番外編26『エレーナ殿下の御訪問』
昭和18年の夏。
『“客船”の運航再開』という話題に、皇国内は俄に沸き立っていた。
今までは、大内洋や東西大陸を行き来する皇国船の殆どが軍艦か純粋な貨物船で、陸軍部隊の輸送支援や捕虜収容所代わりの中~小型の貨客船を除けば、“本物の客船”の運航は転移以来完全に停止していた。
皇国民であっても、現在の所は政府関係者や軍関係者、科学技術者や貿易関係者以外の一般国民の海外(神賜島含む)渡航は原則禁止の許可制であり、乗客が居ないのだから海外向けの客船が運航しないのは、まあ当然の事であったが、それに淋しい想いを抱く人は一般国民でもかなり多い。
自分が乗船せずとも、豪華客船が港を出入りするだけで至福の時を、下世話に言えばお祭り気分を味わえるのだから。
船便を今すぐ再開させる事は不可能だが、将来は東西両大陸との客船による定期航路を開きたいのは、一般国民に限らず、政界や財界の共通の思いだった。
そこで、手っ取り早く明るい話題を提供するために、皇国の天皇と皇后が主催者となり、新世界の王族を東京に招待するという形で、“本物の客船”が運航される事になった。
皇国に御招きする相手は、西大陸イルフェス王国の第一王女であり、同時にソワール公爵位を持つ陸軍元帥でもあるエレーナ=シャルリーヌ。
国王でも王子でもない王女ではあるが、事実上イルフェス国王の名代として招待する事になる。
本音を言えば、次代の国王である王太子ヴルス=ボードワンを招きたかったのだが、彼は幼少の頃から身体が弱い上に船酔いに滅法弱く、長期間の船旅は命に関わるかもしれないという話で、次点の王女となった。
こちらは兄とは正反対の“頑丈”な人物で、船が沈没しても近くの島まで自力で泳いだとしても驚かない。
イルフェス王国の首都である王都シュフの港から、皇国の海の玄関口である横浜港まで、皇国の動力船が外国の要人、特に王族を乗せるのは転移後初めての仕事である。
意気込む反面、何かあってはならないと二の足を踏む考えも多かった。
白羽の矢が立ったのは、皇国でも随一の船会社であり、欧米諸国にも名を轟かせていた皇国郵船会社の客船氷川丸。
総トン数1万1800トン。機関出力1万3000馬力で、最大速力18.5ktを誇る。
一等から三等までの客室を合計すれば、船客は最大で300名以上を数える。
元世界の欧米諸国の大型客船と比べれば中型に分類されるが、皇国の客船では比較的大型の部類であり、さらに内装や調度品も豪華なため、まさにVIP御用達の船である。
氷川丸は本来、北太平洋航路。つまり今現在の東大内洋向けの客船であったが、転移後においては当然、東大陸にアメリカやカナダ等は存在せず、行き場を失っていた。
そこで船主である皇国郵船会社としても、持て余すくらいなら新世界の王族をお迎えする事を名誉と考え、御国のため、あるいは自社の宣伝のため、採算は度外視で運航される事になったのだ。
これが成功すれば、『本来の北太平洋航路』に相当する、東大陸北西部のリンド王国への定期運航の道も開けるかもしれない、という目論みを秘めて。
晴れの舞台のため、船長が中心となって入念な準備が行われた氷川丸は、途中下関を経由してから、西大陸のイルフェス王国のシュフに入港した。
とは言え、皇国による改良工事中のシュフの港でも、これ程大きな船を接岸させる能力は無いから、沖に投錨して停泊する事を以て“入港”だ。
現地に展開する皇国軍油槽船への負担を減らす為、復路に使う重油は自前で用意し、微量ではあるが西大陸で使用する分の石油製品や工業品の予備部品等の輸送任務も帯びる。
さらに元々は対米貿易で使用されていた絹製品用の倉庫に皇国製の生糸と絹織物を積み込み、イルフェス国王への贈呈品(実質的には下賜品)として両国親善の再確認と皇国製品の広告を謀る。
その他にも様々な皇国製品を積み込んでいたので、往路の船内は“貨物船”状態だった。
その“貨物船”を王族が乗るに相応しい“客船”に戻す作業だけでも一苦労である。
人員の乗降や物資の荷揚げ、積み込みは基本的に全て自前の搭載艇と現地調達のボートで行う事になるのは、他の皇国の貨物船と同じ。
それ故シュフの港でも、帰途の準備に数日を要した。
国賓を招く特別な船として作業が優先された為、それでも早い方であるが。
エレーナは、停泊中の皇国軍艦に乗艦した事はあったが、実際に走る皇国船に乗るのは初めて。
さらに言えば、無事の航海の後には皇国本国の土地を踏む、この世界初の外国王族という事になる。
皇国からしても、イルフェス王国からしても、あるいはエレーナ本人からしても初めて尽くしの船旅だ。
救命艇としても使われる搭載艇に乗り、氷川丸の船内に“上陸”したエレーナを、海軍の軍服に似た夏用正装に身を包んだ船長が出迎える。
「ようこそ氷川丸へ。イルフェス元帥殿下」
「宜しく頼む」
船長のエスコートでエレーナと女官長は一等特別室に、他の侍女達はそれぞれ一等客室に案内された。
その他、外交官や書記官など男性随員は二等客室に。本来であれば使用人に過ぎない侍女より高級官吏である彼等の方が格上なのだが、この場面に限ってはそれが必ずしも当て嵌まらない。
女官といっても王女義勇連隊からの将校も居て、一等特別室に近い部屋が連隊将校の“居室”、“士官室”となる。
女官長自身、王女義勇連隊の連隊長でありエレーナと最も親密な女性であるくらい、見た目に反して武官の比率が多い。
“大切な賓客の身辺警護の為”として乗り組んでいる皇国軍の海兵隊も、海賊等に襲われた場合の備えだが、もしもの時には氷川丸船長の指揮下で王女連隊の反乱鎮圧任務を帯びているのは言うまでもない。
拳銃や斧槍、その他の武器類は帰国まで皇国が預るか、そもそも持ち込まないという約束だが、長剣だけは王族や貴族としての身分証でもあるので取り上げる訳にも行かず、船内でも帯剣したままだ。
狭い船内での近接戦闘になれば剣でも十分脅威になるし、エレーナや王女義勇連隊の警護隊員は剣術や徒手格闘に長けている。
少なくとも、火力重視の現代戦というものを重点的に学び、剣術などそもそも教わらないか片手間に教わる程度の皇国陸軍歩兵よりは、白兵戦に明るい。
万が一、そういう事になれば船長が持っている拳銃だけでは仕留められないだろう。狭い船内での近接戦闘訓練を受けている海兵隊しか頼れない。
だが船長もプロである。
そのような最悪の可能性は頭の片隅に置いていても、賓客は笑顔で迎えるのが仕事だ。
「随分と涼しいな」
幾ら客室内で日陰になったとはいえ、船内の気温は夏とは思えぬ程に低い。
冷暖房といった空調設備が整っている氷川丸の船内は、夏場の太陽の下でも快適なのだ。
「本船は、船内の気温を適度に調節する装置を備えております。夏は涼しく、冬は暖かく」
「何と……そんな物が存在するとはな」
冬に暖房として薪や木炭を燃料にする暖炉やストーブを使うというのは普通だから、暖房は解る。
だが、気温を下げる装置とはどういう原理なのだろう? 大量の氷でも備えているのだろうか?
しかし皇国からここに来るまでの航海で、そんなもの融けて水になってしまうだろう。
王侯貴族であっても、夏場に普通の建物内や船内で涼む方法は多くない。
軽装になって風通しを良くして冷たい井戸水を飲んだり、風呂の浴槽に、湯ではなく水を溜めて水浴びをする事もあるだろう。
水分の多い野菜や果物を食べるというのは栄養補給も出来て一石二鳥。
避暑地に別邸を持ったり、冬場から蓄えている氷室から氷を持ってきて舐めたりするのも、王侯貴族だから出来る贅沢。
庭園の池で舟遊びをしたり、噴水の近くで涼んだりもそう。
あとは気分的な部分で涼しくするくらい。透明なガラスの調度品を氷の彫刻に見立てたり、涼しげな印象の音楽を聞いたり、怪談で背筋をゾクゾクさせるような類の事だ。
それに比べて“気温の調節”とは。皇国はやる事の規模というか、レベルが違う。
つまりこの船は任意に“冷気”を発生させている訳で、魔法のようである。
荷物を纏めつつ客室内を見ると、まさに宮殿の一室だ。
天井の高さや個室の広さは流石に陸上の宮殿のようには行かないが、その分調度品のレベルが高い。
それに椅子や机や寝台といった基本以外にも、蛇口を捻ると水が出てくる洗面台にはエレーナも驚いた。
「これだけの巨船。しかもハンモックではなくベッドを完備した個室が何十とあるのだから困ったな」
「随所に陶器やガラスの調度品もあります。戦う事を一切考慮していないから出来る芸当ですね」
「皇国の強力な軍艦と同等のものが彼らの世界の標準なら、多少の武装は無意味だろうから軍艦とそれ以外がハッキリ分かれているのだな」
「それにしても木目から計算されて作られている家具を見ると、この威容だけで十分に“軍艦”と言えるのでは? 我がイルフェスで快速豪華客船を自負している船主が見たら、心が折れますよ」
この船だけでもその影に皇国の威信を見、戦わずして屈服するしかないと思わせるのに十分だ。
次元の違う戦闘方法を前提に設計され実感が湧き難い軍艦より身近な分、直接的に訴えてくるものが大きい。
他の部屋の侍女達が持った感想はもっと漠然としたものだったが、エレーナ以上に圧倒されたのは間違いなかった。
食堂は夕食の準備中という事で入れなかったが、代わりに入った喫煙室の広々とした事。
完全に室内なのだが、窓以外にも天井のステンドグラスから差し込む光と室内照明の光で暗さは全く無い。
ここではお茶と軽食に酒と煙草の準備があり、イルフェス王室御用達のワイナリーから買ったらしきワインもあった。
「出航後、御夕食の準備が整いましたらお迎えに上がります。必要なものがあれば何なりと申し付け下さい」
と言って船の給仕係が部屋の外で待機する。
侍女達は覚悟していたものの、実際に乗船した事で緊張していた。
氷川丸は皇国船であるから、船内は皇国の領土の延長と見做される。
つまり法律やその他の戒律は全て皇国のものが適用されるという事だ。
船という閉鎖空間では逃げる事も叶わないから、何か不当な扱いをされないかと気を揉んでいるのだ。
「案ずることは無かろう。私を人質に身代金を要求するつもりなら、ここまで手の込んだ事はすまい。それに私も戦士の端くれ。不逞な輩が居るならば道連れにしても王族としての誇りは守る」
「貴女達、自らの不安を殿下に慰めて貰うなど、殿下にお仕えする身分として恥と知りなさい」
女官長兼警護隊長である伯爵令嬢リリア=ミラルディンは、厳しい態度で侍女達を叱責する。
王女達を部屋に送り終えた船長と航海士達は、後を客室係に任せて船橋に戻り、出航の最終確認に入った。
異世界の異国の王女を乗せた氷川丸が走り出すまで、もうすぐである。
抜錨された氷川丸から汽笛が鳴らされ、スクリュープロペラの回転数が上がると、船が動き出す。
港の近くでは西大陸の船も多いからあまり速度は出さないが、沖に出てしまえば通航量はぐっと減る。
船は昼過ぎに出航したが、日が沈む頃には船速は15kt以上を維持していた。
今回は政治的にも重要な船客を乗せている為、特別に海軍艦艇が専属で護衛に就いている。
巡洋艦に駆逐艦や潜水艦が、氷川丸からは見えない位置に先回りして哨戒し、無線で航路の状況を報告するのだ。
氷川丸から皇国軍艦の船影が見えてしまえば、見守られているより見張られているように感じるであろう故の配慮である。
日が暮れても明るい船内を照らすのは蝋燭やランプの灯りではない。
皇国の軍艦や陸上施設でも使われている電灯だ。
火種を気にすることなく、つまみ一つで点灯と消灯を切り替えられるし、ガスランプよりずっと明るい。
同じ明るさを既存のシャンデリアで再現しようとすれば、膨大な数の蝋燭が必要になるだろう。
一等特別室には浴槽付の風呂もあり、蛇口を捻れば海水でない水(湯)が出てくる。
船上での風呂など、普通は濡らしたタオルで身体を拭くくらいが精々で、こんなに潤沢にお湯が使えるなど、贅沢の極みだろう。
勿論、エレーナの寝室が船内で最も上等な特別室であるからというのもあるが、それより格下の一等船室、二等船室、今回は未使用だが三等船室でも共同浴場はあって、船内で暖かい湯を浴びれるのだから、船内設備の充実具合だ。
「晩餐の準備が整いましたので、食堂へどうぞ」
船内でエレーナを持て成す食事は、この世界の宮廷料理とも似ている元世界の西洋式料理が主だが、皇国客船ならではの和式料理も提供された。
料理長自慢のフランス料理のフルコースは、イルフェス国王すら食した事が無いであろう程に洗練されているとエレーナを感服させ、皇国伝統の懐石料理は、見た目の華やかさこそフランス料理に譲るが、
繊細な盛り付けや出汁の効いた味の豊かさは決して劣るものではなく、下拵えや匙加減というものが料理の味を大きく左右する事を知らしめた。
料理にとって肉や魚に塩や胡椒、砂糖などの香辛料や調味料が多ければ多い程“高価”であるのは確かだが、それが即ち“高級”で“美味”だというのは、必ずしも正しくないようだ。
さらには料理がどうの以前に、この真夏に出航後数日が経っているにも関わらず、鮮度の保たれた生肉や生魚、生野菜等が当然のようにテーブルに運ばれて来る事に、侍女達も驚きを隠せずに居た。
毎日の食事は何れも趣向が凝らされた“ちゃんとした料理”で、硬いパンに塩漬け肉が定番の船上の食事情の常識などどこ吹く風。
しかも朝食、昼食、間の軽食、夕食に夜食それぞれが、味も量もしっかりした“ちゃんとした食事”なのだ。
人員が少ないのと、それ程長旅ではないという事を勘定に入れたとしても、ここまでのものはエレーナにとっても予想外だった。
初日と2日目くらいまでならまだしも、毎日なのだから。
船内では各種の催しや夜会も行われ、皇国軍艦が洋上の要塞ならこちらは洋上の宮殿といったところか。
船という制限もあるので広さそのものは陸にある城館に勝てないが、天気が良ければ海風を受けながらの日光浴、甲板を散歩したりといった軽めの運動すら出来るのだ。
船旅といえば動揺に耐えながら、暗くてジメジメとした狭い部屋で、不味い料理を食べつつ半分腐った水を飲み、忍耐力が試されるものというのが常識だが、この船に限ってはそれは通用しない。
揺れるといっても既知のどんな船よりも揺れ方は静かで、かなり大きな波を横から受けてもそう大きく揺れない住環境。
手の込んだ美味しい料理に新鮮な飲料水、上等な酒、これが1週間経っても滞りなく続くのだから魔法のようだ。
上流階級用に、皇国内でも選りすぐった船を用意したのだろうが、それでもこういうものが元からある訳だ。
最初から無いものは用意できないのだから、もっと下級の平民用の客船が別にあっても、この船の価値は揺るぎない。
船長の振る舞いもそうだし、給仕人も揺れる船上での手馴れた動作で、彼等が相当な訓練を受けた職人である事は容易に解る。
皇国の誇る客船氷川丸は、凡そ3400浬の行程を10日間で、平均速度15ktという快速で運航された。
この世界の従来の帆船であれば追い風でも1ヶ月以上はかかる航路を、2週間と要さずに突っ走った訳だ。
何も無い大海原だと、自分の乗っている船の速度も把握し辛いが、陸地が見えて来ると、景色の動く速さから改めて皇国船の高速力を感じる事になる。
皇国近海に入ると、帆を張って走る船にも出くわす様になった。
皇国船の全てに帆が無いという訳ではないようだ。
ただ、帆がある船といってもエレーナが良く見慣れた自国の商船や軍艦とは、大きさも形も違う。
大型船は殆どに帆が無く、小型船ほど帆のある船が多いが、船形は全体的に細長いものが多い。
皇国的には中型か小型に分類されるだろう船達も、エレーナから見れば殆ど“大型”なのだが。
そんな中、一層際立つ灰色の巨大船が接近してきた。
巨体に似合わず、自分の乗っている船と同じくらい速い。
「あの船は?」
「殿下をお迎えする為に参りました。我が海軍の精鋭軍艦、比叡です」
出迎えたのは横須賀に停泊中だった戦艦比叡。
新鋭ではないが古参の精鋭だから嘘は言っていない。
礼砲用の旧式カノン砲から、19発の空砲が発射される。
「これが皇国軍の……戦列艦か!?」
あまりにも巨大な船体に、巨大な砲。
砲弾重量は130バルツで、25マシル以上の射程があるとは知らなくても、その威圧感たるや海を走る要塞そのものだ。
シュフの港で見た皇国軍艦も相当な巨大船だったが、それと比べても圧倒的。大人と子供のようだ。
遠近感が狂うのだが、巨大な旋回砲塔の下の舷側にある小さな砲が、エレーナがシュフの港で見慣れた皇国艦の主砲と同じものだろう。
それですら巨砲に感じたのだが、あれが豆鉄砲のように見える。
もし戦わば、イルフェス王国海軍の全力で当たっても、近付く事さえ不可能だろう。
皇国海軍が本国にこんな物を隠し持っていたとは、エレーナの予想の遥か上であった。
いや、話には聞いていたが実物を見るまでどうしても現実感が湧かなかったのだ。
実はこれより大きい戦艦が皇国には8隻居るのだが、最初に一番大きなものを見せるより、小さ目を見せて驚かせてから、さらに上を見せた方が衝撃も大きかろうと、秘密である。
だから、お出迎えは戦艦比叡で、お見送りは戦艦長門で……という手筈になっている。
軍事に明るい武闘派の王女に見せつければ、他の誰に語らせるより説得力を持って皇国の武威を宣伝してくれるだろうから。
比叡によって浦賀水道をエスコートされた氷川丸は、無事に目的地である横浜港へと接岸した。
横浜港に到着した氷川丸から下船したエレーナは、そのまま国鉄の横浜港駅へ案内される。
国賓用の御料車によって編成された特別列車が、絢爛豪華な内装で王女を出迎え、横浜港駅から東京駅まで、途中停車無しの王女専用ダイヤで運行されるのだ。
横浜港駅では、新世界の王族の初の皇国上陸、初の鉄道乗車という事で、新聞記者等の報道関係者が大勢、写真機や動画撮影機を持って待ち構えていた。
アメリカ製の総天然色撮影可能な最新の動画撮影機まで、持ち込まれていた。
また、記録した映像に重ねるつもりなのか、後でラジオ放送でもするつもりなのか、録音用のマイクを向けている者も居た。
皇国の要人や俳優等であれば、自分に向けて焚かれる写真機のフラッシュの嵐には慣れっこだが、この強烈な光を初体験のエレーナは発砲か何かと思ったのか、咄嗟に腰の剣を抜きそうになる。
絶対成功でなければならない国賓の接待が“逆生麦事件”にでもなったら大事。
内務省肝煎りで警視庁や神奈川県警察本部から派遣された警察官が、互いの間に割って入って仲裁する。
「この国の民は、殿下を何と……無礼千万です!」
「無礼をお許し下さい王女殿下。我々の多くも、殿下の御訪問を心待ちにしておりましたので、少々舞い上がって居るのです。あの光を発する道具は無害ですので、案内のままにどうぞ」
随行する侍女や警護兵は、皇国式の“歓迎”に戸惑いと苛立ちを募らせるが、当のエレーナは飄々として、何事も無かったかのように歩みを進める。
「船の内装もそうだったが、この列車の内装も凄いものだな」
「はい、王室や貴族の馬車ですらここまでのものは……。これだけ巨大な車両を一つの工芸品として作り上げるには一体どれだけの職人が手間暇かけたのやら」
「車内に広間もあれば厠もある。これは車体の大きさならではだ。馬車では無理だ」
「こんな巨大な車両が馬車より速く走るのも、信じ難いですが……」
「この景色の流れる速さからすれば、信じるしかないだろう」
約40分間の鉄道の旅で、エレーナは外の景色が段々と異様になって行くのを感じていた。
港を出てすぐは、それ程驚く事も無かったが、東海道本線に合流した辺りから、『皇国』というものをまざまざと見せ付けられる。
鉄道の沿線には町や村、田畑が途切れる事が無い。
つまり多くの人々がそこで暮らしているという証拠だ。
平民が暮らしているのであろう建物自体は、軍艦の威容などと比べそう大したものでも無いが、とにかく密度が高い。
大陸では列強国と言えども、町や村を少し離れれば文字通りの未開地が広がる。
町から歩いて1~2日で往復出来る範囲を出たら、もうそこは人の手の入らない土地。
陸の孤島のように点在する村々を繋ぐ道からの景色は、深い森か何も無い平原のどちらか。
王都や大都市を繋ぐ街道でも、その間にある宿場町の周辺は他の田舎道とあまり変わらない。
数十マシルの街道に渡って人々の生活地域が途切れないというのは、凄い事なのだ。
これだけの距離、範囲を開拓した皇国だからこそ、あれだけ強大な軍事力を持てるのだろう。
「しかし、都市の近くにこれだけの広さの農地を持ちながら本当に食糧が足りないのか、皇国は……」
「全てが口に入る物では無く、油を採ったり衣服に使うのだとしても……ですね」
イルフェス王国の誇る穀倉地帯と比べても遜色ない広大な農地に、よく整備され手入れの行き届いた田畑。
列車から見える範囲だけでも、数十万人くらいは食わせられそうに感じる。
進行方向右側がすぐ海で、左側には遠く山が見えるくらいだから農地として使える土地が思ったほど多くなさそうではあるが、それにしてもである。
皇国の誇る近代的な赤煉瓦の駅舎が眩しい東京駅に、専用列車が到着する。
正面玄関は駅舎の西側。丸の内である。
“国賓”であるエレーナを、皇国の国民が一目見ようと詰めかけ、皇国の国旗とイルフェス王国の国旗を手に待ち構えている。
皇室や王室専用の貴賓出入口を通ると、駅前広場には王女を迎えに待つ黒塗りの自動車が停車してある。
エレーナと近しい者は御料車として用意されたリムジンに、他の随員は大型の乗合自動車数台に分乗する事になる。
この世界で“車両”と言えば馬車か人力の荷車であり、人が牽くでも家畜が牽くでもなく、自力で走っている自動車が何十、何百と走っている東京の風景は“異世界”そのものだ。
「ここが、皇国の都か」
エレーナが初めて見る異世界の皇都は、広大だった。




