番外編09『エレーナと三八式歩兵銃』
イルフェス王国王女エレーナの執務室では、軍の技術将校が細長い木製の箱を持って立っていた。
「これが2連発銃か?」
「はい、殿下。こちらです」
技術将校は箱の中身を取り出す。
「筒を2本にしただけか……」
「銃身を2本用意し、引き金を引くと左の撃鉄が、もう一度引き金を引くと右の撃鉄が落ちます」
「装填の手間も2倍ではないか? 左側の火皿は危険だし、しかもこれはかなり重い。銃身を2本にしたためだろうが、これでは保持するのにやっとで狙いが付けられん」
エレーナは左右の撃鉄を射撃位置まで動かし、引金を2回引いて動作を確かめると、銃を机の上に置いた。
「はぁ……しかし時間あたりの兵士の火力を倍近くに出来ます」
「どうせ製造コストは倍以上だろう。これでは企画倒れだ。皇国製の小銃のどこを参考にした?」
「あれは参考のしようがありません。火薬の組成から違います」
「そこを何とかするのが技術将校だろう?」
エレーナの机の上には、三八式歩兵銃の原寸大スケッチがある。
2連発銃と三八式のスケッチを見比べながら、エレーナはまだ何か言いたそうだ。
「三八式は部品の精度も殿下専用のマスケットと同等以上で、皇国はそれを数十万丁の単位で量産しているのです」
「職人の数が足りぬのか……」
「職人の数というよりは、工房の質です」
「王立工房でも、質が劣るのか?」
「ジリール銃の精度を見ていただければ、我が国の技術力がどの程度か、殿下ならお解かりになるでしょう」
「ジリールは良い銃だろう。あれ以上のものを量産できるのは東大陸のユラか……それこそ皇国だ」
皇国という名を反芻しながら、エレーナは三八式のスケッチを見つめていた。
「なんと申しますか、つまり皇国の技術力は次元が違います」
「皇国とて同じ人間だろう。それなのに我が国は三八式の模倣すら出来ないのか?」
「後装銃の理論は何とか解明できましたが、同じものを造れといわれてもそれは無理です。まず銃身の強度が違います。皇国製の強力な火薬を使ったマスケットを造ったら、間違いなく銃身は破裂します」
自信満々に無理と言う技術将校に、エレーナはまた何か言いたい所をぐっと堪えた。
「では銃弾を回転させる仕組み……ライフルと言ったか、あれはどうなのだ」
「ライフル理論を有効活用させるためには、弾丸が銃身と噛みあわなくてはなりません。つまり弾丸の口径と銃身の口径をほぼ同じにする必要があり、そうすると今までは隙間から適度に逃がされていた火薬のガスの逃げ場が無くなり、頑丈な銃身でないとやはり破裂します」
「破裂しない銃身を造るには?」
「銃身の厚みを増すのが手っ取り早いですが、そうすると重くなります」
「三八式の口径は3と1/4シクルだったな、ジリールの口径に比べてえらく小さいが」
「殿下もご存知のとおり、三八式の銃弾は椎の実型で細長いですから。まあそれでも、三八式の弾丸は軽いです。弾丸重量はジリールの約1/3です」
三八式のスケッチには、比較の為にジリール銃とその弾丸のスケッチもあった。三八式の実包も描かれている。
「だが威力は三八式の方が上だ。弾丸の速度が倍以上だからだな?」
「速度、形状、材質、この3点全てにおいて三八式が優れます」
「銃身内部にライフルを切る事は可能なのか?」
「それは可能です。ただ弾丸を上手く食い込ませつつ破裂しないようにするのが……」
「今までどおり、銃身の口径より小さい弾丸では本当に駄目なのか? そうだな、銃身の口径より1/8シクル口径の小さい椎の実型の弾丸で試してみろ」
「はい、それで実験してみましょう」
1週間後、エレーナの元に再び技術将校が訪れた。
「早かったな。で、首尾は?」
「はい殿下、実験は成功致しました」
「ほう……」
「発砲時のガス圧によって弾丸後部が膨脹し、上手く銃身と噛み合ってくれたようです。弾丸の最終到達距離こそ大した違いは出ませんでしたが、距離1/4シウス、半シウス、1シウスで弾丸のバラつきがかなり違いました。凡そですが、直径1/4ロシルの円形の的に対する命中率は2倍~3倍以上です」
「そうか、それはめでたい。では同等の以上の性能の銃と弾丸の量産は可能か?」
自分の案が成功を収めたので、エレーナは上機嫌だ。
「……それは難しいです」
「工房の質か?」
「はい。試作銃は、職人の手作業でライフルの溝を削っておりました。数が数丁、数十丁程度であればこれでも間に合います。しかしこれを数百、数千、数万と造ろうとすれば、とても間に合いません」
「職人の数を増やすにしても限度がある。工房の質を上げねば対処できないか」
「はい。素早く簡単に、そして正確に溝を削れる道具を量産し、それを備えた工房を増やしませんと」
「難儀なものだな」
「銃を大量生産するとなると、切削用工具自体の量産、工具の耐久性も必要です。現状の工具ですと、数本の銃身を削っただけで取り替えねばなりません」
「その手間を考えると、価格がかなり高くなるな」
「はい。殿下の銃……あれは名高いシェーフェン伯爵の作ですが、それよりも高くなるかもしれません」
それを聞いて、エレーナは改めて皇国の底力を思い知らされた気分になった。
王族のために、最高の職人が手間隙かけた入魂の一作よりも高性能なのが、皇国兵が扱う量産品の小銃なのだから。
「私の銃より高くなるか……それでは、価格的にも量産は無理だな」
「現状では、一部の熟練狙撃兵用に少数用意するのがやっとです」
「手元に三八式という見本があるのに、歯痒いな」
「もっと根本的に、鉄や銅等の生産、火薬の調合などから見直さねば、三八式には追いつけないと愚考致します」
「小手先の改革では永遠に追いつけないか」
先進技術というのは一朝一夕に身に付くものではない。
日々の鍛錬を欠かさず武芸を磨くエレーナにとって、それは身に沁みて解ることだ。
「皇国も更に先を目指しているでしょうから、小手先の改革では追いつくどころか差が広がる一方でしょう」
「皇国から技術者を招聘して技術指導を請うという案は、職人のギルドが猛反発して潰された」
「しかし、ギルドの協力なしには技術改革は進みません」
武器職人の殆どは、どこかの都市なり村を拠点とするギルドに所属している。
どのギルドにも属さない、あるいは王家お抱えの武器職人というのは、全体から見れば少数だ。
だから、武器の大量生産にはギルドの協力が不可欠だ。
エレーナはここだけの話だが、と断りを入れてから話を続ける。
「ギルドは、自尊心だけは無駄に高い。新参者に頭を下げるのが我慢ならんのだろう。傭兵ギルドなど、未だに長槍の密集方陣を訓練して満足しているのも居る。それで小銃隊を白兵戦も出来ぬ愚か者と馬鹿にしている。しかも契約金は青天井だ。陛下の国軍を志願兵と徴兵で賄えるようになった今、傭兵ギルドなどに用は無いのだが、かといって放置すると盗賊に成り下がる。既得権益にしがみ付く、どうしようもない連中ばかりだ。都市の職人ギルドも、根は大して変わらない」
薄笑いを浮かべながら、エレーナは暴言を吐いた。
王女という立場で、ギルドを批判するような言葉は、公式の場では絶対言えないだろう。
「陛下直々に、王立工房が皇国の技術者を招けば、都市のギルドも追従してくるでしょう」
「そう上手く行くものかな。今でこそ、鍛冶屋は小銃も造るようになったが、最初の頃は猛反発だったと聞く。弓職人も銃の導入に猛反発だったな」
「基本、彼等は保守的ですから」
「自力で改良してくれるならまだ大目に見ようが、それは少数派だ。大多数は、今ある物を伝承する事だけを考えている。全てのギルドがライフル銃の製作に意欲的になる頃には、私は生きていないだろうな」
自嘲するように笑う。
「ですが、少なくとも陛下は理解を示されました」
「私が陛下を説き伏せたのだ。陛下は、政治は良いが軍事には疎い。中古の三八式を輸入すれば、それでもうお終いとお考えになっている。もし故障したらどうするのか。日頃の手入れはどうするのか。皇国はそういう場合の技術指導も込みで三八式を売却すると言ってきているが、ギルド側が陛下を誑かしている。曰く、三八式は構造が複雑だから故障しやすい。曰く、三八式は連発銃だから弾薬の消耗が激しくなり、兵士は今までより多くの弾薬を持たねばならず、負担が増える。曰く、何も考えないでも当たるくらいに精度が良いと、兵士の武芸が発展せず、兵士個人の戦闘技量が落ちる。故に、従来型のマスケットの方が総合的に優れると」
「本当ですか……?」
「本当だ。それで陛下は悩んでおられた」
頭を抱えるような仕草で、エレーナはまた三八式のスケッチを見る。
「それで、殿下は何と仰ったのです?」
「娘とギルド、どちらの言葉を信用するか? と。三八式の構造が複雑なのは事実だが、不発率や故障率は従来型のマスケットより格段に低いのも事実だ。そして弾薬の負担に関しては、三八式の弾薬一体型の実包の方が軽いので、携行弾数を増やしても問題ない。武芸云々に関しては、これは阿呆らしくてな。私自身、武芸の修錬は行うが、そもそも何のために修錬するのか。戦場で生き残るため、敵に勝つためだ。修錬しなくても勝てるなら、それで良いのだ」
「我が国で一番武芸に通じておられる殿下にしては、随分とあっさりしたお答えで……」
技術将校は本当に驚いている。
この国で、あるいは西大陸で、いやもしかすると全世界で一番厳しい鍛錬に励んでいる戦士の言葉とは思えなかったからだ。
「三八式の射撃実演を見たとき、私は怯えたよ。あの皇国兵は、本当にただの兵士で、貴族でもなんでもない平民だ。軍に入隊してから、まだ5年と経ってないらしい。私は幼少の頃から厳しい修錬をして武芸を磨いてきたが、それを全否定されたような思いだった」
「殿下の行われてきた、血の滲むような修錬は皆が知っております。それを誰が否定しましょう」
「20年以上鍛錬に鍛錬を重ねてきた将軍と、皇国の一兵卒を比べて、皇国の一兵卒の方が上なのだ。私は武芸を磨く環境に恵まれていたからまだしも、他の貴族達はどうだ。武芸は貴族のたしなみだから皆それを磨こうとするが、それでも私に敵う貴族と会った事が無い。平民になると、もっと酷い。当然だが、平民は一部の例外を除けば武芸の鍛錬などしないし、軍に入隊しても大半の兵は使い物にならん。只々、行進して銃を撃つだけの訓練ではな。1/4シウスの距離で撃ち合って、我慢比べだ。一般兵にそれ以上の事は出来ない。逃げ出さずにいるという事だけで、よく訓練された兵士と見做される。剣術や狙撃術が全く駄目でも、そこに居て銃を持っていればな」
「訓練内容は、皇国兵もそれ程大したものではないのでは?」
「重要なのは、訓練した内容や時間ではない。結果が全てだ。一方は高性能の銃で簡単に狙撃出来て、もう一方の銃は倍の時間訓練してもなかなか命中しないとなったら、戦力価値が高いのは当然前者だ。個人技と精神力は大切だが、武器の性能不足を個人技と精神力で補うにも、限度がある。特に剣より銃は、個人技よりも銃そのものの性能差が出やすい。コルールとジリールを比べれば判るだろう。一般兵も近衛兵も、銃の訓練をする時間は殆ど変わらないのに、結果はジリールの勝利だ。試しに近衛兵にコルールを撃たせてみたら、結果は一般兵がコルールを撃った時とそう変わらない。逆に、一般兵にジリールを撃たせてみたら、これもまた結果は近衛兵がジリールを撃った時とそう変わらない」
「銃自体の性能が圧倒的に高いと、性能に劣る銃ではどんなに訓練しても勝てないという事ですね」
「そういう事だ。白兵戦になるとまた違うが、銃撃戦では銃自体の性能が戦闘結果に響く」
「それが、皇国軍とライランス軍の戦力の差ですか」
「我が国との差でもある。だから三八式は必要だ」
「しかし、殿下は三八式の導入が必要と言いながら、調達数は控えめでしょう? 1000丁程度では、近衛連隊分も充足できません」
「皇国の銃は高いからな。一級の狙撃兵の分だけあれば良い」
「では、一般の連隊の戦列歩兵は、このままの装備で良いと?」
「そうではない。一般の戦列歩兵にも三八式のような銃は必要だ。だから大佐、貴様に研究を依頼したのではないか」
「皇国は、我が軍の全ての連隊に行き渡る数の三八式を売却可能と言ってきていますが」
そう、皇国は最大で10万丁の売却が可能と言っている。
これは王国の戦列歩兵の数より多く、竜騎兵にも三八式が充当できる上に、予備まであるという計算になる。数としては十分すぎる程だ。
「三八式を大々的に輸入して、我が軍の主力小銃とすると考えよう。そうすると、銃本体も弾薬類も我が国では生産出来ず、皇国からの完成品の輸入に頼るしかなくなる。皇国軍が三八式の予備部品や弾薬の供給を止めると言ってきたら、こちらはにっちもさっちも行かなくなる。だから、三八式を少数輸入して研究目的に使うならば結構だが、主力小銃にするのは危険だ。軍の根幹である歩兵の、最も基本的な装備品調達の生殺与奪権を他国に握らせるわけにはいかん」
「故に、殿下は国産銃に拘るのですね」
「銃を完全輸入に頼れば銃器ギルドの仕事が無くなるから、という理由もあるがな」
フッと笑いながら、ギルドという言葉を口にする。
「殿下は、そこまでお考えでしたか」
「でなければ、王族などやっていられるか。すぐに三八式と同等のものを造れとは言わんが、後装銃、ライフル銃、連発銃、何れも将来の我が軍に是非とも必要な装備だ」
「殿下の提案された前装式ライフル銃であれば、今すぐにでもある程度の量産は可能です」
「そうだな。現状はそれで満足するしかないのだろう。今日の所は以上だ。そろそろ私も次の仕事があるのでな」
「はい。では我々は新型銃の開発を急ぎます」
「頼んだぞ、大佐」
敬礼をして部屋を出て行った技術大佐を見送ると、エレーナは私室に戻り侍女を呼んで服を着替え始めた。
今度は軍人としてではなく、王女としての役割が待っているのだった。