番外編22『大内洋決戦機』
昭和16年、海軍が次期主力艦上戦闘機の開発を考え始めた頃、陸軍も次期主力戦闘機を模索していた。
空母から離着艦する必要のない陸上機だから、そのための装備を必要としない分、海軍機よりも高性能を目指すのは当然である。
次世代エンジンとして重点研究されているジェットエンジンがモノになるまでは、従来型のレシプロ機で行かねばならない。
だから『最高のレシプロ戦闘機』である事が宿命付けられた。
海軍機が最高速度360kt。つまり600km/h台なのに対し、陸軍機は700km/h台である400ktを要求された。
今後の5年、10年を考えれば『最低でも700km/h』というのが主力戦闘機に求められる性能である。
というのが、陸軍航空隊の想定であったのだ。
内地から飛び立って朝鮮上空で戦うとか、朝鮮から飛び立って満州上空で戦う。
あるいは満州平原においても、各地の飛行場から決戦場へ戦力集中する事が可能という意味でも、航続距離(戦闘行動半径)も相応に求められ、全力戦闘30分+1200km以上(増槽なし)/2000km以上(増槽あり)という、それまでの防空戦闘一辺倒的な陸軍機とは違い、軽戦闘機や双発戦闘機に求められていた進攻戦闘機としての能力を、単発単座の重戦闘機に盛り込んだのだ。
基地防空だけでなく、敵地上空で迎撃に上がってくるソ連軍の戦闘機を撃ち落とすのも任務!
実際、双発戦闘機は戦闘機としては単発機に劣り、爆撃機や襲撃機としては専用機に劣る、中途半端な機体が出来上がってしまう事頻りだったため、特殊任務用途としてはともかく『主力機』として戦列に加わる事は任せられない。という評価が陸海軍で共通だった。
ソ連軍相手に数的優位を期待するのは愚かだ。
だから、質的優位を何としても確保せねばならなかった。
気楽な海軍(本人達は、全くそんな事は無いが)とは違って、陸軍はいつでも決死の覚悟なのだ。
実際、皇露戦争だって決死の覚悟でやって、そのとおりに“瀕死の状態”まで戦った。
あと3ヶ月か半年、戦争が長引いていたら、皇国陸軍は本当に死んでいただろう。
欧州大戦後のソ連との幾度かの“国境紛争”も、皇国軍は決死の覚悟でやって、その度に“瀕死の状態”になった。
これは現地の小規模部隊が瀕死の状態になっただけで、本国の主力師団は特に何も無かったが、これが本国の部隊も遠征に加わる『本気の総力戦』で同じ事になったら、いよいよ東亜の、皇国の危機だ。
その時にはアメリカも指を咥えては居ないだろうが、矢面に立たされる皇国軍があっという間に崩壊したら、アメリカ軍の出番も無くなる。そしてアメリカだけに負担を押し付ける格好になり、皇国の立場も無くなる。
ドイツとソ連は欧州方面でも火種を撒き、西はスペインから東は多数の東欧諸国を巻き込んで“実戦経験”も豊富である。
勝つためには。少なくとも負けないためには、前に進むしかない。
現代戦は、天才的な将軍の采配や個々の兵の敢闘精神で何とかなるものではないのだ。
優れた指揮官や士気旺盛な兵は、無いよりはあった方が良いが、それを頼りに作戦は立てられないし、それを前提に立てた作戦計画では、いずれ限界が来る。
凡庸な指揮官と凡庸な兵でも何とか戦えるようにせねば、圧倒的多数の敵軍は撃ち破れない。
現実的に、海軍の支援を一切見込まずに大陸での戦争を遂行するのは不可能だが、心意気としては、陸軍単独でもソ連軍と正面決戦を遂行して勝利するべく準備する。
そういう思想の元で、新型戦闘機は『大東亜決戦機』として、ソ連製よりも高性能と目されるドイツ製のメッサーシュミットやハインケル、フォッケウルフ等の戦闘機をも駆逐するべく、国運を賭ける勢いで開発が進められた。
実際、まだ少数ではあるが極東ソ連軍も輸入したドイツ製戦闘機の配備を始めていたのだから、杞憂ではない。
完成した頃には『大東亜』など存在せず『大内洋広報機』として皇国の武威の宣伝として専ら使用される事になったが、ひとたび実戦となれば猛禽の如く。
高性能の過給器付き発動機と、アンチノック性に優れた100オクタンを超す新型ガソリンによって、巡航速度ですら飛竜の4倍。最高速度ならば飛竜の7倍以上、急降下すれば8倍以上という『疾風』は、その名の通りに飛竜隊を切り裂く風となり、『(速過ぎて)見えない戦闘機』と渾名される事になる。




