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皇国召喚 ~壬午の大転移~(己亥の大移行)  作者: 303 ◆CFYEo93rhU
番外編
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番外編08『ゲーベック中将の楽しい虜囚生活』

 ライランス軍の近衛歩兵師団長グリー=ゲーベック中将は、皇国軍のではなく、イルフェス軍の捕虜収容所に居た。


 捕虜といっても、貴族で近衛師団長である将官。

 兵を収容するような酷い場所ではなく、それ相応の場所である。

 しかも、イルフェス軍から御付の下士官が見張りを兼ねて身の周りの世話をするのだ。


「閣下。来客です」

「ユラの坊主なら、要らん」

「いえ……我がイルフェス王女、エレーナ殿下です」


 下士官と、正装した士官の案内で、軽装のエレーナが姿を現した。

 こんな場所であの鎧の訳は無いし、通常の軍服でも無い。普通の王族や貴族の女性が自室内で着るような、薄青色の普段着。

 勿論、武器は身に着けておらず、丸腰なのは言うまでも無い。


 エレーナの格好は肌の露出は殆ど無いのだが、どうにもだらけた感じだ。

 下手をすれば、いやしなくても、貴人用の下着か水着のように見える。

 まだ午前中で、公式の昼食会等ではないにしろ、普通の貴族の娘がこんな格好で出歩けば、嫌な噂が立つかもしれない。

 王族だから、あるいはエレーナだから許されるであろう格好だ。


「久しぶりだな、ゲーベック中将」

「そうでもないだろう。まだ一月と経ってない」

 お互い真顔で、そのまま取っ組み合いの喧嘩でも始めそうなピリピリとした雰囲気を作り出す。


「1週間も経てば、私にとっては久しぶりなのだよ」

「そうかい。随分と短気でおられる」

「その1週間で、怪我は治ったか?」

「おかげさまで、随分良くなったさ」

 そう言うお前が金属の篭手で殴ったんだろうという思いは当然あるが、それは表に出さないのが貴族の礼儀だろう。


「私は、あの後よくよく考えたのだ。中将は歩兵師団長だったな? という事は、徒での戦いの方が手馴れているのではないかと」

「何だ、つまりは馬上戦ではなく、徒での勝負をしたいと? それで再び私を笑いものにしようと? 趣味の悪い話だな」

「違うな。その話は、考えてはみたが勝負の結果が見えているのでつまらん。中将に幾らかハンデをやろうかとも考えたが、それでは貴族の面目が立つまい?」

「そうだな……。しかし、ならばわざわざ私の所に出向いたのは、何の目的だ?」

「今日は、キュリカの勝負をしてみないかと、誘いに来た」


 キュリカとは、皇国の居た元世界でいう所の将棋やチェスに近いボードゲーム。

 盤面は16×16というチェスの4倍の面積があり、駒の数も双方48ずつ。

 将棋のように取った駒が復活するルールは無く、チェスのように死んだ駒は永久に取り除かれるのだが、何せ広い盤面に多数の駒が入り乱れるので、決着が付くまで非常に時間がかかる。

 お互い本気でじっくりすれば、まず1日では終わらない。

 ゲーベックは、捕虜の身で暇なので良いのだが、エレーナにそんな暇な時間があるとは思えない。


「王女殿下は、そんなに暇なのか?」

「私は暇ではない。キュリカの勝負をしたいのは、彼だ」


 エレーナの後に隠れていたのは、男の子だ。絶対に兵士ではないと断言できる程に幼い。


「それは誰だ? そんな子供が、キュリカをするのか?」

「彼はメクーシーゼン伯爵の一人息子で、名はジュセロ。歳は、11だったな?」

 ジュセロは、11歳かという問いにこくこくと頷いた。

「口が聞けないのか?」

「いや、少し緊張しているだけだ。そうだろう?」

 また、こくりと頷く。


「で、その11歳のお坊ちゃんが、キュリカをするのか」

「私もな、キュリカは幼い頃からやっていて、王宮ではまず負けたことが無かったのだが……」

「まさか……嘘だろう?」

「今まで彼と5回やったのだが、一度も勝てん。だから、もし中将にキュリカの自信があるなら、彼を負かしてやって、世の中の辛さを教えてやって欲しい」


 ジュセロは、じっとゲーベックを見ている。

「……おじさんとキュリカしたいか?」

 こくり。

「おじさん、結構強いよ? 負けても泣かないね?」

 こくり。


 部屋の外では、メクーシーゼン伯爵家のメイドが、私物であろうキュリカ盤と駒を用意していた。中央から2つに折り畳める、持ち運びしやすいものだ。

 何だ、やる気満々ではないか。

「よし、じゃあやりますか」

 こくり。

「私は次の仕事がある。宜しく頼むぞ。負けても泣くなよ、ゲーベック中将?」

 エレーナは不敵な笑みを残して、その場をメイドと監視の将校、世話役の下士官に任せて去っていった。


 キュリカでは下手が黒で先手、上手が白で後手である。

 取りあえず子供と大人という事で、ジュセロが黒、ゲーベックが白だ。


 ジュセロは真剣な顔つきで、駒の並べ方も様になっている。

 ちゃんと、順番どおりに王の駒から並べていくのだ。

 だが、駒の並べ方くらい、教われば誰でもできる。問題は戦いの中身だ。


 ゲーベックは自分を強いとは言ったものの、それは昔の話。

 ここ数年は忙しくてキュリカから離れており、年に1回くらいではないだろうか。

 どうせ暇だし、どれ程勘が鈍っていないか試す意味で、ゲーベックは勝負を受けた。


 双方が駒を並べ終える。

「じゃあ、ジュセロ君からだな。宜しくお願いします」

「よ、宜しくお願いします……」

 この場に来て初めて喋った。声変わり前の、か細い声で頭を下げる。


 ジュセロが指した1手目は、定跡どおりのものだ。

 応対するように、ゲーベックも定跡どおりの手を返した。


 それで十数手、定跡どおりの手を進めた後、ゲーベックが悪戯に定跡から外れた手を指した。

 ジュセロの手が止まる。だがそれも一瞬で、ジュセロは何事も無かったかのように自分の手を指した。


 最初の十数手は、定跡どおりだったので殆ど自動的に駒を進めていた感じだが、三十手、四十手と駒がだんだんと動いてばらけていくうちに、お互いの思考時間が長くなる。


(もう5分くらい経つか……この歳で、よく集中が持つな)

 ゲーベックは、そんな感心をしていた。

 まだ騎士であっても元服前の年齢で、盤面と睨めっこして、何十分も集中が途切れないというのは正直凄い。

 平民の子はそもそもキュリカなどしないが、もししたとしても、こんな真剣な表情で何十分も居られないだろう。

 早々に飽きて別の遊びをし始めるに違いない。


 貴族や騎士の子であっても、剣術のような決着が解りやすいものより、序盤から中盤にかけては味方陣地の構築や、平行して相手の陣地構築の妨害、そこから終盤にかけては、目隠しして針に糸を通すような繊細さが求められる寄せと詰めを駆使せねば勝てないキュリカの方が神経を使い、かなり体力を消耗するだろう。


 10分程考えたジュセロが指した手は、しかし何の事は無い普通の手だった。悪手ではないが、こんなに長考せねばならない程の手ではない。


 お互い無言のまま、手数は百手を超した。

「そろそろ夕食の時間だから、続きはまた今度にしようか」

 ジュセロは頷き、また明日と言って部屋を出て行った。


 翌日、ジュセロは昼食後にゲーベックの部屋にやってきた。

 早速キュリカの続きだ。


「王手!」

 ゲーベックの戦竜の駒が、この戦いで初めての王手を指した。

 ただの王手であって受け手は幾らでもあるのだが、大駒である戦竜の駒に狙われたら、初心者ならそれだけで動揺する事もあるだろう。

 ジュセロはまったく動揺する事無く、即座に最善手で受けたので、ゲーベックは少し安心した。


 それから数手を指した時、ゲーベックは大きなミスをした。

 あ、しまった。と思った時には遅かった。戦竜だ! 騎兵の居た場所が空いたので、道が開けて飛竜を取られてしまった。

 飛竜の初期位置は最下段で、しかもゲーベックはそこから横に動かしていて、この筋は安全だと勝手に思っていた。こんな阿呆な手に引っ掛かるとは……。


 盤面の全てを把握していたつもりだったが、把握し切れていなかったという事だ。

 しかも、この飛竜の居た場所に移動してきたジュセロの戦竜を取れる駒が無い。

 ゲーベックがどう頑張っても、次の手で戦竜には逃げられてしまう。

 取られ損だ。


 悔やんでも仕方が無い。自分のミスだ。

 ゲーベックは歩兵を動かし、戦列を少し前進させる。今は、そうやって耐えるしかない。


 キュリカは集中力が途切れた方が負けるというが、そのとおりだ。

 その後は、お互い数分を超える長考を重ねつつも、大きなミス無く二百手を超えた。

「また夜になっちゃったね。また明日しようか」

 そう言うゲーベックは、へとへとだった。2日連続のキュリカは、相当堪える。明日もミス無く終われるかどうか、不安になって来た。



 3日目、ゲーベックの陣地の戦列は、かなり危険な状態になっている。

 駒数が減っているのはある程度仕方が無いが、飛竜や騎兵に散々掻き乱されて遊兵が多く、相互支援が出来ていない。


 王の駒を守る近衛の駒も頓珍漢な場所に居て、これでは王は裸同然。しかもジュセロの寄せは速い。対応できない。


 ゲーベックはあと5手で詰みだ……。


「負けました……」

「ありがとうございました」

 ゲーベックが投了して頭を垂れると、ジュセロもぺこりと頭を下げた。

「おじさんは悔しいからもう一戦したいけど、もう夜だね……。お腹も空いたし、寝なきゃいけない。だから、また今度相手してくれる?」

 ぺこり。



 以来、暇だったゲーベックは、日に日に気力と体力を消耗し、エレーナとの“再戦”など到底出来るものではなくなっていた。


「おじさん、もう疲れたんだけど……」

「駄目です。駒落ちで良いですから、グリーさんが勝つまでやりましょう!」


打ち解けてきたのは良いが、まさかこれは、新手の敵将無力化の術か何かかと、疑うゲーベックなのである。

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