東大陸編45『極北洋の制海権』
青葉2号機が接敵した頃、マルロー王国艦隊は大慌てで戦闘準備を行っていた。
西の空から友軍の飛竜が帰って来たと思ったら、皇国軍の飛竜だったのだから。
「動ける飛竜は全部上げろ! 対空戦闘!」
鐘と太鼓が打ち鳴らされ、下士官の吹く号笛の音に従って水兵や海兵達が慌しく旋回砲に散弾を込め、ロケット弾やマスケットの射撃体勢を整える。
旗艦の飛竜母艦に信号旗が掲げられると、早くも発砲が始まった。
各艦から対空射撃が行われるが、そもそもが爆装して鈍重な動きの飛竜に対する気休めのようなもの。
対空砲弾、ロケット弾は見当違いの場所で炸裂し、高速で飛ぶ青葉2号機にはかすりもしない。
程無くして、水平線から黒煙を吐きながら迫る大型の軍艦が姿を現した。
飛竜母艦の弱点は、皇国の航空母艦同様に飛竜の発着時である。
狭い艦の出入りで邪魔にならないよう、帆の全部あるいは殆どを畳まねばならないので、艦の速度は落ち舵の効きも悪くなる。
ちょうど味方が戻ってくる筈の時間だった為、帆を畳んで漂流するように待機していた矢先の敵襲に大慌ての艦内。
飛竜の発着を諦めて展帆作業を優先させるか、畳帆しているのを逆手にとって飛竜を出撃させるか。
今から展帆を始めても、艦が風に乗るまでに襲撃を受けるだろう。だったら時間稼ぎも兼ねて出撃させた方が良い。
と同時に、最悪の事態に備えて手紙をしたため、艦長室の窓から本国の海軍司令部宛の伝書鳩を放った。
そこには『皇国飛竜1騎及び全長1シウスの皇国大型軍艦1隻と交戦状態に入れり』という簡潔な内容と日時が記されていた。
艦内に居る飛竜は全部で9騎だが、全てが飛び立てる状態ではない。
準備が整っているのは、空母艦隊と交戦した2騎の帰艦と交代する形で飛び立つ予定だった2騎だけだ。
残りは休憩中であり、眠っているものも居る。
食事が終わった飛竜を追加で2騎投入できるかできないか微妙な線だった。
対空砲撃や銃撃で甲板は硝煙に包まれるが、それも飛竜が最上甲板に姿を現すまでだ。
火薬の臭いには慣れされているが、飛竜の視界を妨げないよう発着艦時の火器使用は戒められている。
青葉の艦橋では双眼鏡で目視確認する見張り員と、電探の反応を照合して索敵結果を確認していた。
「敵艦隊の艦影確認……飛竜母艦1、一層ないし二層甲板の戦列艦またはフリゲート7! 上空には飛竜が2騎!」
「第一目標は飛竜母艦と飛竜だ。最優先で叩け」
先に到着した水偵が既に旋回機銃で上空の飛竜を追い回しているが、やはり戦闘機ではない身ではなかなか命中弾が出ない。
機銃弾に余裕が無いので、あまり派手に連射出来ないといった消極的な理由もあったが、後方旋回機銃しか無いのも大きい。
敵艦隊の詳細確認と味方艦到着までの時間稼ぎという任は果たしたと判断した水偵機長は、敵の増援等を警戒した周辺哨戒に任務を切り替え、敵艦隊との交戦を青葉にバトンタッチした。
青葉の3基ある20.3cm連装砲が飛竜母艦を捉え、高角砲と機銃は飛竜に狙いをつける。
飛竜の居住空間を確保する為に砲列甲板が無く、船体の大きさに比して帆柱と帆桁が少ない飛竜母艦の判別は比較的容易だ。
優先目標である飛竜母艦は爆弾を抱えて出撃した水偵1号機の攻撃によって損傷を受け火災が発生していたが、すぐには沈没しそうになく無力化に成功したと言える確信が持てないので、優先順位に変更は無い。
8インチの通常弾は良好な弾道を描きながら、敵艦隊に吸い込まれるように飛翔していった。
重装甲の戦艦に対しては効果が薄いが、逆に言えば戦艦以外の水上戦闘艦艇には十分な打撃力を有する砲弾である。
火災が発生する事で強度が落ちた木造の船体は弾頭炸裂の衝撃波により崩壊し、食い止められない浸水により傾斜が限界を超え、転覆した。
脱出した水兵達は床や壁の破片などにしがみつくが、飛竜にはそれが不可能だから、船が沈没するのに任せて飲み込まれていくしかない。
最後の伝書鳩に託された手紙には『皇国大型軍艦の攻撃により轟沈。全ての搭載飛竜が艦と運命を共にせり』と書かれていた。
「真っ先に飛竜母艦を狙うとは、騎士道精神の欠片も無い野蛮人め……」
列強国同士の戦争でも、別に飛竜母艦を狙ってはいけないという条約がある訳でも不文律がある訳でもない。
ただ戦闘艦を同伴している艦隊が接近戦を演じる段階になれば、ほぼ非武装に等しく後方待機している飛竜母艦から狙っていく意義は無い。
脅威度の高い方を優先的に狙うのが当然で、それは即ち多くの大砲と海兵を乗せている戦列艦やフリゲートとなる。
それら戦闘艦を撃破、拿捕すれば、飛竜母艦に抵抗する術は無く降伏するしかなくなる。無傷で拿捕出来る訳だ。
結果として、飛竜母艦は狙わないし狙われないという現実が表れるのだが、皇国軍は平気でそれを破った。
大急ぎで飛び立った飛竜は、特に爆装している訳でもない。
攻撃手段は飛竜騎士の持つカービンとピストルとサーベルのみ。
それで青葉に攻撃をかけようとしても、射程が圧倒的に足りない。
乗り込んで白兵戦に持ち込めれば奇跡のようなものだ。
飛竜母艦を沈没させられたマルロー王国艦隊は、残りの戦闘艦で海域を離脱すべく針路を変更した。
所期の作戦目的は失敗した。何とか風下につけて逃げ回り、夜間や悪天候に期待するしかない。
風向きは概ね北西。つまり極北洋からマルロー王国に帰還するに際しては追い風なのだ。
順風でも皇国海軍の方が速いという情報は得ているが、闇夜に紛れるなどして一旦姿を隠せば、帰還する望みはある。
青葉が対水上電探を装備しているという事を知らないし、そもそも電探という存在を知らないから抱ける希望であるが……。
皇国軍は、主戦場に対しては積極的だがそれ以外に対しては消極的だ。
今の所、マルロー王国本土の沿岸を艦砲射撃しに来るような素振りは無い。
故にノイリート島から十分に離れれば、それ以上は追って来ないというのが王国海軍司令部の分析である。
願望といっても良かったが、それでも“リンド王国やノイリート島での攻勢準備が整うまでは”という条件付き。
だからノイリート島の様子を探る目的で派遣された艦隊だったのだが、それが返り討ちに遭ってしまったのだった。
この海域で大型艦が出張ってくる事態となると、攻勢準備が整ったか整いつつあるという事になる。
決定的な情報は何としても持ち帰らなければならない。
「撃沈した敵艦から脱出した漂流者を救助したいところだが……可能かな?」
「敵艦隊は退却しつつあるようですが、こちらの停船を見たら反転して来るかも知れません」
「仕方のないところだが……」
飛竜母艦という最大の脅威は排除したが、単艦行動中に迂闊な真似は出来ない。
敵の3倍速い皇国軍艦とは言え、一旦停止してしまえば帆船でも追いつけるのだ。
「漂流者は自力で何とかしてもらうしかない。敵艦隊を追撃する」
青葉は敵艦隊の射程外から主砲を撃ちまくる。
射程外といっても距離にして3500m程度であり、重巡の砲戦距離としてはかなりの接近戦だ。
良好な命中率を得られ、合計300発も撃つ頃には旗艦を含む敵艦5隻が沈没ないし大炎上し行動不能に陥った。
途中、増援についた駆逐艦雷も加わり、至近距離からの砲戦は一方的な展開で幕を閉じる。
「艦長、霧が出て来ました。濃霧になる前に……」
「着艦させるしか無いな。ここで貴重な飛行機を失う訳には行かん。水偵の回収を急げ。それと隼鷹に通信。“悪天候につき飛行機収容の為、敵艦隊の追撃を中断。収容作業完了次第、追撃を再開する”と伝えろ」
固まって逃げてくれるならいいが、方々に分散されると見失うかも知れない。
頭を抑えるよう走り回っていたが、青葉が停止して行動の自由を得れば別方向に逃げるだろう。
水偵の回収と並行して、漂流者の救助を行う。
青葉は水偵の回収と警戒、雷は漂流者救助、作業は短時間で終わった。
冷たい海に投げ出されて長時間放置されていたので多くは助からなかったが、艦隊司令官を含む士官と下士官兵を合わせて百人弱の救助に成功。捕虜とした。
その後は霧で視界が悪い中で一夜を過ごし、翌日は霧が晴れた午前中に敵艦隊の捜索を再開したが結局見つからず、隼鷹から再集結の命令で青葉と雷は本隊と合流。本来の任務を済ませて帰路に着いた。
同時に、この戦闘で得た百人弱の捕虜はノイリート島の預かりとなり、城塞に付随してあった捕虜収容施設に収容される。
飛鷹と隼鷹は航空機輸送任務を終えると、その格納庫に東大陸からの輸入品を積み込んで皇国本土への帰路に就いた。
2隻合わせて飛行機120機、滑空機60機、合計で180機の航空機とその燃料弾薬、予備部品類を輸送し、ノイリート島にあった約300t分の保存食料や飼料を大陸の北部戦線に輸送し、影の武勲艦となったのだ。
城攻めというのは難しい。
これは洋の東西を問わず、また今も昔も程度の差こそあれ軍事的な真理である。
皇国の元あった世界にしてもこの原則は当て嵌まる。
厳重に防護された城や陣地を攻める場合、攻撃側に多大な出血を強いる
というのは皇露戦争でも欧州大戦でも嫌というほど味わっている現実だ。
皇国に占領されたノイリート島を奪還するというのは、城攻めになる訳だが、陸続きではないので艦船による兵員輸送が必須となる。
軍人や軍属の殆どは大陸本土に押し付けたが、大多数の島民は未だに島内在住である。
ノイリート島にマルロー王国やセソー大公国の旗が立てば一斉に放棄して皇国の牙城も崩れるだろう。
そんな期待を胸にしても、島内との連絡手段が封鎖されてしまっているから、力押しで上陸してみるしかない。
今回はそれが可能かどうかを確認するという名目で艦隊が派遣されたのだが、皇国軍はノイリート島を囮として占拠しているだけで、実際の防衛には消極的だから奇襲すれば一挙に奪還可能である。
というセソー大公の意見に何の根拠も無い事が露呈した。
皇国軍のたった1隻の軍艦によって、飛竜母艦を含む偵察艦隊が壊滅した。
この一件によって、元々積極的な艦隊行動を控えていたマルロー王国海軍はより消極的になり、艦隊保全を最優先する姿勢を露骨に示すようになった。
それにより、マルロー王国軍はシテーン湾の制海権を自ら放棄したも同然となり、北方諸国同盟軍全体の動きがより鈍るという無視し得ぬ打撃を受けたのである。
皇国軍にとっては、ちょっとした不運、小さな遭遇戦に過ぎなかったこの海戦が、北方諸国同盟軍へ想定外の打撃を与えたことを知るのは、戦後になってからである。




