西大陸編09『鉄の暴風に曝されて』
「敵軍は総攻撃の様子だな」
「あんな大軍を相手にするのは、満州以来です」
「今回の相手はソ連ではない。相手に戦車は無いが、だがあの数は脅威だぞ」
「はい。満州の時と違って、我々の数が圧倒的に少数です」
「敵の飛竜の動向が不明なのが気にかかるが、場合によっては高射砲兵も対地支援射撃に使う」
「了解です」
「戦車隊、対戦車隊、歩兵砲隊、機銃隊、射撃を開始せよ。小銃隊も各個に応戦しろ」
「はっ!」
異世界に上陸した皇国陸軍が、その持てる力の全てを解放しようとしていた。
腹を殴るような地響きを立てながら、敵軍の砲弾は炸裂する。
吹き飛ばされる人、人、人。全て味方の兵士である。
歩兵隊が命令されたのは1秒間に2歩のペースで歩き、射点に着くことだ。
だが、射点までは4シウス(≒800m)はある。速足でも8分以上はかかる距離だ。
敵兵士1万が1分に3発撃つと考えれば、1分で3万発。命中率0.5%とすると150人。8分で1200人が死ぬ。
1200人である。1個連隊が全滅するに等しい。しかも、敵はそれを射点に着く遥か手前で成し遂げる。
それに……これは悪い冗談のようだが、敵の射撃速度は1分に3発どころではない。
“1秒に3発撃っている”と言われても信じてしまえる程の激しい銃砲撃だ。“1分で1個連隊が壊滅”しているのではないだろうか?
中央部隊では戦竜隊が盾となり、歩兵の損害を抑えているが、その分戦竜の損害が酷い。
皇国軍の攻撃は重戦竜の鎧すら貫通し、血祭りに上げる。
だがライランス軍歩兵隊の必死の行進は続く。あと数分耐え抜けば射点に着けるのだ。
「もう嫌だ! 俺は故郷に帰るんだ!」
1人の兵士が戦列を抜けて逃げ出し、隊に動揺が走る。兵士はその場で上官によって射殺されたが、動揺は収まらない。
むしろ「故郷に帰る」と言った兵士の言葉に刺激され、顔面蒼白になる兵士もいた。
「俺達は圧倒的多数で、勝つ戦じゃなかったのか!」
「おい、隊長! 撤退命令を出せ!」
兵士の一人が先頭を歩く中隊長に銃を向けた。
「貴様等……抗命罪は死刑だと知っての事か!」
「このまま進んでも、皇国軍に殺される! 隊長も死にたくは無いだろ?」
「…………」
中隊長は無言で兵士を斬殺した。
「前進しろ! 皇国軍の陣地まであと少しだ!」
「嫌だ! 皇国軍の小銃は1分間に10発撃てるって話だ。1分間に2発の俺達に何が出来るってんだ!」
「曹長!」
中隊長は自分の剣に付着した血糊を拭き取りながら言った。
「この臆病者を処刑しろ!」
「はっ!」
曹長は逃げようとした兵士をハルバードで一突きし、倒れたところを叩き殺した。
「いいか貴様等、前進しないものは死罪だ! 例外は無い! ……では前進再開!」
臆病者の兵士の死体をその場に置き捨て、行進が再開された。
「敵は逃げませんね……」
「よく訓練された兵士なのか、敵前逃亡罪が怖いだけか」
「どちらにせよ、向かってくる敵は撃てとの命令です。戦竜は戦車隊の攻撃でもう殆ど残っていませんから、問題は敵歩兵の数ですね」
「敵はまだ10万の兵力が残っているだろう。突撃されたら幾ら何でも、こんな簡易野戦陣地では持ち堪えられない。敵の士気を挫いて、逃げ散ってくれれば簡単なんだが、そうはさせてくれないようだ」
「弾薬の残りも気がかりです。一会戦分はありますが……10万を相手するにはギリギリか、もしかすると足りない可能性も」
「一撃必殺を言葉どおりに実践せねばならんという事か」
ライランス軍の砲兵隊は早々に壊滅し、歩兵隊との距離は300mになる。
皇国軍小銃兵の射程内であるが、“必中”を期す為にこの距離まで引き付けたのだ。大急ぎで作った浅い蛸壺に入って、膝撃ちの格好でライランス兵を狙撃していく。
それまでの戦車砲や機関銃のような“大雑把”な射撃と違い、一撃の火力こそ低いが狙い澄ました射撃はライランス軍の歩兵を恐怖に駆り立てる。
皇国兵はこの距離から“狙って撃っている”のだ。ライランス兵には出来ない芸当。前列の兵士が倒れ、次は自分かもしれないと思えば、恐怖は何倍にもなる。
迫撃砲、榴弾砲、重機関銃、軽機関銃、小銃、擲弾、手榴弾……今や、皇国軍の装備する殆どの火力がライランス軍の歩兵部隊に叩き込まれる形になっている。
その鉄量たるや同じ規模のライランス部隊の数十倍はあり、ライランス兵の屍は加速度的に増えていく。
機を見計らって突撃しようとした騎馬兵隊も、機関銃や小銃に狙撃されて倒されていく。
何か目立った行動を行ったものは、即座に鎮圧されてしまうような状況に、ライランス軍の司令官は胆を冷やしていた。前線に撤退命令を伝える伝令隊さえ出せないような状況なのだ。
前線では、“後ろ向きで撃たれる”人数が増えてきた。
前線指揮官の、あるいは兵士の独断で退却する部隊が増えているのだ。それは退却というより、逃走といった方が的を射ているだろう。
兵士達を繋ぎとめているのは、国王や国家への忠誠心、自らの誇りなどではなく、敵を倒して得られるであろう戦利品や、逃走した場合に上官に殺される恐怖である。
指揮官陣頭の隊列。既に多くの部隊で“逃走する部下を射殺する立場にある上官”は戦死している。
あるいは上官自ら、逃走を図ろうとしている。そして前進すれば死あるのみ。となれば我先に戦場から逃げ出そうとする兵士達が大量発生するのも自然な事だ。
銃声と爆音の響く堵殺場と化した戦場で、ライランスの兵士達はどこに逃げれば良いのかすら判らないまま、ただどこかに逃げ続けた。
皇国軍歩兵隊の一部は戦車に跨乗し、時速15km以上の速度でライランス軍に迫る。残りの歩兵隊も駆足で戦車部隊を追いかける。
対するライランス軍は無統制の状態で各々が逃げ惑うばかり。これならライランス軍追撃に間に合うだろう。
「走れ走れ! 歩兵は歩くだけが仕事じゃないぞ!」
ライランス兵の中には、少しでも身軽になって逃げるために武器や背嚢を捨てる者もいた。それでも、平原を疾走する戦車から逃げる事はできない。
57mm砲や6.5mm機関銃、6.5mm小銃で次々と打ち倒されていく。
密集隊列で進軍していた10万の大軍は、1/3を失い、残りの2/3は右往左往。走ってきた味方に踏み潰されて死んだ者もいる。
「降伏だ。すぐに降伏の旗をかざせ」
ライランス軍司令官は上着を脱ぎ、部下に“白旗”の準備をさせた。
司令部に翻る軍旗に、司令官の上着が掲げられた。
また、それとは別の旗竿に、ベッドに使っていた白いシーツを結び付け、“白旗”を作った。
二人の旗手が司令部から歩み出て、それぞれの旗を目一杯振る。
数分後、皇国軍からの“鉄の暴風”は止んだ。
軍司令官は、各級部隊に混乱の収拾と秩序の維持、堂々たる降伏を命令すると、馬に乗り、数名の衛兵を率い白旗と軍旗を伴って皇国軍部隊へと向かった。
皇国軍派遣部隊司令部では、安堵と共に今後の対応を検討していた。
「なんとか燃料、弾薬は保ちました。ただ、敵が降伏した事で、数万の捕虜を得る事になるわけですが、彼らに与える水や食糧が足りるかどうか……」
「それは不味いな。この辺りで買い付けられないものか?」
「おそらく、ライランス軍が既に買い占めていて、現地民はこれ以上の食糧の売却には応じてくれない可能性が高いでしょう。交渉はしてみますが」
「敵の主力が降伏した事で、イルフェスまで戻る事になるが……イルフェス国内で買い付けるか?」
「それは、イルフェスが嫌がるでしょうね。10人や100人ならともかく、数は数万で、しかもイルフェスが得た捕虜ではないのですから」
「こういう時、イルフェス軍ならどうすると考えるか?」
「ライランスの将兵なのですから、ライランス国内からの買い付けか略奪で食わせるでしょうね」
「買い付けは良いとしても、陛下の臣である皇軍の将としては、略奪はまかりならん」
「はい。いっそ将軍や将校のみを捕虜として、兵士は捕虜にしないという事では如何でしょう? 数万の兵を食わせてやる負担を考えれば、その分の身代金を取れるとしても割に合うかどうか」
「確かに将校だけであれば、負担は少なくなるな。だが、それでイルフェスは納得するか? 敗残兵がこの地域の住民を襲う可能性も否定できない。野放しにするのは危険だ」
「司令部に問い合わせてみます」
「どちらにせよ、今は敵軍の将兵全員を捕虜として扱うしかないだろう。まだ敵軍は混乱を収拾できていない。そのまま逃亡する兵も多かろうが、速やかに隊列を整えさせ、捕虜を伴ってイルフェスの司令部へ帰還する」
「了解です」
大量の捕虜を抱えた皇国陸軍師団は、イルフェス王国の駐屯地へと向かった。