃れる──普通の女の子として生きることができる、ということだろうか。
(そんなことが許されて良いの? 私が罪を犯したことには代わりないのに……)
あまりに都合が良すぎるから、そんなことはあってはならない、と思う。彼女は確かに一度死んだし、地獄に堕ちるだけの罪を犯した。裏切るつもりはなかったとしても、聖女として行ったことのために苦しんだ人もいるはず。だから、カイがどう思ってくれていようと、生き返ったりしないように注意しなければいけない。とはいえ──
「その、繋がりを断つ、というところは絶対に必要だと思うんだけど……」
確かに、エステルクルーナから聖女──というか、地脈の膨大な魔力を自在に使う術を奪っておくのは、必要なことだろう。大地にとっても、きっと今のあり方は不自然極まりなくて、いつ、どのように歪みが現れるかは分かったものではないのだから。
何か良案があるのか、と。疑問と、少しの希望と期待を込めて尋ねると、カイは目を伏せて首を振った。
「奴らがどんな理論のもとでどんな術を使ったかまでは分からなくて……貴女とお会いできれば、と思っていたんですけど。あの、ご自分のことだから……」
そしてティルダも、彼と同じく首を振ることしかできないのが申し訳なくてならなかった。
「……私にも分からないわ……。今となっては畏れ多いことだけど、自分の魔力だと思っていたから……」
話を聞いた上で自分の裡に意識を向けてみても、魔力はこれまでどおり、ただそこにあるとしか思えなかった。どこかに繋がっている、という感覚は残念ながら、ない。エステルクルーナの研究や技術がよほど高度なものなのか、実験というのが何年も前に行われたものだからなのか──ティルダには、仮説としてさえ思いつけそうになかった。
「そう、ですか……」
カイは、一縷の望みを託して──文字通りに──命を懸けてくれたのだろうに。肩を落として俯く彼の姿を前に、ティルダの心もどこまでも深く沈んでしまう。
「ごめんなさい……」
「そんな! 貴女が気に病む必要はありません! ティルダ様──貴女は、本当に聖女なんですから」
カイが勢いよく顔を上げたものだから、ティルダは差し伸べようとしていた指先を思わず引っ込めた。彼が何を言い出したのかもよく分からなくて、首を傾げてしまう。
「え──違うんでしょう? 私は……なんて言うか、たまたま実験が成功しただけで。私の魔力じゃないんだから……」
「でも、聖女を務めていた間のお心は、貴女だけのものです! 俺は、ずっと見ていました。貴女の優しさと慈悲深さ。あれだけこき使われても擦り減らなかった、それは貴女の本質だからだと思います! だから……貴女がこのまま死んで良いはずは、ない!」
勢いのまま、カイはティルダの手を握りしめていた。お互いに死んだ身だから、例によって温もりは感じない。でも、コキュートスの雪も氷も、心が温まるのを妨げることはできない。カイの手をそっと握り返して──ティルダは、ふわりと微笑んだ。
「……嬉しいわ。ずっと傍にいてくれたこと、そう言ってくれること……」
「い、いえ」
なぜか俯いて、手を引き抜いてしまったカイのことは気になるけれど、それよりも考えなければならないことが山積みだった。空いてしまった手は膝に戻して、ティルダは深く溜息を吐く。
「当事者にも分からないなんて困ったわね……コキュートスで頼れるとしたら──シェオルさん、なのかしら」
「あの白い狼ですね。魔王の僕だと言っていたのに、逆らうなんて……」
シェオルのふかふか、ふわふわ具合は一度見れば忘れられないだろう。魔王の玉座の間で既に会ったことがあるカイは、そこでの一幕を思い出してか不可解そうに眉を寄せている。魔王と呼ばれる存在に見えたこと、その存在に牙を剥く巨大な白い狼──まるで神話の時代の物語のようで、今を生きるティルダたちは圧倒されてしまった。
「ねえ、貴方が堕ちてきて──ジュデッカ様に何を話したの?」
「だいたい、今、お話したようなことを。貴女を解放する前に地脈をどうにかしないと、って言ったのに……魔王、貴女を追い出す良い機会だ、って……!」
「ああ……やっぱり……」
魔王を「あいつ」呼ばわりするカイは、ティルダ以上にコキュートスに馴染むのが早いのかもしれなかった。ジュデッカの、思った通りの反応と併せておかしくて、ティルダはつい頬を緩めてしまう。でも、とにかく──
「……じゃあ、戻らないといけないわ。シェオルさんはカイの言い分を、少しは聞いてくれて……だから、あんなことをしてくれたんじゃないのかしら?」
他力本願にもほどがある、とは思う。それに、危険だ。シェオルが今どうなっているかは分からないのだから。でも、ここで話していても凍り付くのを待つだけになる。
危険を冒さない訳には、いかないと思うのだ。




