夫を誘惑します
鏡の前でひらりと回ってみた。
ヴァレリーの動きに合わせて艶やかな金髪と共にナイトドレスの裾がふわりと舞う。
今日のナイトドレスは手触りの良い絹が使われていた。
襟ぐりは詰まっているが、体の線にそって落ちる布は体の凹凸を程よく見せる。動くたびにできる陰影がとても目を引いた。
「少し大人しめじゃないかしら?」
支度を手伝ってくれた侍女のクララにちらりと視線を向けて聞けば、彼女も難しい顔をしていた。どうやら想像していたものは違ったようだ。
「そうですね。このナイトドレスは清楚さをアピールして男性を落とすための物なのですが……なんというのかいつもの奥様とあまり変わらないような?」
「やっぱり、そう思うわよね。説明を聞いた時にはとてもいいと思ったけれど……」
スカートを摘まみ、くるぶしまですっぽりと隠していた裾を少しだけ持ち上げてみる。
「……足首が見えるとまた違いますね。なんというのか、そそります」
「ということは裾が長すぎたのね」
ヴァレリーはため息をついた。裾が長いのはこのナイトドレスが悪いわけではない。ヴァレリーの身長が女性の平均よりもやや低いのだ。懇意にしている商会に急がせて用意したナイトドレスのため、裾を詰めるのを忘れていた。
「今夜も失敗かしら」
「ではこちらのナイトドレスにしてみたらいかがでしょう?」
憂鬱そうに呟けば、クララがいそいそともう一枚のナイトドレスを手に取った。よく見えるように広げられて、眉を寄せる。買うかどうか最後まで悩んだ一品だ。
「……下品じゃない?」
やや透け感のあるナイトドレスで、こちらは襟ぐりが非常に大きく開いている。ゆったりとした作りで体の線は今着ているナイトドレスよりも分かりにくいが、その代わりに胸が強調される。胸元は繊細なレースがふんだんに使われていて華やかだ。
「着てから決めるのもいいと思います」
「そう?」
気は進まないが、とりあえず着替えた。何事も決めつけは良くない。着替え終えて、鏡の前の自分を見て驚いてしまった。
透け感があってもそこまで肌の色は出ておらず、柔らかな生地が胸元を包み込みレースが胸の膨らみを美しくみせていた。
「こちらの方がいいのでは?」
「そうね、わたくしもそう思うわ」
念入りに鏡で自分の姿を確認する。どこもかしこも完璧だ。クララはニヤリと笑うと香水瓶を持ってきた。
「さあ、最後の仕上げです。素敵な夜になりますように」
「ありがとう」
「それから、折角の身長差です。近くに立ったら上目遣いで旦那様を見つめてあげてください。目をじっと見つめたまま、ちょっとだけ唇を舐めて湿らすとさらに効果的です!」
ヴァレリーはクララのアドバイスに従って両手を胸の前で組み合わせ、上目遣いで彼女を見る。
「こんな感じかしら?」
「はうっ……」
クララは口元を押さえ、顔を赤くして悶えた。その様子にヴァレリーは嬉しくなる。
「お、奥様。もう一度俯いて、少しの間、瞬きを我慢してみてもらえませんか?」
「いいわよ?」
よくわからないが、言われた通りに俯き瞬きをやめた。しばらくすると、目が乾いて痛くなる。
「ねえ、目が痛い。涙が出て来たわ」
「奥様、そこで上目遣いです!」
慌ててヴァレリーは顔を上げた。上目遣いで見つめられたクララは興奮に顔を真っ赤にしながら、手もみしている。
「ああ、完璧です! これなら流石の旦那様もズキューンです!」
「本当?」
クララが力強く頷くのを見て、ヴァレリーは少しだけ自信を持つ。
「心配いりません。旦那様は確かに奥様を愛しておられます」
「クララの勘違いではないかしら? わたくしたち……政略結婚だから」
そう、二人の結婚は大いに政治的な要素を含んだ政略結婚だ。
ヴァレリーは年の離れた末娘で、両親である国王夫妻からも兄や姉たちからもたっぷりと愛されて育てられていた。だがこの結婚は国の同盟を強化するためのもので、王弟であるコンラッドも末の王女であるヴァレリーもどちらも自分の感情だけで断ることができない縁談だった。
ヴァレリーの最初の婚約相手はコンラッドではなかった。コンラッドの兄の息子、つまり彼の甥にあたる第3王子が相手だった。ところが色々なことがあったらしく婚約者だった第3王子は王領の一つで療養することになり、結婚相手がコンラッドに変わった。
ヴァレリーの両親と兄夫婦は婚約者の変更に非常に難色を示した。理由の一つが二人の年齢差だ。
婚約が調った年、ヴァレリーが16歳で、コンラッドは31歳。
二人の年齢差は実に15歳もあった。
さらに、不幸なことに体格差もある。ヴァレリーは平均女性よりも10センチほど低く、コンラッドは平均男性よりも10センチ以上高い。
ヴァレリーは他の兄姉たちと違いとても身長が低い。子供に間違えられることも多く、いわゆる変態気味な異性に好まれた。誘拐されたり、監禁されそうになったことは両手の指では済まない。護衛もつけているが護衛自身がとち狂ってしまう場合もあったし、使用人や友人だと思っていた人が情報を売って手引きをすることもあった。
そんな事情だから、輿入れの時には非常に緊張していた。
もしかしたらコンラッドが変態だったらどうしよう――と。
お互いを知る期間もなく、結婚。
緊張から始まった結婚生活であったが、夫婦としてコンラッドと一緒に過ごすようになって彼が結婚相手でよかったと心から感謝した。
コンラッドは穏やかで優しくてとても紳士的だ。年は離れているが、年齢を感じさせない美貌があった。そんな人格者の彼は誰の目から見てもヴァレリーをとても大切にしてくれる。
結婚して1年たった今、彼を信頼し愛していた。
大好きで、大好きで、大好きで、この世界の何よりも愛している大切な人だ。
いつだってコンラッドに愛してもらいたいと思っている。
同じ寝台を使っているにもかかわらず、二人の関係は白い結婚だった。コンラッドはヴァレリーを年の離れた妹のように思っているのではないかという態度を取る。頑張って誘ってみても、男女の親密な雰囲気にならない。
ヴァレリーにしたらもっと抱きしめてもらいたいしキスだってしてもらいたい。いつもの子供にするような額へのキスだけでは物足りない。
18歳になるまでには白い結婚から一歩先に進んだ関係になりたいと、色々と調べた。
コンラッドは一度婚約したけれども婚約者に逃げられて以降、特定の相手を作ってこなかった(侍女調べ)。
定期的にそういう専門的な女性の所に通っていたらしい(侍女調べ)。
結婚してからはそういう場所には通っていないことも確認済だ(家令調べ)。
客観的に見ても大切に思う家族に向ける好意があるのはわかるので、女性として意識させればいいのではと、相談に乗ってくれる侍女たちは口をそろえて言う。
侍女たちと一丸となって、ヴァレリーは取り組んだ。大人の女性に見えるように、少しでもコンラッドの好みの女性に近づくように様々なと研究と実践を行った。
どれもこれも失敗し、大人の笑顔でスルーされること数か月。
「今日こそ大人のキスをしてもらうのよ!」
そう、もう額や頬のキスなんかではない、唇へのキスをしてもらうのだ。
「奥様、その勢いです。最悪、寝台に押し倒してしまってください。起き上がる前に乗り上げて全身で抑えつけるのです!」
「上目遣いと押し倒しね」
「ご武運を」
「ええ、頑張るわ」
盛大な激励を受け、ヴァレリーは覚悟を決めた。姿勢を伸ばし、夫婦の寝室へと向かった。
ドキドキしながら寝台の端に腰を下ろす。
大きく息を吸って、ゆっくりと吐いた。
「……どうしましょう。クララには強気に言ったけれども不安だわ」
もちろん事前に知識は仕入れている。それでもよくわからないところがあるが、誰に聞いても旦那様に任せれば大丈夫としか言わない。期待と不安に胸を高鳴らせていると、扉が開いた。
「待たせてしまったね」
身支度の終えたコンラッドが夫用の続き部屋から姿を現す。ヴァレリーはぽうっとその姿に見とれた。いつもはきっちりと撫でつけられている黒髪が無造作にかき混ぜられ、額に前髪が落ちている。リラックスしているのか、彼の薄い青い瞳は柔らかな光をたたえていた。
ヴァレリーはふらりと立ち上がった。全身がよく見えるように真正面に立つ。コンラッドは少しだけ目を見張った。
「今夜は……素敵なナイトドレスだね」
「少し大人っぽいと思うのだけども、似合うかしら?」
「ああ、とても似合っている」
よし! と心の中で喜ぶ。
あとは、あとは……。
上目遣いに押し倒しだ。
ヴァレリーはこくりとつばを飲み込むと、俯きながら寝台から離れた場所で立ち尽くす夫のそばまで寄った。涙が潤むまで頑張って見開き、潤い始めてから上目遣いでコンラッドを見つめた。
コンラッドが驚きに目を見開き、ひゅっと息を吸い込んだ。いつもとは違う反応にヴァレリーの胸に喜びがこみあげてくる。彼から目を逸らすことなく、クララの教え通りに少し唇を湿らせてから名前を呼んでみた。
「コンラッド様」
「なんてことだ」
小さな呟きが聞こえた。ヴァレリーは手ごたえのある反応にドキドキし始めた。コンラッドはぶつぶつと呟きながら、ヴァレリーを抱きしめた。強い力で抱きしめられてヴァレリーはうっとりと体を預けた。
「本当にいけない子だ」
彼の腕に力が入り、お尻を腕で支える様にして持ち上げられた。子供の様に抱き上げられて高い位置に視線が移動した。バランスを取ろうと慌てて彼の頭にしがみつく。
「きゃあ」
何が起きたのかわからないまま寝台へと連れていかれた。コンラッドは迷うことなく妻を寝台の上に横たえ、覆いかぶさるようにして彼女の顔を覗き込む。
至近距離で顔を覗き込まれて息ができない。
ドキドキしすぎて胸が壊れそうだ。期待に満ちた目を夫に向けた。
コンラッドの長い指がそっと彼女の頬にかかった髪を払った。
「もう少し我慢してほしい」
「え?」
我慢? 何を?
不思議に思っているうちに、コンラッドは体を離した。上掛けを手にすると、ぐるぐるとヴァレリーに巻き付けはじめた。両腕ごと全身に巻き付けられて動けない。
驚いて声も出せないでいれば、隣に横になったコンラッドにすっぽりと包み込まれた。彼の暖かな体温を感じたが、期待していた状態と何かが違う。
「うん、おやすみ。私の愛しい姫」
コンラッドはどこかやり切ったような顔をしてちゅっと額にキスをした。
「え? コンラッド様?」
戸惑いに声をかけたが、彼は優しい笑みを浮かべて目を閉じた。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。
こうして今夜もヴァレリーは敗北した。
◆コンラッドの心の叫び◆
妻が可愛すぎて、おかしくなりそうだ。
なんだ、あのけしからんナイトドレスは!?
首筋がまる見えじゃないか!
ここは負けてはいけない。約束のリミットまであと少しなんだ。
堪えるんだ、理性たち。
下腹に力を入れろ、理性たち!
目は大丈夫か?
獣のようになっていないだろうな。
爽やかかと穏やかさを忘れるな。
あああああああああ、可愛すぎる。
ミノムシのようにぐるぐるにしても可愛いなんて、何の拷問だ!?