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1.氷の宮殿

 ティルダが目を開けると、見たことのない壮麗な天井が彼女の真上に広がっていた。青と銀を基調とした精密な細工は、王宮や王都の大聖堂と見まがうばかり。でも、彼女が眠りに就いたのは辺境の砦の一室だった。厚く冷たい石の壁が四方から圧し掛かるような狭い部屋で、毛布に包まって寝たはずなのに、いったいいつの間にこんなお城に来たのだろう。


 目を瞬かせて不思議に思うティルダの耳に、低い男性の声が降って来る。


「目覚めたか、罪人」

「──っ、も、申し訳ありません……!」


 声の主が誰かを考える前に、ティルダは反射的に身体を起こす。どうやら彼女は、天井と同じく美しい細工がされた石の床に直に寝かされていたらしい。どうしてそうなったのかは分からないまま──ティルダは衣装の裾を払い、その場に跪いて手を組んだ。彼女が呑気に怠ける暇など許されない。それを弁えていると、示すために。


「今日は、何をすれば良いのでしょうか。兵士の皆さんに祝福を与えますか? 大地に豊穣の祈りを? 怪我や病気に苦しむ方がいるのですか?」


 目を伏せると、組み合わさった指にはらりとティルダの金の髪が散った。寝起きにしては癖もついていないのは、誰か──従者のカイが梳いてくれたのか。


(え……起こしもしないで……?)


 何かがおかしい、と思った。いくら熟睡していたとしても、着替えさせられて気付かないなんて。こんな美しい城も彼女は知らない。寝ている間に転移魔法を使われて、それでもなお眠り続けるほど彼女は鈍くないはずだ。


 一度違和感を持ってしまうと、おかしいことだらけだった。跪いた姿勢から見えるのは白い生地、こんなワンピースは持っていなかったはず。美しい模様で彩られた床は、よく見れば霜がおりている。屋内でも凍り付くような、極寒の季節ではないはずなのに。そして、ワンピースの生地は夏に着るような薄く軽いもの。ティルダの膝は凍った石に直に触れているのに、なのに、まったく寒くない。


(私……私……?)


 なぜだか嫌な予感がして、心臓が高鳴る──はずが、ティルダのささやかな胸は静かなままだ。まるで心臓が止まってしまったかのよう。冷や汗をかいても良いはずなのにそれもない。


「寝惚けているようだな、罪人」

「あの、閣下……?」


 混乱するティルダに対して、男の人の声は低く落ち着いていた。彼女をあざ笑う気配さえあるけれど、ティルダが頼れそうな相手はその人しかいない。だから恐る恐る顔を上げて──彼女は感嘆の溜息を吐いた。


 閣下、と呼んだのはその人の格好が軍装に似ていると思ったからだ。すらりとした長身を包むのは、黒一色に、銀の飾りを配した凛々しい装い。床にまで届くマントも黒、ただし裏地は深い青で、凍ったようなこの城の気配によく似合う。剣を佩いていないのは正式な軍装とは言えないかもしれないけれど、身分の高い人なら常に武装はしないのかもしれない。胸には勲章の代わりにやはり銀の鎖が下がっているのがやはり優美で、その人の冷たい凛々しさを際立てる。


(いいえ……格好だけではなくて……)


 その人自身の容姿がたとえようもなく美しかった。ティルダを見下ろす目の色は夜の色。肩を流れる髪の色も。けれどまったくの黒一色ではなくて銀の輝きを帯びている。氷に包まれているかのような寒々しい色合いが、その人の整った顔かたちにはよく似合う。神の手が丹精した彫刻のよう、だなんて不遜なたとえが思い浮かんでしまうほどの端正さ。それでも目に宿る強い光が女々しい印象を与えない。白い頬が浮かべる傲慢そのものの笑みは、彼の美しさを損なうどころかいっそう蠱惑的に見せている。


「閣下、などと人の呼び方で俺を呼ぶな」


 どこまでも整った彼の唇が動く。彼の姿を直視してしまった今、そうして紡がれる声も耳に蜂蜜を注がれるように甘いと思えた。


「俺はこの牢獄の番人。氷の獄を統べる魔王。コキュートスの主ジュデッカ──」


 コキュートス。ジュデッカと名乗った美しい人が紡いだその単語を聞いて、ティルダは震えた。どういう訳か身体では寒さを感じなくても、魂が震え上がったのだ。だって、その単語の意味は──


「地獄の底の地獄、涙も凍り魂も氷と砕け散る嘆きの氷原(コキュートス)にようこそ、罪人よ」


 こつ、と石の床を鳴らしてジュデッカはティルダの方へ歩み寄ってくる。彼女を見下ろす氷の目には愉悦が浮かんでいるようだった。彼の言葉でティルダが怯えたのを見て取って、満足したかのように。


「その可憐な(なり)で何をしたかは知らないが。お前は死んで、地獄に落ちたのだ」

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