番外編20『賢者の石』
『賢者の石』を捜索せよ。
近衛騎兵連隊にこのような極秘命令が下ったのはつい先日の事である。
『賢者の石』とは、あらゆる卑金属を貴金属(主に金)に変えるための触媒となる聖なる石だとされる。
伝説によれば、超古代、人類が魔法文明を有していた頃、人々は『賢者の石』を使って多くの卑金属を貴金属に変えたとされる。
最初に『賢者の石』を有した古代アラシエス国王は、銅や鉄を金に変える事で豊富な財源を確保し、政治、軍事、経済で常に最先端を行っていた。
しかし、『賢者の石』の製法が外部に漏れ、他国もこぞってそれを造り出すと、アラシエス王国はみるみる活力を失ったという。
アラシエス王国はそれまで以上に鉄や銅を採掘し、それを全て金に変えていったが、何故かアラシエス王国の国庫は満足な状態にならない。掘っても掘っても、変えても変えても、物資は満足にならない。
物価の異常な高騰のためだ。世界初のハイパーインフレである。
それまで、金貨1枚で買えていたものが、あれよあれよという間に金貨1万枚必要。などという事態が常態化した。
1万枚の金貨を得るために1万の鉄を1万の金に変えると、不思議な事に必要な金貨は10万枚になっていたのである。
程なく、アラシエス王国は経済的に崩壊し、アラシエス王国と錬金術を競っていた他国も共倒れした。
『賢者の石』は、富を生み出すどころか大量の貧民を生み出した。
人々の強欲さに厭きれた神は、人間から『賢者の石』を取り上げ、製法をも人々から取り上げた。
人々がそれまで『賢者の石』によって創り上げてきた『邪な金』は全て元の金属に戻され、鉄鉱石などの原石として地中深くに埋められた。
しかし、伝説によるとその時、神は既に大量生産されていた『賢者の石』の回収に失敗していた。取りこぼしがあったというのだ。
その後、人類は錬金術を除いた魔法文明を成熟させた後に大魔法使用の戦争により壊滅、再び『神による調停』が入り、今度こそ魔法も錬金術も無い、現在の人類が誕生する。
だが、その「現世人類文明」の歴史書に、多くはないが『賢者の石』を用いたとされるものがある。
『賢者の石』は魔法がないと造れないとされることから、それはつまり超古代魔法文明で製作された『賢者の石』のうちの1つであるという推測が成り立つ。
オリジナルが幾つ残っているのかは不明だが、東大陸、西大陸で同様の史料が存在するので、世界中に複数が散逸しているのではないかと言う歴史学者、考古学者もいる。
しかし確実な事は、『賢者の石』があれば“短期的には”非常に財源が潤うという事である。
“中・長期的に”見れば、破滅への道なのは伝説からも容易に解るし、一般に『賢者の石』とは『貧者の石』とも揶揄されるようなマイナスイメージの物である。
それを、国王自らが近衛連隊に命じて捜索させるとは、尋常ではない。
リンド王国を含む殆どの国では、『賢者の石』の単純所持は死罪なのだ。
単純所持では「磔」、使用をしたとされれば「磔のうえ死ぬまで拷問」という、殺人罪(絞首、斬首、または火炙り)に匹敵する、あるいはそれ以上の罰則が定められている。
金鉱業者や金融業者などは、身元を厳重に確認されたうえで、定期的に『賢者の石』を使用していないか極秘の査察が入る徹底振りである。
『賢者の石』を使用したとされ、凄惨な拷問の末に死んだ者も多い。
皇国の元居た世界の西洋で「魔女狩り」が行われたのと同様に、この世界では中世に「賢者の石狩り」が行われたという悲劇の歴史がある。
現在では、大半は冤罪であったとされ、名誉も回復されているが、それでも一部、本当に『賢者の石』を使用したとしか考えられないような例があるのだ。
特に、一代で巨万の富を得た成金に疑いの目はかけられる。
成金の居た地方や町に、『賢者の石』伝説があれば尚更だ。
リンド王国にもそのような伝説が残る地が幾つかある。
その中で歴史学者が最有力と見ているのが、鉄鉱業が盛んなシュトルミーセンである。
シュトルミーセンは中世から鉄鉱石を採掘する労働者の町として発展し、現在は人口5万の大都市だ。
そして、シュトルミーセン伯爵であるアゼリー家は「成金」である。
初代シュトルミーセン伯爵であるモロウ・グシー・アゼリーは、今から約300年前に鉱山を開発したのだが、その開発に使った資金の元が、何処から来ているのか不明なのである。
アゼリー家は、それまでは貴族でも騎士でもなかった。
平民の富裕層とも言い難かった。首の皮一枚で中流といった程度の、実質貧民である。
その日食べるパンには困らなかった(ただし上等な小麦のパンではない)が、肉はまず食べられないし食べるといっても屑肉であり、酒も悪酔いしそうな安いワインが精々で、とても後に伯爵家となるような家柄ではない。それは、現在のアゼリー家でも“清貧”が美徳とされ、毎日上等な肉を食べて上等なワインを飲んでもまだ余るほどの金を持っているにもかかわらず、週に一度の休養日である日曜日の晩餐以外は、庶民の食べ、飲むような質素というか、伯爵家にはとても似つかわしくない“下品”な料理が並ぶ事でも解る。
勿論、貴族同士の社交界では上等なパンに肉、酒を飲み食いするが、それは“社交上必要だから”で、家訓の第一は“清貧”なのだ。むしろ代々のアゼリー家の人々は、他の根っからの貴族達を「庶民の生活も知らない、世間の何たるかも知らない」と、陰では嘲っていたとも言われるほどだ。
実際、他の貴族達には秘密だがシュトルミーセンの町の商人や医者、学者は勿論、時には貧民の家にまで上がりこんで共に晩餐を囲む(その際、代金は全部アゼリー家が持つ)という噂まである程、アゼリー家は異様だった。
その異様さが、『賢者の石』伝説の信憑性というか、神秘性を際立たせた。
「アゼリー家は今でも『賢者の石』を持っている」という噂は、後を絶たない。
しかし、初代から10代続いたシュトルミーセン伯爵家は、全く『尻尾』を掴ませなかった。
初代の頃は、リンド王国が戦争の武器に用いるために大量の鉄を必要としていたため、そのような『出所不明金』を探るよりもまず鉱山と製鉄所の経営を優先させ、資本金の件は怪しまれながらも不問とされた。
また、短期間で国内有数の鉄鉱山と国内初の大規模製鉄所を開発したという功績によって、シュトルミーセン伯爵の爵位を得た。
モロウ・アゼリーのミドルネームである「グシー」とは、中期リンド語で「鉱山経営者」を意味する。
伯爵位を叙爵してから、国王に授けられたリンド王国で唯一のミドルネームである。
以来、2代目以降は「グシー・アゼリー」を実質的なファミリーネームとして、代々鉄鉱山と製鉄所の最高経営責任者を世襲してきたが、リンド王国随一とは言え、所詮は「鉄」である。「金」とは価値が全く違う。勿論、鉄の方が遥かに価値が低い。
「生産量」では圧倒的だが、「利益」は決して大きくない。
勿論、その生産量からすると、思われるほど大した金額ではないというだけで、アゼリー家の上げる利益が巨額である事には変わりない。
実際に鉱山や製鉄所の経営状況を明らかにすれば良いのだろうが、アゼリー家は経営方法そのものを秘密にしているため、余計に怪しまれる。
特に、無学な平民よりも学のある貴族などが、疑うのだ。
『賢者の石』を。
無学な平民は、そもそも近代的な経済学というものを知らないし、『賢者の石』も何となく悪いものだという言い伝えしか知らないか、そもそも『賢者の石』など聞いた事もない。
貴族や学者は経済の基本を一応学んでいるし、『賢者の石』伝説は知れ渡っている。
だから、「ただの鉄」から「大量の金貨」を得ているアゼリー家が余計に理解できない。
それで、社交界では度々『シュトルミーセン伯爵の例の石』という話題が出る。
『賢者の石』など、実際口にしようものなら嫌疑をかけられて最悪死罪だから、『例の石』なのである。
リンド国王は、その『例の石』を捜し求めている。
しかも、命令は明確に『賢者の石』の捜索である。
近衛騎兵連隊長は、その命令を辞退したかったが、王の勅令である。逃げられない。
もしかすると、捜索に成功しても失敗しても命が無いかも知れない。
何で自分が。そんな思いも脳裏を掠めた。
しかし騎兵連隊では諦めの感もある。
捜索範囲が広いのは飛竜連隊だろうが、飛竜は貴重なので使えない。
歩兵も同様、軍の主力であり一兵たりとも無駄には出来ない。
だが、騎兵は対皇国戦に限っては、非常に分が悪い成績だ。
騎馬兵は飛竜兵よりは安価だが、歩兵よりは確実に高価だ。
だが、飛竜が偵察から爆撃を行い、歩兵が制圧を行うのに対して、騎兵は皇国軍の機関銃に撃ち倒されに行くようなものだと認識され始めている。
皇国軍は、貴重な馬を戦利品とするでもなく簡単に射殺するため、騎兵の損害が無視できない。
飛竜は、皇国軍の防空網により爆撃は殆ど行えなくなったが、偵察行動で『撃ち落されて帰還しない事で皇国軍の接近や防空態勢を判断する』材料になり、また存在そのものが戦略性を帯びている事から皇国軍の最優先目標になり、それが囮となって歩兵や騎兵、戦竜兵の移動を助けるという、皇国軍と戦うまでは絶対に考えられなかった『出血を前提にした戦略』が取れる唯一の兵科となっている。
飛竜と飛竜兵の数は漸減どころか激減しているが、その活動を停止する事は出来ない。
むしろ総数が減った分だけ個々の飛竜や将兵の負担は増す一方だ。
それに比べて騎兵の出番といったら……。
飛竜には難しい隠密偵察や、直接戦闘では敵部隊の撹乱、包囲、追撃が主な任務であったが、そのどれもが皇国軍の兵器と戦術に封殺されている。
まず、一番重要な偵察任務は、飛竜より時間がかかる割りに歩兵隊による偵察と成功率がさほど変わらない上、飛竜の激減によって必要な偵察活動が増えた事によって皇国軍の前衛と接触する機会が増えた事から損害が激増し、特に軽騎兵を中心に半身不随になっている。
敵部隊の撹乱、包囲、追撃に用いられるのは軽騎兵と重騎兵(胸甲騎兵)、竜騎兵(小銃騎兵)であるが、軽騎兵は主に偵察隊や側面包囲部隊として、竜騎兵は主に歩兵戦列の一部として消耗し、重騎兵が最も活躍する撹乱や追撃任務は、そもそも発生しなかった。
敵戦列を撹乱しようにも、皇国軍は『戦列』が不明で、何となく突撃しては機関銃に蜂の巣にされていた。
追撃任務は、戦竜隊の側面を防御しながら突撃を行う、最も華々しい活躍が期待出来る場面であるが、皇国軍が敗走するという場面が一度も無かった(敗走したと見せかけて撤退した事はあった)ため、重騎兵の投入も躊躇われ、自慢の胸甲も皇国製小銃の前には距離200mでも貫通するとあっては、騎兵の中で最も金食い虫の重騎兵が白い目で見られるのも仕方なしと言えた。
そして、近衛騎兵連隊は重騎兵連隊であった。
長い騎槍は連隊の誉れであり、各々の槍には略式連隊旗と、将校であれば自らの紋章が織り込まれた旗が靡く。
一般の重騎兵の胸甲よりも2割程耐弾性の高い最高級の胸甲は、近距離から撃ち込まれたマスケットも弾き返す。
重戦竜隊の突破力には及ばないものの、それに追従可能な機動力と防御力があり、しかも戦竜より安価である重騎兵は、長らく騎兵隊の中心で、故に近衛騎兵連隊の中心的存在は重騎兵である。
それが、胸甲を脱がされて『賢者の石』捜索連隊に鞍替えさせられてしまった。
『王の剣の刃(切先は戦竜)』と称され、場合によっては飛竜よりも高い地位にあった近衛騎兵連隊の末路としては、余りに惨めである。
脱がされた胸甲は、竜騎兵連隊へと充当されるのだという。
どうせ胸甲を着ていても銃弾が貫通するなら、死ぬまで誉れ高い胸甲と一緒に居させて欲しい。という近衛騎兵連隊長の『唯一の反逆』も、王の命令によって却下された。
近衛軍司令官も、苦虫を噛み潰すような表情で王の命令を実行した。
「陛下は御乱心された」
というのが、近衛騎兵副連隊長の言であるが、これは近衛騎兵連隊長への個人的な意見であり、間違っても『王の剣の刃』が発して良い言葉ではない。王を侮辱する罪、つまり不敬罪は重罪である。
近衛騎兵連隊長は、副連隊長を逮捕して軍法にかけるという選択肢もあったが、自身で副連隊長の言葉を否定出来なかった連隊長は、その場限りの秘密とすることでこの件を揉み消した。
誰に見送られる事もなく、シュトルミーセンへと出立する近衛騎兵連隊は、勇壮さとは正反対であった。
心なしか、馬も頭を垂れていたように見えたという。王の見送りさえ無かった。
シュトルミーセンに到着した近衛騎兵連隊は、市長でもあるシュトルミーセン伯爵を訪ねた。
現在のシュトルミーセン伯爵の名はキュルク・グシー・アゼリー。
まだ30代も半ばだが、民の信頼厚く、名声は高い。
「お初にお目にかかります。私は近衛騎兵連隊長のフュット男爵カートス・フュット大佐です。シュトルミーセン伯爵におかれましては――」
「堅苦しい挨拶は無しにしましょう、フュット男爵。それで、近衛が直接出向かれたというのはただ事ではありませんね。陛下は鉄の増産をご要望でしょうか?」
「いえ、その……伯爵閣下は、その……」
「その、何でしょう?」
「“賢者の石”をお持ちではありませんか?」
近衛連隊長は、部屋の外に聞こえないよう小声で言った。
「賢者の石ですか……まさか、男爵はあの伝説を信じておられるのですか?」
「いえ、しかし陛下が信じておられます。供出しろとの勅令です」
「まさか……もし、私がそんな物は無いと言ったら、どうされます?」
「伯爵閣下を連行し、拷問してでも在処を探し出せと、陛下は御命令されました」
「そんな物……無いものは無いとしか言いようがありません。鉄の増産には幾分対応できますが、そのような勅令……」
「本当に無いのですか?」
「ありませんよ。あったら欲しいくらいです」
「……では、閣下を王都まで連行するしかありません」
「なんと残酷な事を……私と私の家族、そしてこの都市の住民は王国と陛下のために、日夜働いて来ましたが……それに対する仕打ちが、拷問ですか?」
「アキニス大尉!」
「はい、大佐!」
カートスが、部屋の外で待機している中隊長を呼んだ。
「シュトルミーセン伯爵を連行しろ……」
カートスは、少し俯きながら命令する。
「はい……連行します。閣下、御同道願えますか?」
「それが、陛下の御意思ですか……」
カートスは、キュルクと目を合わせようとしない。
「男爵! 貴方は、何を命じているか解っているのですか!」
「これが陛下の御意思です!」
「!! ……解りました。そうですか、解りました……では、今後はこの国の鉄の生産量が2割は減る事を覚悟して下さい。私の息子はまだ幼く、妻にも鉱山経営の方法は秘密にしております故」
「賢者の石さえ提供して頂ければ、このような事はせずに済むのですよ!」
「何度言わせれば解るのですか。そのような物、本当にあるわけ無いでしょう。仮に私が持っていたとして、それを明かせば私は死罪でしょう。どちらにせよ、私は磔か拷問かという究極の二択しか無いのですから、目を覚まして下さい、男爵」
キュルクの必死の説得にも、カートスは命令を覆さない。
覆せないのだ。
もし、何の手柄も無く王都に帰還しようものなら、処刑されるのはカートス自身とその家族である。
「本当はあるのでしょう? あると言って下さい。陛下は、今回に限っては磔の刑を免じて、無罪とすると仰りました」
「……何を馬鹿な、無いものは無いのです。何度言えば……」
「では、閣下が賢者の石を持っていないと、証明して下さい。そうすれば、私は閣下を連行せずに済みます。その事を陛下に報告します」
「男爵も教養があれば、“無い事を証明する事は出来ない”とお分かりでは?」
「では、連行するしかありません」
「この館と、鉱山、製鉄所を自由に捜索してもらって構いません。それで見つからなければ、私がそのような物隠し持っていない事、証明されるでしょう」
「平民と共謀して、平民の家に隠し持っているかもしれませんよね?」
「民まで巻き込むのですか? 王国軍の、しかも近衛の将校として、恥ずかしくないのですか?」
「もう良いでしょう。閣下……これも運命だと思って受け入れて頂きたい」
カートスは、もう問答は無用だとキュルクの言葉を遮った。
「そんな運命、御免です。無実の罪で拷問される運命を、貴方なら受け入れられるのですか?」
「それが陛下の御意思なのであれば……」
「そんな所だけ、陛下に忠誠を誓うのですか。さすが近衛ですね!」
キュルクはハハッ、と空笑いする。
「あの、大佐……」
「何だ、大尉」
「まずは、この館を捜索しましょう。それで見つからなければ――」
「そんな事をしている時間は無いぞ、大尉」
「しかし、これは道義に反します!」
「陛下の命に背く事が、道義に反すると言うのか?」
「……陛下の御命令が、間違っているのかもしれません」
爆弾発言だ。近衛の将校が、国王が間違いを犯した等と言えばどうなるか……。
「大尉。今の発言は、陛下への不敬と受け取るが?」
「しかし、伯爵閣下は無いものは無いと仰っています」
「それを証明出来なければ、無い事にはならん」
「そんな無茶な……大佐、まるで人が変わったようです。残念です」
「残念なのは私だよ、大尉。憲兵! 大尉を連行しろ。罪状は不敬罪だ」
「無茶苦茶ですね、男爵。部下を謂れ無き罪で逮捕ですか」
「一緒に伯爵も連行しろ」
キュルクの言葉を完全に無視し、カートスは憲兵にキュルクの連行も命じた。
「国が滅ぶ時というのは、こういう時なのかも知れませんね。男爵?」
「伯爵を黙らせろ!」
憲兵はキュルクの口に布切れを押し込み、強引に口を塞いだ。
キュルクは完全に軽蔑した目でカートスを一瞥すると、そのまま憲兵に連行されて行った。
「伯爵の家族も全員拘束し、王都に連行する」
カートスの最後の命令は、無慈悲そのものであった。




