22.聖女の性
「……そういえば、聖女とは癒しの技を使うこともあるのかな。だが、これほどの傷では手の施しようもあるまいに」
言質を与えてしまったことに気付いたのだろう、シルヴェリオ将軍は軽く眉を顰めた。前言を翻さないのは、彼の人柄の真っ直ぐさの表れでもあるだろうし、胴体を剣が完全に貫通する深手を癒すのは無理だと決め込んでいるからでもあるだろう。
(この方の生きていた時代だと、きっとそうだったのね……いいえ、今でもどれほど事情は違うのかしら)
ティルダが生前に接した将軍たちや聖職者たちは、人間の進歩をしばしば誇ったものだった。魔力の効率の良い扱い方、それを補助する呪文や道具、それらを改善するための不断の研究。だから、シルヴェリオの時代なら助けられなかった怪我人や病人も、ティルダの時代なら違う結果になることは十分考えられる。でも、それをこの人に言うことはティルダにはできなかった。
「はい。生きていたころの私も、助けられない人たちを何人も見送ってきました。全員を助ける余裕がなかったからです。……それが、私の罪なのかもしれないですけど」
どの時代に生まれたかは自分では選べないこと、ティルダの知識や技がシルヴェリオの想定の上を行っていたからといって、それは別に彼女が優れているということではない。
それに──助けられる者とそうでない者を選り分けた記憶は、きっとこの人にもあるだろうから。だから、自らの非力や悔恨を語ることで、近づくことを許して欲しかった。実際、シルヴェリオはいっそう眉を寄せて、何かに耐えるような表情になった。生きていたら致命傷でもおかしくない重傷を負っても顔色ひとつ変えない人でも、心の痛みを完全に堪えることはできないのだ。
地獄でも、そんな人間らしい感情を見ることができたのが嬉しくて、ティルダの頬は少し緩んだ。聖女らしく振る舞えと、物心ついたころから言い聞かされてきた通り、慈愛や安らぎを感じさせる表情になっていると良い、と思う。
「この嘆きの氷原は冷たくて、静かで、怖くて──誰もいない。だから寂しいけれど、ほっとしてもいました。苦しむ人を見なくて済む、助けきれない人を見て心を痛めなくて済む、って。でも、こんな姿を見てしまったら……!」
言い終えるとティルダは立ち上がり、ゆっくりとシルヴェリオの剣の柄に手をかけた。彼が止めないのを良いことに、足を踏ん張って指に力をこめて、ゆっくりと引き抜いていく。
「……っ」
剣身が肉を裂き、骨を削る嫌な感覚が手に伝わる。それに耐えて、ティルダは剣を抜き切った。この間も、シルヴェリオは奥歯を噛み締め、手甲に包まれた拳を強く握ってうめき声ひとつ立てない。それでも痛くないはずはないから、ティルダはできるだけ手をぶれさせないように──傷を広げることがないように──努めた。剣をすべて抜いてしまうと、長さのある鉄の塊の重さに、振り回されそうになる。でも、軍人にとってはきっと魂のように大切なものだから、床に投げ出したりしないように、できるだけそっと持ち主の傍らに横たえる。そして軽く息を整えてから、改めてシルヴェリオの前に膝をつく。
「私は、自分がどうして死んだのかも、何の罪を犯したのかもよく覚えていません。最後のところがぼんやりしてしまっていて……でも、罪があるなら償いたいと思っているし、思い出さなければ、とも思います。そのためには凍ってしまう訳にはいかなくて……だから、一緒に頑張れる方がいると良いな、と思っています」
(ああ……私、こんなことを思っていたんだ……!)
シルヴェリオの治療を始めるにあたって、できるだけ彼に納得して欲しいと思っていた。そうして紡ぎ出した彼女自身の言葉を聞いて初めて、ティルダは自分の想いに気付いた。彼女は自身の死の理由を知らなければならないし、何の罪を犯したかを思い出さなければならない。そうでなければ、地獄に堕ちた意味がない。
そして──ジュデッカが何と言おうと、魂までも氷に囚われるのが罰になるとは思えない。それなら、シルヴェリオはとうに満足していたはずであって。だから──ジュデッカなら、罪人の満足など知ったことではないと言いそうだけど──違う贖罪の形を考えなければならない気がする。
「それに……あの、私は、聖女であることしか知らなくて……だから、苦しむ人がいるなら助けてあげないと、と思ってしまうんです」
「いや、私は──」
救われる必要はないとか、その資格がないとか。シルヴェリオが言いそうなことはティルダにももう分かる。だから、彼女はみなまで言わせずそっと首を振った。
「貴方が望むのは、苦痛ではなくて贖罪ではないですか? 長年苦しみ続けても償ったと思えないなら──別の方法を探してみませんか? あの、私と……」
「…………」
シルヴェリオは頷きはしなかったけど、断ることもしなかった。だから、きっと了承は得られたのだろうと解釈することにして、ティルダは癒しの呪文を紡ぐべく息を深く吸いこんだ。




