或る夏の日の雨
ごく普通の高校生が夏休みの課題で書いた短編小説となっております。
*(高校の夏休みの課題で書かせてもらいました。
下手が過ぎますが、どうぞ温かい目でご覧下さい…)
「君、雨…好き?」
通勤途中であろう、少し背の伸びた「彼」が歩道橋の真ん中で車が行き交う車道を見つめている時、あの夏の日と同じ重みの雨の中、私は彼にそう問いかけた。
「雨は、好き…さ」
と彼が言うと、私ははにかむように笑い、
「そっか…良かった…!」
と言った。なんだか嬉しくなって笑みがこぼれた。すぐに彼は歩き始めた。淡々と降る雨の中、歩道橋を降りていく彼の後ろ姿を優しい目で見えなくなるまで見つめていた。
見慣れた高層ビルが立ち並ぶ町並みを僕は学校帰りの電車の窓から見ていた。今は夏休みだが、夏期講座があるのだ。学校ではいつも一人でいることが多く、寧ろ自らから一人になるようにしているのだ。決して虐められているわけではない。ただ、一人という誰にも干渉されず、自分だけの時間を過ごすことができるのを好んでいるだけだ。放課後には決まってあの場所へと向かうことが日常化していた。田舎町が見えてくる頃合いに電車を降り、駅のプラットホームで営む幼い頃から行きつけの和菓子店で大好物のひよこ饅頭を買い、古民家が並ぶ小道へと入って行った。昔ながらの平屋が並ぶ民家はノスタルジック風に見え、なんとなく僕の疲れ切った心をしんみりさせてくれる。小道を真っ直ぐ行くと、小川をまたぐ橋があり、そこを渡ると山へと続く階段がある。民家の外れにある山の頂上には神社がある。地またでは人気のあるパワースポットとして知られているが、僕の目的の場所はそこではない。階段を半分ほど駆け上がると、階段の脇に道(随分使われていない)があり、ぱっと見では分からない程草木が覆い茂っている。そこの先に目的の場所があるのだ。道なき道を進んでいくと、その場所は姿を現した。コンクリートの壁が崩れ落ち、鉄骨がむき出しになっている2階建ての建物。そう、廃墟となった建造物が僕のお気に入りの場所だった。誰も居ない空間で2階から見える空模様を観察するのが僕の唯一の生き甲斐と言えるものだった。むき出しの鉄骨を慣れた動きでかわし、2階へ続く階段を上がった。そこで、いつもとは違う非日常的なことが起きた。誰かがいる。僕以外この場所を知っているやつは居ないはずだ。というのは、この場所は幼い頃、親友と神社に訪れたときに迷子になってしまい、その道中に偶然見つけた場所だったからだ。2階のフロアがぎりぎり見える位置まで階段を上り、その「誰か」を目の当たりにした。身長は僕より低く、顔は後ろからなので見えないが、確かに女性だ。見知らぬ学生服を着ていたので他校だと推測した。このまま帰ろうかなと思ったが、折角ここまで来たのだからもう少しここに居ておきたいという思いもあり、戸惑っていた。その時、不意に女性が振り向き、空の夕焼け色がかすかに映った目と目があってしまった。
「…!」
何も言わず階段を駆け降りようとしたが、その女性は僕に向かってこう言った。
「あなたもおなじなの?」
一瞬、いきなり何を言ってるんだと思ったが、振り返ってみると、その女性は少し明るくでも、どこか悲しげな表情を浮かべていた。
「何がですか?」
冷静になって応えると、
「この場所が好きなこと」
と言ってきた。
「ああ、好きだけど誰も居ないのも兼ねてね」
「私、邪魔…だったかな…?」
「邪魔」
「ごめん…」
と言うと彼女は僕の横を下を見るようにもと来た道へと消えていった。なんだったんだ?こんなことは初めてだ。とはいえ、少し酷いことをしたなと思わないのが僕の性格でやっと2階のフロアへと上がった。空は相変わらず朱色に染まっていて、薄く切れかかっている雲を包んでいた。ポケットにしまっておいた饅頭を口にし、日が暮れる直前まで時を過ごした。今日の饅頭はなぜだかいつもとは違う味がした。家はここからそこまで遠くなく、歩いて20分程だ。家に帰ると、祖母が夕飯の支度をしていた。
「ただいまー」
「おかえりなさい、今日は遅かったねぇ?」
「うん、ちょっとね」
とだけを言い、自室がある奥の部屋に入った。両親は居なく、小さい頃から祖母と暮らしていた僕は祖母一つの手で育て上げられた。親は俺が小学生の低学年の頃に亡くなったらしい。詳しくは聞かされてないがその後、祖母に預けられ、半年は泣いてばかりだったという。高校3年になった僕は祖母に孝行をするため、医者を目指し、名の上がっている大学へ入学するために少し離れた都会の高校へ通っているのだ。
晩食を食べ終え風呂に入り、机に向かった。小難しい参考書に目を向け、ノートに自分なりのまとめ方で書き留めていく。時間は24時をまわり、寝所へとついた。今日あった一日の出来事をフラッシュバックしていた。今日の数学の講座で習った裏技の公式、英語の単語そして、あの女生徒のこと…。彼女は何をしていたのか、なぜその場所にいたのか。深く考えないでおこう。そして僕は眠りについた。
今日は休みなので、早朝からあの廃墟へと向かった。やけに蝉が五月蝿く鳴いていてイヤホン越しでも聞こえてくる程だった。道中ふと、昨日の彼女が脳裏をよぎった。今日もいるのだらろうか?居たとしたら冷たくしたこと謝っておきたいなと思いながら草木を掻き分けていった。廃墟に着き、2階へと上がると、誰もいなかった。
「まあ、いいか」
いつものように大の字になり空を見上げた。朝焼けの空が青く澄みわたっていき、夏らしい水色の空となり、入道雲が他の雲を喰らいながら大きくなっていた。ゆっくりすぎる時間に身を任せ、いつの間にか眠りについていた。どれ程時間が過ぎたのだろう、蝉の音で目が覚め、照りつける太陽に手をかざしスマホの時計を見た。午後1時過ぎを指していた。昼飯を食べに一旦家に戻ろうとしたとき、階段の方から誰かが登ってきた。服装は夏らしく涼しそうな私服だが、明らかに昨日の彼女だ。ゆっくりと階段を登ってきた彼女と目が合い、気まずくなりながらも口を開いた。
「昨日は悪いことをした」
すると彼女は少し驚いたような表情を見せたあとはにかみながら、
「大丈夫、こちらこそ昨日はごめんね」
と言った。そして少しの沈黙のあと彼女がこう言った。
「昼食、もう食べたの?」
「いえ、今、家に帰るとこでした」
と言い、彼女を通り過ぎ階段を降りようとした時、引き止められるように腕を掴まれた。
「弁当、一緒に食べませんか…?」
「え…?」
突然の誘いに戸惑ったが、彼女の目を見ると断りづらくなり誘いにのることにした。
「私、この場所がお気に入りなの」
彼女の弁当の惣菜を申し訳なさそうに口に運びながら聴いていた。話によると近くの高校に通ってると言い、同じ3年だという。何気ない会話がはずんだあと、
「なんで、こんなとこに一人で来るんだ?」
と僕が不意に言うと、彼女は少し曇ったような顔をし口を開いた。
「実は私、もう少しで死ぬの」
その言葉に息をつまらせ彼女を見た。
「私、生まれた時から心臓が弱いんだ…」
心臓が弱い?思い病気を抱えているのか?と思い、口にしようとしたが、
「生まれてきて、ここまで育ってきたこと自体奇跡だってみんなが言っていてね、医者には余命も告げられているんだよ…?」
と、彼女が言った。少し苦笑いをしながら重々しいことを話す彼女を見て、
「こんなところにいる場合じゃない!安静にしないと!」
と思わず立ち上がりながら言った。死が近づいているというのになぜ、こう明るくいられるんだ?
「いいの。どうせ明日には、もう…」
下を向く彼女に息を詰まらせた。
「だけど、最後にこう、好きな場所で大事な人と時間を過ごせて良かった!」
と、僕の顔を見上げると恥ずかしそうに笑った。
大事な人…?彼女は僕を知っているのか?
「僕のことを…知っているのか…?」
すると彼女は少しハッとしたような顔をし、
「なんでもない!今のことは忘れて!変なことを言っちゃったね、ごめん」
と言った。今がわからないまま、混乱している僕にクスクスと笑う彼女はどこか悲しそうだった。彼女の頼みで今日は日が暮れるまで一緒にいてほしいとのことで余命が明日の彼女と残りの少ない時間を過ごした。彼女は「ミカ」という名前で、自分が生まれ育ったこの街のことや、昔、親友とここに何度も遊びに来た事、学校の事等を話し、時々話の中で見せる彼女の笑顔はなんだか懐かしく感じ、複雑な気持ちのまま夕方を迎えた。
「綺麗だね…」
「…うん」
久々に意外と楽しかった時間が、今日限りで消えてしまうと思うとなんだか涙が溢れ出てきた。
「泣いてくれてるの…?」
彼女がそう言うと、ハンカチを貸してくれた。
「変だよな、こんな会ったばかりの人に涙流すなんてさ」
ハンカチで涙を吹きながら彼女を見ると、泣いていたのだ。今まで笑顔でいた彼女が泣いていたのだ。僕が泣いたから嬉しかったのか?と思った。
「ありがとう…本当に良かった…会えて良かった…!」
彼女がそう言い、オレンジ色の夕焼けを背に向け優しく微笑んだ。
日が暮れ、灯籠がほのかに照らす階段を二人で降りていると、彼女は僕を見て、呟いた。
「明日の天気予報は確か、雨だったよ」
「そうか…残念だ。」
「でも、私は雨は好きよ?」
「どうして?」
すると彼女は、
「だって雨は嫌なことを流してくれるし、夏に降る雨は喜雨って言って、昔から喜ばれているんだよ」
と言った。なるほど。そういった考え方もあるのかと思ったが、なぜか雨のことが好きだとは口にすることはできなかった。
「…やっぱり僕は嫌いだ」
彼女がそのことを聴くと、少し悲しそうな顔をした気がした。階段を下り終え、最後の別れをした。
「そういえば、僕の名前言ってな…」
「言わなくて大丈夫!どうせ明日死ぬんだから…」
と、自分を小馬鹿にするような言い方で僕の言葉をかき消し、最後に静かにそして微笑みながら言った。
「…さよなら」
「うん、さよなら」
彼女が電灯が少ない暗闇に消えていく様子は今までにないくらい寂しく感じた。家では祖母が心配してくれていた。が、事情を説明するとすぐに微笑んだ。
「あの子はとっても嬉しかったでしょうね」
「嬉しいわけないでしょ、明日には死ぬんだから」
すると祖母は寂しそうな顔をして何か言いたげな顔を俺に向けた。
「どうしたの?」
僕が問うと同時に祖母が口を開いた。
「あの子…ミカちゃんはね…、実はあんたの親友だったんだよ」
祖母が発した言葉に驚いた。ミカが僕の親友だって…?昨日知り合ったばかりだぞ?祖母は続けて言った。
「ミカちゃんはね、あんたの親がまだ生きている時の頃、よく山で遊んでいた女の子だったんだよ。あんたが親をなくし、ショックでその時の記憶が少し欠けてしまったんだよ」
「俺が…記憶喪失…?」
「まだ小さかったから無理もないさぁ、あの子はきっと待っていたんだよ、お気に入りの場所で遊んでいた親友、そう、あんたのことをずっとねぇ。
余命が近づいてきて最後にあの場所で会いたかったんだと思うさぁ。あの子は少し前ぐらいに私のところに来てね、こう言ったんだよ。無理に思い出させなくてもいい。ただ一緒に最後を過ごしたいってねぇ」
僕はいつの間にか泣いていた。大粒の涙を流して。
「あの子は最後まであんたに優しくしていたんだよ。事故でなくなった親の事を思い出させないためにね」
「親は事故で…!」
僕は全てを思い出した。土砂降りの雨の中、反対車線のトラックがタイヤをスリップさせ、僕も乗っていた旅行帰りの車と衝突した事、その事故で両親が僕をかばい僕だけが助かった事、そして、親友だったミカの事も。そうだ…だから僕は雨が嫌いだったんだ。土砂降りの雨のせいで失った大切な命。もう思い出したくないと頭の片隅に閉ざし込み、無理やり忘れていたのだ。記憶の欠片を見つけ、目の前が真っ白になった僕は部屋へと駆け出した。なんで、思い出せなかったんだ!ミカは全て知っていたのに、僕は…!その時の僕は悔しさでいっぱいだった。と同時に自分に対して怒りさえ覚えていた。疲れと衝撃な事実を突きつけられた僕はしばらくの間泣き続け、そのまま寝息をついた。
次の日は雨が降っていた。戸を開けるとザーッと降る雨に傘も刺さずにあの場所へと走って行った。当然だったがミカは居なかった。
「今日、あいつは…」
昨日過ごした時間を思い出し、頬に雨が垂れてきた。廃墟の2階に上がり雨空を見上げると、ポケットのスマホに一件の通知が届いた。送信名にはミカと書かれていた。急いで、メッセージを見ると、
「ごめんね!勝手に君のおばあちゃんからメアド貰っちゃった笑 私は今遠くの病院にいるけど君はまたあの場所に居るのかな?やっぱりそっちでは雨が降っているのかな?こっちも雨、降っているよ!昨日は本当に楽しかった!…ありがとう…本当にありがとう…!」
長文のメッセージを読み終え、すぐさま返信した。
「思い出せなくて本当にごめん。言ってくれれば良かったのに!最後に…直接謝りたいよ…」
と、送信したと同時に電話が鳴った。
「もしもし!体調は大丈夫?!」
焦る僕の声とは裏腹にミカは優しい声で話し始めた。
「もう…、時間は無い…よ」
優しい声の裏に泣くのを我慢しているミカを電話越しでも感じとれた。
「全部思い出したよ。自分の親の事、そしてミカの事も全部…!思い出せなくて本当に、…本当にごめん!」
「いいんだよ…そんなこと。でも、最後の時間を君とあの場所で過ごすことができて本当に良かった…!」
そして、ミカが最後にこう言った。
「私が亡くなっても、今日みたいな雨の日に私を思い出して…そして、雨のことを「好き」になってほしい…な…」
「…うん!きっと…僕はっ…」
気づくと、通話は途絶えていた。
最後に言い残したことがある僕はすぐさまメッセージを送信した。「僕は君をきっと思い出す!雨の日には絶対に…!」だが、このメッセージは10分、20分経っても既読になることはもうなかった。ミカの最後の願い、「雨のことを好きになってほしい」その言葉はなぜか、僕を雨に対してのトラウマという暗闇のそこから引きずりあげる様なそんな言葉に聞こえた。最後の最後まで僕を気遣うなんて…。複雑な涙を流しながら遠くの空を見上げた。群青色に染まり、泣いているかのように涙を流し続ける空、何事もなかったようにすべてを流そうとする雨に打たれ、誰にも聞こえないような声で静かに呟いた。
「…やっぱり雨は嫌いだよ…」
君が亡くなって何年たっただろうか。今では家庭を築き、夢でもあった医者という職業に就くこともでき、何気ない日々を送っている。今思えば、将来の夢が医者だったのは、いつの日か君の心臓を治したいという自分の願いから生まれたものだったんだな。通勤途中の雨の中、傘を刺しながら歩道橋の階段を上がり、車が忙しく行き交う車道を見つめた。
「…み、…アメ…ス…キ?」
一瞬、君の声が聞こえたような気がした。君と過ごした最後の時間、あの時君が問いかけてきたような優しい声だった。あの夏の日の忘れてはいけない出来事。そして彼女、ミカとの最後の約束。
「雨は、好き…さ」
そう呟き、少し和らいだ雨の中、自分は歩道橋の階段を降りた。