東大陸編54『ロマディア事件』
葉巻を吸って寛いでいたところ、いきなり突入してきた空軍将兵にレオニスは目を丸くしたが、自軍と判るとすぐに焦りの表情に変わった。
室内は廊下と違ってかなり明るく、どの部隊かすぐに判別可能だ。
「皇国軍か! 飛竜部隊がどうしたか?」
予告期限より前に皇国軍が夜襲を仕掛けて来たので、至急の報告に来たと勘違いしていた。
飛竜軍司令官まで居るのだから、余程重大な報告だと思ったのだろう。
「違います。今すぐ、皇国とリンド王国に降伏すると、こちらに署名して頂きに参りました」
飛竜軍司令官は、既に書式が整えられ、レオニスの署名さえあれば即時に効力を持つ文書を見せた。
特に講和条件について何も書かれていない内容は、無条件降伏に等しい。
だが皇国は停戦ではなく降伏を望んでいるのだ。
停戦して、講和内容について協議して、それが破談して戦争再開などという事は認めない。
とりあえず降伏しろ。話はそれからだ。という強い意志。
「貴様ら、血迷ったか!」
火の点いたままの葉巻を投げつける。
「殿下! ここは一旦落ち着い――」
「お前が嗾けたのか! マルローの女狐め!」
確かに、涼むといって部屋を出た直後にこれでは、状況証拠的に怪しさ満点だ。
だが勿論、フェリスはこんな茶番の糸を引いていない。
マルロー王国軍人として、そんな事をする意味も無ければ命令も受けていない。
むしろ本当に皇国軍の攻撃であれば、そちらの方がフェリスにとって“本来見たかったもの”である。
レオニスは椅子の脇に置いてあった自分の剣を取り、抜いた。
貴族の嗜みとして剣技を磨くとしても、本業として武芸を磨いている者に敵いはしない。
しかもレオニスは1人で、兵士達はこの部屋に居るだけでも12人だ。
殺そうと思えば簡単だ。剣を使う必要すらなく、拳銃で済む。
だがそれでは降伏文書に署名させる事が出来ない。
脅しも兼ねた拳銃は、部屋に残っていた赤人奴隷に向けられ、躊躇なく発砲された。
「剣を置いて下さい。手荒な真似はしたくありません」
既に手荒な事になっているのだから、レオニスは壁を背に剣を離さない。
しかし多勢に無勢。数人の兵士が一斉に飛びかかれば、身柄を拘束するなど容易いだろう。
だが、事態は飛竜軍司令官の思い通りには進まない。
レオニスは兵士と揉み合いになった末に転倒し、後頭部から大量の血を流して倒れていた。
固い大理石の床には鮮血が広がり続け、顔に近寄ってみても呼吸が無く、首筋を触っても脈が無い。
「何たる事だ! 生かして捕らえろと言った筈だ!」
「そんな、殺すつもりは……」
兵士は動揺し、飛竜軍司令官に助けを求めるような視線を向ける。
「講和するに絶好の機会ではありませんか。いち早く全軍の停戦をして、この事を皇国に知らせるのです。
でなければ、5日後に予告どおり攻撃が始まるのではありませんか? 主の居なくなったロマディアを」
「私は空軍の将に過ぎない。全軍の指揮権を持つのは殿下であって……」
「貴方がやった事だ。貴方から軍務卿に報告すれば良いでしょう」
フェリスの言葉に、飛竜軍司令官が叫んだ。
「この女共を捕らえよ! 罪状は大公殿下の暗殺!」
その命令に一瞬戸惑った飛竜騎士達の隙をつき。フェリスとテレーズは駆け出した。
部屋の入口を見張っていた兵士を突き飛ばすとそのまま廊下を走って、階段を目指す。
結果論だが、ドレスでなく軍服を着ていて良かった。
こうなったら着替えている暇など無く、一目散に逃げるしかない。
階下からは、時折叫び声と共に銃声や剣戟の音が聞こえる。
戦闘が行われているのは間違いないが、誰と誰が?
「こちら側の階段は使えそうにないな」
「しかし裏手の階段はラピトゥス城に近いです」
「なら横の窓から降りるか」
飛竜に乗る者であれば、度胸付けや、実際に墜落した場合の受け身として、高いところから安全に飛び降りる技能を訓練させられる。
フェリスは手近な窓から下に誰も居ない事を確認すると、剣の柄で鍵を壊して窓を開けた。
「本当にやるんですか?」
「律儀に階段使って下りて行くよりは安全だと思う。安全な階段を探し回っている間に退路が塞がったら困るしな」
追ってくる相手も飛竜騎士だが、逃げ場の無い狭い通路を無理矢理通るよりは、広く動ける空間に行った方が良い。
外に出ても、飛竜は夜は飛べないのだ。
窓枠の外に身を乗り出すと、そのままふわりと宙を舞って地面へ着地する。
後を追って来たテレーズも、教練の模範となるような美しい着地を見せた。
「散歩していた甲斐があったな」
2人は夜の闇に紛れ、レオニスが愛する庭園の生垣に身を潜めた。
数人の飛竜騎士が追って来るが、迷路のように配置された生垣に自分達が遭難しそうになっている。
正門は厳重に施錠されて警備の兵士も最低2人いる。幾つかある裏門も状況は似たようなものだ。
ではどうするか。
「柵を乗り越えるぞ」
門とは離れた場所にある柵をよじ登るのだ。
身のこなしの軽い2人になら可能。
セソー大公国軍が市内に作っている陣地の位置は把握している。
後はそこを避けつつ市外に出て、帰国するのみ。
流石にこの短期間でロマディアの隅々まで把握するのは無理だが、主要な道路や橋、運河は頭に入っている。
飛竜騎士の特権。地形を上空から見られる事であり、空からの景色と地上からの景色を頭の中で合成する技能。
地上の景色を見ただけで、俯瞰した風景を頭の中に描ける技能。
最も警備が厳重なのが、皇国軍の主力部隊が目前に布陣している西側。
次に無血占領されたノイリート島のあるシテーン湾に面した北側。
東側か南側から脱出したいが、双方一長一短がある。
東側は海岸線に沿って開けており、夜が明けると隠れる場所が少ない。
南側は河川が流れて複雑な地形で隠れる場所が多いが、その分遅くなる。
「ここは夜が明けるまでに南から市外に出て、夜が明けたら西に向かおうと思う」
「西ですか? 東ではなく?」
「飛竜騎士として考えてみろ。わざわざ皇国軍が布陣する方向に飛竜を飛ばして撃ち落されに行くか?」
「西に逃げれば追手は来られないと」
「それくらいの理性は残っていると信じたい、というだけかもな。同じ空軍の将官として」
フェリスの決断には、しかし単純な誤算があった。
飛竜は来ないから追い付くには時間がかかるという前提で考えられた脱出計画は、馬で追いかけて来た飛竜騎士によって阻止される事になる。
その数4騎。宮殿で追いかけっこした者達とは違うが、軍服からセソー大公国軍の飛竜騎士である事は間違いない。
射撃を避けるようにジグザクに走るが、人の脚と馬の脚の差。
すぐに追いつかれてしまい、回り込まれてしまった。
フェリスは拳銃を手に、先頭に居た飛竜騎士を撃った。
その銃声を皮切りに銃撃戦が始まる。
しかし互いに動き回るので決め手を欠き、遂に剣を抜くが。
「テレーズ馬に乗れ!」
互いの銃弾が空になったところで、フェリスは最初に撃って主を失った馬に飛び乗った。
2人が馬に乗って駆け出した直後、銃声を聞いて駆けつけて来た応援の飛竜騎士が放った銃弾が、フェリスの腹部を抉る。
後ろに座るテレーズにもたれ掛かるように力を失ったフェリスだが、まだ息はあった。
フェリスから手綱を奪い、西を目指して一目散に逃げる。
その間も断続的に銃撃を受けるが、テレーズは逃走を続けた。
フェリスはテレーズの胸に体を預けて目を閉じる。
次に目を開く時は永遠に来ないのだろう。




