番外編07『ライランス将兵、最後の戦い』
水中聴音機など持たないこの世界の国々に対しては、長大な航続力を誇り水偵を搭載する巡潜型潜水艦は、その性能を縦横に発揮できた。
唯一、懸念されるのは海竜の襲撃であったが、備砲や機関銃で十分撃退可能であること、こちらから不用意に近づかなければ、向こうから襲ってくる事は少ないこと、そもそも海竜はそれほど数が多くなく遭遇することは稀、ということで、潜水艦が隠密哨戒任務の主力となったのである。
水上機や飛行艇の給油を行う潜補型も、哨戒能力を高める上で重要となった。
西大陸、ライランス王国サリュト島沖。
伊6号潜水艦が潜行して哨戒中、近くに水上船の波切り音を探知した。
それはプロペラが立てる音ではなく、帆船が進む音であり、潜望鏡を覗くと3本マストの白い船が航行中であった。
ライランスの船ではないのか? そのような疑問が持たれた。
ライランス海軍は、軍艦を白く塗装している。陸軍の制服も白であり、つまりは国のシンボルカラーが白なわけだ。
そんな目立つ色の軍艦が行動していれば、誰だってライランス軍を疑う。
潜望鏡深度で隠密裏に接近しつつ、メインマストに掲げられている旗を見る。
「あれはライランス国旗だ……艦隊司令部に通信。我、サリュト島沖北東50kmにて、ライランス軍のものと思われる3本マストのフリゲート艦を発見、追尾に移る」
伊6はライランス艦の視界外で浮上し、6ktの速度で電探追尾を開始した。
電探はまだまだ開発途上の機器であり、決して性能も良くなく故障も多いが、こうやって遠方の艦を追尾出来るのは、電探ならではだ。
相手はプロペラが無い分案外静かな上、距離も遠いので聴音機だけでは取り逃がす危険性がある。
帆船といっても5~6ktは出すから、完全に潜行した状態だと全速力でも追いつけない。だから浮上して追尾するのだ。
それに、もし電探が故障して見失っても、浮上中ならば速力は上なので先回りは可能だ。
ライランス艦は北上している。風上に向かっているので航路はジグザグだが、その目指す場所は次第に判ってきた。
カレーン島だ。
カレーン島は元々無人島であった。
火山島で、頻繁に噴火しているために誰も寄り付かなかったのだ。
最後に噴火したのは37年前。それ以来噴火は起きていないが、またいつ噴火するともわからない島は、相変わらず無人島であった。
その無人島に目を付けたのが皇国である。
ライランス王国には基地化可能な無人島があるという情報を得た皇国は、まだ戦争が終わっていない段階で、密かに地質調査を行っていたのだ。
その結果、近い将来(少なくとも50年)噴火は無いと判断され、噴火の兆候を掴めば即座に避難も可能という事で、ライランスに割譲させる領土として講和条約に盛り込まれた。
無人島だから、軍事要塞化するにあたり島民を強制退去させる必要が無い。
また、一番高い山(ミュニ山――標高1280m――)に登って周囲を見渡しても、海しか見えない。
逆に言えば、一番近い陸地からカレーン島を見る事が出来ないので、秘密基地としての機能も期待できる。
皇国は、ライランス王国との講和が成ると早速カレーン島に陸海軍の工兵隊を派遣した。
仮の桟橋を造り、飛行場を造り、そこから様々な物資の搬入を始める。
伊6がライランス艦を発見したのは、丁度その頃であった。
「目的は解らんが、この針路では行き先はカレーン島以外に無い」
「まさか、カレーン島を取り返しに行くとか……」
「さあな。艦隊司令部は何と言ってる?」
「引き続き追尾しろ。と言ってます」
「それだけか?」
「いえ。見失うな。とも」
「誰が見失うものか……。了解。と伝えろ」
風が強まり、風向きが追い風に変わってきた事で、ライランス艦は約10ktに増速した。
カレーン島まで約60km。このまま順調に行けば4時間半程でカレーン島を射程に収められる。
「島から哨戒機の1機でも飛んで来ていいはずですが……」
「このままだと日が暮れるからな」
「沈めますか?」
「許可できない。このまま追尾を続ける」
言いつつも艦長は、命令があれば何時でも攻撃可能なように、砲員と水雷員を配置に着かせていた。
「艦隊司令部より、カレーン島の守備隊から警備の水雷艇を2隻派遣して接触し臨検、場合によっては攻撃するので、見張りを宜しくと」
カレーン島海軍基地から出てきた水雷艇を発見すると、ライランス艦はマストの軍旗を降ろし、艦長の軍服と共に白旗を掲げた。
既にカレーン島も、潜水艦隊司令部を通じてこの状況が解っていたのであろう。
水雷艇から派遣された内火艇がフリゲートに接舷し、臨検隊を送り込む。
別のカッターを使い、ライランス艦の艦長と副官が水雷艇に移乗した。
「水雷艇黒鶴艇長、皇国海軍少佐、日野です」
「ライランス海軍中佐、トスケージュです。そして私のフリゲート、コモンバーン号」
「解りました。降伏するのはあなた方だけなのですね?」
「我々は、偵察という名目で来ました。他の艦は、まだ戦うつもりでいます」
「戦う? 何隻です? 他の艦は今、何処に?」
「コモンバーン号を除いて、戦列艦4隻とフリゲート6隻です。我が残存艦隊は、つまり11隻。場所は南南東に1500マシル、サミュー島の沖合いに投錨しています」
「飛竜母艦はお持ちで?」
「そんなもの、ある訳が無い。あったとしても到底維持出来ず、今頃、飛竜達は空に放たれているか、我々の腹の中か、あるいは……水兵達が餌になっているでしょう」
「では、たったそれだけの戦力で、戦うつもりでいたのですか? 失礼ですが、イルフェス艦隊にだって勝てやしませんよ」
「艦隊司令部は、奪われたカレーン島を奇襲して砲撃すれば皇国軍に一矢報いれると考えています」
「一矢報いるどころか……いえ、それであなた方だけ降伏を?」
「私が、司令部に対して降伏の説得をします。仲間が無意味な戦いで死ぬのを見たくないのです」
「仲間の説得ですか」
「説得して、カレーン島で武装解除させます」
「何故、ミゼルナではなく既に敵地であるここで武装解除するのです?」
「我々は言わば反逆者です。ですから王国ではなく、皇国軍に降伏し、保護してもらいたいのです。勝手なお願いだとは解っているのですが……」
「わかりました。では味方艦隊の説得をお願いします。こちらから、何隻か派遣しても宜しいでしょうか?」
「そうすると、おそらく問答無用で戦端が開かれるでしょう。1ヶ月以内に必ず戻ります。我々の問題は、我々で解決させて頂きたい」
「そうですか……では、貴艦隊の司令官に宜しくお伝え下さい。皇国軍は、武人として我が国と戦い、そして敗れた者を決して粗末には扱わない。捕虜として丁重に扱うことを約束すると」
「伝えましょう」
「中佐が帰られる! 臨検隊も全員撤退させろ!」
去り際、黒鶴を指してトスケージュ中佐が言った。
「全部、鉄で出来た端整な軍艦。しかもあの大砲の大きい事……。これは勝てる道理が無いと、直接見聞きした私が説得します」
「賢明な判断だと、愚考します」
トスケージュの帰艦後、日野少佐はカレーン島の司令官に通信した。
「……と、いう事なのですが、これで宜しかったのでしょうか、閣下?」
「向こうがそのつもりなら、それで良い。お互い無駄な犠牲は出したくない。しかしもしも、何か不穏な動きがあれば即座に行動可能なように、準備は怠るな?」
「了解っ!」
司令官は少し間を置くと、別の話を切り出した。
「サウシェスト大陸の、ライランスの南……シュンザ公国という沿岸国があったな」
「はい。ライランスの同盟国でしたね。陸軍を少数派遣した以外は資金提供程度で、海軍も目立った動きはしていませんでしたが」
「まあ、彼等の軍艦は旗艦の28門フリゲート以外はどれも漁船に毛の生えたようなものだ。到底、戦列の一翼を担う事は出来ないし、彼等にすればたった1隻の最強の戦力を、同盟国とは言え簡単に貸し出せるものではないだろう」
「そのシュンザ公国が、何か? 不穏な動きでも?」
「いや違う。最近、彼等の漁村が海賊に荒らされているんだそうだよ。一応うちの海軍の情報部も調べたが、確かに何箇所かやられてる」
「……襲われた村民は?」
「何人か殺されてるが、基本的に抵抗しなければ何も無かったようだ。沿岸から白い軍艦に大砲向けられては、確かに抵抗出来んよな?」
「まさか、その海賊が今の彼等だと?」
「そう考えるしかあるまい。この西大陸の東海岸で、白いフリゲートを軍艦にしている国は?」
「ライランス王国です……」
「彼等だって、弾薬はともかく水や食糧が無ければ生命を維持出来ない。本国からの補給が見込めないのであれば、当然略奪するしかなかろう。しかも、彼等の母国は我が国とイルフェスに見張られているから、そこから略奪する事は出来ない。元の同盟国とは言え、自分より弱い立場の者から奪うしか無かったのだろう」
確かに、この世界の大型船はほぼ例外無く帆船だから、皇国の軍艦のように“燃料切れ”という事態は無い。
船体や装備している武器のメンテナンスは必要だから、水と食糧さえ保てば何ヶ月でも、何年でも……という訳には行かないが、かなり長期間活動可能だ。
実際は、その水と食糧の補給が大変なのだが、腐っても軍艦。
大砲と小銃で威圧すれば、槍が武器の漁村程度簡単に制圧できるだろう。
素早く略奪すれば、シュンザ公国の陸軍が駆けつけるまでには逃げ切れるし、シュンザ公国の海軍艦艇と鉢合わせても、ライランス王国謹製のフリゲートが撃ち負ける事は無い。
母国ライランス王国の軍艦は、投降した艦は全てイルフェス王国の監視下に置かれており、戦場を離脱した行方不明艦も一応捜索されているが、こんな南までその範囲は広くない。
そして、戦勝国であるイルフェス王国も皇国も、自分の国の船や領土が直接に侵されない限り、彼等を積極的に取り締まろうとはしない。
海賊は世界中にごまんと居るのだ。自国に関係の無い所までいちいち相手をしていては、きりが無い。
強者に取り締まられないように上手く立ち回れば、海賊は生きて行けるのだ。
だが、彼等の艦隊は11隻。人数にして数千人。ある程度の規模の都市の人数だ。
そんな大量の人員の腹は、時折訪れる辺境の漁村にある食糧だけでは満たせないだろう。
それに、仮に水や食糧は保っても、士気が保たないのだろう。
正規軍の艦長として、よれよれの軍服を何とか見栄えするように着こなし、将校としての尊厳を貫いたトスケージュ中佐も、時折弱気な表情を見せていた。
“戦に負ける”というのはこういう事なのかと、開国以来外敵に“負けた経験”が無い皇国軍の一将校は記憶したのだった。
コモンバーン号が去ってから、期限の1ヶ月より早く3週間が経った頃、艦隊は現れた。
その間、潜水艦が2隻尾行を続けていたが、件の投錨地に居たライランス艦隊は全部で11隻。
報告通りの数だ。そしてコモンバーン号のみ錨を上げず、出帆しなかった。
この情報を聞いたカレーン島基地司令官は、最悪の事態を想定し、全艦弾薬満載で指定海域に待機させた。
カレーン島沖には皇国軍の駆逐艦秋雨を旗艦とする小艦隊が、4隻の海防艦と8隻の水雷艇を率いて展開していた。
全13隻。質的には勿論、数的にも優位だ。
上空では、4機の二式水戦と4機の爆装した零式水偵が警戒している。
水平線から現れたライランス艦隊は、戦列艦4隻にフリゲート6隻。
コモンバーン号はこの場に居ないし、脱落艦も無い。
そして全艦、マストには白旗を掲げている。
ライランス艦隊の旗艦である戦列艦ゼーライン号から、伝令将校が秋雨に乗り込んできた。
伝令将校は、秋雨に乗る隊司令に一通の手紙を渡す。
「これが、我々の意思です」
「意思……ですか?」
「はい。どうぞ、御覧下さい。皇国文字でなく、我々の文字で恐縮ですが……」
『我々は、ライランス王国の武人である。食糧も水も、艦隊の士気も限界だが、これだけ逃げ回って、今更おめおめと降伏する事は出来ない。ついては、我が艦隊はこれより皇国軍に宣戦布告し、最後の一兵まで戦いたい。もし、皇国軍がこの戦いを受けなければ、我が艦隊はカレーン島を砲撃する。誉れ高い皇国軍と戦い、散る事が叶うならば本望であるから、お互い全力で戦いたい』
「これが、あなた方の意思ですか?」
「はい。大佐!」
「我が隊は“敵艦隊”から距離を取り、風向きと風速を注視せよ。敵は討ち死にに来るぞ!」
隊司令の大佐は、そう命令した。そして、伝令将校に向き直る。
「コモンバーン号のトスケージュ中佐は、何か言っていましたか?」
「仲間を説得出来ず日野少佐には申し訳ない。と、伝えてくれと……」
「そうですか……しかし戦っても、あなた方には万に一つも勝ち目はありませんよ? 仮に我が艦隊を全滅させたとしても、カレーン島には既に沿岸砲台が設置されています。あなた方の艦程度であれば、一撃で沈没させられる程の巨砲が。今からでも遅くありませんから、降伏すべきです。それとも、ライランス王の命に逆らうのですか?」
大佐は最後の説得を試みようとするが、伝令将校は言った。
「ゾシュフォー陛下には、申し訳がありません。しかし、我々は正直どうすれば良いのか……」
「だったら! ……降伏してください。停戦命令の後、即時降伏しなかった事で処罰はあるやも知れませんが、我々が口添えするのも吝かではありません。母国が既に降伏し、反乱軍として散る事に、何の意味があるでしょう?」
「いえ、これで決心が付きました! あなた方のような武人と戦えるならば、我々の名誉は汚されない。最後まで存分に戦う覚悟が出来ました!」
数秒の沈黙の後、大佐は恐ろしい顔つきで、しかし少し悲しんで、言った。
「残念でなりませんが、解りました。お相手致しましょう」
伝令将校がゼーライン号に帰り着くと、ライランス艦隊は白旗を下げて戦闘旗を掲げ、そして砲門を開き始めた。
それを双眼鏡で確認していた大佐は、命令を発した。
「秋雨は、直ちにゼーライン号から距離を取れ。3000mも取れば大丈夫だろう。敵が準備完了するまでにだ。その後は……各艦は先頭艦から狙って攻撃せよ。魚雷の使用も許可する。航空隊は後列からだ」
その後の戦闘は、一方的に進んだ。
ライランス艦隊の射程外から、大量の砲弾と魚雷を見舞った皇国艦隊の圧勝であった。
見るものが見れば、これは戦闘ですら無いと言うかもしれない。単なる虐殺だと。
この結末は、両者が戦う前から解っていた事だ。奇跡も偶然も何もない、自然の摂理。
……だが、地獄はその後だった。
「何でだ! そのボートに乗ってこっちに来いって言ってるんだぞ!」
生き残って海に投げ出されたライランス将兵を救助に向かった皇国艦は、悉くその救助の手を拒まれた。
艦内にまだ多数あった砲弾を抱えて身投げする将兵の数たるや、数十人規模では収まらない。
艦隊の規模から、ライランス軍には数千人の将兵が居た筈であるが、最終的に救助されたのは士官3人と下士官26人、兵389人。
残りは全員、救助を拒んで自害したか行方不明のままだ。
その末路は、力尽きて凍死するか溺死するか、鮫や海竜の餌だろう。
皇国軍に降伏したトスケージュ中佐は、皇国軍の捕虜収容所で日野少佐と再会する。
そして、この戦闘の記録映像を見るなり号泣し、映写室で誰ともなく謝り続けた。
この戦いの後、皇国軍人と生き残ったライランス軍人からの寄付により、“皇国軍と戦って散った、最後のライランス将兵”の碑が、亡くなった全員の名前を刻まれて、カレーン島の皇国軍基地内に置かれる事になる。
祈念碑自体は、大して見栄えもせず決して立派なものでは無い。
だがこれは、彼等を永遠に“最後の将兵”にするための願いが込められた碑なのである。




