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憂鬱な朝


 翌朝、遅めの時間に一人で起きた。窓から入り込む日の光はカーテン越しでも明るく、とても良い天気のようだ。


 寝台は一人きりで、コンラッドがいたと思われるところにそっと手を置いた。シーツの冷たさが、彼が早い時間に起きたことを教えてくれる。


 結局何もなかった夜を思い、ため息をついた。


「わたくし、やっぱり魅力がないのかしら……。今回はいけると思ったのに」


 無意識のうちにシーツを撫で、呟く。普段穏やかに接する彼から違った行動を引き出せたのはよかった。眼差しもいつもよりも熱を感じたと思う。思うけれども、その後はいつもと同じ流れだ。ただぐるぐる巻きにされたのはよくわからないが。


「奥様、お目覚めでしょうか?」


 軽いノックの音と共に、声がかけられた。ヴァレリーは寝台で体を起こしたまま、小さく返事をする。

 クララがヴァレリーの様子を見て愕然とした。


「まさか」


 クララはさっと部屋に視線を走らせる。何を確認したかは気にしてはいけない。苦笑しつつ、彼女の疑問に答える。


「そのまさかよ。昨夜は反応が違っていたのに何もなかったわ」


 ヴァレリーは高ぶっていた気持ちが舞い降りた瞬間を思い出し、うなだれた。クララが慌てて寝台に近づき、ヴァレリーの背中を宥めるように撫でた。


「奥様、奥様は悪くありません」

「でも……」


 ヴァレリーは何でもないふりができなくなった。あの高揚感とその後の虚無感。思い出して思わず涙がにじむ。


「そもそもこれほど男の欲望を刺激する奥様をただの抱き枕にする旦那様がおかしいと思います」

「男の欲望?」

「そうです。はちみつ色の緩くうねる金髪、肌は白く、しみ一つない。美しい新緑の瞳は大きめで、ややたれ目。ただでさえ美しい要素しかないのに、さらには華奢な体に夢いっぱいに詰まったお胸! これで興奮しない男は男じゃありません」


 きっぱりと言い切られて、ヴァレリーは顔を上げた。じっと真剣に訴えるクララに恥ずかしさがこみ上げる。


「……でもこの胸、下品だって祖国の社交界で悪口を言われていたわ。もしかしたらコンラッド様はこの胸が嫌いなのかも」


 ちらりと自分の胸に目を向ければコンプレックスである胸が目に入る。

 身長を伸ばしたくて沢山牛乳を飲んだら、身長ではなくて胸が大きくなった。嬉しくない誤算である。胸が大きければいいというものではない。何事もバランスだ。


「絶対に好きだと思います。いつだって人畜無害そうな表情で視線は間違いなくそこに注がれています」

「そう? そんな感じはなかったけど」


 思わず首を傾げた。今までも変態たちに追い掛け回された経験から、舐めるような視線には敏感だ。そのようないやらしさをコンラッドから感じたことはない。感じるのはいつも優しい視線だ。


 クララは咳払いしてから、ぐっと拳を握りしめた。


「まだ嘆くのは早いですわ! 少しでも反応を引き出せたということはあと一歩です!」

「そうかしら?」

「そうですとも」


 励まされて、思わず笑顔を浮かべた。クララもにっこりと笑う。ようやく気持ちが浮上したヴァレリーは寝台から降りた。


「今日はお義姉さまがいらっしゃるのよね。気持ちを切り替えなくちゃ」

「あの、もしかしたら余計なことかもしれませんが」

「なあに?」

「公爵夫人に相談されてみてはどうでしょうか?」


 相談、と言われてヴァレリーの動きが止まった。


「え?」

「その、侍女のわたしがこのようなことを申すのもどうかと思うのですが、旦那様は少し異常だと思います。公爵夫人は旦那様のことをよく知る一人だと思うので……」

「相談してもいいものかしら?」


 コンラッドの姉である公爵夫人は一人嫁いできたヴァレリーに気を配ってくれる一人だ。確かに相談してもいいかもしれない。でも相談することに抵抗がある。ある意味、女としての欠陥を晒すようなものだ。

 ヴァレリーの躊躇いの理由を察知したクララは申し訳なさそうな顔になった。


「奥様、無神経なことを申しました」

「いいのよ。クララはわたくしを心配してくれたのでしょう?」


 ヴァレリーにもわかっていた。いつまでもこのままでいいわけではないし、侍女たちに相談するのも限界がある。それにヴァレリーだけの問題ではない何かがあるかもしれない。

 ヴァレリーはため息をついて鏡の前の椅子に座った。


「ねえ、クララ。旦那様は何故あの年まで結婚しなかったのかしら? 元婚約者のことが忘れられなかったとか……?」


 ずっと気になっていた。

 コンラッドはどうして結婚せずにあの年まで一人でいたのか。

 恋愛経験のないヴァレリーには物語のように一人の女性を愛し続けているようにも見えた。ヴァレリーとの政略結婚がなければきっと今でも一人でいただろう。


「えっと。絶対に違うと思います」

「どうしてそう言い切れるの? 婚約破棄したのは10年も前よね? それほど長く一人でいるのだから、やはり忘れられない人だったのでは?」


 クララはうんうんと唸り出した。どうやらだいぶ悩ましいことを聞いてしまったようだ。ヴァレリーはクララに聞いたのは失敗だったかと申し訳なく思ったが、彼女以外に聞く人もいないため取り下げることもしなかった。


「ここだけのお話でお願いします。わたしのような侍女の立場で知った内容なので、もちろん正確ではありません。それでもいいでしょうか?」

「ええ、もちろん」


 では、といって聞かせてくれた内容にヴァレリーは目を丸くした。


「駆け落ち?」

「はい。どうやら元婚約者であったご令嬢には心を寄せる人がいたようでして。何が盛り上がったかわかりませんが、愛する人と結婚したいと飛び出していったようです。その時に、あの、なんというのか……色々と罵られたようでして」


 元婚約者はコンラッドにかなりのトラウマを作ってしまったらしい。


「……もしかして、コンラッド様はわたくしといずれ離縁するつもりなのかしら?」

「えっ!?」


 そう考えれば、いつも誘惑に乗ってくれない説明になる。


 どんなに気乗りがしなくても、二人は政略結婚。

 儀式の一環として、一度は夫婦としての契りをするものだ。


「だってそうでしょう? 3年、白い結婚であれば教会は離縁を認めてくれるわ。コンラッド様はわたくしとの年齢差を気にして解放しようとしているのかも」

「いや、絶対違います! 旦那様、奥様に対する目がヤバいですから!」


 悲鳴のような声で反論するクララに、ヴァレリーは首を左右に振った。


「クララは知らないのよ。本当の変態の目はもっと舐め尽くすように、肌をじりじりと焼くような、ねっとりとして気持ちが悪いものなの。コンラッド様のあの目は愛おしいものを見る優しい目よ。例えば娘を愛しむ目なの」

「奥様の基準がおかしすぎて理解しがたいです」


 クララは疲れたように肩を落とし、ヴァレリーの身支度を手早く行う。ヴァレリーは仕上がりを鏡で確認しながら、ため息をついた。


「やっぱりお義姉さまに相談するのが一番なのよね」

「そうですね。公爵夫人はとてもお優しい方ですから」

「わかったわ」


 ヴァレリーとしては気が進まないが、このまま離縁になるのも嫌だった。離縁になるくらいなら、女のちっぽけなプライドなど捨てた方がいい。


 そう自分に言い聞かせて、ヴァレリーは朝の仕事の準備に取り掛かった。


◆クララの業務日記◆

旦那様はきっと病気だと思います。あれほど可愛らしくて男性の理想をぎゅっと詰め合わせたような奥様を見てぐるぐる巻きにするなんて。男としてどうなの。あり得ません。


余裕のある大人というよりも、すでに枯れてしまった疑惑有。早急に対策した方がいいと思います。


◆侍女長からのコメント◆

旦那様の枯れ疑惑については家令に相談します。あなたは引き続き奥様のお手伝いをするように。

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