東大陸編56『講和交渉』
現在、反乱軍に加わったセソー大公国軍の将兵は皇国軍の憲兵隊が身柄を拘束している。
セソー大公国軍の憲兵に任せたらまたどんな事件を起こしてくれるか分かったものではないので、講和が成り戦争が正式に終結するまでは、皇国軍が捕虜という名目で面倒を見るという措置だった。
こういう事を未然に防ぐのも憲兵の役目だろうに、反乱軍の中にはよりにもよって空軍憲兵も混ざっていたのだから。
何でこんな、他国の尻拭いを自分達が……。
慈善事業でやっているのではなく、皇国の国益の為にやっている訳だが。
特に此度の戦争はリンド王室と皇国皇室への侮辱や否定的な外交姿勢を撤回させるという非常に政治的な目的があるので、妥協点を探るなど無いのだ。
皇国の講和条件を呑むか呑まないか。呑まないなら滅びて貰うしかない。
皇国軍が警備するロマディア宮殿内で、皇国とリンド王国、マルロー王国、ユラ神国、そして当事者のセソー大公国の関係者が集まり、セソー大公の死体検分の後、本題に入っている。
つまり、講和条約についてだ。
「それで結局、大公妃殿下と大公世子殿下の扱いをどうされるのです?」
大公が死亡したのが確認されたのだから、規定に従って大公世子が新しい大公として即位する。
だが新大公となる大公世子はまだ幼く、摂政が置かれる予定である。
そこで誰が摂政となるかでモメているのだ。
君主たる大公の代理として、権力と同時に責任も発生する。
摂政の候補になりうる貴族や有力者達は皆、何故、前大公のしでかした事の責任を自分が負わねばならないのかという思いがあり、かといって大公妃(新大公にとって大公太后)が摂政となるのはそれはそれで面白くないのだ。
講和条約には、大公代理として摂政の署名が絶対に必要なので、ここをハッキリさせないと話が進まない。
セソー大公国の有力貴族は概ね親リンド派と親マルロー派に分かれる。
親リンド派といっても別にマルロー王国と敵対してリンド王国につくというものではないし、逆もそうだ。
どちらの王家に親しみを感じるかとか、どちらの国との関係をより重視するかといった程度の話。
リンド貴族やマルロー貴族に出自を持ち、連なる貴族ならば明確に、血筋的にどちらかになるが、彼らも現代ではセソー大公国に暮らすセソー貴族なのだから、無暗に波風を立てる事はない。
功罪で言えば、このような緊張関係がどちらか一方の列強国に傾倒する事を防ぎ、大陸北方、シテーン湾の安定に寄与してきたという功績の方が大きいだろう。
亡くなった前セソー大公は、それで言うと親リンドであった。
だから親リンド派の旗色が若干悪い訳だが、今後の外交関係を考えた時、リンド王国と皇国との関係が東大陸においてより重要になるだろうというのは、論を俟たない。
その点ではリンド貴族とのパイプが強い親リンド派の貴族が優位である。
そこに、親大公妃派とそうでない派閥が重なり、責任の押し付け合いの様相である。
ここに来て功罪の罪の面が表面化してしまった。
ユラ神国から派遣されてきた外交官である枢機卿が言い放つ。
「セソー大公国の皆様、ご自分達の置かれている状況を理解しておられますか? 現在はあくまで皇国とリンド王国の善意によって休戦しているに過ぎず、戦争状態は終わっていないのです。皇国はやるといった事は必ずやります。もしこの講和会議が何も決まらないまま終わるような事があれば、リンド王国とマルロー王国も貴国に差し伸べる手は持たないでしょう」
皇国の担当者は、文官も武官も一見すると優しい顔をしたまま黙ったまま。
このアルカイックスマイルは非常に不味い。
現在は前大公の喪に服するのと講和条約の事前協議として停戦しているに過ぎない。
皇国軍は停戦しているだけで、戦闘態勢自体は解いていないどころか国境外に戦力を集結し、ひとたび命令さえあればロマディアのみならずセソー大公国全土を半月以内に灰塵に出来る。
国土と国民が物理的に無くなれば、戦争はそこで強制的に終了だ。
皇国軍は今まで東大陸軍(東大陸派遣軍)で使っていた戦車が子供に見えるくらい巨大な新型戦車をリンド王国に上陸させ、関係各国の武官等を招いてその主砲の威力を実演し、関係者の度肝を抜いた。
今まで皇国軍が使っていた戦車ですら、その主砲威力は要塞砲に匹敵するというのに、それが前座だったとでも言いたげに、要塞砲ですら容易に崩せない厚みの石垣を爆破し、何十枚も重ねた鉄板すら貫通して見せた。
さらに、沖合に今まで見ていた軍艦の倍程もある超巨大戦艦を走らせ、空気を震わせる轟音と共に主砲を斉射するという実演もして見せた。
艦の速力や主砲の射程と破壊力については秘匿とされたが、皇国が見せた範囲であれば、速力は20ktで射程12kmだった。
あんなに巨大な鋼鉄の戦艦が、順風を受ける戦列艦の2倍の速度で走り、実用射程に至っては50倍!
沿岸から内陸に10マシルの都市でさえ射程内に収め、艦砲射撃出来るという事実だ。
見た事も無い程に巨大な大砲であり、実弾射撃の標的となった場所にあった城塞は跡形もなく吹き飛んでいた。
王家直轄の城塞で、取り壊して近代式の要塞に再建する予定の場所だったのだが、想定外の威力に言葉を失う。
その威力は皇国軍が今まで使用していた野砲や爆弾の比ではなく、形あるものは何も残らないだろう。
沿岸から12マシル以内の全ての地域は、今後この艦砲射撃を受けるかもしれないのだ。
近代式の要塞に再建したところで、この砲撃を前にすれば何の意味も無い。
今まで自分たちが見てきた皇国軍の兵器は何だったのだという落胆すら覚え、圧倒的な存在感と畏怖の念を魂に刻み付けられた。
本国にはまだまだ部隊があり兵器もあるとは聞いていたが、皇国軍は全く本来の力を出さずして戦っていたのだ。
これを見たリンド王国軍関係者の放心状態たるや。
そしてこれらの兵器を披露したという事は、皇国の意に沿わない結果になればこの力を使う事があるかもしれないと宣言しているに等しい。
実際、これらは皇国軍が他の地域での活動を一時停止してまで行った東大陸への大増援作戦の一環として送り込まれたもので、必要となれば使う為のものだ。
皇国は政府としても軍としても、講和を迫るのは相手の為であるという態度だ。
『皇国としては別に好きなだけ相手してやるが、本当にそれでいいのか?』と。
『慈悲深い皇国は、敵対国の人命すら配慮するからこそ講和を勧めるのだ』と。
恫喝そのものであるが……。
不思議で仕方がないのは、このド派手な実弾演習にはセソー大公国の武官も招かれていたのに、現状で一番の当事者である彼らに危機感が見られない事。
特にロマディアは海に面しているのだから、陸からだけでなく海から巨大戦艦が攻めて来たら逃げ場はなく一巻の終わりだ。
宮殿、市街地、いずれも海岸線から5マシル以内に立地しており、ロマディアの胃袋たる周辺の農村地域ですら10マシル以内なのだから。
勿論、内陸に10マシル以上なら大丈夫という事でもない。
皇国軍は列強の飛竜母艦に相当する飛行機母艦を保有していて、そこから戦闘用の飛行機を運用可能と見られている。
皇国軍にとってこれは戦艦以上に重要で極秘の存在なのか、未だにその正体について友好国にすら明かしていないが、存在は確実だ。皇国軍人も、仄めかしてはいるのだから。
ただそれがどれくらいの能力を持っていて、何隻あるのかが不明であるので、各国は皇国軍の洋上航空戦力を計りかねている。
そして皇国軍母艦の搭載飛行機の行動半径は、少なく見積もっても250マシル(300km)はある。
つまり沿岸から250マシル以内は爆撃圏内。
ではそれよりさらに内陸なら安全だろうか?
否。
この艦砲射撃と航空爆撃によって得た地域に飛行場を作って、そこからさらに内陸を爆撃するという方法で、理論上はどこでも攻撃され得る。
真っ先に攻撃される場所か、そうでないかの問題でしかない。
皇国との戦争において、後方の安全地帯など存在しない事はリンド王国が証明したではないか。
危機感という意味では、むしろユラ神国関係者の方が大きかったかも知れない。
リンド王国の王都ベルグは内陸にあり、艦砲射撃を受ける心配はない。
しかし聖都ユラは海に面している為、艦砲射撃を受けてしまう。
ユラの神殿、宮殿、門前町として発展した首都は何かあれば皇国軍の艦砲射撃によって灰燼に帰すだろう。
行政府や立法府としての首都機能を内陸に移したとしても、神殿だけはどうしたって移動できない。
神殿やそこに安置されている宝物が無くなれば、ユラ神国はユラ神国である土台を失ってしまう。
教皇といった聖職者達に神性を与え、信徒の信仰心を物的に担保するのがユラ神殿という場なのだから。
皇国本国では総理大臣と国防大臣を始めとする閣僚諸氏が頭を下げて衆議院と貴族院を相手に説得し、非難囂々の中で意思決定されたなど、この世界の国々に対しては絶対に知られたくない事であったが。
皇国は、今回の戦争の講和条件として、原状回復を前提に
リンド王国の現女王及び王配、リンド王室と皇国皇室を正統と公式に認める事。
リンド王国及び皇国の内政に干渉しない事。
リンド王国及び皇国に賠償金を払う事。
の3点を求めており、逆に言えばそれ以上は求めていない。
皇国との国交樹立とか、領土割譲、資源採掘権などは講和条約の前提条件としては求めていないのだ。
賠償金を払えない場合、代わりに領土を割譲するとか、現物や利権で払うといった代案は提示されているし、賠償金の額からしても呑まざるを得ないだろうが。
賠償金の金額についてはある程度、交渉による減額に応じる用意はあるが、それ以外の2つはリンド王国の国体の正統性に関わる部分なので絶対に譲れない。
リンド王室と婚姻した事で、間接的に皇国の皇室が“列強に値する正統な王朝”と認められている部分が多分にあるので、ここが躓く事は許されないのだ。
そうでなくても、皇国に理解のある女王を引き摺り下ろされては今後の東大陸外交が振出しに戻ってしまうし、武力によって他国の王位継承に口出しして、それが通ってしまうような前例を作る訳には行かない。
(皇国自身が武力を背景にリンド王室と関係を結んだ件には目を瞑る)
「皇国は本日を含めて4日以内。3日後の午後6時を期限として、セソー大公国と正式な講和条約を締結する事を望みます」
皇国の外務当局者の言葉である。
望みます。という言い方ではあるが、実質強制である。
3日以内に署名しろという脅迫に等しいが、この会議の席の誰も皇国の提案に異を唱える者は居ない。
唱えられる訳が無い。
3日後の午後6時までに講和が成らなかったら……。
皇国の敵国でも何でもない筈のユラ神国関係者、セソー大公国との戦争では皇国側の当事者のリンド王国関係者も冷や汗を浮かべる。
拷問してでも、誰かを摂政に推挙し、署名させなければならない!




